学位論文要旨



No 118456
著者(漢字) 浅野,美礼
著者(英字)
著者(カナ) アサノ,ヨシヒロ
標題(和) 水平層流式バイオロジカルクリーンルームにおける浮遊微小粒子の飛散に及ぼす患者、看護師およびシーツ交換の影響
標題(洋)
報告番号 118456
報告番号 甲18456
学位授与日 2003.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2191号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 杉下,知子
 東京大学 助教授 木内,貴弘
 東京大学 講師 河,正子
内容要旨 要旨を表示する

緒言

1967年に浮遊微生物を管理する NASA 規格が作られて以降、バイオロジカルクリーンルーム (BCR) が医学分野で利用価値を高め、整形外科領域や熱傷治療ユニット、白血病患者の治療で感染症の発生率を低下させたと評価されてきた。今後待機患者が増加し続けている臓器移植後のケアにも拡張され、BCRの重要性が増していくと考えられる。BCRでの高度な治療を必要とする患者はセルフケアの維持が困難になることが多く、看護師は積極的なケアを提供する必要がある。しかし一般に厳しく管理されている BCR への入室に際して、清浄度維持の機能を負う一方向流の性質に則ってBCRを正しく利用できているのかどうかという視点から、看護師の所作を検討しているものが見当たらない。そこで本研究ではBCRにおける微小粒子の動き方についての基礎的データを得ることを目的として、米国連邦規格(Fed.Std.209)でクラス100の清浄度を達成するBCRのモデル病室を設け、一方向流中での微小粒子数の動きを光散乱式自動粒子計数器で測定した。その結果を以下に記す。

方法

測定環境と供試材料

送風機付き空気清浄装置(HEPAフィルタ濾過)を備えつけたBCRのモデル病室を設置し、光散乱式自動粒子計数器で毎分3回等間隔に空気0.05m3を吸入し(10秒間)、粒径0.5μm以上の浮遊微小粒子数(以下、粒子数)を計数した。浮遊微生物数(以下、微生物数)は、M Air TTMで6分20秒間に1m3の空気を吹き付けた専用SCD寒天培地を37℃・48時間好気的に培養し、コロニー計数単位を数えた。試験用粒子にはSTADEX SC-051-S(粒径0.506μm)を用いた。

看護師は素肌に(1)術衣、(2)その上からガウンを着て、(3)帽子と(4)マスクを着用した。(5)(1)〜(4)はすべて非滅菌、かつ(6)不織布製品(メコノム)を使用した。患者モデルとして甚平型患者衣を着装した看護実習用モデルさくら(身長158cm、京都科学、以下患者モデル)を用いた。シーツは綿製の薄地平織りで、非滅菌だが未使用の清潔なものを用いた。

一方向流中の浮遊微小粒子の拡散

一方向流中の浮遊微小粒子の拡散の測定は、以下の通りである。一方向流中に障害物がない場合は、頭側から足側へ、0.3m/sまたは0.5m/sの一方向流が送られているベッド上で、試験用粒子を送風面から0cm、幅80cmのベッドの右端から40cm、ベッド上面から40cmの点(以下、(0, 40, 40)と表記する)から発生させ、点 (χ, 40, 40) で測定した。一方向流中に障害物がある場合は、以下の三通りの条件で測定した。(a)ベッド上に臀部中央を点 (40, 40, 0) に合わせた患者モデルを長座位で設置した。試験用粒子を患者モデルの胸に接する点 (50, 40, 40) から発生させ、点 (χ, 40, 40) で測定した。(b)(a)の条件のうち、患者モデルの臀部中央を点 (10, 40, 0) に変更した。(c)(b)の条件のうち、障害物としての患者モデルを板に変更した。

患者のそばに看護師がいるときの空気汚染濃度の測定

患者のそばに看護師がいるときの空気汚染濃度の測定については、まず被験者である看護師の発塵強度を、閉鎖した無風の管理区域内でベッドサイドの往復歩行を5分間、延べ50往復連続して行ったときの粒子数を12セット計数して求めた。この看護師が0.3m/sの一方向流中で患者モデルのベッドサイドにいる状況で、発生した微小粒子と微生物を測定した。

シーツ交換をしているときの空気汚染濃度の測定

シーツ交換をしているときの空気汚染濃度の測定として、0.5m/sの一方向流中でシーツ交換を行い、そのときの粒子数を測定した。1回5分30秒を要するシーツ交換を看護師1名が繰り返して10回行った。

