学位論文要旨



No 118467
著者(漢字) 小森,潔
著者(英字)
著者(カナ) コモリ,キヨシ
標題(和) 遺伝子改変マウスを用いた膜型マトリクッスメタロプロテアーゼ5(MT5-MMP)の機能解析
標題(洋)
報告番号 118467
報告番号 甲18467
学位授与日 2003.05.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2195号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 助教授 金井,芳之
 東京大学 助教授 宮澤,恵二
内容要旨 要旨を表示する

多細胞生物の組織は主として細胞及び細胞間に存在する細胞外基質(ECM)により構築されており、発生段階における組織構築及び成熟個体における組織リモデリングの際にはECMの再構成が必要である。また、癌細胞の浸潤・転移の過程では癌細胞は周囲のECMを分解することではじめて組織間の移動が可能となる。マトリクッスメタロプロテアーゼ(MMP)は活性中心にZn2+を有するECM分解酵素であるが、上記のような生理的及び病理的過程において重要な役割を担っている。MMPはファミリーを形成しており、哺乳類では計21種類が同定されているが、構造の類似性から可溶型MMPおよび膜型MMP(MT-MMP)の2種類のサブファミリーに分類される。可溶型MMPはMMP-11以外は潜在型として分泌されるが、特定の条件及び組織部位において活性化を受け、細胞外の広範なECM分解に関与すると考えられる。これに対しMT-MMPは細胞膜上に局在し、細胞の運動や増殖に伴う細胞近傍のECM分解を制御すると推定され、細胞機能に深く関与していることが示唆されている。MT-MMPは6種類(MT1-, MT2-, MT3-, MT4-, MT5-, MT6-MMP)が同定されている。MT1-MMPはI型コラーゲンなどのECMを直接分解する活性、基底膜の主成分であるIV型コラーゲンの分解酵素であるMMP-2を潜在型から活性型に変換する活性など、ECM分解を制御する機能を有している。またMT1-MMP遺伝子欠損マウスは出生後の成長過程において骨組織に異常を呈し3週齢前後で致死となる表現型を示すことから、生体内におけるMT1-MMPの重要性が再確認されている。他のMT-MMPはそれぞれ組織分布が異なるなどの特徴を有しているが、機能については不明な点が多い。MT5-MMPはマウスでは胎児期及びその後一生を通じて神経細胞特異的に発現しており、成熟個体では主に小脳、海馬などの神経可塑性の存在が確認されている部位で維持される。当研究室では神経細胞培養系の解析により、MT5-MMPは軸索伸長時に軸索先端に形成される成長円錐の先端部に局在しており、軸索伸長抑制活性を有するプロテオグリカンを分解することで軸索伸長に関与する、ということを示唆する結果を得ている。このことからMT5-MMPは神経系において特異的な機能を有しており、特に神経回路形成及びその再構築(神経可塑性)の過程に関与していることが推定され、このことを検証するために遺伝子欠損マウス(MT5-MMP -/- マウス)を作製し、これを用いて解析を行った。

MT5-MMP遺伝子欠損マウスの作製及び解析

活性中心部位をコードする第5エキソン及び第6エキソンの前半の領域を欠失するように設計したターゲティングベクターを作製し、これを用いて胚性幹細胞E14-1において相同組み換えを行った。サザンブロット解析により相同組み換えが確認されたE14-1細胞をC57BL/6J系統由来の胚盤胞にマイクロインジェクションし、MCH系統雌マウスの子宮に移植してキメラマウスを得た。雄キメラマウスとC57BL/6J系統雌マウスとの交配によりヘテロ接合体を取得した。ヘテロ接合体間の交配によりホモ接合体を取得したが、メンデルの法則に従って生まれ、外見上明らかな異常は認められなかった。また、繁殖能に異常は認められず、得られた新生仔の数、大きさは野生型と同様であった。新生仔全脳から抽出したRNAによるノザンブロット解析の結果ではホモ接合体においてMT5-MMP mRNAは検出されなかったため、MT5-MMPを欠失していることが確認された。脳の組織学的解析では光学顕微鏡レベルで構造に明らかな異常は認められなかった。

脳の高次機能に関して解析するために各種の行動学試験を行った。総合的な健康状態及び感覚能力に関して異常は認められなかった。オープンフィールド試験により情動性について解析を行ったが明確な異常は認められなかった。ロータロッド試験により運動協調性について解析した。3分間の試験で落下した回数について解析したところ、野生型マウスに比べ有意に減少し、運動能力の向上が認められた。このことからMT5-MMP -/- マウスは小脳の機能に異常を有している可能性があることが明らかとなったが、その異常は小脳における抑制系シグナルが減少しているためと考えられた。T型水迷路試験により学習能力について解析を行うことを試みた。水泳能力を確認するために直線水路によりゴール到達所要時間を測定した。水泳しようとする行動がほとんど認められず、野生型マウスに比ベゴール到達所要時間が有意に増加した。しかし泳ぎ方及び泳ぐスピードに関して、測定者から触発されるという条件下では野生型マウスと同等の水泳能力を有することが確認された。このことから、水泳能力そのものには異常はないが、自発的あるいは積極的に水泳しようとする意志が欠如しており、水というストレスに対する反応性が低下していることが明らかとなった。活動量及びサーカディアン・リズムに関して解析するために自発運動量を測定した。24時間の自発運動パターンは野生型と同様であったが、自発運動量は24時間全体で減少している傾向が認められた。明期及び暗期それぞれについて比較したところ、両期間において有意に減少した。また Light/Dark 比率では、雌雄ともに減少傾向であり、雄では有意に減少した。このことから、サーカディアン・リズムは正常であるが、自発運動量が低下しており、特に明期において顕著であることが明らかとなった。このような異常は自律神経系や内分泌系の異常に起因することが多いことから、それらに機能異常がある可能性が考えられた。これら一連の行動学的解析により、MT5-MMP -/- マウスは一部の高次脳機能に異常を有することが明らかとなった。

