学位論文要旨



No 118506
著者(漢字) 佐藤,徹
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,トオル
標題(和) γセクレターゼの解析
標題(洋) Characterization of γ-secretase
報告番号 118506
報告番号 甲18506
学位授与日 2003.07.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4403号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 松田,良一
 東京大学 助教授 平良,眞規
内容要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)は進行性の知能低下を呈する神経変性疾患で、その病理学的所見として老人斑と神経原線維変化がある。老人斑は主に大脳皮質に蓄積する球状の構造物であり(図1A)、神経原線維変化は海馬、海馬傍回、及び新皮質III、V層の錘体細胞内に出現する。老人斑の主な構成成分は約40残基から成るアミロイドβタンパク(Aβ)であり、神経原線維変化はタウタンパク質からなる。ABは、I型膜タンパク質であるアミロイドβタンパク前駆体(APP)がβセクレターゼにより内腔側で切断され、続いてγ(またはε)セクレターゼによって膜の真ん中で切断されることによって産生し、分泌される(図1B)。そのとき同時にAPPのC末端断片(CTFγ)が産生される。γセクレターゼはまだ同定されていないが、プレセニリン(PS)1(または2)という8回膜貫通型タンパク質が、活性に必須な成分、またはそれ自身がγセクレターゼではないかといわれている。Aβは40残基からなるAβ40と42残基からなるAβ42が存在するが、Aβ40が主に産生し、分泌される。しかし、AD患者の脳に最初に蓄積するのはAβ42である。さらに家族性ADの原因遺伝子であるAPPの一部やPS1/2の全ての変異は、Aβ42の産生を上昇させる。以上から、Aβ42の産生、蓄積がADの発症に強く関与していると考えられる。AβのC末端の長さを決定するのはγセクレターゼであり、その切断機構を解明することはプロテアーゼの解析だけではなく、AD発症の機序の解明について重要である。そこで私は、γセクレターゼ活性のみを有する無細胞系を確立し、その生化学的解析を行った。

野生型(wt)APPと野生型(wt)PS2を導入したCHO細胞から膜画分を調製し、37℃で反応した後、ウェスタンブロッティングによってAβを定量した。まず、γセクレターゼ活性の経時変化と、温度依存性について調べた。Aβ産生は、温度依存的に上昇し、37℃では10分から20分まで急激にAβ産生が上昇し、その後産生は減少した(図2A)。CTFγも同様に調べたところ、Aβと同様の結果が得られた。次に、γセクレターゼのpH依存性について調べたところ、γセクレターゼはアスパラギン酸プロテアーゼといわれているが、一般のアスパラギン酸プロテアーゼとは異なり活性範囲は中性からアルカリ性側(pH 9.0)であった。次にこの系がβセクレターゼ活性を有していないことを示すために、βセクレターゼ阻害剤を用いて検討を行った。すでに報告されているIC50の10倍の濃度をこの系に加えてもAβ産生には影響しなかった。このことから、この系はγセクレターゼ活性のみを有することが確認された。この系では、既にβセクレターゼで切断されたAPPのC末端99残基(CTFβ)がγセクレターゼの基質になっていると考えられる。

次に、γ-cleavageとε-cleavageの関係について調べた。AβはVal40またはAla42で終わっているため、CTFγはIle41またはThr43から始まっていると考えられた。しかし、実際にはVal50から始まっていることがわかり、この切断をε-cleavageと呼んでいる(図1B)。ε-cleavage部位はγ-cleavage部位の約10残基下流に位置し、膜・細胞質境界から数残基内側に存在する。この切断はγセクレターゼ阻害剤などによって阻害されることから、γ-cleavageと密接に関わっていると考えられる。しかし、10残基もの切断位置の違いから、果たしてこのε-cleavageは単独で起きているのか、それともAβ産生、特にAβ40、Aβ42産生には影響しているのかどうか分からなかった。そこでAβ42を特異的に上昇させる家族性変異を導入したAPPやPSを細胞に発現させ、Aβ42の産生とCTFγの産生の関係を解析した。

