学位論文要旨



No 118464
著者(漢字) 田中,優実
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ユミ
標題(和) 金属酸化物水和物及びそのポリマー複合体のプロトン伝導特性
標題(洋)
報告番号 118464
報告番号 甲18464
学位授与日 2003.05.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5559号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 教授 安井,至
 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 助教授 岸本,昭
 東京大学 助教授 瀬川,浩司
内容要旨 要旨を表示する

燃料電池を駆動源とする電気自動車は発電効率が高く、大気汚染や騒音の低減にも大きく貢献することから、一般普及への期待が非常に大きい。現在試験的に走行している燃料電池車には、ナフィオンなどのフッ素系イオン交換膜が電解質として使用されている。しかし、燃料電池車の一般普及を視野に入れた場合、これらの膜にはコストの大幅削減、利用可能温度領域の拡大、外部水蒸気圧依存性の低減など多くの課題が残されている。こういった課題の解決に対しては特に有機高分子ベースの研究が盛んである一方、無機プロトン伝導体に着目した研究例は少ない

無機プロトン伝導体は高温型 (500〜1000℃) と低温型 (〜100℃) に大きく分けられる。高温型の場合、プロトンは結晶格子間のホッピングにより移動するため、プロトン輸送のエネルギー障壁は高く、良好な導電率を得るために500℃以上とする必要がある。一方、低温型には一部の金属酸化物水和物や分子酸が知られ、プロトンは表面吸着水や結晶水を介して移動する。前述のイオン交換膜は100℃以上又は極端な乾燥状態において水が脱離して導電率が著しく低下するが、金属酸化物の場合100℃以上でも化学的に結合した結晶水を維持するものも多い。このような水和物が主に結晶水を介してプロトンを運ぶことができれば、広い温度、湿度範囲において外部水蒸気圧によらない、安定した導電率を示すことが期待できる。

そこで本研究では、金属酸化物水和物の中温度域における燃料電池用電解質膜としての可能性を探ることを目的に、酸化タングステン二水和物W03・2H2O、ニオブをドープしたW03・2H2O及び三リン酸アルミニウム水和物AlH2P3O10・nH2O、の構造や物性、プロトン伝導特性を評価した。また、実用に向けて重要な、柔軟性、機械的強度に優れた安価な膜の提供という課題に対応するため、無機プロトン伝導体と有機高分子による複合体形成とその構造、物性の評価を行った。

そこで本研究では、金属酸化物水和物の中温度域における燃料電池用電解質膜としての可能性を探ることを目的に、酸化タングステン二水和物W03・2H2O、ニオブをドープしたW03・2H2O及び三リン酸アルミニウム水和物AlH2P3O10・nH2O、の構造や物性、プロトン伝導特性を評価した。また、実用に向けて重要な、柔軟性、機械的強度に優れた安価な膜の提供という課題に対応するため、無機プロトン伝導体と有機高分子による複合体形成とその構造、物性の評価を行った。

第1章では、研究背景と研究目的について述べた。

第2章では、層間に解離性プロトンと水分子を有する層状化合物である酸化タングステン二水和物WO3・2H2Oの結晶構造と構造的特徴、及びプロトン伝導特性について述べた。

WO3・2H2Oにおいて、タングステン原子は1つの配位水と5つの酸素に囲まれた八面体の中心に位置し、八面体同士は頂点共有によってWO3[H2O] 層を形成、層間に水分子を収容している。配位水の酸素原子と層間水の酸素原子の距離は比較的短く (2.66-3.10A)、水素結合のネットワークが層間全体に広がって存在することから、WO3・2H2Oでのプロトン伝導には表面吸着水のみならず、結晶内部の水素結合網を介するプロトン輸送も関与することがすでに明らかとなっている。WO3・2H2Oの150℃、飽和水蒸気圧下での導電率は7×10-3Scm-1であった。

第3章では、WO3・2H2OのW6+位置に、Nb5+をドープした試料の、構造、基本物性及びプロトン伝導特性について調べた結果を示した。

XRD測定結果から、合成した試料(0≦Nb/(W+Nb)≦0.311)の組成と格子定数の間の直線関係成立は0≦Nb/(W+Nb)≦0.062の範囲に限られ、Nb5+によるW6+位置の置換及び同一の電荷補償様式が生じているのがこの領域のみであることが判明した。一方、Nb/(W+Nb)>0.062の範囲では、a軸方向とc軸方向の格子定数が一致し、Nb増加が結晶系の変化(monoclinic→tetragonal)をもたらすことが分かった。また、TG測定結果から試料の水組成を見積もったところ、水和水はNb変化に対し、モル比にしてほぼ1:1の割合で減少しており、試料の組成式はNb組成をxとして次のように一般化した形で与えられることが分かった。

