学位論文要旨



No 118470
著者(漢字) 辛,在仁
著者(英字) SHIN,JAE IN
著者(カナ) シン,ジェイン
標題(和) 平安後期物語論 : 不如意な恋と「我」
標題(洋)
報告番号 118470
報告番号 甲18470
学位授与日 2003.05.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第443号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三角,洋一
 東京大学 教授 義江,彰夫
 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 藤井,貞和
 東京大学 教授 松岡,心平
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、平安後期に成立した三編の中・長編物語、『狭衣物語』『浜松中納言物語』『夜の寝覚』の主題と方法に関する考察を通して、三物語の作品世界を分析し、その物語史における位相を見定めようとしたものである。とりわけ、そこに取り込まれている、不如意な恋と救済を求める精神の関係について、三物語の類似した関係と状況を共時的に取り扱いつつ、分析を試みた。

これらの三物語は、いずれも不如意の恋と救済を求める精神の間の拮抗する関係を取り上げている。後期物語における、不如意な恋の成就に執着しつつも、その一方では絶えず道心に拘りつづける求道の精神は、『源氏物語』における恋と道心の拮抗関係を意識しつつ描かれたものであろう。『源氏物語』においては、宗教的側面に止まらず、政治的・社会的側面からの視点をつうじて、人間の精神の希求が生み出す様々な感情の葛藤まで語りつくされていた。だが、『源氏物語』における精神的追究は、後期物語においてはそれ以上深化と進展を見せず、後期物語特有の内面の深化という形で新しく受け継がれている。後期物語の主人公たちは擬制的なタブーの意識を有しつつ、観念的に道心を求めているのである。これらの物語における道心を抱く人物たちは何を追求し、物語は彼らに何を語らせようとしたのであろうか。

それを考えるには、従来の内向性と美的理念に拘る後期物語への評価から離れ、救済の願望を抱きながら不如意の恋に執着する精神とそれによって支えられている作品世界が、どのようなものであるかを捉え直してみることが必要となるのである。

本論文はこうした問題意識と関心に基づいて論述したものである。特に、後期物語における人物関係は、類似した関係と状況において繰り広げられている。したがって、本論文では、『狭衣物語』『浜松中納言物語』『夜の寝覚』の三物語に取り込まれている、類型的な状況における類似した関係を取り出して分析することにより、それらの描き出した後期物語の世界を位置づけ直す。それには、後期物語以前の段階で恋と道心の関係がどのようなかたちで存在したのか、またそれが後期物語ではいかに受け継がれているかを確認する必要があり、また、いかなる背景において、そのような変貌を遂げたのかという点についても考察しなければならない。

このため、第一章では、三物語における出家した女と道心を抱く男たちの関係を取り出し、類型的な人物関係を生み出す類型的な状況を同時に考察することによって、『源氏物語』における道心と愛執の関係が、後期物語の中で対立と葛藤を越えて展開されていることの意味を指摘した。

『源氏物語』における源氏と藤壺、源氏と女三の宮、薫と浮舟らの関係は、『狭衣物語』と『浜松中納言物語』にあっては、出家を志す狭衣と、狭衣の執着に動揺せず、毅然と尼の生活を送る女二宮、尼になった左大将の大君を還俗させず、心清く世話する浜松の中納言と、彼の庇護を受けつつひたすら仏道修行に励む尼姫君、というぐあいに、女側が男の誘惑に動揺せず仏道による救済を強く求めるか、または、共に仏道に励む調和の関係となる。こうした関係は、あやにくな宿世を顕現させつつ、恋の不如意を形作る一形態であった。本章では、こうした関係を対比的に論じることによって、道心を求める主人公たちにあやにくな宿世に対する憂愁の意識が観念化していくあり方を明らかにした。

第二章では、平安物語の昔物語的類型が後期物語の中にいかに受け継がれて、憂愁の意識といかに結合していくかを、類似した状況に置かれた女君たちをつうじて考察した。すなわち、『伊勢物語』に始まる、男の垣間見による婚姻譚が、三物語において主人公たちのあやにくな宿世とどのように絡んでいくかを明らかにした。

対象となる人物は、『狭衣物語』の飛鳥井女君と、『浜松中納言物語』の吉野の姫君、『夜の寝覚』の寝覚の上である。これらの人物たちは、すでに想いを寄せていた相手のために、現在強引に求愛してくる男を強く拒む。ここでは男女主人公たちのあやにくな宿世が、こうした類似した状況を通して表されていることの意味を検証した。後期物語は『源氏物語』における結婚拒否の主題を、こうした略奪婚のヴァリエーションの中で取り扱っていたわけである。身分違いやあやにくな恋の関係によって自意識を獲得していく女性側と、それに応ずる男性側の反応及び男の類型によって、後期物語が独特であやにくな恋の世界を繰り広げていることを確認できた。