CHO細胞にwtAPPまたは変異型(mt)APP(V717F)(図1B)や、wtAPPと変異型(mt)PS2(N141I)を過剰発現させ、膜画分を調製した。そして、37℃で反応し、Aβを解析したところ、mtAPPやmtPS2では特異的にAβ42産生の上昇が観測された(図2B)。特にmtPS2では産生されるAβの主な分子種はAβ42であった。γセクレターゼのドミナントネガティブフォームといわれるPS2の変異体D366Aでは、Aβ産生が阻害されていることも無細胞系で確認された。同時に、CTFγについても解析を行った。各cell lineの膜画分を反応し、CTFγを調べたところ、ほぼ同じ移動度のCTFγが観測された(図3A)。ドミナントネガティブフォームのD366A変異体では、非常にわずかだがCTFγの産生が観測された。この細胞はγセクレターゼ活性がなく、多量のCTFβの蓄積が確認された(また、αセクレターゼによって切断されたAPPのC末端断片(CTFα)の蓄積も確認された)。これらのcell lineのCTFγにどの様な分子種があるのか質量分析を用いて解析を行った。膜画分を37℃で反応後、超遠心し、その上清である可溶性画分をAPPのC末端30残基を認識する抗体で免疫沈降を行い、MALDI-TOF MSでそれぞれの分子量を測定し、分子種の違いを調べた。その結果、wtAPPやwtPS2を過剰発現する細胞の膜画分ではVal50から始まっているCTFγ50-99が主な分子種であったのに対し、mtAPPやmtPS2では野生型に比べ1残基長いLeu49から始まるCTFγ49-99が主な分子種であった(図3B)。

これらの変異体は野生型に比べAβ42を多く産生するので、ε-cleavageはγ-cleavageによって産生されるAβの分子種と関わっていると考えられる。そこで、次にPS1の変異体(M146L, M233T, G384A)を用いて同様に実験を行った。その結果、mtAPPやmtPS2と同様にmtPS1を過剰発現する細胞の膜画分では、CTFγ49-99産生の上昇が観測された。M146L変異体は野生型に比べAβ42産生がそれほど上昇しないので、CTFγ49-99産生の程度はwtPS1にほぼ同程度であった。それに比べ、M233TとG384A変異体はAβ42産生が非常に増加するので、CTFγ49-99の顕著な増加が確認された。これらのCTFγ49-99の増加がCHO細胞特異的ではないことを示すために、HEK293細胞を用いて同様に実験を行った。wtAPPまたはmtAPP(V717F, V717G)を過剰発現したHEK293細胞から膜画分を調製し、37℃で反応させCTFγの分子種を解析した。その結果、CHO細胞と同様にmtAPPを過剰発現する細胞の膜画分からCTFγ49-99産生の上昇が確認された。このことから、Aβ42の産生とCTFγ49-99の産生が関係することが示された。

しかし、質量分析では正確な量的比較は出来ない。そこで、CTFγを精製し、アミノ酸シーケンサーを用いてCTFγのそれぞれの分子種を定量した。その結果、質量分析の結果と同様にwtAPPやwtPS2を過剰発現する細胞の膜画分由来のCTFγはCTFγ50-99が主な分子種であったが、mtAPPやmtPS2を過剰発現する細胞の膜画分ではCTFγ49-99の産生の上昇が確認された(図4A)。しかし、これらの上昇が単なるAPPやPSの変異の効果ではないことを示すためにγセクレターゼ阻害剤を用いて検討を行った。γセクレターゼ阻害剤であるDFK-167は、低濃度でAβ40の産生を抑え、逆説的にAβ42の産生を上昇させる。この阻害剤をwtAPPとwtPS2を過剰発現する細胞の膜画分に加え反応させ、CTFγを定量した。その結果、Aβ42を上昇させる濃度において、CTFγ49-99の割合が有意に上昇した(図4A)。

これらの結果から、CTFγ49-99の産生がAβ42産生と対応していることが示され、ε-cleavageとγ-cleavageは密接に関わることが示された。しかし、それらの関係は一対一ではないことが分かる(図2Bと4A)。今回の研究でIle41またはThr43から始まるCTFγは全く検出されなかった。しかし、AβはVal46までのAβ46が報告されている。このことから次のようなメカニズムが考えられる。まず、CTFβはε-cleavageによって切断され、その後γ-cleavageを受ける。このとき、ε-cleavageがVal50の前で切断された場合、Aβ40が産生される確率が上昇し、Leu49の前で切断を受けた場合、Aβ42が産生される確率が上昇する(図4B)。ε-Cleavageとγ-cleavageが同じ酵素で起こっているかどうかは不明であるが、γセクレターゼが同定されることによってその活性部位の構造が明らかとなり、これらのメカニズムが証明されていくと考えられる。

(A)老人斑。(B)APPの構造とAβのアミノ酸配列。Aβは下線で示す。アミノ酸の番号はAβに従う。括弧内の番号はAPPに従う。SP,signal peptide ; KPI,Kunitz-type protease inhibitor domain ; TM, transmembrane domain ; CTF, C-terminal fragment.

