学位論文要旨



No 118487
著者(漢字) 山本,博之
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ヒロユキ
標題(和) 英領北ボルネオ(サバ)における民族形成
標題(洋)
報告番号 118487
報告番号 甲18487
学位授与日 2003.06.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第445号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 教授 加納,啓良
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 木畑,洋一
内容要旨 要旨を表示する

ナショナリズムは、他者による抑圧に対して国民となることで解放を達成することであると考えられてきた。しかし、世界の多くの国が独立を達成した現在、ナショナリズムは解放よりもむしろ抑圧をより多く生み出しているかに見える。このような状況にナショナリズム論が十分な解決案を提示できないでいるのは、従来のナショナリズム論が国民形成と解放・自立の2つを結びつけてきたためであると考えられる。この2つは必ずしも必然的に結びつくわけではなく、この2つを切り離してナショナリズムを捉えることで、国民形成ではない形での解放・自立のあり方を積極的に評価し、そこにおける民族アイデンティティの役割に意味を見出すことが可能となる。以上の問題関心のもと、本稿では、英領北ボルネオ(サバ)の事例をもとに、脱植民地化に伴う民族アイデンティティの形成について分析を行った。

北ボルネオでは、植民地支配を通じて、イギリス人が持ち込んだ民族概念がやや形を変えて人々に受け入れられた。イギリス人による庇護と管理のもと、生活上の習慣を共有する人々の間で、内部の紛争を自律的に解決し、生活文化の向上を求める枠組みとしての民族概念である。このような民族概念が定着することにより、在地の指導的エリートは、在地社会での生き残りのため、自分と民衆の民族アイデンティティを同じくする必要が生じた。そのため、民衆に自分の民族アイデンティティを受け入れさせるか、あるいは民衆と自分を含めて新しい枠組みで民族アイデンティティを作り出すかといった手段をとらなければならないことになる。このそれぞれについて、指導的エリートが唱える民族アイデンティティに込めた社会建設のあり方を分析した。

まず、北ボルネオ社会で外来者としての性格を持ち、在地の特定の民族に帰属先が求められなかったステファンとK.バリは、北ボルネオに新たな枠組みによる集団アイデンティティを作り出そうとした。米国をモデルにしたステファンは「アナック・サバ」概念を、インドネシア・ナショナリズムを理想とするK.バリは「バンサ・サバ」概念を唱えた。これらはいずれも「北ボルネオ=サバ」を自立の枠組みとし、その住民を既存の民族性によらない形で統合し、均質なネイションを創出することを唱えたものである。

このサバ・ネイション概念は、共通の言語を軸に多様な民族が統合されたネイションという民族概念を北ボルネオにもたらしたが、この考え方は北ボルネオの人々にあまり受け入れられなかった。しかし、サバ・ネイション概念は、国際社会において自立した主体として認知される存在としてのネイションという民族概念ももたらしていた。北ボルネオの人々はサバ・ネイション概念を受け入れず、それと異なる民族概念を唱えるが、そこにはいずれも国際社会において認知される主体としての民族という考え方が込められるようになっており、ここにサバ・ネイション概念の影響を見て取ることができる。

次に、指導的エリートが民衆に自分と同じ民族アイデンティティを名乗らせようとする試みとして、プナンパン・カダザン人とブルネイ・マレー人によるものがある。彼らは均質なネイションを創出するというサバ・ネイション概念に反対し、それぞれカダザン人アイデンティティとマレー人アイデンティティを唱えた。この主張の背景にあるのは、自らが世界の高文明を担っており、その高文明によって世界において認知される存在になることができるという考え方である。これは、一方で民衆に対しては自らが高文明によって教え導くという態度で臨み、他方で文明の中心により近い存在に対して従属的な立場にならざるを得ないという問題を抱えていた。これを解消するために用いられたのが多数決の原理であり、そのため「区切り」に積極的な意味が与えられることになった。

ムスリム原住民の間では、マレー人アイデンティティは広く受け入れられなかった。これに対し、先住北ボルネオ諸族の間ではカダザン人アイデンティティが広く受け入れられた。これは、カダザン人とパソ・モモグンがいずれも一定の支持を得ていた状況で、マレーシア結成を通じた自治化の過程でパソ・モモグン運動が弱まり、政治の表舞台ではカダザン人アイデンティティが残ったことによる。ただし、先住北ボルネオ諸族はカダザン人以外の固有の民族アイデンティティも維持しており、また、独立後に人々がカダザン人アイデンティティに対して柔軟に対応していることからもわかるように、先住北ボルネオ諸族は「かけがえのない」ものとしてカダザン人アイデンティティを受け入れたわけではなかった。民族アイデンティティは、固定的なものではなく、必要に応じて変更可能なものであると認識されていた。