痛覚系機能に関して、各種の侵害性刺激に対する反応により解析した。侵害性熱刺激に対する反応をホットプレート試験及びテイルフリック試験により解析した。急性化学的刺激に対する反応、及び炎症性疼痛に関連する反応についてホルマリン試験により解析した。侵害性化学的刺激に対する反応については酢酸ライジング試験も行った。これらの結果は全て野生型マウスと差は認められず、痛覚系機能に明らかな異常がないことが確認された。以上の行動学試験の結果からMT5-MMP -/- マウスは一部の脳神経系の機能に異常を有しているが、末梢体性神経を解析対象とした神経可塑性の検討に関しては特に問題はないと考えられた。

神経可塑性におけるMT5-MMPの機能解析

神経可塑性の研究は主としてシナプス伝達効率の変化について解析されてきたが、近年、神経細胞自身の形態的変化を伴った神経回路網の再構築についても関心が集中しつつある。この現象が観察される一例として神経因性疼痛が知られている。神経因性疼痛は、神経を含む組織の損傷後、傷そのものは治癒したにも関わらず長期的に持続する激しい痛みと定義されるが、このなかに非侵襲性の刺激が痛みを誘起するアロディニアがある。神経因性疼痛に関しては、マウスあるいはラットを用いた実験モデルが存在する。外部からの刺激を受容する一次神経線維を含んでいる坐骨神経を切断するというものであるが、このモデルの解析から発症機序の一つとして脊髄後角内における神経可塑性を伴った機能異常が示唆されている。解剖学的解析では脊髄後角内における感覚回路網の可塑的変化が観察されており、触刺激伝達の機能を有するAβ線維の終末部が坐骨神経切断時には脊髄後角深層(III層からVI層)から痛覚を伝達する部位である膠様質(II層)へ発芽するという、全く異な部位への軸索発芽が認められている。電気生理学解析では坐骨神経切断後においてAβ線維由来の単シナプス性EPSP(excitatory postsynaptic potential)がII層において検出されることも示されており、触覚を伝達する神経細胞と痛覚を伝達する神経細胞とが機能的に連絡していることが示唆されている。形態的変化を伴う神経可塑性の解析には有用であると考えられ、MT5-MMP -/- マウスを用いてこの実験モデルを作成し、神経可塑性におけるMT5-MMPの関与について検証することを試みた。

まず行動学試験により冷刺激及び圧刺激に対する疼痛行動について解析した。アセトン刺激試験を行い、冷刺激に対する逃避反応の潜時を測定した。両後肢足底中央部に対してアセトンにより刺激し、逃避反応の有無について観察した。野生型マウスは手術後1日目より手術側後肢を刺激後直ちに反応し、典型的な疼痛行動を示した。また手術後1日目より逃避反応の潜時が有意に低下しその後は低下したままであった。これに対しMT5-MMP -/- マウスでは典型的なアロディニアの症状を呈するようになる手術後7日目以降に関して、冷刺激に対しほとんど無反応であり、疼痛行動を示さなかった。また手術後7日目以降に関して、逃避反応の潜時は偽手術側後肢との間に有意差は認められなかった。次に von Frey 試験を行い、圧刺激に対する閾値について解析した。両後肢足底中央部に対して von Frey filament を押し当て、逃避反応について観察した。野生型マウスは手術後1日目より閾値が有意に低下し、以降低下したままであった。これに対しMT5-MMP -/- マウスでは閾値は偽手術側後肢との間に有意差は認められなかった。これらの結果からMT5-MMP -/- マウスは坐骨神経切断後において冷アロディニア及び機械刺激性アロディニアの症状を呈さないことが明らかとなった。