(A)Aβ及びCTFγ産生の温度依存性及び経時変化。(B)各cell lineによるAβ40とAβ42産生の割合(*,p<0.001;***,p<0.00001)。

(A)各cell lineにおけるCTFγの産生。(B)質量分析による産生されたCTFγの分子種の解析。各ピーク上の数字はそれぞれのCTFγの分子種を現す。

(A)各cell lineにおけるCTFγ50-99とCTFγ49-99産生の割合。(B)Aβ産生とCTFγ産生のモデル。アミノ酸の番号はAβに従う。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、アルツハイマー病の脳内に蓄積する老人斑の構成成分であるアミロイドβタンパク質(Aβ)の産生に関わるものである。Aβは約40残基から成り、アミロイドβタンパク質前駆体(APP)からβセクレターゼ及びγセクレターゼというプロテアーゼによって切り出される。γセクレターゼ自身はまだ同定されていないが、プレセニリンという8回膜貫通型タンパク質が、活性に必須な成分、またはそれ自身がγセクレターゼではないかといわれている。本論文では、AβのC末端を決定するγセクレターゼに注目し、γセクレターゼ活性のみを有する無細胞系の確立と、その生化学的解析を行ったものである。

第1章では、γセクレターゼ活性を有する無細胞系の確立について述べている。まず、野生型(wt)APPと野生型(wt)PS2を導入したCHO細胞から膜画分を調製し、ウェスタンブロッティングによってAβを定量する系を作出した。この系では、βセクレターゼ阻害剤を用いてAβも産生に影響しないことから、既にβセクレターゼで切断されたAPPのC末端99残基(CTFβ)がγセクレターゼの直接の基質になっていると考えられた。

第2章は、γ-cleavageとε-cleavageの関係について調べたものである。AβはVal40またはAla42で終わっているため、γセクレターゼで切断されたAPPのC末端99残基(CTFγ)はIle41またはThr43から始まっていると考えられていた。しかし、実際にはVal50から始まっていることがわかり、この切断をε-cleavageと呼んでいる。ε-cleavage部位はγ-cleavage部位の約10残基下流に位置し、膜・細胞質境界から数残基内側に存在する。この切断はγセクレターゼ阻害剤などによって阻害されることから、γ-cleavageと密接に関わっていると考えられた。本研究では、Aβ42を特異的に上昇させる家族性変異を導入したAPP(V717F)やPS2(N141I)をCHOやHEK293細胞に発現させ、Aβ42の産生とCTFγの産生の関係を免疫沈降、MALDI-TOF MS、及びアミノ酸シーケンサーによって定量解析した。その結果、正常APPやPS2を過剰発現する細胞の膜画分ではVal50から始まっているCTFγ50-99が主な分子種であったのに対し、変異APPやPS2では野生型に比べ1残基長いLeu49から始まるCTFγ49-99が主な分子種であった。

これらの結果から、CTFγ49-99の産生がAβ42産生と対応していることが示され、ε-cleavageとγ-cleavageは密接に関わることが示された。このことから次のようなメカニズムが考えられた。まず、CTFβはε-cleavageによって切断され、その後γ-cleavageを受ける。このとき、ε-cleavageがVal50の前で切断された場合、Aβ40が産生される確率が上昇し、Leu49の前で切断を受けた場合、Aβ42が産生される確率が上昇する。

以上、本論文は、アルツハイマー病に特徴的なアミロイドβタンパク質の生成機構とγセクレターゼの基質特異性の一端を明らかにしたものであり、独創的かつ重要な知見と考えられる。なお、本論文は、堂前直、斉悦、角田伸人、御園生裕明、三森理恵、Hiroko Maruyama、Edward H. Koo、Christian Haass、瀧尾擴士、森島真帆、石浦章一、井原康夫との共同研究であるが、論文著者が主体的に研究を行ったものであり、寄与が十分であると判断した。

よって、審査員一同、業績は博士(理学)の学位を授与できると認める。

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