学位論文要旨



No 118480
著者(漢字) 上野,克仁
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,カツヒト
標題(和) 超低体温逆行性脳灌流における至適な血液ガス管理の研究
標題(洋)
報告番号 118480
報告番号 甲18480
学位授与日 2003.06.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2200号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 助教授 小塚,裕
 東京大学 助教授 林田,真和
 東京大学 助教授 森田,明夫
 東京大学 講師 平田,恭信
内容要旨 要旨を表示する

(背景)

心臓血管外科手術,特に大動脈弓並びに頚部3分枝の操作を要する弓部大動脈手術において術中脳保護は重要な課題の一つである。術中脳保護における留意点として1)温度管理(冷却の必要性)2)灌流方法(順行性か逆行性か?循環停止か?)3)灌流圧,量の管理(順行性または逆行性の場合)4)血液ガス管理(O2,CO2管理,血液希釈の問題他)が挙げられる。実際の臨床現場で汎用されている脳保護法として人工心肺並びに局所冷却による超低体温法があり,また超低体温時の灌流方法として(1)超低体温循環停止(TCA)(2)超低体温順行性脳灌流(3)超低体温逆行性脳灌流(RCP)の3法がある。逆行性脳灌流は元来体外循環中の偶発事故による動脈系への空気塞栓に対する治療として発表されたものである。現在では積極的に冷却、酸素供給などの脳保護の自的で施行されており、超低体温循環停止法、超低体温順行性脳灌流法の欠点を補う有用な方法として汎用されている。本法では大動脈,頚部3分枝の遮断が不要であり,動脈硬化または解離の及んだ血管への侵襲を軽減でき良好な術野を得やすい。弓部大動脈手術時の脳保護の手段として当施設では超低体温逆行性脳灌流法(RCP)を採用し優れた成果を上げている。

また体外循環における血液ガス管理法,特にCO2管理法については従来(1)alpha-stat(温度補正をしないpH値を7.40に、即ち base excess が正常範囲に保たれている場合温度補正をしないPCO2値を35-45mmHgに維持する)と(2)pH-stat(温度補正後のpH値を7.40、PCO2値を35-45mmHgに維持する。)の2法が知られている。超低体温循環停止法を用いる体外循環において冷却復温時にいずれがより脳保護効果に優るかについて報告例があるものの未だ一定の結論は出ていない。RCPの脳保護効果につき,脳への灌流圧、灌流量から検討した研究は過去に報告されている。しかし血液ガス管理法、特に脳への送血のPCO2濃度に着目し(1)alpha-stat(2)pH-statいずれが適切であるかについての検討は未だ見られない。

また Extracellular acidosis が NMDA glutamate receptor の活動性を低下させることで neuronal calcium overload を抑制し glutamate excitotoxity を低下させ脳保護効果をもたらすという機序が近年指摘されている。TCAにおける脳保護効果を NO 代謝から検討した報告が近年なされているが、RCPにおいてはなされていない。

(目的)

RCPでの alpha-stat とpH-stat いずれのCO2管理法がより優れた脳保護効果をもたらすかを,脳皮質血流量(CBF、レーザードップラー血流計にて測定)、脳内血流分布(脳内局所血流量を colored microsphere にて測定))、酸素代謝(cerebral metabolic rate for oxygen (CMRO2))、NO代謝の面(脳への送血、灌流血のNOx(NO2-+NO3-)を測定)から比較検討した。

(方法)

成犬15頭使用(体重25.1+/-5.6kg)。全身麻酔下体外循環確立後、alpha-statにて鼻咽頭温18℃まで冷却した。RCP群は犬の解剖学的特性を考慮し両側顎静脈から灌流圧25mmHg前後で90分間施行。脳への送血のPCO2濃度によりA alpha-stat 群(以下RCP-alpha)(n=5) B pH-stat 群(以下RCP-pH)(n=5)の2群に分類した。. control 群としてC antegrade 群(以下 antegrade)(n=5)鼻咽頭温18℃時の平均流量53.5+/-5.7ml/min/kg、送血の PCO2 37.8+/-5.1mmHg)を設定し比較の対象とした。脳への送血の Hematocrit 値を18-25%程度に維持するよう、必要な場合は同種他家血にて補正した。脳への送血の酸素濃度は一定の範囲を維持するよう適宜O2 gas の流量を調節した。実験中循環作動薬は使用しなかった。

