学位論文要旨



No 118455
著者(漢字) 緑川,泰
著者(英字)
著者(カナ) ミドリカワ,ユタカ
標題(和) 遺伝子発現プロファイルをもちいた肝細胞癌の分類、および肝癌新規腫瘍マーカー候補遺伝子GPC3の機能解析
標題(洋)
報告番号 118455
報告番号 甲18455
学位授与日 2003.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2190号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 助教授 真船,健一
 東京大学 講師 大西,真
 東京大学 講師 高橋,悟
 東京大学 講師 今村,宏
内容要旨 要旨を表示する

日本における死亡原因の第一位を占めている癌は、高齢化社会の進む現在、社会的にも医学的にも重要な疾患である。

1980年代初めにヒトの癌遺伝子がクローニングされたことをうけ、それまでいくつもの研究分野に別れていた癌研究の流れは、癌を分子レベルで理解する分子遺伝学及び分子生物学へとシフトした。その結果、数々の癌遺伝子および癌抑制遺伝子がクローニングされ、診断や治療に大きく貢献した。その後、「ヒトゲノムの全シーケンスを解析して癌をはじめとするあらゆる疾患の原因を解明しよう」というスローガンのもとで進められてきたヒトゲノム解析計画は、国際コンソーシアムおよびアメリカの Celera Genomics 社によって2001年のヒトゲノムのドラフトシーケンス発表にたどり着いた。しかし、当初のスローガンにあったように、ゲノム情報が癌のメカニズムの解明に大きく貢献したと同時に、ゲノムに書き込まれている情報だけで規定されない、例えば、mRNA 発現の制御といった遺伝子発現解析や翻訳後修飾を含むタンパク質の包括的な解析といったポストゲノム解析の重要性が明らかになった。このような流れをうけ、DNA マイクロアレイは遺伝子発現を網羅的に解析する技術として急速に普及している。マイクロアレイ技術はガラス面上などの限られた範囲にDNA配列などを貼りつけておき、ハイブリダイゼーションの原理により遺伝子転写産物の量を測定するものである。測定する RNA サンプルに標識をすることと多数の遺伝子を同時に測定できることに特長があり、Brown らによって開発され実用化されてきた。

本研究ではまず第一段階として肝細胞癌25例、非癌部24例について GeneChip により約12000種類の遺伝子の発現レベルを調べ、その発現強度を多変量解析の一つである主成分分析法を用いて解析をおこなった。その発現パターンを3次元空間にマッピングすることにより各検体の分類を試みたところ、癌部と非癌部との間には明瞭な分類が可能であった。ついで癌部のみについて、臨床データ(年齢、性別、肝炎ウィウルス、再発率)および病理所見(腫瘍径、分化度、被膜形成、隔壁形成、血管浸潤、漿膜浸潤)についての分類を試みたところ、分化度において低分化型肝癌が他の中分化型肝癌、高分化型肝癌と異なる発現パターンを示した。また、上記の因子を規定する distinct gene を選択するために Mann-Whiteny U test をおこない、そのU値に対して permutation test を行った。その結果、上述の肝癌分化度に加えて血管浸潤についても統計学的有意差をもって distinct gene を選択することが可能であった。低分化型肝癌および血管浸潤を有する肝癌で発現が上昇する上位50遺伝子の機能をみてみると、低分化型肝癌では細胞周期に関連する遺伝子が含まれ、腫瘍増殖速度が亢進している状態と一致する結果であった。一方で血管浸潤を伴う肝癌では細胞周期関連の遺伝子は含まれず、Ras や Rho ファミリー遺伝子が含まれていた。このように遺伝子発現プロファイル解析により、異なる癌進展様式においては異なる遺伝子群が関与していることが示された。

第二段階として、高分化型肝癌から中分化型肝癌への脱分化に関与する遺伝子の同定をおこなった。上述した実験では主成分分析、Mann-Whiteny U test では高分化型肝癌と中分化型肝癌の間に有意な発現パターンの差違は認められなかった。そこで本実験では結節内結節像を呈する肝癌の癌発育の特徴を利用し、外側の高分化型肝癌と内側の中分化型肝癌を比較することにより、個体差のない検体間での差を観察した。外側の腫瘍と内側の腫瘍との比較では76遺伝子の発現が肝癌脱分化に際して上昇する一方で、33遺伝子の発現強度が低下していた。さらに別の高分化型肝癌5例、中分化型肝癌5例についてこれらの遺伝子の発現パターンを調べたところ、12遺伝子 (LAMA3, PPIB, ADAR, PSMD4, NDUFS8, D9SVA, CCT3, GBAP, ARD1, RDBP, CSRP2, TLE1) の発現上昇と4遺伝子 (CP, IL7R, CD48 PLGL) の発現低下が統計学的有意に認められた。最後に他の高分化型肝癌5例、中分化型肝癌7例をもちいて上記16遺伝子についてRT-PCRにより発現強度を比較検討したところ、GeneChip の結果とほぼ同じ傾向であった。このように、単なる発現プロファイルの比較では差がなかった高分化型肝癌と中分化型肝癌の間でも、肝癌進展の特性を利用して肝癌脱分化に寄与すると考えられる遺伝子群の選択が可能であった。

