学位論文要旨



No 118471
著者(漢字) 松尾,朋彦
著者(英字)
著者(カナ) マツオ,トモヒコ
標題(和) 分裂酵母の有性生殖およびストレス下での生育に必要なTor1-Gad8キナーゼカスケードの解析
標題(洋)
報告番号 118471
報告番号 甲18471
学位授与日 2003.05.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4398号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斎藤,春雄
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 助教授 菊池,淑子
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 教授 山本,正幸
内容要旨 要旨を表示する

フォスフォイノシチドキナーゼ様のキナーゼであるTOR(target of rapamycin)タンパク質は、酵母から線虫、ハエ、植物、ヒトまで幅広く保存されており、主に栄養源の有無に関わる情報伝達を制御していると考えられている。TORについてはこれまで、主に出芽酵母や哺乳類培養細胞を用いての解析が行われてきたが、TORが関わる情報伝達経路の詳細はよく分かっていない。本研究では分裂酵母を用い、TORタンパク質をコードするtor1およびその下流で機能する因子gad8の機能と情報伝達機構における役割について解析を行った。

分裂酵母は、栄養源が豊富な培地では分裂を繰り返し増殖するが、窒素源枯渇などの条件下に移すと、まず細胞周期をG1期において停止し、接合、減数分裂、胞子形成を行う有性生殖過程へと入る。この過程に関わる機構を探るため、まず、当研究室で先に単離された、窒素源が枯渇してもG1期停止を行えず、有性生殖不能の変異株gad2-1を解析したところ、この変異はtor1の新規アリルであることが分かった。tor1は、分裂酵母のTORオーソログの一つをコードし、有性生殖過程だけではなく、ストレス存在下での生育においても必須な機能を持つことが報告されている。しかし、tor1と同一経路で機能する因子についてはこれまで報告がない。そこで、gad2-1変異株の有性生殖不能を多コピーで抑圧する因子のスクリーニングを行い、単離された新規遺伝子gad8がtor1経路上で機能している可能性について解析を行った。

gad8はAGC (protein kinase A, G and C) ファミリーに属するSer/Thrキナーゼをコードしていた。gad8を破壊しその表現型を観察したところ、tor1破壊株と同様に、有性生殖不能や高温、高浸透圧感受性の表現型を示し、gad8がtor1と同一経路で機能していることが示唆された(paragraphA)。tor1 gad8の二重破壊株も同様の表現型を示し、これを支持した。また、gad8の高発現が、tor1破壊株のストレス存在下での生育不能を抑圧できたのに対し、tor1の高発現はgad8破壊株の表現型を抑圧できず、gad8はtor1の下流で機能する因子であると考えられた。そこで、Gad8pのキナーゼ活性をtor1破壊株において測定したところ、野生型における活性と比べ、著しく低下していることが分かった(paragraphB)。また、野生型株におけるGad8pでは、SDS-PAGEで電気泳動度の遅いバンドが観察されるが、このバンドはtor1破壊株や、フォスファターゼ処理した cell extract では見られなかった。このことから、tor1はGad8pのリン酸化修飾を通じて、活性を制御していると思われた。Gad8pをフォスファターゼ処理すると、キナーゼ活性が低下したことからも、Gad8pの活性制御においてリン酸化修飾が重要な役割を果たしていることが確かめられた。

そこで次に、Gad8pのどの部位のリン酸化がキナーゼ活性に必要かを調べた。AGCファミリーに属する多くのキナーゼの活性は、主に二カ所のリン酸化によって制御されていることが知られている。一つは触媒領域内にある activation-loop であり、もう一つは触媒領域よりC末側に位置する、hydrophobic motif と呼ばれる領域内のリン酸化である。gad8においても、これらリン酸化部位周辺の配列は保存されていたため、予想リン酸化部位である activation-loop 内のT389、およびhydrophobic motif 内のS546をそれぞれアラニンに置換し、その機能を見た。gad8破壊株にこれら変異型gad8を発現させると、gad8T387A変異型はキナーゼ失活型のgad8同様、有性生殖不能、高温、高浸透圧感受性の表現型を全く抑圧できず、ほとんど機能を持たないことがわかった。gad8S546A変異型も有性生殖不能や、弱い高浸透圧感受性を示したが、こちらの場合は高温感受性は示さず、部分的に機能を失った変異型であると思われた。変異型Gad8pのキナーゼ活性を測定したところ、gad8破壊株への抑圧能の実験と相関する結果が得られた。すなわち、Gad8T387Apはキナーゼ失活型のGad8p同様ほとんど活性を示さず、Gad8S546Apはわずかの活性を保っていたが、野生型Gad8pよりは明らかに活性が低かった。以上のことから、Gad8pにおいても、AGCファミリーキナーゼに保存された activation-loop および hydrophobic motif のリン酸化が、機能や活性に重要であることが示唆された。

