学位論文要旨



No 118502
著者(漢字)
著者(英字) YOVKOVA SHII,ELEONORA
著者(カナ) ヨフコバ シイ,エレオノラ
標題(和) ブルガリア語のl分詞の語用論的研究 : いわゆる Evidential のカテゴリーに関連して
標題(洋)
報告番号 118502
報告番号 甲18502
学位授与日 2003.07.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第446号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 斎藤,兆史
 東京大学 教授 西中村,浩
 東京大学 教授 坂原,茂
 東京大学 教授 林,徹
 創価大学 教授 佐藤,純一
内容要旨 要旨を表示する

本稿はブルガリア語のいわゆるEvidentialのカテゴリーに関わるl分詞を伴う述語の諸形式の意味・機能について論じているものである。本稿の論点となっているのは次の二つの問題点である。一つは、l分詞の性質に見られるテンス・アスペクト・モダリティというカテゴリーの相互関係であり、もう一つは、l分詞の意味ドメインの特定である。

l分詞に見られるテンス・アスペクト・モダリティの関係という論点を、次の二つの問題に結びつけて論じている。一つはl分詞のカテゴリゼーション(文法範疇上での分類)の問題である。本稿は、l分詞の、従来のような文法範疇へのカテゴリゼーションに従わずに、全ての形式、その機能、そして機能の関連を「主観化」(subjectification)というプロセスの観点から捉えている。l分詞とその機能を「主観化」というプロセスの観点から捉えることによって、従来の見解では説明が不十分だと思われる、非モダリティ的働きとモダリティ的働きの両方を持っている形式(定過去l分詞と繋辞から構成される形式)の性質およびこのような形式と完全に主観化しているl分詞(半過去l分詞の形式または無繋辞の形式)の関連が十分に説明できる。「主観化」というプロセスの背景には、パーフェクト(定過去l分詞と繋辞から構成される形式)のdecategorization(テンス・アスペクト>モダリティ)というプロセスが働き、その結果、テンス/アスペクトのドメイン(またそのドメインにおいて働く形式)がモダリティドメイン(またそのドメインにおいて働く形式)へと拡大し、モダリティドメインと繋がって一つの連続体をなす。

l分詞に見られるテンス・アスペクト・モダリティの関係という問題を巡るもう一つの論点は、l分詞のテンス・アスペクト的特徴(分詞のタイプ)の、l分詞の機能のタイプへの影響を探るということである。l分詞の機能の中、アスペクト(現在完了)またはテンス(不定過去)そしてモダリティ(推量、伝聞、不信、驚異、皮肉、誉め事など)的機能がある。本稿の分析が明らかにしているように、定過去l分詞によって表される機能(現在完了、不定過去、結果状態による推量)は、パーフェクト本来の意味(結果状態、現時関与)を保っている。また、定過去l分詞は非モダリティとモダリティの両方のドメインにおいて働いている。一方、半過去l分詞は完全に主観化し、その機能が純モーダルである。

本稿のさらなる論点となっているのは、l分詞のあらゆる機能を概括に記述できる共通の意味特徴の特定である。l分詞は様々な機能を持ち、またその機能の中には、「情報源」または「証拠性」と関係のある機能(推量、伝聞)もあれば、「情報源」または「証拠性」と決めかねる働き(驚異、皮肉、誉め事、不満)もある。従来の研究では、l分詞の基本的意味特徴を記述する様々な概念(「非目撃性」、「非知覚性」「伝聞性」、「情報源」、「情報源または情報そのものに関する話者の態度」、「非確言性」)が提案されているが、どれ一つも、l分詞の複数の機能と意味の十分な記述には及ばない。本稿では、l分詞の一見関係がないかのように見える異質な働きを関連付けるために新概念を提示し、その概念を「発話時における話者の意識的関与の状態」と定義付けた。「発話時における話者の意識的関与の状態」という概念は、出来事または発言に対する話者の現在(発話時)の意識的関与の状態という意味要素を含んでいると同時に、発話時以前の何らかの意識的状態を想定し、それを現在の意識的状態と対比させるという意味要素まで含意する。本稿で提案するこの概念の意味に含まれている現在的要素(発話時における話者の意識的関与の状態)と過去的要素(発話時以前の話者の意識的関与の状態)は、l分詞の原型(prototype)となっているパーフェクトの意味要素と巧く合致し、パーフェクトとの関連、すなわちパーフェクトがEvidentialへと拡大した根拠を明確に示している。

