学位論文要旨



No 118460
著者(漢字) 岡,雄一郎
著者(英字)
著者(カナ) オカ,ユウイチロウ
標題(和) 嗅上皮でゾーン特異的に発現する中鎖アシルCoAシンセターゼ、O-MACS、の単離と解析
標題(洋)
報告番号 118460
報告番号 甲18460
学位授与日 2003.04.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4397号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 教授 深田,吉孝
 理化学研究所 チームリーダー 吉原,良浩
内容要旨 要旨を表示する

哺乳類は数十万種類に及ぶ匂い物質を識別できるといわれている。匂い分子は鼻腔奥の嗅上皮に存在する嗅神経細胞で受容される。嗅神経細胞の樹状突起先端には7回膜貫通型の嗅覚受容体が発現しており、これが匂い分子を受容すると考えられている。嗅覚受容体をコードする遺伝子はマウスではおよそ1000種類に上るといわれ、ほぼ全ての染色体上にクラスターをなして存在している。個々の嗅神経細胞は約1000種類の遺伝子の中から、1種類のみを mono-allelic に発現している。ここで、特定の嗅覚受容体遺伝子は、嗅上皮の4つに分けられる亜領域(ゾーン)の内の一つでのみ発現し、ゾーン内ではランダムに散在するといわれている。嗅神経細胞はその軸索を脳の最前部に位置する嗅球に投射し、投射先には糸球という構造体が形成されて2次ニューロンとシナプスを作っている。この際、同種の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞は定まった糸球にその軸索を集中させることが知られている。一般に、糸球の嗅球上での位置は、嗅上皮上で細胞体が位置するゾーンと対応する領域にある、即ち、嗅上皮から嗅球への投射には zone-to-zone の対応があると言われている。しかしながら、嗅上皮での嗅覚受容体遺伝子のゾーン特異的な発現や、嗅神経細胞の嗅球へのゾーン特異的な投射を規定する分子機構などについてはほとんど解明されていない。本研究では、ゾーンの持つ生物学的意味を明らかにする目的で、嗅上皮でゾーン特異的に発現する遺伝子群を探索した。

嗅上皮でゾーン特異的に発現する遺伝子を単離するため、ラットの嗅上皮の最も背内側の領域(ゾーン1)と最も腹外側の領域(ゾーン4)で発現する遺伝子を differential display (DD) 法で比較した。その結果、112種類の候補遺伝子が得られ、その内訳は、ゾーン1で強いものが37種類、ゾーン4で強いものが75種類であった。これらをプローブに用いて、嗅上皮の組織切片に対して in situ ハイブリダイゼーション (ISH) を行ったところ、20種類の遺伝子について領域特異的な発現が確認された。本研究では、これらの遺伝子のうち、ゾーン1で特異的に発現する新規遺伝子、o-macs、について詳細に解析した。

ラット o-macs 遺伝子は、580アミノ酸からなるタンパク質をコードし、その推定アミノ酸配列はマウスの中鎖アシルCoAシンセターゼ (medium-chain acyl-CoA synthetase, MACS)・ファミリーのMACS1、SA、KSおよびKS2と56-63%の相同性を示すが、マウスのアセチルCoAシンセターゼ・ファミリーのタンパク質とは20-30%の低い相同性を示した。これらのタンパク質はすべて、アシルCoAシンセターゼ・ファミリーのタンパク質でよく保存されているAMP結合モチーフを持っており、o-macs 遺伝子のコードするタンパク質はアシルCoAシンセターゼ・ファミリーのなかでもMACSファミリーに属することが明らかとなった。また、o-macs 遺伝子はマウスゲノムでは第7番染色体の7F1領域にあり、この領域には o-macs を含むMACSファミリーの遺伝子のすべてがタンデムに並んでいることが判明した。これら5つのMACSファミリー遺伝子は、進化の過程で、遺伝子重複によって形成されたものと考えられる。

本研究では次に、o-macs 遺伝子の嗅上皮での発現を確認するために、ラットの嗅上皮組織切片に対するISH解析を行った。その結果、o-macs 遺伝子の発現はゾーン1に限局しており、嗅覚受容体遺伝子とは異なり、嗅神経細胞層のみならず、支持細胞層、基底細胞層や lamina propria にも認められることが判明した。o-macs 以外のMACSファミリーの遺伝子は主として肝臓と腎臓で発現するが、o-macs 遺伝子は嗅上皮でのみ特異的に発現しており、他のMACSファミリー遺伝子の中で、嗅上皮に発現するものはない。

o-macs 遺伝子の胎生期における発現は極めて早い。ラットの胎生11.5日目においては、鼻腔の陥入はまだ始まっておらず、嗅上皮はまだ嗅原基として存在するが、o-macs 遺伝子の発現はすでにこの時期から認められ、嗅原基のマーカーとして用いた NeuroD 遺伝子の発現と比べると、背内側の領域に限局して発現していた。ラットにおいては嗅覚受容体遺伝子の発現は胎生14日目ごろから認められるので、嗅上皮のゾーンの決定は嗅覚受容体遺伝子の発現が始まる以前の、嗅原基の段階ですでに起こっているものと思われる。

