学位論文要旨



No 118477
著者(漢字) 片岡,宏隆
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,ヒロタカ
標題(和) 新線条体優位なNMDA受容体欠損マウスにおける自発運動の上昇
標題(洋) The enhanced spontaneous locomotor activity of the neostriatum-dominant NMDA receptor deficient mouse
報告番号 118477
報告番号 甲18477
学位授与日 2003.06.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2197号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 助教授 広瀬,謙造
 東京大学 講師 長谷川,功
内容要旨 要旨を表示する

新線条体は、自発運動の制御に重要な役割を果たしている。新線条体の活動は、大脳皮質からのグルタミン酸を含有する投射によって引き起こされる。このグルタミン酸による伝達は、グルタミン酸受容体によって行われる。このグルタミン酸受容体の中でも、N-methyl-D-aspartate 型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)は、co-incidence detection を行うことで神経伝達や神経可塑性を引き起こすことから特に注目が集まっている。しかしながら、グルタミン酸は脳内の多くの部位で伝達物質として使用されているため、薬理学的手法や従来の遺伝子欠損法を用いた研究でのアプローチが難しく、その自発運動に対する役割が明確では無い。

このため、本研究では第二世代の遺伝子欠損法 (Cre/loxP system) を用いて、まず新線条体優位に遺伝子欠損を行うシステムの構築を行い、新線条体における NMDA 受容体の役割を個体レベルで解析した。このシステムには、遺伝子組み換え酵素 Cre recombinase を線条体優位に発現するマウスと、Cre recombinase が認識する loxP 配列を NMDA 受容体の必須サブユニットである GluR ζ1遺伝子に挿入したマウスが必要である。そこで、これまでの研究から線条体優位に発現することが知られている G protein γ7 subunit (Gng7) 遺伝子の翻訳開始メチオニンコドンの直下に、Cre 遺伝子を挿入したマウス (Gng7ncre)を遺伝子標的法を用いて作成した。Gng7ncreマウスにおける、Cre recombinase 依存的な遺伝子組み換え部位を検定するために、Cre 活性依存的に β-galactosidase を発現するマウス (CAG-CAT-Z)と掛け合わせた。β-galactosidase 活性は、新線条体と鼻結節に強く認められ、大脳皮質五層と海馬台で弱い活性が認められた。この結果は、Gng7ncreマウスが新線条体優位に遺伝子組み換えを起こすマウスであることを示唆する。この Gng7ncreマウスを用いて、NMDA受容体を欠損させるために、GluR ζ1遺伝子のエキソン19,20を挟む形で、二つの loxP 配列を導入したマウス (GluR ζ1flox)を遺伝子標的法で作成した。Gng7ncreマウスとGluR ζ1floxマウスをかけ合わせて、Gng7ncre;GluR ζ1flox/flox (neostriatum-GluR ζ1 KO)マウスを作成した。生後一週において、neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの GluR ζ1 mRNA は、新線条体優位に欠損していた。抗 GluR ζ1抗体を用いて免疫組織化学的解析を行ったところ、GluR ζ1蛋白質は、生後二週までに新線条体優位に消失することが明らかになった。neostriatum-GluR ζ1 KOマウスは、ケージの蓋の上に餌を置く飼育条件下において、生後3週以降に死亡し始め、生後5週までには全て死亡した。体重を測定したところ、生後2週以降に neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの体重が、コントロールに比べて優位に減少していることが明らかになった。これらの結果は、餌を摂取していないか代謝に異常があるために、死亡率が増加した可能性を示唆している。餌の摂取不良による可能性を検討するために、より餌の摂取が容易であると考えられる床の上に餌を置いた条件下で、マウスを飼育した。この飼育条件下においては、全ての変異マウスが、5週以降まで生き残った。体重は、コントロールに比べて優位に少なかったが、餌をケージの蓋の上に置いた条件で飼育した変異マウスよりは明らかに体重が増加していた。この結果は、neostriatum-GluR ζ1 KO マウスの増加した死亡率が、餌の摂取の不良にあることを示しており、摂取不良は餌を食べるというモチベーションの不良によるものでは無く、餌を食べるための運動に何らかの異常があるためである可能性を示唆する。

neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの運動機能を調べるために、2時間の Open field テストを行った。その結果、水平方向の総運動量が4倍程度増加していることが明かとなった。5分ごとの行動量をグラフ化したところ、明らかに運動量が増加しているのは、測定開始後15分から60分までの間であることが明らかになった。従って、この変異体マウスは、常に運動量が亢進しているマウスでは無く、新規環境依存的に運動量の増加が誘導される自発運動亢進マウスであると考えられた。