審査要旨 要旨を表示する

ヨフコバ四位エレオノラ氏の博士論文「ブルガリア語のl分詞の語用論的研究--いわゆるEvidentialのカテゴリーに関連して」は、いわゆる「伝聞法」に関わるブルガリア語のl分詞の全体像を新しい枠組みでとらえ直した論文である。本論文が研究の対象とするl分詞のいわゆる「伝聞法」の用法を中心とする多様な意味・機能については、1920年代以降のブルガリア語文法記述のなかで様々な解釈や分析が示されてきた。やがてこの問題は、ブルガリア語の枠を越えて、とくに形式文法の限界が認識されはじめて語用論的アプローチが展開されるようになった70年代以後は、かつてRoman Jakobsonがユニヴァーサルな動詞の意味論的カテゴリーのなかに含めたevidentialityのより精密な定義に関わる一般言語学の問題として、多くの研究者が注目するようになった。しかし、これまではブルガリア語のl分詞の用法の全面的な記述がなく、また、一般言語学レベルの問題としてもいくつかの重要な成果が示されたものの、語用論的研究一般につきものの恣意的な用語の使用が災いして、いずれも完全な説得力を持つ段階には達していなかったと言わざるを得ない。ヨフコバ氏は本論文で、従来のブルガリア語の多くを文法記述の先例とこのカテゴリーを対象とする主要な先行研究の様々な主張を詳細に跡付け、それらを現代ブルガリア語のl分詞のすべての用法と対照してそれぞれの有効性を検証する一方で、自らの新しい観点によるそれらの統一的解釈を提示しており、この研究の持つ学問的意義は極めて高いものと考えられる。

本論文の積極的な評価に値する成果と貢献は、次の諸点にあると考えられる。

現代ブルガリア標準語のいろいろな文体にわたるl分詞の用法を一定の理論的枠組みのなかではじめて全面的に分類記述したこと。とくに半過去分詞と未来分詞を定過去分詞と同じ記述のレベルで扱い、繋辞の有無による共通の意味特徴の定義と「主観化」の程度の違いを指摘したこと。

ブルガリア語の1分詞を用いる合成的な「現在完了」形態を、時制のカテゴリーから外し、アスペクト的意味対立の有標項とする解釈を示したこと。これは四つの完了「時制」形をその「結果性」によって他の五つの時制形から分かつG. Gerdzhikovの構造主義的解釈を補強するものである。

l分詞による様々な合成述語の形態が表わし得るモーダルな意味は、そのアスペクト的意味から派生した新しい用法とする統一的な解釈を示したこと。これにより「伝聞」は「推測」、「驚異」、「不信」などと並ぶモーダルな意味の一つであり、従来の「伝聞法」のような「直接法」に対立する「法」のレベルとは異なるものとする解釈を提出していること。

上述のモーダルな意味の共通項は「主観化」であり、「発話時における話者の意識的関与の状態」の程度によっていくつか下位区分され得るとしたこと。これもGerdzhikovの「関与度」による動詞述語形式の四分類の有効な適用発展と評価できる。

主要な先行研究のほぼすべてを網羅する個々の所説を詳しく吟味し、総合的に取捨選択して利用していること。

従来からブルガリア語への借用として言及されることの多かったトルコ語の動詞におけるこのカテゴリーの実際との比較対照を行ない、その共通点と相違点を示したこと。

部分的にではあるが、日本語における同様の意味カテゴリーの分析や研究への言及が見られること。

本論文の所説に関わる問題点としては、概念や用語の混同が見られること、l分詞そのものをevidentialと同義で用いているために誤解を招く危険性があること、同一所説の繰り返しや重複が見られること、ブルガリア語の日本語訳に拙劣な箇所が見られることなどが挙げられるが、全体として、本論文の学問的意義は極めて高く、その主要点の主張は十分な正当性と説得力を有するものと判断される。また、本論文の成果は、世界のこの分野の研究者によっていろいろな形で利用され、今後のこの分野の研究の発展に大きな寄与を示すことが期待できる。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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