学位論文要旨



No 118504
著者(漢字) 谷川,雄洋
著者(英字)
著者(カナ) タニカワ,タケヒロ
標題(和) マイクロ4端子プローブ法による表面相転移での電子輸送の研究
標題(洋)
報告番号 118504
報告番号 甲18504
学位授与日 2003.07.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4401号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 助教授 福山,寛
 東京大学 助教授 長谷川,幸雄
内容要旨 要旨を表示する

表面1原子層に局在した電子状態が存在することは比較的古くから知られている。しかし、表面電子状態の電気伝導特性についての研究はその困難性からほとんど行われてこなかった。なぜなら、結晶表面の1原子層は必ず圧倒的に大きな体積を持つ下地バルクに接しているため、電気伝導度の測定を行う場合、通常の手法ではその測定結果はバルクの伝導度に近い物になってしまう。そこで、表面1原子層を通る電気伝導度は、測定された電気伝導度の値からバルクおよび表面近傍に形成される空間電荷層による影響を差し引いた値として求められてきた。しかし、表面状態を通る電気伝導度をこのような間接的な手法で求める場合、表面状態を通る電気伝導度を見積もった結果は不正確で信頼性に欠けると言わざるを得ない。特に、バルクの電気伝導度と比較して表面状態を通る電気伝導度の値が小さいときには、その振る舞いはバルクの変化の陰に埋もれてしまい、分からなくなってしまう。そのため、生来的にナノスケールの低次元系であり、また、走査トンネル顕微鏡などの局所プローブ法による局所状態密度や原子変位の観察の容易さにもかかわらず、表面系を低次元物性、特に電子輸送物性の研究の対象とすることはほとんど無かった。

本研究では表面状態を通る電気伝導度を測定するうえで、マイクロ4端子プローブ法をさらに改良して室温近傍から30K程度までの広い温度範囲で測定可能とする装置を立ち上げた。また、表面直下に形成される反転層を利用すればさらに高感度で表面状態を通る電気伝導度を測定する手法を開発した。マイクロ4端子プローブ法の基本的な考え方は、4端子法による測定においてプローブ間隔を小さくすることにより、測定される電気伝導度の表面状態に対する感度を上げることができるということである[1]。本研究では、表面に対する感度をさらに上げるため、表面直下に形成される反転層を利用した。表面とバルクとの間に反転層が形成されている場合には、表面とバルクとの間にキャリアが枯渇した空乏領域が形成される。このため、表面に電気伝導度測定のための端子を接触させ、電気伝導度の測定を行う場合、測定に用いる電流は空乏領域よりも表面に近い領域にしか流れない(paragraph)。これによって0.1μm程度の厚さで表面を電気的に孤立させることができる。本研究ではこの手法を実証すると同時に、表面における相転移現象が表面状態を通る電気伝導度の劇的な変化として測定できることを示す。測定例として、擬1次元金属的な電子状態を持つSi(111)-4×1-In表面、および2次元金属的な表面状態を持つSi(111)-√3×√3-Ag表面について、それぞれ相転移過程での表面電気伝導度測定を行った。その結果、表面電子状態を通る伝導度が、表面相転移や過剰吸着原子の振る舞い、欠陥などと密接に相関していることが明らかとなった。

はじめに、擬1次元金属的なSi(111)-4×1-In表面の相転移過程での測定を行った。この表面はインジウム原子鎖が周期的に並んで構成されており、擬1次元金属的な表面電子状態を持つことが知られている。In原子鎖に沿った金属的な表面電子バンドがブリルアンゾーンの中心付近でフェルミ準位を横切る[2]。このため電子系のエネルギーは低温においてCDWギャプ2Δを形成することによってより安定する。実際、この表面は、相転移温度120Kで室温における4×1-In表面からから低温での8×"2"-In表面に相転移を起こすことが知られている。またこのとき角度分解光電子分光の結果から金属的な電子状態のスペクトル強度が減少することが分かっている。そのためこの相転移は、低次元系に特有のパイエルス不安定性にともなうCDW転移であると考えられている[3]。これは一種の金属絶縁体転移であるため、低温相において表面状態を通る電気伝導度σssは半導体的な電気伝導度の温度依存性を示し、σss~exp[-Δ/KBT]となることが予想される。

本研究ではまず、n型基板上にシングルドメインSi(111)-4×1-In表面を作成し反転層が形成されている状態を実現した。そこでマイクロ4端子プローブ法による表面電気伝導度の測定を400Kから90K程度の温度範囲で行い、金属・絶縁体転移を表面電気伝導度の劇的な変化としてとらえることに成功した(paragraph)。RHEEDパターンとの詳細な対応付けにより、RHEEDパターンが4×1から4ד2”に変化する温度ではなく4ד2”から8ד2”に変化する温度で表面電気伝導度の急激に減少し金属・半導体転移が起こっていることが初めて分かった。また、低温相での電子輸送特性の温度依存性から低温相における半導体的なギャップの大きさは350meV〜450meV程度であることが分かった。