変異型Gad8pの電気泳動度をみたところ、Gad8T387Apは野生型とほぼ同様の泳動パターンであったのに対し、Gad8S546Apでは、リン酸化修飾による移動度の遅いバンドが観察されなかった。tor1破壊株においても、移動度の遅いバンドが見られなかったことを考えると、tor1はS546のリン酸化を制御している可能性が考えられた。そこでリン酸化型を模倣するために、S546をアスパラギン酸に置換したgad8S546D変異型を作成し、tor1破壊株に高発現した。この結果、gad8S546Dは野生型gad8に比べ、有性生殖不能、高温、高浸透圧感受性のいずれにおいても、tor1破壊株の表現型をより強く抑圧できた。このことは、tor1がS546のリン酸化を通じて、Gad8pを活性化していることを示唆している。しかし、gad8S546A変異型は活性を完全に失っておらず、tor1破壊株やgad8破壊株よりも弱い表現型を示したことから、tor1はS546以外を介してもGad8pの活性を制御していると思われる。Gad8pの活性が、Tor1pにより直接制御されているのかを調べるために、in vitro のリン酸化測定を行った。この結果、酵母細胞から精製したTor1pは、野生型のGad8pをリン酸化したが、Gad8S546Ap変異型に対するリン酸化も観察された。このことから、Tor1pはGad8pを直接リン酸化している可能性が高いと思われたが、S546が直接のリン酸化部位であるという証拠は得られず、S546以外にもリン酸化部位があると疑われた。現在のところ、この部位については不明である。

Gad8pのT387のリン酸化制御についても解析を行った。多くのAGCファミリーキナーゼの activation-loop はPDK1様キナーゼによって直接リン酸化されることが知られている。分裂酵母のPDK1様キナーゼをコードするksg1は、増殖や有性生殖に必要な遺伝子であることが報告されている。ksg1がT387のリン酸化、活性化に関わっているのかを調べた。ksg1破壊株は致死なので、まず、温度感受性のksg1-208変異株におけるGad8pのキナーゼ活性を測定した。ksg1-208変異株は増殖可能な非制限温度においても、有性生殖不能の表現型を示す。Gad8pのキナーゼ活性は、ksg1-208変異株において、非制限温度、制限温度に関わらず低下していた。また、ksg1-208変異株の示す、有性生殖不能、高温感受性の表現型は、gad8を高発現することにより抑圧された。このことは in vivo において、gad8がksg1の下流で機能していることを示唆している。大腸菌から精製したKsg1pとGad8pを用いて、in vitro のリン酸化測定を行ったところ、野生型のGad8pはKsg1pによってリン酸化されたのに対し、Gad8T387Apはほとんどリン酸化されなかった(paragraph)。このことから、Ksg1pはGad8pのT387を直接リン酸化しているキナーゼだと考えられた。また、Gad8S546DpはKsg1pにより強くリン酸化されることもわかった。いくつかのAGCファミリーキナーゼでは、hydrophobic motif がリン酸化されると、PDK1との結合や activation-loop へのリン酸化が促進することが報告されており、これと同様なことがKsg1p-Gad8pにおいてもおきていると思われる。

以上、Gad8pはTor1p、Ksg1p両キナーゼの下流で機能し、有性生殖およびストレス存在下での生育に必須の機能を持っていることが明らかになった。またTor1p、Ksg1pは、それぞれhydrophobic motif、activation-loop へのリン酸化を通じて、Gag8pの活性を制御していることが示唆された(モデル図)。哺乳類S6K1(p70 S6 kinase1)はAGCファミリーに属するキナーゼの1つで、哺乳類TORであるmTOR、およびPDK1によって活性が制御されていることが知られている。mTORは主に hydrophobic motif のリン酸化、PDK1は activation-loop へのリン酸化によりS6K1を制御している。哺乳類におけるmTOR-PDK1-S6K1は、分裂酵母のTor1p-Ksg1p-Gad8pの関係に類似しており、この3つのキナーゼからなる機構は、真核生物において広く保存されている情報達機構の1つだと思われる。

gad8はtor1と同一経路の下流で機能している因子である。A gad8破壊株、tor1破壊株、およびgad8 tor1二重破壊株の有性生殖不能と高温(36℃)感受性の表現型。3破壊株とも同様の表現型を示した。B Gad8p を野生株およびtor1破壊株から精製し、ペプチドcrosstideを基質としてキナーゼ活性を測定した。下段はWestem Blottingにより検出したGad8p。

Ksg1pはGad8pのT387を直接リン酸化する。大腸菌を用いてGST-Ksg1およびMBP-Gad8を発現、精製し、in vitro リン酸化測定を行った。Ksg1pは野生型Gad8p、Gad8s546A変異型をリン酸化するのに対し、Gad8T387A変異型へのリン酸化はほとんど見られなかった。

分裂酵母Gad8pはTor1とKsg1pにより、それぞれhydrophobic motif のSer546およびactivation-loopのThr387のリン酸化を通じて、活性が制御されている。哺乳類S6K1も複数の部位にリン酸化を受けており、hydrophobic motif のThr389はmTORに、activation-loop のThr229はPDK1によって制御されている。キナーゼ領域を黒で、hydrophobic motif 周辺配列をドットで示した。