RCP施行時間と各パラメーターとの関連を検討すべくRCPのA、B各群は1;RCP施行後45,60分2;75,90分の2つの subgroup に分類し比較検討した(RCP開始直後は送血のCO2が安定しないこともあり,RCP開始後45,60分時,75,90分時の2群に分け比較検討することで評価した。)。

人工心肺開始前、開始直後、冷却中、TCA直前,さらに90分間のRCP中は15分間隔で脳への送血,脳からの灌流血の血液ガス分析を施行した。結果は37℃での計測値で表示し温度補正は施行しなかった。RCP施行中脳への送血は顎静脈,脳からの灌流血は総頚動脈より採血した。皮質脳血流量は開頭しレーザー組織血流計にて連続測定を施行した。CBF、CMRO2、NOx値は個体差を考慮し人工心肺開始前の計測値を基準値とした percentage (%CBF, %CMRO2、%NOx)で評価した。colored microsphere による局所血流量測定は cerebral hemisphere, basal ganglia, midbrain, cerebellum, pons+medulla oblongata の5部位に対しRCP90分終了時,超低体温順行性灌流90分終了時に施行した。NOxはHPLC(高速液体クロマトグラフ)法によりN02-, NO3-に分離後グリース試薬法を用いて測定した。

(結果)

脳への送血のO2濃度は3群間で有意差を認めなかった。RCP2群間では脳への送血の Hemoglobin, O2濃度, O2 content, O2 extraction に有意差を認めなかった。%CBFと%CMRO2はRCP-pHでRCP-alphaよりも,antegradeでRCP-alphaよりも有意に高値であったが、RCP-pHとantegrade間では有意差を認めなかった。

RCP施行時間により分類した subgroup 間で%CBFと%CMRO2を比較検討した。同一のCO2管理下では%CBFそして%CMRO2の値はRCP45,60、RCP75,90の2群間で有意差を認めなかったがRCP45,60分よりもRCP75,90分で低値となる傾向が見られた。RCP75,90分において%CMRO2はalpha-stat.よりもpH-statで有意に高値であった。

colored microsphereにより計測した局所血流量は脳内の5箇所いずれもRCP-pHでRCP-alphaよりも高値を示す傾向が見られた。pons+medulla でのみ血流量にCO2管理法による有意差を認めた。いずれのCO2管理法も脳内での部位による差は認めなかった。

脳からの灌流血の%NOx(NOx(Outflow))はRCP-pHにて RCP-alpha よりも着意に低値であった。脳からの灌流血のNOx値を脳への送血の NOx 値で除したもの(NOx(O/I))はRCP-alphaよりもRCP-pHで高値を示す傾向にあったが有意ではなかった。冷却中は、NOx(Outflow)と NOx(O/I)は人工心肺前、常温体外循環中、超低体温体外循環中3群間で有意差を認めなかった。

RCP施行時間により分類した subgroup 間で比較検討したところ、同一のCO2管理下ではRCP45,60、RCP75,90の2群間でNOx(Outflow)とNOx(O/I)は有意差を認めず、RCP 45,60においてNOx(Outflow) はalpha-stat.よりもpH-statで有意に低値であった。

(結語)

超低体温RCPにおいて、脳への送血のCO2管理は脳保護効果を高めるために非常に重要である。1)RCP2群間のみで比較するとCBF、CMRO2はpH-statで有意に高値を示した。Antegrade と比較した場合、RCPで低値傾向、alpha-stat RCPでは有意差を認めた。CO2管理法を問わずRCP施行時間による差異、脳内血流分布の不均等は認めなかった。2)脳組織の酸素需要は温度により規定されるため、RCPではpH-statによりCBFを増加させ酸素供給を促進する必要があることが示唆された。RCP中はalpha-statよりもpH-statの方がCBF、酸素代謝面から脳保護効果上有利であることが示唆され, RCPにおけるpH-statの必要性が示された。