分析方法

浮遊微小粒子の濃度もしくは拡散の程度を評価する値として、繰り返し50回測定した観測粒子数の発生粒子数に対する比の幾何平均値を対数変換して分析に用いた(以下、この値をlog10Rとする)。log10Rに対する一方向流の風速および発生点-測定点間の距離の影響を調べるために、風速0.3m/sと0.5m/sで2セットずつ測定した設定を第一水準に、距離を第二水準として、二元配置分散分析を行った。一方向流の風速に対する換気回数の比較には、指数関数である粒子数の減少過程を片対数軸にプロットすると直線の傾きが換気回数になることを利用して、2群の傾きの差の検定を行った。

結果

一方向流中の浮遊微小粒子の拡散

一方向流中に障害物がない場合、測定した区間全体についてlog10Rは負、すなわち観測された粒子数は発生させた粒子数より少なく、距離に対して0.3m/sのとき60cmまで、0.5m/sのとき90cmまでほぼ一定の割合で減少した。

一方向流中に障害物がある場合の測定結果を次頁図1に示した。(a)では風速0.3m/sのとき90cmに、0.5m/sのとき160cmに大きな谷が見られたが、他には対照と比較して特徴的な差異がみられなかった。一方、(b)では風速が0.3m/sのとき70cmまで、0.5m/sのとき70cmもしくは80cmまでlog10Rは正すなわち測定された単位体積あたりの粒子数が発生させた単位体積あたりの粒子数よりも多かった。風速0.3m/sで測定された2セットのlog10Rはいずれも風速0.5m/sで測定されたものより大きかった。また、試験用粒子の発生点からの距離が20cmないし60cmの区間ではlog10Rに差は見られなかった。また(c)では、風速が0.3m/sのときは60cmないし70cmまで、0.5m/sのときは60cmないし80cmまでlog10Rは正だった。二元配置分散分析の結果は(b)の結果と同様であった。(c)において、点 (10, 40, 20) の換気回数は4.5×10-3(0.3m/s)、3.4×10-3(0.5m/s)で、2群の傾きの差の検定によると、一方向流の風速が0.3m/sのときより0.5m/sのときの方が小さかった (t=2.61、P<0.05)。

患者のそばに看護師がいるときの空気汚染濃度の測定

看護師の粒子発生強度は平均毎秒8.4×102個/m3±標準偏差(以下、SD)2.2×102であった。この看護師が患者のそばにいる場合、看護師付近の粒径0.5μm以上の粒子数は全107回の平均で104.2個/m3(幾何SD3.8×10-1)、また患者付近の粒子数は全75回の平均で103.7個/m3(幾何SD2.9×10-1)であった。微生物数については、看護師付近では平均8.5個/m3(幾何SD0.54)、患者付近では平均3.3個/m3(幾何SD0.53)であった。

シーツ交換をしているときの空気汚染濃度の測定

モデル病室でのシーツ交換では、交換中に変化が急なピークが三つ出現する過程が見られ、それは以下の場合であった。まず(a)開始からの30秒間に上シーツを半分、さらに半分にたたんだところ、次に、(b)90〜150秒後で下シーツの裾をマットレスの下から引き出して半分、さらに半分にたたんだところ、最後に、(c)240〜300秒後で新しい下シーツをすべて広げて裾をマットレスの下に折り込んでいるところに一致した。

考察

一方向流中の浮遊微小粒子の拡散について

臨床における一方向流中には少なくとも必ず患者の身体が障害物として存在する。2.2(a)は、患者が病室にいるときを再現するモデルとしてもっとも適当な系であると考えられたが、風速0.3m/sのときと0.5m/sのときそれぞれ特定の測定点1点のみで微粒子濃度の低下が見られたほかは、対照の結果と差異がほとんどみられず、伴流の存在を明確に示唆するような変動は見られなかった。この原因と考えられるモデル病室天井付近の対流の影響を抑えるために2.2(b)を設定した結果、2.2(a)と比較してlog10Rの変動に明瞭な特徴が表れており、伴流の存在が示されていた。風速0.5m/sのときは、同様に行った1セット目と2セット目の測定の結果に再現性が保たれていなかったが、それは障害物の輪郭が直線的でないことが伴流の剥離の位置を不規則にしたためと考えられた。そこで2.2(c)を設定した。障害物の風下20〜60cmでは、粒子が滞留していることがわかる。その区間では一方向流の風速が大きいほど微粒子除去の能力が高いとは限らないことが示された。0.5m/sのときの再現性にめざましい改善はなかったが、これは形成される伴流が風速に伴って強くなっていたためであると考えられた。

患者のそばに看護師がいるときの空気汚染濃度について

結果からは、一方向流中で患者が看護師より風上に位置していても、患者が看護師由来の微小粒子・微生物に被曝する可能性があることが示された。既存の研究で一方向流中の微小粒子は角度にして40〜50°の広がりをもって拡散しながら移動していることが確認されており、患者付近で滞留している伴流の大きさが小さくとも50cmに達していると考えられることから、看護師が患者のケアをするために患者のそばに位置するとき互いの発する微小粒子に両者とも曝露することは免れない可能性が高いと考えられる。

