学位論文要旨



No 118459
著者(漢字) 柿澤,淳子
著者(英字)
著者(カナ) カキザワ,ジュンコ
標題(和) 風疹ウイルスの弱毒化の分子的基盤に関する研究 : TO-336ワクチン株ウイルスの5'領域の役割
標題(洋) A Study on the Molecular Basis of Attenuation of Rubella Virus : The Role of 5' Terminal Region of TO-336 Vaccine Strain Virus
報告番号 118459
報告番号 甲18459
学位授与日 2003.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2194号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 講師 渡辺,洋一
内容要旨 要旨を表示する

風疹は古くから知られている発疹性のウイルス性疾患である。本症は“3日はしか”と言われているように一般に軽症の病気と考えられてきたが、本ウイルスの胎内感染によって白内障、心奇形および難聴を主徴とする先天性風疹症候群 (CRS) と総称される障害が引き起こされることが明らかになり、はじめて本症の予防の重要性が問題にされ、今日の弱毒生風疹ワクチンが開発された。

現在国内では独自に開発された5種の弱毒生風疹ワクチン(TO-336株、松浦株、高橋株、松葉株、TCRB19株)が用いられている。日本のワクチン株ウイルスは、野生株ウイルスには見られない2つの性質を有している。それは第一に、ワクチンウイルスの被接種者は症状(主に発熱と発疹)を殆ど起こさないということ、第二に、ウイルスは被接種者から検出されるが他の人には感染しないという性質であり、これらをもって弱毒性としている。しかし、風疹ウイルスの弱毒化のメカニズムは未だ知られていない。

目的

本研究では弱毒化の解明の第一段階として、弱毒化に伴う変異を明らかにし、それらの変異と弱毒化との関連を見い出すことを目的とした。

方法

TO-336ワクチン株とは、富山で発生した風疹患者から1967年に分離された株を低温で継代することにより開発されたワクチンウイルスである。本研究ではTO-336ワクチン株の5'及び3'端とTO-336野生株(TO-336ワクチン株の親株)の約7400塩基の配列を、PCR(ポリメラーゼチェインリアクション)法で増幅した DNA 断片、或いはその DNA 断片をクローニングして作成したプラスミドを用いて DNA シーケンサーにより配列を決定した。すでに得られていた配列を加えて全塩基配列を決定し、TO-336ワクチン株とTO-336野生株の全塩基配列を比較することによって、ワクチン株で起こった変異を明らかにした。

変異とウイルスの性状との関係を調べるにあたり、変異を持つウイルスが、持たないウイルスよりもワクチンに近い性質を示すならば、それらの変異は弱毒化に関与している可能性があるという考えを前提とし、ウイルスの増殖とプラークの大きさを調べた。このための実験に用いたのが Therien 株の感染性 cDNA クローンである。これまでにも風疹ウイルスの弱毒化の研究は、このcDNAクローンを用いて行われてきた。それらの研究によると、弱毒化に関わる領域の一つとして5'領域が挙げられ、その領域はよく研究されているので、本研究でも5'領域(nt 1からnt 1851まで)(ゲノムの一番目の塩基をnt 1とする)に存在する変異について調べた。nt 1から1871までの領域を本論文では5' terminal 1871 region とし、以後この名称を使用する。TO-336ワクチン株のウイルスゲノムの5' terminal 1871 region には5個の変異 (nt 36、999、1327、1708、1757) が含まれている。5個の変異のうち、nt 36は非翻訳領域に、nt 999、1327、1708、1757は非構造蛋白翻訳領域(NSP-ORF)内の機能不明領域にあり、nt999と1757では予測アミノ酸がそれぞれAla(野生株)→Glu(ワクチン株)、His(野生株)→Tyr(ワクチン株)と変化する。これら5個の変異がウイルスの性状(増殖能、プラークの大きさ)に及ぼす影響について、組み換えウイルスを用いて比較した。以下にその説明を述べる。