審査要旨 要旨を表示する

フォスフォイノシチドキナーゼ様のキナーゼであるTOR (target of rapamycin)タンパク質は真核生物に広く保存されており、主に栄養源の有無に関わる情報伝達を制御していると考えられている。本研究において松尾朋彦は、下等真核生物の分裂酵母を用い、TORタンパク質をコードするtor1ならびにその下流で機能する因子 gad8 の機能と情報伝達における役割について解析を行った。

Tor1pは栄養源枯渇時に誘導される有性生殖の開始や、ストレス存在下での生育に必須であることが報告されていたが、Tor1pと同一経路で機能する因子は知られていなかった。申請者はそのような因子の単離を目的として、tor1-g2変異株の示す有性生殖不能を多コピーで抑圧する遺伝子のスクリーニングを行った。その結果、AGC (protein kinase A, G and C) ファミリーに属する新規Ser/Thrキナーゼの遺伝子gad8を単離した。gad8破壊株はtor1破壊株とほぼ同様の表現型を示した。また、Gad8pのキナーゼ活性は tor1 破壊株において著しく低下していることが分かった。野生株の細胞抽出液のSDS-PAGEを行うと、Gad8p には電気泳動度の遅い付加的バンドが観察されたが、このバンドはtor1破壊株や、フォスファターゼ処理した場合は見られなかった。よって、tor1はリン酸化修飾を通じてGad8pの活性を制御していると推測された。

AGCファミリーの多くのキナーゼの活性化には、数カ所の保存された部位でのリン酸化修飾が重要な役割を果たしている。Gad8pにおいても対応するリン酸化部位、すなわち activation-loop 内のThr389および hydrophobic motif 内のSer546の周辺の配列が保存されていたため、これらの残基をそれぞれアラニンに置換し、Gad8pのキナーゼ活性およびgad8破壊の相補能を調べた。この結果、Gad8T387Ap変異型はほとんど機能を持たず、一方、Gad8S546Ap変異型は部分的に機能を失った変異型であると思われた。以上のことから、Gad8pにおいてもAGCファミリーキナーゼに見られる activation-loop および hydrophobic motif のリン酸化が活性化に必要なことが示唆された。

学位申請者は次に各種変異型Gad8pの電気泳動度を測定した。Gad8S546Apでは、野生型やGad8T387Apとは異なり、移動度の遅いバンドが観察されなかった。tor1破壊株では移動度の遅いバンドが見られないので、tor1はS546のリン酸化を制御している可能性が考えられた。そこで、リン酸化型を模倣するために、S546をアスパラギン酸に置換したgad8S546D変異型を作製してtor1破壊株に高発現したところ、それは野生型gad8よりもtor1破壊株の表現型を強く抑圧した。この結果は、tor1がS546のリン酸化を通じて、Gad8pを活性化していることを支持した。

申請者はGad8pのT387のリン酸化制御についても解析を進めた。多くのAGCファミリーキナーゼのactivation-loop は、PDK1様キナーゼによって直接リン酸化されることが知られている。分裂酵母のPDK1様キナーゼをコードするksg1は、増殖や有性生殖に必要な遺伝子であることが以前に報告されていた。温度感受性のksg1-208変異株は、増殖が可能な非制限温度においても有性生殖は不能という表現型を示すが、gad8を高発現することにより、増殖の温度感受性と有性生殖不能の表現型は抑圧された。また、Gad8pのキナーゼ活性を測定したところ、ksg1-208変異株においては培養温度によらず活性が低下していた。in vitro の実験では、Ksg1pは野生型のGad8pをリン酸化したが、Gad8T387Apをほとんどリン酸化しなかった。これらのことから、Ksg1pはGad8pのT387を直接リン酸化し、その活性を正に制御していると考えられた。

申請者は以上の実験結果をまとめて、Gad8pはTor1p、Ksg1p両キナーゼ依存的なリン酸化によって制御され、有性生殖およびストレス条件下での生育に必須の機能を担っていると結論した。分裂酵母で明らかになったこれら3つのキナーゼの相互関係は、哺乳類における3つのキナーゼmTOR-PDK1-S6K1の関係によく似ており、申請者の研究から、このような3キナーゼが真核生物において広く保存された情報伝達機構の基本ユニットの1つであることが推測された。

以上、松尾朋彦は分裂酵母のTOR情報伝達系の解析を通じて、真核生物において広く保存された3キナーゼによる情報伝達モジュールの存在を支持する重要な知見を得た。本研究の成果は、分裂酵母のストレス応答や有性生殖に新しい知識をもたらしたのみならず、情報伝達の普遍的な分子機構の解明という観点からも高く評価できる。よって学位申請者の業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいと審査員全員が判定した。なお本論文は、久保善哉、渡辺嘉典、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、松尾朋彦に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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