さらに、外来者性と高文明性の2つの側面を備える人々の試みを取り上げた。中国からの移民およびその子孫である華人は、北ボルネオ外部との繋がりを保障するような特徴を維持し、その上で現地化するという二重の課題を背負わされていた。ただし、どのような関係性を重視し、そのためにどの特徴を維持したいと思うか、とりわけ華語に象徴される中華文化をどう扱うかは華人によっても一様でなかった。

サンダカンを拠点とする木材生産業者たちは、木材生産業の順調な発展が保障されることを求め、華語教育を始めとする中華文化の維持はあまり重要ではないという態度をとった。しかし、華人性は彼らにとって重要な役割を果たすことになる。木材生産業者はサンダカンという一地域に集まっていたため、木材生産業の業界団体を通じて、また、地元の中華商会および中華商会連合会を通じて、立法参事会議員であるクー・シアクチューを自分たちの代表として政府に送り込むことができた。植民地政府が設定した華人という枠組みを利用することで生活の向上が望めたのである。

他方、祖国である中国を解放するという目的を持った愛国華僑であるイエ・パオツは、『華僑日報』の発行などを通じて愛国華僑としての務めを果たそうとしていた。イエ・パオツにとって重要であったのは愛国華僑としての関係性であり、したがって、中華文化を放棄することはできないことであった。イエは華人社会の中でもひときわ目だって華語教育の重要性などを訴え続けた。

以上の様々な民族アイデンティティが、マレーシア結成を通じた脱植民地化・自治化の過程で相互に認識しあい、均衡を形成する過程を分析した。

マレーシア構想を推進する過程で、ステファンとムスタファはそれぞれ先住北ボルネオ諸族およびムスリム原住民を主要支持基盤とする政党を結成し、両者を連立させてサバ連盟を結成する準備を進めていた。これに対して華人社会では、マレー人の特権の前に華人の権利が制限されているマラヤ連邦との合併に対して反対意見が多かった。ただし、どのような形で北ボルネオの自治化に対応すべきかについては意見のまとまりがついていなかった。特に、華人性を積極的に唱えるべきか否かで意見が分かれており、民族政党の連合体とは異なる原理による社会建設を唱えているパソ・モモグン陣営と合流する者も少なくなかった。

ステファンとムスタファは、相対的に勢力の強い華人の影響力を一定の枠内に抑え込むため、華人は華人政党を結成してサバ連盟に参加するよう呼びかけた。マレーシア結成による自治化が避けられないと理解すると、華人は公民としての権利を確保するために政府に代表を派遣することを選び、華人政党を結成してサバ連盟に加わった。これによって反マレーシアで結びついていたパソ・モモグン陣営も瓦解した。

こうして華人は華人アイデンティティを受け入れた。これは、華人と原住民の区別を認めるものであったが、同時に、各党の代表を政権に参加させることによって、華人をサバ公民の正当な一員として認めるものでもあった。したがって、こうして形成されたカダザン人、ムスリム/マレー人、華人という3つの民族アイデンティティは、いずれもサバ公民というアイデンティティとともに形成されたものであると言える。

民族概念は、それを取り巻く世界においてその時々に優勢である理念などの影響を受けて、様々な変種が形作られてきた。その中で、多数決原理の時代に登場したのが、上で見たような資格あるいは権利としての民族概念とでも呼べるものである。すなわち、ある社会において、代表の派遣を通じて社会全体に関する意思決定の場に参加する資格または権利を有するとその社会の構成員によって相互に承認されているような、その社会の部分集合である枠組みとして民族を捉える見方である。

また、サバ公民および3つの民族アイデンティティがこのような形で均衡を形成するにあたっては、マレーシアにおけるサバという位置付けが重要な意味を持っていた。その意味で、これらの民族アイデンティティは、サバがマレーシアにあって自治権を持った一部となるという関係が成立することによって形成されたものである。つまり、マレーシアおよびサバが「地域」として立ち上がったのとともに、これらの民族アイデンティティも民族として立ち上がったのである。