組み換えウイルスの作成では、Therien 株の cDNA クローンであるプラスミド pRobo402の5' terminal 1871 region の配列をTO-336ワクチン株またはTO-336野生株の同一領域の配列と組み換え、プラスミド pTOvac-Robo と pTOwt-Robo を作った。pTOvac-Robo、pTOwt-Robo と pRobo402 から in vitro transcription(転写)により、感染性 RNA を作成し、その RNA を Vero cell(アフリカミドリザルの腎細胞の培養細胞株)に transfection(導入)し、培養上清を採取した。培養上清中の TOvac-Robo、TOwt-Robo と Robo402 のウイルスを MOI (multiplicity of infection) 0.0005でVero cellに感染させ35℃において11日間培養し、感染後、1、3、6、8、11日目の培養上清を採取した。同様に、TO-336ワクチン株とTO-336野生株ウイルスはMOI 0.002でVero cellに感染させ35℃において11日間培養し、感染後、1、3、6、8、11日目の培養上清を採取した。それぞれのウイルスの titer をプラークアッセイにより測定すると同時に、プラークの形態観察とプラークの直径の測定をした。ウイルスの titer とプラークの直径は Kolmogorov-Smirnov's test によって正規分布を示したので、比較の対象である titer またはプラークの直径間でt検定を行った。

結果

塩基配列を比較した結果、TO-336ワクチン株とTO-336野生株間で21個の塩基が異なっていた。21塩基のうち、13塩基がNSP(非構造蛋白翻訳領域)に、5塩基がSP(構造蛋白翻訳領域)に、3塩基がUTR(非翻訳領域)(3箇所にある非翻訳領域に1塩基ずつ)に存在していた。これらの変異のうち予測アミノ酸の変異を伴うものは10個であった。10個のアミノ酸変異のうち4個は機能不明領域に、2個がプロテアーゼ領域に、2個がヘリケース領域に、2個がE1遺伝子の中に存在していた。また、ワクチンの3株(TO-336株、RA27/3株と Cendehill 株)の間では21個の塩基のうち8塩基が共通して認められた。なお、風疹ウイルスにおいてワクチン株とその親株との間で塩基配列を比較し、ワクチン株の変異を明らかにしたのは本研究が最初である。

5' terminal 1871 region を組み換えた2種のウイルスであるTOvac-RoboとTOwt-Roboの性状を調べた結果、プラークの大きさでは TOvac-Robo と TOwt-Robo の間で殆ど違いは見られなかった。しかしウイルスの増殖については TOvac-Robo の titer は培養の6日目まで TOwt-Robo より低い値を示し、6日目以降、両ウイルスの titer は極めて近い値を示した。1日目と3日目のTOvac-RoboとTOwt-Roboのtiterの差は有意であった(p<0.0001)。即ち、感染初期に2つの組み換えウイルスの間で growth の差のあることが判った。またTO-336ワクチン株の growth は培養11日間にわたってTO-336野生株より低かった (P<0.0001)。これらの結果により、TOvac-Robo の titer が感染初期に TOwt-Robo より低いということは、組み換えウイルスの元になったTO-336ワクチン株の growth がTO-336野生株より低いということに符合する。即ち TOvac-Robo と TOwt-Robo は組み換えた元のウイルスの増殖能を反映していると考えられた。以上のことから、5個の変異はワクチンウイルスの増殖を抑制し、この点において軽度ではあるが弱毒化に関与している可能性が考えられ、同時に、ワクチンウイルスの増殖の抑制 にはこれら5個以外の変異も関わっていると思われた。一つの性質に対して複数の変異が関与するというこのような現象は黄熱ウイルスの神経毒性や、ポリオウイルスの温度感受性においても見られる。

上記実験の過程で、Robo402と TOvac-Robo または TOwt-Robo との間で5' terminal 1871 region の活性の差異も認められた。即ち、Robo402ウイルスゲノムの 5' terminal 1871 region の配列を、TO-336ワクチン株またはTO-336野生株の相当する配列に組み換えることによって、プラークサイズの減少 (P<0.0001) とプラトーに達した後のウイルスの増殖能の低下 (p<0.0001) が見られた。

考察

組み換えた2種のウイルスの増殖の差については、感染初期では5個の変異の影響がより直接反映されるが、感染後期ではウイルスの合成が何らかの理由で制限されてプラトーに達するため、変異による活性の差異が観察できなくなると考えられる。

5個の変異とウイルスの増殖との関係は以下の様に考察した。風疹ウイルスの5'末端にはステムループ構造があり、この5'末端部分は NSP の翻訳時に重要な役割をしていると考えられている。またRA27/3株の研究では、5'末端部分にある nt 34、48と49の3つの塩基は軽度であるが弱毒化に関与していると報告されている。また、風疹ウイルスの株間で5'末端の配列の比較をした研究によると、nt 34から37までの領域は変異が比較的多く存在する領域である。TO-336ワクチン株では nt 36に変異があり、それはループ(nt 33から43)内の開始コドン(nt 41から43まで)の直前に位置しており、ループの二次構造は変わらない。これらのことから、TO-336ワクチン株の nt 36の変異はRA27/3株の nt 34の変異と同様の役割を持っている可能性もある。即ち、nt 36の変異は NSP の合成に影響を与えることによりウイルスの増殖を抑制している可能性が考えられる。