第三段階として、肝癌で遺伝子発現が上昇している Glypican3 (GPC3) に着目し、発現上昇の割合と肝発癌における同遺伝子の役割について考察した。GPC3 の肝細胞癌における転写レベルでの発現上昇の報告はすでにさされているが、翻訳レベルでの上昇についてはいまだ不明であった。そこでまず抗GPC3モノクローナル抗体を樹立し、この抗GPC3モノクローナル抗体を用いた肝癌細胞株のタンパク質の発現解析をおこなったところ、mRNAの発現量とタンパク質の発現量は相関した。さらに肝癌切除検体52例についてウェスタンブロット法によりタンパク発現レベルを調べたところ、43%の腫瘍でGPC3の発現が上昇していた。このことはGPC3が肝癌腫瘍マーカーとして利用しうるとともに、肝癌においてGPC3が肝癌になんらかの作用を及ぼしている可能性が示唆された。では、増殖を抑制すると考えられるGPC3が何故肝発癌で発現上昇しているのかを調べるために、GPC3 が増殖因子の働きを抑制することに着目し、FGF2, IGF2, BMP-7, TGF-beta, HB-EGFに対してGPC3が影響を及ぼすかどうかをMTTアッセイにより検討した。その結果、GPC3はBMP-7の細胞増殖抑制効果を抑制し、さらにルシフェラーゼアッセイで実際にBMP-7のシグナル伝達を抑制していることを明らかにした。このことはGPC3が増殖抑制因子の効果を制御することにより癌発育に有利に働く可能性があることを示唆するものである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は我が国で癌による死亡原因の上位を占める肝発癌および肝癌の進展において変化する遺伝子群を、オリゴヌクレオチドアレイの手法をもちいて遺伝子発現プロファイルの解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

正常肝8例、慢性肝炎6例(HB3例、HC3例)、肝硬変10例(HB5例、HC5例)を含む非癌部24例と、高分化型肝癌8例(HB3例、HC5例)、中分化型肝癌12例(HB5例、HC7例)、低分化型肝癌5例(HB2例、HC3例)を含む癌部25例を対象にして約12000遺伝子について遺伝子発現プロファイルの解析を行っている。各遺伝子についての発現レベルを多変量解析の一つである主成分分析を用いて解析した結果、肝発癌では明らかに遺伝子の発現プロファイルが変化し、また肝癌の進展においては病理および臨床データの比較において肝癌脱分化(低分化型肝癌)が唯一の発現プロファイルの変化を有することを示している。さらに random permutation test を含めた Mann-Whiteny U test では肝発癌、低分化型肝癌に加えて血管浸潤も統計学的有意に発現プロファイルが変化することを示し、2群を識別する遺伝子セットの選択を試みている。

1.で既存の統計学的処理では不可能であった高分化型肝癌と中分化型肝癌の分類を、肝癌特有の進展様式である結節内結節像を呈する肝癌を用いて中分化型肝癌へ脱分化する際に上昇する12遺伝子と、発現が低下する4遺伝子を同定することに成功した。これら16遺伝子は肝癌脱分化に何らかの寄与をしている可能性が示唆されている。

1.で選択された肝発癌において発現が上昇する遺伝子群の中からグリピカン3(以下GPC3)に着目し、GPC3のモノクローナル抗体を樹立することによりタンパクレベルでのGPC3の発現上昇をウェスタンブロットを初めて示し、また免疫染色によりGPC3の局在を明らかにした。さらにGPC3の肝癌患者血清における上昇を、GPC3血清濃度測定系を確立して証明しえた。このデータはGPC3がAFP、PIVKAIIとならんで肝癌診断用血清腫瘍マーカーとして利用しうることを示唆したものである。

さらに増殖を抑制する方向に働くと考えられる GPC3 の肝癌における発現上昇の理由として、cell growth assay によりFGF2とBMP-7の機能をGPC3が抑制していることに着目した。特にBMP-7のシグナル伝達抑制をGPC3が実際におこなっていることを luciferase assay をもちいて証明している。この事実により GPC3 は細胞増殖を抑制する増殖因子の働きを抑えることにより発癌に有利に働いている可能性を示した。

以上、本論文は遺伝子発現プロファイルを行うことにより今までは着目されていなかった、肝発癌や肝癌の進展に寄与していると考えられる遺伝子群を同定し、さらに肝癌で発現が上昇する GPC3 の診断用肝癌新規腫瘍マーカーとしての実用性を示唆した。以上の理由により本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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