第三章では、あやにくな恋を取り扱う『夜の寝覚』と『住吉物語』の関係を分析した。従来あまり論じられてこなかった、あやにくな恋をめぐる両物語の類似関係について検証し、その意味を再評価した。ここでは、恋の不如意が、男女主人公のあやにくな関係によって繰り広げられていくあり方とその意味を、『夜の寝覚』の中に散見する『住吉物語』の影響を見届けることによって述べた。

『夜の寝覚』と現存本『住吉物語』は、共通して姉妹が結婚相手として取り違えられる設定を取り込んでいる。すなわち、『住吉物語』の男君が宮腹の姫君に恋していながら、継母のたくらみによって三の君と結婚する設定と、『夜の寝覚』に見える、姉妹が行き違いや誤認によって取り違えられる設定は極めて類似している。そこで、本章では、両物語の類似性の意味について考察を加え、両作品の平安物語史における意義を再検証し、後期物語としての『夜の寝覚』の独自性を確認した。なお、古本『住吉物語』が散逸している現時点では、鎌倉時代に改作された現存本をつうじて『夜の寝覚』との関係を論じるしかなく、この作業は、現存本『住吉物語』の根幹となっている筋が古本とほぼ同様であり、現存本はすべて同一祖本から派生したものと見る立場に依存した上でのものとなる。

第四章では、『夜の寝覚』と『浜松中納言物語』の男女主人公像の造型と性格が、対比的であることの意味を述べた。『夜の寝覚』と『浜松中納言物語』は、いずれもあやにくな恋の関係を取り上げていながら、前者はヒロイン寝覚の女君の成長を語る女の物語としての特質を持ち、後者は浜松の中納言の薫につらなる本性が、複数の女君たちとの関係の中で際立つ作品である。特に、『夜の寝覚』における男主人公の理想性後退は、女の物語としての『夜の寝覚』の構造を支えるものとなっている。本章では、女の物語としての『夜の寝覚』を、男の物語としての『浜松中納言物語』と対照・比較して論じた。両物語におけるヒロイン性と主人公性がいかなる方法によって引き出されているかを、『無名草子』の批評を手がかりに検証し、あやにくな恋の関係を取り扱う物語の論理に迫った。

第五章では最終的に、本論文の第四章まで論じてきたことを踏まえつつ、『狭衣物語』『浜松中納言物語』『夜の寝覚』の世界を成り立たせる、不如意な恋の成就と救済を求める精神の関係とそれを支える物語の構造に関して述べた。三物語の主人公たちはいずれも不如意な恋による憂愁のため道心を抱え、仏道による救済を求める。しかし、彼らの憂愁と道心は源氏と薫におけるそれとは異なる意味を持つ。それが、物語の擬制的で内面的なタブーの意識とどのように関わっていくのかを検証した。そして、三物語は、憂愁と道心という時代的な精神を背景にして、救済を求めながらも「我」に執着し「我」を追求する人間の有り様を、あやにくな宿世の方法を用いて繰り広げていることを指摘した。

以上のような分析を通して、本論文では、平安後期の三物語における、不如意の恋と救済を求める精神の関係及びそれを支える物語の構造を、時代の憂愁を受け止めつつも「我」を生きていく人間という観点から捉え直した。それにより、観念的な求道の精神の裏側から、憂愁の時代を生きつつも、「我」と「我」の属する現実に対して強く執着する時代の申し子の存在を確認することができた。こうした考察を行うことが、後期物語の内向的な世界を見つめる視点を新しく提示することにつながってゆくと思う。人間は、時代の思考の枠組みによって規制された、時代の申し子であることから不自由である。時代は、「我」への執着を持つそれぞれの人間によって形作られるものであり、人間はその時代の憂愁から解き放たれることを絶え間なく求めるのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、『源氏物語』の成立から五十年以上遅れて制作された『狭衣物語』『夜の寝覚』『浜松中納言物語』について、『源氏物語』とこれら三物語の間にみられる、相似た状況におかれた主要人物の思念や行動を比較対照することにより、それぞれの物語の特質を浮かび上がらせるとともに、三物語が共有する平安後期物語としての文学史的な位相を見定めようとしたものである。