シーツ交換をしているときの空気汚染濃度について

ピークにいたる直前までの動作を調べてみたとき、シーツをたたむという動線の長い大きな操作によって強い発塵が見られたことが示された。一般にシーツには通気性のよさが求められるが、そのようなシーツは穴がたくさんあることが透過性を備えるために必然的に問題となる。人間由来の細菌や皮膚からの落屑、皮脂などが付着している使用済みのシーツを、空気をはらむ形で操作する限りは、空気中に放つ微小粒子数は減少しにくいことが予想された。

結論

一方向流中の患者に付随して形成される伴流、伴流による換気回数の低下と風速との関係、患者の微小粒子被曝への影響について、既存の研究では論じられていなかった以下の新しい知見を得た。モデル病室においては物理的に完全な層流が実現されているわけではなく、一方向流中にも乱流が見られた。空気の流れにとって障害物となる物や人がある場合、障害物の下流に一方向流とは明らかに異なる性質の流れ、すなわち伴流が付随していた。伴流が存在するとき、その中では換気回数の低下による微小粒子の停滞が見られ、一方向流の速さが大きいほど微小粒子の除去能力に優れているとは限らなかった。また一方向流中で患者が看護師より風上に位置していても患者が看護師由来の微小粒子に被曝する可能性が示唆された。

臨床看護への提言として、以下の二点を述べておく。(1)患者が微小粒子被曝を最小限にするためには、一方向流の風上方向から風向きと直角方向までの間の角度に顔を向けるのが望ましく、風下を向くべきではない。風向きが患者の頭から足の方向になるようにということに必ずしも固執する必要はない。(2)シーツに空気をはらむような大きな動作は避けるべきである。

発生させた試験用粒子数に対する観測粒子数の比 (R) の対数と発生点−観測点間の距離

審査要旨 要旨を表示する

バイオロジカルクリーンルーム(以下、BCR)での高度な治療を必要とする患者はセルフケアの維持が困難なことが多く、看護師は積極的なケアを提供する必要がある。しかし、一般に厳しく管理されているBCRへの入室を試みるに際して、果たして清浄度維持の機能を負う一方向流の性質に則ってBCRを正しく利用できているのかどうかという視点からBCRの中での看護師の所作を検討しているものが見当たらない。そこで本研究ではBCRにおける微小粒子の動き方についての基礎的データを得ることを目的として、空気清浄度に関する米国連邦規格 (Fed. Std.209) でクラス100の清浄度を達成するBCRのモデル病室を設け、一方向流中での微小粒子数の動きを光散乱式自動粒子計数器で測定した。これらの実験から下記の結果を得た。

患者が病室にいるときを再現する系として、頭側から足側へ一方向流が送られているベッドに、障害物として看護実習用患者モデルを長座位で置き、患者モデルの胸付近から試験用粒子を風上より放ったときベッド上で観測される粒子数を観測した。浮遊微小粒子の拡散の程度を評価する値として、発生させた試験用粒子数に対する観測粒子数の比50個の幾何平均値を対数変換したもの(以下、log10R)を考えた。粒子発生点−観測点間の距離に対するlog10Rの推移を観察した結果、(a)通常患者が座る位置ではlog10Rは全区間で負で、障害物がないときと比較して目立った特徴が見出せなかった。しかし、モデル病室内の乱流および患者モデルの不規則な輪郭による影響を取り除くために、(b)患者モデルの位置を送風面に最大限近づける、さらに(c)患者モデルを板に替える、といった条件の変更を行ったところ、伴流の存在を裏付ける結果として、障害物の後ろにlog10Rが正である区間と、それに続いて急激に負に移行する区間があることが示された。

1(b)のlog10Rについて、風速0.3m/sと0.5m/sでそれぞれ2セット測定した設定を第一水準に、粒子発生点−観測点間の距離を第二水準として二元配置分散分析を行った結果、障害物の風下20〜60cmでは、風速0.3m/sでも0.5m/sでもlog10Rに有意な差が見られずほぼ同等で、かつlog10Rが正であったことから、この区間では粒子が滞留していることがわかった。1(c)でもこの結果は同様だった。臨床における最大風速0.5m/sの一方向流中で背を向け、流れを最大にせき止めている条件での50〜60cmの伴流は、臨床で起こりうる最大に近いと考えられた。風速に関しては(b)、(c)とも0.5m/sのときのほうが0.3m/sのときよりもlog10Rが大きく、一方向流の風速が大きいほど微粒子除去の能力が高いとは限らないことが示された。このことは、指数関数である粒子数の減少過程を片対数軸にプロットしたとき傾きとして表される換気回数について、2群の傾きの差の検定で調べた結果にも支持されていた (t=2.61、p<0.05)。(b)、(c)とも2セット間の比較では0.3m/sでは差がなかったものの、0.5m/sでは差が認められた。以上は形成される伴流が風速に伴って強くなっていたためであると考えられた。(b)に対する(c)の方法の再現性の高さを示すことができなかったが、箱ひげ図に見られる分布の形状では2セット間の類似性が高まっており、再現性の向上の可能性が示された。