[a] はプロトン導入、[b]は酸素欠陥によって電荷が補償されていることを仮定した式である。

150℃、飽和水蒸気圧下で導電率を測定した結果、0≦Nb/(W+Nb)≦0.062の範囲で、Nb量の増加に伴う導電率の向上が見られた。Nb/(W+Nb)=0.062の導電率はWO3・2H2Oの約3倍にあたる2×10-2Scm-1であった。水和量が減少するにもかかわらず導電率が増大していることから、導電率向上は [a] 式に示したNb5+ドープに伴うプロトン生成が一因であると考察した。

第4章では、オルトリン酸の脱水縮合体、H5P3O10のアルミニウム塩である三リン酸アルミニウム水和物AlH2P3O10・nH20(n=2-3) の基本物性及びプロトン伝導特性について調べた結果を示した。

第4章では、オルトリン酸の脱水縮合体、H5P3O10のアルミニウム塩である三リン酸アルミニウム水和物AlH2P3O10・nH20(n=2-3) の基本物性及びプロトン伝導特性について調べた結果を示した。

","TG測定結果では、25〜70℃、80〜150℃においてそれぞれ、1分子以下のゼオライト水及び2分子の配位水の脱離に相当する重量減少が観測された。300℃までの測定後に室温下で飽和水蒸気下に保持する手順を挟んで行った2度の測定から、この領域で失われる水和水は、温度を下げて水蒸気圧を上げることで可逆的に再導入されることを確認した。75、100・150℃においてそれぞれ温度一定の元、真空状態から水蒸気圧を上昇させた場合の水吸着による重量変化を調べた結果、100℃、150℃のそれぞれ相対湿度を50%、10%に増加させた時点で、時間軸に対して一定の傾きで重量が増加し続け、約50時間経過後も平衡には達しなかった。このことは、100、150℃の対応する水蒸気圧下において一定の速度で何らかの反応が起こっていることを示唆する。実際、XRD測定結果から、100、150℃の対応する水蒸気圧以上では、次のような加水分解反応が生じていることが判明した。

以上の測定結果を統合し、温度、水蒸気圧に対するAlH2P3O10・nH2Oの安定領域を明らかにした。

飽和水蒸気圧下における、温度と導電率の関係を調べ、飽和水蒸気圧下、50時間の保持でも加水分解が進行していなかった75℃及びそれ以下の温度のプロットから活性化エネルギーを算出したところ、0.56eVという値が得られた。この値は、表面吸着水中のプロトン移動を想定した値としては非常に大きく、AlH2P3O10・nH2Oのプロトン伝導においてもWO3・2H2O同様、表面吸着水と水和水を介した内部伝導が同時に起こっているものと考えられた。

第5章では、WO3・2H2Oとエポキシ樹脂から成る複合膜の形成とプロトン伝導特性について示した。

複合膜は、WO3・2H2Oとエポキシ樹脂を共に前駆体溶液の状態で混合して膜化し、得られた前駆体膜を塩酸に浸け、膜中での加水分解によりWO3・2H2Oを析出させるという新たな手法で作成した。得られた膜のXRDプロファイルは、WO3・2H2Oの粉末試料と一致し、この手法による複合膜作成が有効であることを確認した。結晶子径を算出した結果、いずれの試料もb軸方向よりa、c軸方向の結晶子径が10〜15nm程度大きく、平板状の結晶成長を起こしていることが分かった。また同時に、16vol%、40vol%の複合膜中のWO3・2H2Oの方が粉末試料よりも結晶成長が進んでいることが明らかとなった。SEM観察では、ポリマー中で数個程度の1次粒子が平板状の集合体を形成している様子が観察された。

複合膜中のWO3・2H2Oの体積分率と、50℃、飽和水蒸気圧下における導電率との関係を調べた結果、16vol%という比較的小さい体積分率においてすでに粉末試料に匹敵する導電率を示し、40vol%ではそれ以上の値を示していることが判明した。この結果について、ポリマー中でWO3・2H2Oが大きな1次粒子に成長したことで水素結合網を介したプロトンの内部伝導が有利となり、また各1次粒子が方向性を持った集合体を形成して接触確立が高まり、界面抵抗が低減したことが要因であると考察した。

第6章では本研究で得られた成果を総括した。

WO3・2H2Oが50℃以上の温度領域で、結晶内部に存在する水素結合を介したプロトン伝導が支配的となり、水蒸気圧の多少の変化にはよらない一定のプロトン伝導を示すことを述べた。WO3・2H2OへのNbドーピングで、結晶対称性が変化しない0.062>Nb/(W+Nb) の範囲においてNb増加に伴う導電率向上がみられ、W6+位置へのNb5+導入に伴う結晶内プロトンの生成が導電率向上に貢献することを示した。過去にプロトン伝導体としての報告のない、三リン酸アルミニウムを対象としたプロトン伝導特性評価を行い、AlH2P3O10・nH2Oの相が保たれる温度、湿度領域において、プロトンが内部伝導機構によって移動している可能性が高いことを示した。WO3・2H2Oとエポキシ樹脂を前駆体状態で混合し、硬化後にWO3・2H2Oを膜中で析出させる手法により、板状に大きく成長した一次粒子から成る板状の2次粒子の分散した複合膜を得ることができた。比較的低い体積分率でWO3・2H2O単体ペレットに匹敵する導電率を示したことから、大きな1次粒子による内部伝導の有効活用と方向性を持った2次粒子による界面抵抗の低減が複合膜のプロトン伝導特性の向上に大きく貢献することを明らかにした。