一方、p型基板上で行った表面電気伝導度の測定結果は、温度の低下とともに電気電伝導度は増大のみであった。この測定結果はバルクの移動度が温度の減少とともに増大する現象を反映している。すなわち、表面とバルクとの間に空乏領域が形成されていないことにより、測定電流は主にバルクを流れてしまうことを表している。

この相転移現象をよりよく理解するため、4×1-In表面上に欠陥を導入し、RHEEDパターン、および、表面電気伝導度に及ぼす影響を調べた。その結果、RHEEDパターンは表面欠陥を導入することによって、室温においても4ד2”のパターンを形成し、STM観察と併せて4ד2”パターンが欠陥に起因するフリーデル振動によって観察されることが分かった。さらに電気伝導度の測定結果から、欠陥を導入することにより高温相において表面状態を通る電気伝導度が1/6程度に低下するばかりでなく、相転移温度が120Kから170K程度まで上昇することが分かった(paragraph)。これらの実験事実からこの表面において、電荷密度波の前駆状態としての欠陥周辺におけるフリーデル振動が、相転移誘起に大きな影響を及ぼしていることが初めて分かった。

つぎに、2次元金属的な表面状態を持つ典型的な表面だと思われてきたSi(111)-√3×√3-Ag表面について研究を行った。この表面はSTMの研究および第一原理計算から基底状態が室温でこれまでいわれてきたHoneycomb Chain Triangle(HCT)構造ではなく、この構造の鏡面対称性が崩れたInequivalent Triangle(IET)構造をとると考えられている[4]。しかし室温における構造が実際にHCT構造なのか、それとも揺らいでいるIET構造の時間平均としてSTM像でHCT構造として観察されているのかは未だに分かっていない。この二つの構造モデルは共に√3×√3構造をとっているため電子回折等の研究から相転移温度を決定することが困難である。そのため、HCT-IET相転移温度もまた不明である。一方、この表面は最近の光電子分光法の実験により表面余剰原子が金属的な表面状態の形成と深く関わっていることが分かってきた[5]。そこで本研究によって確立された表面電気伝導度測定の手法を用い、表面に余剰Ag原子が存在する場合に試料作成条件を変化させながら測定を行った。その結果、表面状態を通る電気伝導度は230K以上の温度領域で金属的な振る舞いをするが、230K以下では半導体的な振る舞いをして電気伝導度が温度の減少とともに減少することが分かった(paragraph)。本研究ではこのような電気伝導度の振る舞いを、paragraphに示すように、余剰Ag原子が2次元ガス相を形成し、表面状態バンドに対してドナーとして働き、それが冷却に伴ってクラスターに凍結・凝集されるというモデルで説明できることを示唆した。さらに130K付近の下地の相転移にともって、2次元原子ガスの活性化エネルギーの変化が起こっている様子もまた電気伝導度の変化として測定された(paragraph)。

本研究では、温度可変型マイクロ4端子プローブ法を用いて表面状態を通る電気伝導度を高感度で測定する手法を確立した。さらに、この手法を用いてここに示す2例のように表面における相転移現象をそれぞれ電気伝導度の劇的な変化として検出することに世界で初めて成功した。なお、反転層を用いて表面をバルクから電気的に孤立させる手法は、本研究で行った直流電気伝導度の測定のみならず、ホール電気伝導度、交流電気伝導度など、その他多くの表面における電荷輸送特性の測定に、簡単に応用できる。そのため、本研究は半導体表面における低次元電子輸送物性研究に対するブレークスルーとなっている。

反転層を利用することにより測定に用いる電流を表面近傍に閉じこめることができる。

n型およびp型の基板上での単一ドメインSi(111)-4×1-In表面の電気抵抗の温度依存性。p型の場合、電流はバルク中を主に流れてしまい、表面状態を通る電気伝導度の変化をとらえられない。

表面状態電気伝導度の表面欠陥の有無による違い。表面電気伝導度の値そのものが低くなるだけでなく、相転移温度も異なっている。

表面状態電気伝導度の測定結果。230K以上では金属的な振る舞いをしているが、230K以下の振る舞いはparagraphに示すドナー2次元原子ガスの凍結モデルで説明される。

ドナーとして働く2次元原子ガスの凍結・凝集モデル。(a)室温においては、余剰Ag原子は√3×√3-Ag表面テラス上を自由に移動し、表面上の3Dアイランドやステップなどをリザーバーとして熱平衡状態にある。(b)冷却されると余剰表面Ag原子はステップ端などに凝集して凍結され、表面テラス上に存在しなくなるため、表面状態キャリアが減少する。