RCP中pH-stat下ではalpha-statに比し脳からの灌流血のNOxは有意に抑制され、またNOxが脳内から排泄されやすい傾向が見られた。pH statによるCBF増加が脳からの灌流血のNOXの抑制に関連する可能性が示唆され、(pH stat により細胞内 Ca influx を抑制し NMDA receptor の活性化を抑制することでnNOS由来の神経傷害を抑制するという機序を反映している可能性があると考えられ)、RCPにおけるpH-stat は CBF, 酸素代謝のみならずNO代謝の面からも脳保護的である可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

心臓血管外科手術,特に弓部大動脈手術中に実際施行されている脳保護法の1つが超低体温逆行性脳灌流(RCP)法である。RCPの脳保護効果につき,脳への灌流圧、灌流量から検討した研究は過去に報告されている。しかし血液ガス管理法、特に脳への送血のPCO2濃度に着目し(1)alpha-stat(2)pH-statいずれが適切であるかについての検討は未だ見られない。本論文ではRCPにおいていずれのCO2管理法がより優れた脳保護効果をもたらすかを,成犬を対象とした実験モデルで検証した。体外循環確立後、alpha-statにて鼻咽頭温18℃まで冷却。RCPを灌流圧25mmHg前後で90分間施行。脳への送血のHematocrit値、酸素濃度は一定の範囲を維持した。循環作動薬は使用しなかった。比較対照群としてalpha-statでの(脳灌流圧を一定の範囲に維持した)順行性脳灌流法施行群(以下 antegrade)を設けた。

脳への送血,脳からの灌流血の血液ガス分析を施行しつつ、脳保護効果の指標として脳皮質血流量(CBF、レーザードップラー血流計にて連続測定))、脳内血流分布(脳内局所血流量 を colored microsphere にて測定))、酸素代謝率(cerebral metabolic rate for oxygen(CMRO2))を測定、算出した。Extracellular acidosis が NMDA glutamate receptor の活動性を低下させることで neuronal calcium overload を抑制し glutamate excitotoxity を低下させ脳保護効果をもたらすという機序が近年指摘されており、CO2管理との関連を検討すべく新たな指標として脳への送血、灌流血のNOx(NO2-+NO3-)を計測し、下記の結果を得ている。

RCP2群間のみで比較するとCBF、CMRO2はpH-statで有意に高値を示した。Antegradeと比較した場合、RCPで低値傾向、alpha-stat RCPでは有意差を認めた。CO2管理法を問わずRCP施行時間による差異、脳内血流分布の不均等は認めなかった。RCP中はalpha-statよりもpH-statの方がCBF、酸素代謝面から脳保護効果上有利であることが示唆され,RCPにおけるpH-statの必要性が示された。

脳からの灌流血のNOx(NOx(Outflow))はRCP-pHにてRCP-alphaよりも有意に低値であった。脳からの灌流血のNOx値を脳への送血のNOx値で除したもの(NOx(O/I))はRCP-alphaよりもRCP-pHで高値を示す傾向にあったが有意ではなかった。RCP施行時間により比較検討したところ、同一のCO2管理下ではRCP施行後45分と60分、施行後75分と90分の2群間でNOx(Outflow)とNOx(O/I)は有意差を認めず、RCP施行後45分と60分においてNOx(Outflow)はalpha-statよりもpH-statで有意に低値であった。RCP中pH-stat下ではalpha-statに比し脳からの灌流血のNOxは有意に抑制され、またNOxが脳内から排泄されやすい傾向が見られた。pH statによるCBF増加が脳からの灌流血のNOXの抑制に関連する可能性が示唆され、RCPにおけるpH-statはCBF, 酸素代謝のみならずNO代謝の面からも脳保護的である可能性が示唆された。

本研究はこれまで未知に等しかったRCPにおける特に脳への送血のCO2濃度に着目した血液ガス管理法による脳保護効果の差異につき検討した示唆に富む内容の論文となっており、学位の授与に値するものと思われる。

UTokyo Repositoryリンク