行動学試験の結果からMT5-MMP -/- マウスは坐骨神経切断後の脊髄後角におけるAβ線維終末部の軸索発芽が起きていないことが示唆されたため、この可能性について検証するために、HRP(Horse radish peroxidase)標識コレラ毒素Bサブユニット(CTB-HRP)を用いて末梢体性神経をラベルし、組織学的解析を行った。CTBは末梢体性神経では有髄A線維のみをラベルするとされており、CTB-HRP水溶液を坐骨神経中枢側切断端から注入し、脊髄を摘出してHRPによる染色を行った。偽手術側後肢の坐骨神経へのCTB-HRP注入では野生型マウス、MT5-MMP -/- マウスともに脊髄後角のIII層からVI層に相当すると考えられる部分に染色が認められた。野生型マウスの手術側後肢の坐骨神経へのCTB-HRP注入では、脊髄後角のIII層からVI層の他にI層及びII層に相当する部分にも染色が確認された。これに対しMT5-MMP -/- マウスの手術側後肢の坐骨神経へのCTB-HRP注入では、偽手術側後肢の場合と同様にIII層からVI層の脊髄後角のみが染色されており、野生型マウスで確認されたようなI層及びII層における染色は認められなかった。この結果からMT5-MMP -/- マウスでは坐骨神経切断後のAβ線維終末部のII層への軸索発芽は認められないことが明らかとなった。MT5-MMPは坐骨神経切断時において、何らかの機構によりAβ線維の軸索発芽に関与していることが推定された。

本研究では、MT5-MMP遺伝子欠損マウスを用いた神経因性疼痛モデルの解析により、MT5-MMPは神経系において神経細胞の形態的変化を伴う可塑性に関与している可能性を示した。この知見は神経因性疼痛に対する治療法開発上の分子的な基礎になるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は神経回路形成及びその再構築(神経可塑性)に関与していると考えられる細胞外基質分解酵素、膜型マトリクッスメタロプロテアーゼ5(MT5-MMP)の生体内における機能を明らかにするため、遺伝子欠損マウスを作製しこれを用いて解析試みたものであり、下記の結果を得ている。

MT5-MMP遺伝子欠損マウスを用いて各種の行動学試験を行い、MT5-MMPの高次脳機能への関与について解析した。

運動協調性についてロータロッド試験により解析したところ、3分間の試験で落下した回数が野生型マウスに比べ有意に減少し、運動能力の向上が認められた。このことからMT5-MMP遺伝子欠損マウスは小脳の機能に異常を有していることが明らかとなった。

T型水迷路試験で水泳能力を確認するために直線水路によりゴール到達所要時間を測定した。水泳しようとする行動がほとんど認められず、野生型マウスに比ベゴール到達所要時間が有意に増加した。しかし泳ぎ方及び泳ぐスピードに関して、測定者から触発されるという条件下では野生型マウスと同等の水泳能力を有することが確認された。このことから、水泳能力そのものには異常はないが、自発的あるいは積極的に水泳しようとする意志が欠如しており、水というストレスに対する反応性が低下していることが明らかとなった。

活動量及びサーカディアン・リズムに関して解析するために自発運動量を測定した。24時間の自発運動パターンは野生型と同様であったが、自発運動量は24時間全体で減少している傾向が認められた。明期及び暗期それぞれについて比較したところ、両期間において有意に減少した。また Light/Dark 比率では、雌雄ともに減少傾向であり、雄では有意に減少した。このことから、サーカディアン・リズムは正常であるが、自発運動量が低下しており、特に明期において顕著であることが明らかとなった。

これら一連の行動学解析によりMT5-MMP遺伝子欠損マウスは一部の高次脳機能に異常を有していることが明らかとなり、MT5-MMPは高次脳機能に関与していることが示された。

MT5-MMP遺伝子欠損マウスを用いて神経因性疼痛モデルの一つである坐骨神経切断モデルを作成し、MT5-MMPの神経因性疼痛への関与について解析した。行動学試験(アセトン刺激試験及び von Frey 試験)により冷刺激及び圧刺激に対する疼痛行動について解析した結果、MT5-MMP遺伝子欠損マウスは坐骨神経切断後において冷アロディニア及び機械刺激性アロディニアの症状を呈さないことが明らかとなり、MT5-MMPは神経因性疼痛の発症に深く関与していることが示された。

坐骨神経切断後では脊髄後角内において感覚回路網の可塑的変化が観察されている。HRP(Horse radish peroxidase)標識コレラ毒素Bサブユニット(CTB-HRP)を用いて末梢体性神経をラベルして組織学的解析を行い、MT5-MMPの形態的変化を伴う神経可塑性への関与について解析した。CTB-HRP水溶液を坐骨神経中枢側切断端から注入し、脊髄を摘出してHRPによる染色を行った。MT5-MMP遺伝子欠損マウスの坐骨神経切断側後肢の坐骨神経へのCTB-HRP注入では、偽手術側後肢の場合と同様に脊髄後角のIII層からVI層のみが染色されており、野生型マウスの坐骨神経切断側後肢で確認されたI層からVI層における染色は認められなかった。MT5-MMP遺伝子欠損マウスでは坐骨神経切断後のAβ線維終末部のII層への軸索発芽は認められないことが明らかとなり、MT5-MMPはAβ線維の軸索発芽に関与していることが示された。

以上、本論文はMT5-MMP遺伝子欠損マウスの行動学試験により、MT5-MMPは高次脳機能に一部関与していること、また神経因性疼痛モデルの解析により、MT5-MMPは神経細胞の形態的変化を伴う可塑性に関与していることを示した。この知見は神経因性疼痛に細胞外基質分解酵素が関与していることをはじめて示したものであり、神経因性疼痛に対する治療法開発上の分子的な基礎になるものと期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

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