自発運動量の亢進が、NMDA 受容体の機能が欠損したことによるのか、NMDA 受容体が欠損したことよって起きた二次的な変化によるものなのかを検討するために、組織化学的な解析を行った。ニッスル染色によって、新線条体、大脳皮質、視床、海馬等の皮質-線条体回路に関わる脳部位が十分に形成されていることが明かとなった。高倍率による観察から、コントロールマウスと同様、新線条体に多数の神経細胞様の細胞とダリア細胞様の細胞が存在していることが明かとなった。次に、大脳皮質からのグルタミン酸伝達に必須な蛋白質の発現を免疫組織化学法により検討した。グルタミン酸を含むシナプス小胞のマーカーでありシナプス小胞へのグルタミン酸の輸送に必須な VGluTl の発現と、α-amino-hydroxy-5-methyl-isoxazole-propionic acid (AMPA) 型グルタミン酸受容体α1の新線条体における分布は、コントロールマウスに比べて変化が無かった。新線条体の主な投射神経細胞である中程度の有棘細胞は、GABAを伝達物質として使用しているため、その合成酵素である Glutamic acid decarboxylase(GAD) の mRNA レベルでの発現を in situ hybridization 法を用いて調べた。これまでに知られている2種類の GAD (GAD65と GAD67)の発現は、20%程度減少していたものの明らかに発現していた。免疫組織化学による解析からも、GAD65/67蛋白質が neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの新線条体において発現していることが確認された。次に、皮質-新線条体回路の調節に重要であり、自発運動量の調節に重要である Dopamine 作動系が、NMDA 受容体の欠損によって変化し、その結果、neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの自発運動量亢進を引き起こしている可能性を検討するため、Dopamine とその代謝物の測定とドーパミン受容体の発現を調べた。neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの Dopamine 含有量は、コントロールと比べて変化が無かったが、Dopamine の代謝物である Homovanillic acid は20%程度減少していた。Dopamine D1受容体と Dopamine D2受容体 mRNA の発現量は、それぞれ20%前後減少していた。これらの結果は、Dopamine 作動系の活動が、新線条体において減弱していることを示唆している。Dopamine 作動系の活動の減弱は、運動量の減少になるので、neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの自発運動量の増加は、Dopamine 作動系の異常によって説明されないと考えられた。このため、neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの新規環境依存的な自発運動量の上昇は、NMDA 受容体の欠損によって起る二次的な異常によるものでは無く、NMDA 受容体の欠損自体によるものである可能性が高いと考えられた。

今回の結果は、新線条体の NMDA 受容体の機能が、外部からの新規刺激に対して適切に運動量を制御するために重要である可能性が示唆している。運動量の上昇は、精神分裂病、ハンチントン舞踏病あるいは注意欠陥多動障害のマウスモデルにおいて、重要な指標である。このため、neostriatum-GluR ζ1 KOマウスが、これらの疾患と新線条体の NMDA 受容体の関わりを解析するために重要であり、これらの疾患の発生機序、創薬、治療法の確立に新たな知見を与える可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、新線条体における N-methyl-D-aspartate (NMDA) 型グルタミン酸受容体の自発運動の調節おける役割を検討するために、新線条体特異的な遺伝子欠損法(Cre/loxP システム)を使用し、自発運動の変化を解析し、明らかになった変化の原因を組織化学や生化学的な手法によって検討したものであり、下記の結果を得ている。

新線条体優位に発現する G protein γ7 subunit のプロモーターの直下に、Cre recombinase をコードする遺伝子を遺伝子標的法を用いて導入したGng7ncreマウスの作成に成功した。このマウスをレポーターマウス(CAG-CAT-Zll)と掛け合わせた子供の脳を用いてβ-galactosidase 活性を検討した結果、Gng7ncreマウスは新条体優位に遺伝子組み換えを引き起こすことが可能なマウスであることが示された。

NMDA 受容体の必須サブユニットである GluRζ1遺伝子の第四膜貫通領域をコードするエキソン19, 20を挟む形で、Cre recombinase が認識する loxP 配列を二つ導入した GluR ζ1floxマウスを遺伝子標的法を用いて作成した。Gng7ncreマウスとGluR ζ1floxマウスを掛け合わせることで、neostriatum-GluRζ1 KOマウスの作成を行った。この変異マウスでは、生後二週までに GluRζ1蛋白質の発現が、新線条体優位に欠損することが示された。

neostriatum-GluRζ1 KOマウスは、生後三週以降に死亡し始め、生後五週までに全ての個体が死亡することが明かとなった。この増加した死亡率は、餌の位置をケージの蓋の上から床に移すことで、完全に改善されたことから、摂食するための行動に何らかの異常があるためである可能性が示唆された。

Open field を用いた二時間の自発運動量の測定から、neostriatum-GluRζ1 KOマウスでは、行動量がコントロールマウスの四倍に増加していることが明かとなった。しかしながら、運動量の増加は、測定開始後15分から60分までの間だけで明瞭であるので、恒常的に運動量が増加しているわけでは無いと考えられ、この自発運動量の増加は新環境依存的なものであると考えられた。

Nissl染色及び免疫組織化学的な解析から、neostriatum-GluR ζ1 KOマウスの新線条体の形態は大まかに保持されており、新線条体の関わる神経伝達に必須な蛋白質の発現が認められた。さらに、組織化学や生化学的な解析により、ドーパミン作動系の活動が減少している可能性が示唆されたため、NMDA 受容体の欠損に伴う二次的な変化では無く、NMDA受容体の欠損自体が自発運動量の増加をもたらした可能性が高いと考えられた。

以上、本論文は新線条体の NMDA 受容体が、外部からの新規刺激に対して適切に運動量を制御するために重要である可能性を示唆した。本研究は、これまで明確ではなかった新線条体の NMDA 受容体の自発運動に対する影響を、遺伝子工学的な手法を用いて解析した初めての例であり、新線条体依存的な行動の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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