閉じられた無風のモデル病室内で看護師がベッドサイドを連続往復歩行しているときに発生している粒子数の5分間計測を12回繰り返し行った平均と標準偏差(以下、SD)は毎秒8.4×102個/m3±2.2×102であった。この発生強度を持つ看護師が、風速0.3m/sの一方向流の存在下でベッドサイドに立っており、それより相対的に風上のベッド上に長座位になっている患者モデルがあるとき、看護師付近で6分20秒間連続して測定された粒径0.5μm以上の粒子数は全107回の平均で104.2個/m3(幾何SD3.8×10-1)、また患者付近の粒子数は全75回の平均で103.7個/m3(幾何SD2.9×10-1)であった。微生物数については、看護師付近では平均8.5個/m3(幾何SD0.54)、患者付近では平均3.3個/m3(幾何SD0.53)であった。これらの結果から、一方向流中で患者が看護師より風上に位置していても、患者が看護師由来の微小粒子・微生物に被曝する可能性があることが示された。既存の研究で一方向流中の微小粒子は角度にして40〜50°の広がりをもって拡散しながら移動していることが確認されており、患者付近で滞留している伴流の大きさが小さくとも50cmに達していると仮定すると、看護師が患者のケアをするために患者のそばに位置するとき互いの発する微小粒子に両者とも曝露することは免れない可能性が高いと考えられた。

モデル病室でのシーツ交換では、交換中に変化が急なピークが三つ出現する過程が見られ、それは以下の場合であった。まず(a)開始からの30秒間に上シーツを半分、さらに半分にたたんだところ、次に、(b)90〜150秒後で下シーツの裾をマットレスの下から引き出して半分、さらに半分にたたんだところ、最後に、(c)240〜300秒後で新しい下シーツをすべて広げて裾をマットレスの下に折り込んでいるところである。ピークにいたる直前までの動作を調べてみたとき、シーツをたたむという動線の長い大きな操作によって強い発塵が見られたことが示された。一般にシーツには通気性のよさが求められるが、そのようなシーツは穴がたくさんあることによる透過性が必然的に問題となる。人間由来の細菌や皮膚からの落屑、皮脂などが付着している使用済みのシーツを、空気をはらむ形で操作する限りは、空気中に放つ微小粒子数は減少しにくいことが予想された。

本研究では、BCR内の臨床に近い様式で測定された浮遊微小粒子数と微生物数のデータが初めて示された。患者や看護師に付随する伴流による浮遊微小粒子吸入の危険性を具体的に指摘したBCRのガイドライン等の文献は見当たらない。そこで次のような提言が導かれている。

患者が微小粒子被曝を最小限にするためには、一方向流の風上方向から風向きと直角方向までの間に顔を向けるのが望ましく、風下を向くべきではない。風向きが患者の頭から足の方向になるようにということに必ずしも固執する必要はない。具体的な体位としては、ベッドの頭から足の方向に一方向流が流れているときは、患者は風上に背を向けているよりも、ベッドをフラットに保ったままベッド中央でベッドの右端(または左端)を向いて胡座する、あるいはベッドの右端(または左端)に端座位になるのが望ましい。

臨床看護においては大きな、急な動作でシーツ等を操作することは控えるように注意を払う。特にシーツに空気をはらむような大きな動作は避けるべきである。古いシーツを片付けるときに粒子の発生を最小限にする方法をさらに考える必要がある。

以上、本研究は、看護師が躊躇することなくBCR内で患者にケアを提供するためにはどのような位置で立ったらよいかという問題に、モデル病室での実験による基礎データの収集を通じて取り組んだものである。その結果、BCR内で看護師が発生する微小粒子数や微生物数、シーツ交換による浮遊微小粒子の発生状況に関する貴重なデータを提示した。また、一方向流中の患者に付随して形成される伴流、伴流による換気回数の低下と風速との関係、患者の微小粒子被曝への影響について、既存の研究では論じられていなかった新しい知見が得られた。これらの成果は、臨床においてBCR内の患者に必要十分なケアを提供するための看護師の行動計画の立案に役立ち、治療を受けている患者のQOLの維持と向上に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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