本研究で扱ったのは、脱植民地化に際して独立革命に向かわなかった事例である。これまで抵抗運動を考える上ではほとんど顧みられてこなかった事例であるが、地球上のほとんどの領域が国民国家となり、また、剥き出しの暴力の行使がますます正当性を失いつつある現在においては、むしろ本稿で扱ったような事例の研究を積み重ねていくことが必要になるものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はイギリス領北ボルネオ(サバ)が、1963年にマレーシア連邦の一部として独立を達成する過程に注目し、人々の自立と地位向上を求める動きがどのような民族アイデンティティを生み出していったのかを検討した、サバ地域研究の論文である。同時に本論文は、このサバにおける民族形成を理解する上で、国民形成と解放・自立の2つを結びつけてきた従来のナショナリズム論に批判を加え、国民形成ではない形での解放・自立のあり方をサバに見出し、それを積極的に評価するという、ナショナリズム論へ一石を投ずることを意図したものでもある。

本論文は序論、本論4部、結論で構成されている。

序論では、民族ごとに人々を管轄しようとしたイギリス人の支配のもとで、政府に代表を派遣する枠組みとしての民族という概念が形成されたことが指摘されている。

第一部「均質なネイションを求めた人々」では、従来カダザン・ナショナリストとして扱われることが多かったステファンが、米国をモデルにしたサバ・ネイションを構想していたことを明らかにし、またこれまでのサバ政治研究ではほとんど注目されてこなかったK・バリという人物を、インドネシアをモデルにしたサバ・ネイションの構想者として重視する必要を提示し、サバにおける民族形成において「外来者」が重要な役割を果たしたことを実証している。

第二部「文明の光を継ごうとした人々」では、均質なサバ・ネーションではなく、カダザン人としてのまとまり、あるいはマレー人としてのまとまりを求めたプナンパン・カダザン人とブルネイ・マレー人の試みを、国際社会において認知される主体としての民族を、外部の「高文明」の担い手として民衆を導く発想としてとらえて検討し、このようなケースにあっても、サバという「区切り」が外部の「高文明」により近い人々への従属を避ける上で重要な意味をもっていることを指摘している。

第三部「現地化を模索した人々」では、外来者性と高文明性を併せ持つ華僑・華人を検討し、外部世界との繋がりを保障するような特徴を維持し、その上で現地化するという二重の課題を背負わされて彼らが、どのような関係性を重視し、そのためにどの特徴を維持したいと思うかは、けして一様でなかったことが明らかにされている。

第四部「脱植民地化における民族形成」では、以上の様々な民族アイデンティティが、マレーシア結成を通じた脱植民地化の過程で相互に認識しあい、均衡を形成する過程が分析されている。そこでは、カダザン人、ムスリム/マレー人、華人の3民族政党の分立と連合が「必然」であったわけでは必ずしもないことが、民族政党の連合体とは異なる原理による社会建設を唱えていたパソ・モモグン陣営の存在によって示されている。もっとも同陣営は、反マレーシアで結びついていたため、マレーシア結成の動きが決定的になると瓦解し、3民族政党体制が生まれるが、こうして形成されたカダザン人、ムスリム/マレー人、華人という3つの民族アイデンティティは、いずれもサバ公民というアイデンティティとともに形成されたものであると指摘されている。

以上のような内容の本論文の第一の意義は、これが独立期のサバ政治史研究として、国際的に見てもきわめて高い水準の業績という点にある。K・バリやパソ・モモグンなど、従来あまり注目されなかった人物、団体を発掘したことを含め、事実の解明という面でも、サバ政治の特質を活写する分析枠組みの提示という面でも、画期的な研究成果である。

第二は、本論文のマレーシア研究への貢献である。サバにおいてカダザン人、ムスリム/マレー人、華人という3民族政党の分立と連合という体制が形成されたことを「必然」とは見ない本論文の視点は、マレー人・華人・インド人という枠組みを固定的に扱うことを批判するという、マレーシア研究に対する問題提起になっている。

第三は、本論文のナショナリズム論への貢献である。本論文は、サバの事例を均質的な「国民形成」には向かわなかったナショナリズムととらえ、ある社会において、代表の派遣を通じて社会全体に関する意思決定の場に参加する資格または権利を有するとその社会の構成員によって相互に承認されているような、その社会の部分集合である枠組みとして民族をとらえることを提唱している。このような方法は、排他的なまとまりを志向するのではない「区切り」の可能性を提示し、ナショナリズム論に大きな問題を投げかけている。

本論文では、「国民」と「民族」という概念がどのように区別されているのかわかりにくい、「サバ公民」という概念に込められた意味がわかりにくいといった弱点や、「外来性」と「混血性」、議会制・政党と民族など、ナショナリズム論としては、より理論的な検討が必要な課題が今後に残されてはいるが、これらの問題点は、本論文が博士学位論文としてはきわめて水準の高いものであることを否定するような性格のものではない。したがって、本審査委員会は全員の一致で本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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