S. Hasegawa, I. Shiraki, T. Tanikawa, C. L Petersen, T. M Hansen, P.Boggild and F.Grey, J. Phys.: Condens. Matter 14(2002)8379Condens.Matter 14 (2002) 8379T. Abukawa, M. Sasaki, F. Hisamatsu, T. Goto, T. Kinoshita, A. Kakizaki, S. Kono, Surf. Sci., 325 (1995) 34-34H. W. Yeom, S. Takeda, E. Rotenberg, I. Matsuda, K. Horikoshi, J. Schaefer, C. M. Lee, S. D. Kevan, T. Ohta, T. Nagao, and S. Hasegawa, Phys. Rev. Lett., 82 (1999) 4898N. Sato, T. Nagao, S. Hasegawa, Surf. Sci., 442 (1999) 65-73 ; H. Aizawa, M. Tsukada, N. Sato, S. Hasegawa, Surf. Sci., 429 (1999) L509-L514R. I. G. Uhrberg, H. M. Zhang, T. Balasubramanian, E. Landemerk, and H. W. Yeom, Phys. Rev. B65 (2002) 081305(R)
審査要旨 要旨を表示する

本論文で報告されている研究は、マイクロ4端子プローブ測定を用いて、金属吸着シリコン(111)面の表面電子状態に起因する電気伝導現象を明らかにしたものである。半導体表面に金属を1原子層程度吸着させ熱処理を行なうと表面に秩序構造ができ、そのなかには、表面電子状態が金属となっている場合があることが知られている。本研究で取り上げたSi(111)-4×1InおよびSi(111)-√3×√3Ag表面も、そのような系の例である。本研究は、これら表面の電気伝導を測定することにより、これまで主として光電子分光法によって調べられてきた表面金属電子状態について、新しい知見を得ようとするものである。金属が吸着した半導体表面の電気伝導は、従来、表面に金属端子を密着する方法や金属電極をあらかじめ半導体表面上に配置する方法により、基板の電気伝導も含めた測定がなされてきた。しかしながら、これらの測定では、基板のバルク電気伝導や表面近傍に形成される空間電荷層の電気伝導が主として測定され、表面電子状態の電気伝導を議論できるデータを得ることが困難であった。本研究では、数μ幅のプローブを試料表面に密着する方法を用いて、400Kと90Kの間の温度域において電気伝導測定を行なうことができる装置を開発し、上記2つの系を対象に研究を行なった。本研究では、基板にn型シリコンを用いて表面直下に反転層を形成しかつマイクロ4端子を用いることにより、バルクおよび空間電荷層に起因する電気伝導度を相対的に小さくしている。

本論文は、6章から構成されている。第1章は序論で、表面電気伝導測定に関するこれまでの研究が簡単に紹介されたのち、研究の目的が述べられている。第2章前半では、最初に基板および空間電荷層の電気伝導が詳しく述べられ、シリコン表面におけるこれまでの電気伝導測定がまとめられている。また、第2章後半では、実験に用いた電気伝導測定装置が説明されている。本研究では、新たな装置を開発し電気伝導の温度依存性を測定できるようにしたことが、4、5章で述べられる表面構造相転移に伴う電気伝導変化を議論するために不可欠であった。第3章では、補助的な測定として行なった光電子分光、走査トンネル顕微鏡、および高速反射電子回折法が述べられている。第4章では、擬一次元表面電子状態をもつSi(111)-4×1In表面での電気伝導測定の実験結果が示され、その電気伝導の起源について考察されている。基板バルクおよび空間電荷層を流れる電流を基板の不純物濃度を用いて評価することにより、n型基板を用いた場合には、200K以下の電気伝導が主として表面電子状態を流れる電流に依存していることを示した。この系では、150Kで4×1構造から4×2構造へ、120Kで4×2構造から8×2構造への転移が観測される。このうち、120Kでの転移に伴い電気伝導が指数関数的に小さくなることを明らかにした。この変化は、構造相転移に伴い表面電子状態が金属から絶縁体に転移していることを示している。実験から得られた絶縁体相の活性化エネルギーを、構造転移のモデルの一つであるパイエルス転移モデルと比較検討した結果、単純なパイエルス転移モデルとは一致しなかった。したがって、この結果はもう一つのモデルである構造相転移モデルを支持している。さらに、これまでの光電子分光による電子状態測定の結果と合わせて、相転移の起源を議論している。5章では、2次元的な表面金属状態が現れるSi(111)-√3x√3Ag表面での電気伝導測定の実験結果が示されている。この場合は、空間電荷層を流れる電流の影響が大きいが、200K以下で電気伝導度の指数関数的現象が観測され、表面状態電子密度の減少として説明した。第6章はまとめにあてられている。

審査委員会は、これらの研究において、測定装置の開発と超高真空中の実験が計画的かつ十分注意深く行なわれ、その解析及び考察が適切な手法でなされていると判断した。本研究により、表面状態を流れる電気伝導がバルクや空間電荷層を流れる電気伝導と明確に区別されて測定され、その温度依存性が測定されたことの意義は大きい。これにより、表面構造相転移に伴う表面電気伝導の変化が明らかになった。本研究は、長谷川助教授(指導教官)およびその他の研究者との共同研究となる部分を含むが、著者が研究計画から実験及び解析・考察のすべての段階で主導的な役割を果たしており、主体的寄与があったものと判断した。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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