O-MACSタンパク質の細胞内での機能を解析する目的で、エピトープタグ付のO-MACSタンパク質を精製し、そのアシルCoAシンセターゼ活性を測定した。その結果、O-MACSタンパク質は炭素鎖長6から12までの脂肪酸に反応することが示された。次に、O-MACSタンパク質の細胞内局在を調べたところ、O-MACSタンパク質はミトコンドリアに局在することが判明した。O-MACSと反応性を示す脂肪酸をラットに匂い分子として与えると、ゾーン1に位置する糸球を活性化することが報告されているので、O-MACSの嗅上皮に匂い分子として取り込まれた脂肪酸のプロセシングに関与する可能性が考えられる。

o-macs の他に本研究で得られた約20種類の興味深い候補遺伝子の中には、OSNの軸索投射に関与し得る細胞接着因子や、OSNの機能を modulate すると考えられる神経ペプチド、また、毒物の代謝や、脂肪酸の代謝に関わる酵素などをコードする遺伝子が含まれている。今回解析した o-macs を含め、これらゾーン特異的に発現する遺伝子の解析は、嗅上皮に見られるゾーン構造の生物学的重要性の理解や、発生過程におけるゾーン決定の機構解明につながるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

げっ歯類において嗅覚受容体をコードする遺伝子はおよそ1000種類にのぼり、ほぼ全ての染色体上にクラスターをなして存在している。個々の嗅神経細胞は約1000種類の遺伝子の中から、1種類のみを mono-allelic に発現している。ここで、特定の嗅覚受容体遺伝子は、嗅上皮の4つのゾーンの内の一つでのみ発現し、ゾーン内ではランダムに散在するといわれている。嗅神経細胞はその軸索を脳の最前部に位置する嗅球に投射し、投射先には糸球という構造体が形成されて2次ニューロンとシナプスを作っている。この際、同種の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞は定まった糸球にその軸索を集中させることが知られている。一般に、糸球の嗅球上での位置は、嗅上皮上で細胞体が位置するゾーンと対応する領域にある、即ち、嗅上皮から嗅球への投射には zone-to-zone の対応があると言われている。しかしながら、嗅上皮での嗅覚受容体遺伝子のゾーン特異的な発現や、嗅神経細胞の嗅球へのゾーン特異的な投射を規定する分子機構などについてはほとんど解明されていない。本研究では、ゾーンの持つ生物学的意味を明らかにする目的で、嗅上皮でゾーン特異的に発現する遺伝子群を探索した。

本研究では、ラットの嗅上皮の最も背内側の領域(ゾーン1)と最も腹外側の領域(ゾーン4)で発現する遺伝子を differential display(DD)法で比較し、ゾーン1で特異的に発現する新規遺伝子 o-macs を同定し、この遺伝子について詳細に解析した。ラット o-macs 遺伝子は、580アミノ酸からなるタンパク質をコードし、その推定アミノ酸配列はマウスの中鎖アシルCoAシンセターゼ (medium-chain acyl-CoA synthetase, MACS)・ファミリーと56-63%の相同性を示した。また、o-macs 遺伝子はマウスゲノムでは第7番染色体の7F1領域にあり、この領域には o-macs を含むMACSファミリーの遺伝子のすべてがタンデムに並んでいることが判明した。これら5つのMACSファミリー遺伝子は、進化の過程で、遺伝子重複によって形成されたものと考えられる。RT-PCRによる解析の結果、o-macs 以外のMACSファミリーの遺伝子は主として肝臓と腎臓で発現するが、o-macs 遺伝子は嗅上皮でのみ特異的に発現しており、他のMACSファミリー遺伝子の中で、嗅上皮に発現するものはないことが明らかになった。o-macs 遺伝子の嗅上皮での発現は4つのゾーンのうちゾーン1に限局した。o-macs 遺伝子の発現は、嗅覚受容体遺伝子を発現する嗅神経細胞層のみならず、支持細胞層、基底細胞層および lamina propria にも認められ、ゾーン1の全体に発現していた。嗅上皮の発生過程におけるゾーン形成の時期を解析するため、o-macs 遺伝子の胎生期における発現を解析したところ、ラットの胎生11.5日目においてゾーン特異的に発現していた。この結果から、嗅上皮のゾーンの決定は嗅覚受容体遺伝子の発現が始まる以前の、嗅原基の段階ですでに起こっているものと推定できる。本研究では次にO-MACSタンパク質の細胞内での機能を解析する目的で、エピトープタグ付のO-MACSタンパク質を精製し、そのアシルCoAシンセターゼ活性を測定した。その結果、O-MACSタンパク質は炭素鎖長6から12までの脂肪酸に反応することが示された。次に、O-MACSタンパク質の細胞内局在を調べたところ、O-MACSタンパク質はミトコンドリアに局在することが判明した。O-MACSと反応性を示す脂肪酸をラットに匂い分子として与えると、ゾーン1に位置する糸球を活性化することが報告されているので、O-MACSは嗅上皮に匂い分子として取り込まれた脂肪酸のプロセシングに関与する可能性が考えられる。

本学位申請論文は、嗅上皮でゾーン特異的に発現する新規の中鎖アシルCoAシンセターゼO-MACSの同定と、その発現解析および生化学的な解析を行ったもので、その内容は欧州生化学会誌に公表されることが決定している。本研究は複数の同僚との共同研究であるが、その実験計画と主要部分の解析は論文提出者自身によるものであり、その寄与は十分であると判断される。特に、本研究で同定されたO-MACSは新たな zonal marker として、嗅上皮のゾーン形成や嗅覚受容体遺伝子の発現制御のメカニズムの解明に道を拓くものとして評価されるべきものである。

審査会においての質疑応答は多岐にわたり、必要な部分は学位論文の最終稿に反映されている。

以上の結果から、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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