本論文は「序 平安後期物語の研究史及び本論文の目的と方法」と「おわりに」をはさんで、全五章からなる。「第一章 道心を抱く男と出家した女」では、『狭衣物語』の女二宮・一品宮と『浜松中納言物語』の左大将の大君(尼姫君)を扱う。第一節では、まず『源氏物語』の源氏と薫と『狭衣物語』の狭衣の三者の道心を比較した後、『狭衣物語』の女二宮について、身分・境遇の点で『源氏物語』の女三宮と、独詠を重ねる点で浮舟と照合した結果、女二宮が源氏の宮に並ぶ女主人公にせり上がってくるとともに、道心を抱く薫を引き継いだ狭衣は、出家され後見する女二宮への愛執から、ますます現世に縛りつけられると理解する。

次に『浜松中納言物語』を対象とする第二節では、「遙かなるものに憧れてしまう」中納言に後見されるのを心苦しく思い、「あらぬところ」を求め「山梨の花」と嘆く尼姫君について、表現史的にその思念を確認したうえ、詠歌には中納言との贈答歌が多いことを指摘し、薫を引き継ぐ中納言はともに仏道修行に励みながらも、懸案の吉野の姫君を思いやるわけで、愛執と道心の矛盾に流離うことを余儀なくさせられていると分析する。

再び『狭衣物語』に戻った第三節では、女二宮と対比される一品宮について考察し、「盛り過ぎた」皇女の像は李夫人の故事の裏返しであるとおさえ、「身こそつらけれ(唐衣)」の表現を手がかりとして『源氏物語』の末摘花とも対比されると指摘し、そこに出家を決心する一品宮の賢明さと醜女を手厚く世話する源氏の理想の色好み像が現出するという。

「第二章 危機に陥った女たち」は三節からなり、狭衣の乳母子道成の手におちた飛鳥井女君、色好みの式部卿宮に誘拐された『浜松中納言物語』の吉野の姫君、冷泉帝に取り籠められた寝覚の女君をめぐって、『源氏物語』の源氏に迫られた人妻の空蝉、匂宮に押し入られ密会を重ねた浮舟と対照し、女君たちの自意識の深化と男主人公たちそれぞれの当惑をおさえ、それを平安後期物語における略奪婚の主題のヴァリエーションと定位する。「第三章 不如意の恋の変遷」は三節からなり、『夜の寝覚』の物思いの絶えない女の物語の先蹤を『住吉物語』に求め、さらに両者の間に流離譚と音楽繁栄譚という共通性を認める。

「第四章 薫の後裔と女たち」は三節からなり、どちらも菅原孝標女の作と伝えられる、しかも一方は女の物語で他方は男の物語と対照的な『夜の寝覚』と『浜松中納言物語』について、男女両主人公にわたって比較対照した考察に加え、特に寝覚の女君における「わが身」「我」「我は我」の意識は、女流文学の伝統のうえで和泉式部の詠作を受け継ぐものと見なければならないという。「第五 憂愁の論理と我」は四節からなり、源氏と薫における恋と道心の問題のあとを受けた平安後期物語になると、男主人公たちは出家した女君を前に、愛執をつのらせるとともに憂愁と道心も深めていき、そこに「心尽くし」や「心深し」といった美的理念が現出するにとどまるといい、また男の愛執を断ち切って出家した女君たちには日常的な仏道修行があっても、救済の主題は深化しないとする。ただ寝覚の女君の場合には、「我」に執着しつづける点では他の男女とかわらないが、魂の救済を追求する精神を失わず、自立した生き方を模索するさまを描き出すことに成功したと評価する。

本論文においては、旧来、部分的な印象批評にすぎないと否定的にみられていた、中世の物語評論書『無名草子』における物語の登場人物評を積極的に活用して立論の出発点とするほか、局面的な状況を的確におさえたうえで、主人公のみならず相手役の人物の内面にも立ち入って双方を論じ、さらに相似た状況の設定がなされる他の物語とも比較対照を試みて、みずからの論述に説得性をもたせようとしている点が特色として挙げられる。また人物や場面にかかわって引歌表現や歌語など、キーワードとみられる用語について表現史的な掘り起こしを試みて、読みを深めている。ただの一物語における作中人物論でなく、ある状況下での人物の思念と行動をいくつかの物語から抽出し比較対照して論じるということも、平安後期物語については是非試みられるべきであった。大きな成果としては、第四章の和泉式部の詠歌を取り込んで女流文学の伝統の中に寝覚の女君を位置づけたことで、審査委員一同これを高く評価した。

なお審査委員からは、さらに説明を必要とする表現や生硬な表現、不正確な表現が混じっているとか、引用するテキストに配慮に欠ける点があるとか、状況を取り出して比較するのにも、どのレベルで抽出するのがよいか、再考の余地のあるものもあるとか、批判的な意見がいくつか出されたが、いずれも本論文の価値を損なうものではない。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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