風疹ウイルスと同じトガウイルス科に属するアルファウイルスでは、4個の NSP の複合体がプラス鎖RNAとマイナス鎖RNAの合成に関与しているとされている。風疹ウイルスのNSPも同様の働きを持つものと考えられているので、5個の変異のうち NSP に存在する4個の変異 (nt 999、1327、1708、1757) はプラス鎖の RNA とマイナス鎖 RNA の合成に関与することによってウイルスの増殖に影響を与えている可能性がある。

本研究では、ゲノムの5'領域にある5個の変異がワクチンウイルスの増殖を軽度に抑制することによって弱毒化に関与している可能性が示唆された。今後、5個の変異とウイルス蛋白、RNA との関係を調べる予定である。また残りの変異についても組み換えウイルスを用いて研究する予定である。これによって、風疹ウイルスの弱毒化のメカニズムの解明は一歩進むであろう。更に深く究明するためには、これまでとは違った方法、例えば、レセプターとウイルスの関係や細胞内蛋白とウイルス蛋白との関係等を調べることが必要であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は風疹生ワクチンの弱毒化の解明の第一段階として、TO-336風疹ワクチン株ウイルスの弱毒化に伴う塩基の変異を決定し、5'領域にある5変異と弱毒化との関係を明らかにするため5変異がウイルスの性状(弱毒化に関係するとされている)に及ぼす影響をプラークアッセイにて調べたものであり、下記の結果を得ている。

TO-336ワクチン株ウイルスの5'及び3'端とTO-336野生株ウイルス(TO-336ワクチン株の親株)の約7400塩基の配列を、PCR法で増幅した DNA 断片またはその DNA 断片をクローニングして作成したプラスミドを用いて DNA シーケンサーにより決定した。既に得られていた配列を加えてTO-336ワクチン株とTO-336野生株ウイルスの全塩基配列を決定した。GC含有率の高い塩基番号2100-2500の領域の PCR による増幅を、領域の約700塩基下流に設定した reverse primer を用い、“30 cycles of heat denaturing at 98℃ for 20 sec, annealing at 50℃ for 5 sec, and extension at 70℃ for 10 min”という PCR の条件下で行うことにより可能にした。

TO-336ワクチン株とTO-336野生株ウイルスの配列を比較することによりワクチン株で起こった変異を同定し、2ウイルス間では21塩基が異なっていることが示された。21塩基のうち、13塩基が NSP(非構造蛋白翻訳領域)に、5塩基が SP(構造蛋白翻訳領域)に、3塩基が UTR(非翻訳領域)(3箇所にある非翻訳領域に1塩基ずつ)に存在しており、予測アミノ酸の変異を伴うものは10個であることが示された。10個のアミノ酸変異のうち4個は機能不明領域に、2個がプロテアーゼ領域に、2個がヘリケース領域に、2個がE1遺伝子の中に存在していることが示された。ワクチンの3株(TO-336株、RA27/3株と Cendehill 株)間では21塩基のうち8塩基が共通して認められた。

風疹ウイルス野生株である Therien 株の感染性 cDNA クローンの5'領域をTO-336ワクチン株またはTO-336野生株の5'領域に組み換えて作成した2種のウイルスを用い、ワクチン株の5'領域がウイルスの性状に及ぼす影響を調べたところ、プラークの大きさへの影響は認められず、感染初期においてウイルスの増殖を抑制していることが認められた。ワクチンウイルスの増殖の抑制には、5'領域以外にある変異も関係していることが考えられた。

TO-336ワクチン株またはTO-336野生株と Therien 株間ではプラークの大きさとウイルスの増殖において5'領域の活性の差異が認められた。

以上、本論文は風疹ウイルスにおいてワクチン株とその親株との比較により弱毒化関連の変異を明らかにした最初の報告であり、5'領域のみが異なる2種の組み換えウイルスの解析からTO-336ワクチン株ウイルスの5'領域が弱毒化に関与している可能性を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、風疹ウイルスの弱毒化のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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