以上から、金属酸化物水和物は、結晶内プロトンネットワークによるプロトン伝導を有する金属酸化物水和物を利用し、異種金属イオンドープや有機異物との複合化によって内部伝導を有効に活用することで、電気自動車固体電解質への応用が期待できることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

近年、電気自動車用電源などの用途に、固体高分子型燃料電池に関する研究が活発に行なわれている。現在、プロトン伝導性電解質としてナフィオン系イオン交換膜が主に用いられているが、利用可能温度領域の制限や導電率の水蒸気圧依存性などの問題点があり、100℃以上の中温度領域でも安定でかつ高い導電率を維持する電解質膜の開発が要求されている。結晶水をもつ金属酸化物水和物は、室温ではプロトン伝導性を示すことが知られているが、中温度域での構造安定性、プロトン伝導性はまだ明らかでない。本研究では、金属酸化物水和物の中温度域における燃料電池用電解質材料としての可能性を探ることを目的として、酸化タングステン二水和物などについて結晶構造とプロトン伝導特性の相関および特性制御手法を調べるとともに、実用的に重要な無機プロトン伝導体と有機高分子による複合体の形成法とその物性評価を行ったもので、全六章からなる。

第一章は序論であり、研究背景と研究目的、本研究の意義について述べている。

第二章では、酸化タングステン二水和物WO3・2H2Oのキャラクタリゼーションとプロトン伝導特性について述べている。WO3・2H2Oは層状化合物であり、W原子に直接配位した水(配位水)と層間に位置する水(層間水)を有している。配位水と層間水それぞれの酸素原子の距離が比較的短いため、水素結合のネットワークが層間全体に広がって存在している。150℃で水蒸気分圧に依存しないプロトン導電率を示すことから、プロトン伝導には結晶の表面に付着した水のみならず、結晶内部の水素結合網を介したプロトン輸送も生じることを明らかにしている。

第三章では、酸化タングステン二水和物のW6+位置にNb5+をドーピングすることによる構造およびプロトン伝導特性の変化について述べている。X線回折結果から、0≦Nb/(W+Nb)≦0.062の組成範囲でNb5+によるW6+位置の置換が生じることを確認している。Nb量増加に伴い、水和水量は減少するが、150℃、飽和水蒸気圧下での導電率は増大し、無置換体での約3倍の値の2×10-2Scm-1に達することを見出している。Nb置換に対する電荷補償としてプロトンが生成することが理由であると考察し、ドーピングによるプロトン伝導性制御が有効であることを示している。

第四章では、三リン酸アルミニウム水和物AlH2P3O10・nH2O(n=2-3)の構造安定性およびプロトン伝導特性について調べた結果を述べている。水吸着による重量変化と構造変化を調べた結果、100℃では相対湿度60%、150℃ではの相対湿度8%以上において加水分解し、最終的にオルトリン酸アルミニウムへと変化していくことを明らかにしている。三リン酸アルミニウム水和物が安定な範囲では、温度によらず水和水量nが1.5〜2.0の範囲で急激な導電率の増加を示すことを見出している。これにより、三リン酸アルミニウムにおけるプロトン伝導は、結晶内部の水和水の状態に支配される内部伝導機構によるであると結論している。

第五章では、酸化タングステン二水和物とエポキシ樹脂から成る複合膜の形成とそのプロトン伝導性について述べている。複合膜は、水和物とエポキシ樹脂を共に前駆体溶液の状態で混合して膜化し、得られた前駆体膜中での加水分解によってWO3・2H2Oを析出させるという新たな手法で作製している。膜中の水和物の結晶子径は水和物単独の粉体よりも大きく、また膜中で水和物粒子が平板状の集合体を形成することを確認している。複合膜は、50℃飽和水蒸気圧中で、水和物の体積分率が16vol%という小さい体積比において粉末試料に匹敵する高い導電率を示し、40vol%ではそれ以上の値を示すことを見出している。膜中で水和物が大きな1次粒子に成長していること、また各粒子が十分に接触している集合体を形成していることにより、結晶内部でのプロトン伝導が効果的に発現し高い導電率を示したものと考察している。

第六章は総括であり、本研究で得られた成果を要約し結論を述べている。

以上、本論文は、結晶内に水素結合ネットワークを有し結晶内部でのプロトン伝導を示すような金属酸化物水和物を利用し、かつ異種金属イオンドーピングや有機物との複合化によって内部プロトン伝導を有効に活用することで、中温度領域でも安定で高い導電率を維持する電解質材料が得られることを明らかにしている。この成果は、有望なプロトン伝導性電解質材料の設計指針を示すものであり、無機化学、材料化学の分野での今後の進展に大きく貢献するものと認められる。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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