学位論文要旨



No 118514
著者(漢字) 李,淨瓊
著者(英字) Lee,Jeong Kyong
著者(カナ) リ,ジョンキョン
標題(和) イネの細胞周期の制御機構に関する解析
標題(洋) Analysis of molecular mechanisms controlling the cell cycle in rice plants
報告番号 118514
報告番号 甲18514
学位授与日 2003.09.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2647号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 中園,幹生
 分子細胞生物学研究所 教授 内宮,博文
 分子細胞生物学研究所 助教授 梅田,正明
内容要旨 要旨を表示する

細胞の持つ最も基本的な機能の一つは、一個の細胞が全く同じ細胞を作る機能、すなわち細胞が分裂し増殖することである。増殖は細胞周期を基本としており、この細胞周期は、DNAを合成するS期、核分裂と細胞質分裂が起こるM期、S期とM期の間の分裂準備期にあたるG2期、M期とS期の間のG1期の4つのステージから構成されている。これらの各々のステージの移行はサイクリン依存性キナーゼ(cyclin-dependent kinase; CDK)と呼ばれるセリン・スレオニンキナーゼ群によって制御されている。植物は、細胞骨格の組織化や細胞質分裂の様式において動物や酵母とは異なる特徴をもつ、また、分化全能性に代表されるように植物独自の柔軟な細胞分裂と分化の制御機構を有している。したがって、細胞周期の制御機構においても分子機能がその成長制御において重要な役割を果していることが考えられる。そこで、本研究では、植物特異的なイネのBタイプCDK及びサイクリンBの機能解析を行い、それらの細胞増殖における分子機能について解析した。また転写因子E2Fにより発現制御を受ける遺伝子群について網羅的な解析を行い、細胞増殖・分化との関連性について考察した。

B2タイプCDKとサイクリンBによるM期の実現機構の解析

細胞周期のS~M期特異的に発現することが知られているCDKBは植物特有のCDKであるが、役割については全く解析が進んでいない。そこで、本研究ではイネのCDKBの一つであるCDKB2;1とそのサイクリンパートナーについて機能解析を行い、M期の実現機構との関連性について調べた。まず、CDKB2;1と複合体を形成するサイクリンを同定する目的で、イネの各種サイクリンをin vitroで転写・翻訳させ、CDKのGST融合たんぱく質を用いてpull-downアッセイを行なった。その結果、B2タイプのサイクリンであるCycB2;1とCycB2;2がCDKB2;1と結合することが明らかになった。さらに、このB2タイプのサイクリンは、AタイプのCDK(CDKA;1,CDKA;2)とは結合しないことから、これら二種類のサイクリンはCDKB2;1と特異的に結合することが示された。また、昆虫細胞を用いてCDKB2;1とサイクリンB2を発現させ、そのキナーゼ活性を調べたところ、CDKB2;1とCycB2;1(またはCycB2;2)の複合体が単量体のCDKB2;1よりも高いキナーゼ活性をもつことが明らかになった。したがって、2種類のサイクリンB2はCDKB2;1と特異的に結合しその活性を正に制御することが示された。

次にCDKB2;1およびCycB2;2のGFP融合タンパク質をタバコBY-2細胞で発現させ、M期の進行に伴なう細胞内局在の変化について詳細に解析した。CDKB2;1-GFP、CycB2;2-GFPの両遺伝子はエストロゲンによって発現誘導できるpER8ベクターにクローン化し、タバコBY-2細胞に導入した。形質転換細胞はアフィディコリンにより同調化し、アフィディコリンの除去と同時にエストロゲンを添加して、分裂指数が最も高い7~9時間後(M期に相当)にGFPの蛍光を観察した。その結果、間期(G2期)とM期前期ではCDKB2;1-GFPは細胞質と核に、また、CycB2;2-GFPは核に局在した。核膜が崩壊する前中期では細胞質全体にCDKB2;1-GFPとCycB2;2-GFPの蛍光が見られ、CycB2;2-GFPは特に染色体で強い蛍光が観察された。そして、染色体が赤道面に並ぶ中期ではCDKB2;1-GFPは紡錘体と染色体に、またCycB2;2-GFPは染色体に局在していた。後期以降にはCDKB2;1-GFPはフラグモプラストと染色体に局在していたが、CycB2;2-GFPはシグナルが観察できなかった。したがって、CycB2-GFP融合タンパク質は中期以降に急速に分解すると考えられる。以上の結果から、CDKB2;1とCycB2;2はM期中期まで染色体での局在が一致することが明らかになり、これらの複合体は植物細胞のM期への移行とその進行を制御することが示唆された。

次にCycB2;2をグルココルチコイド依存的に過剰発現する形質転換イネを作成して、サイクリンB2の発現が細胞分裂に与える影響について調べた。形質転換イネの根の伸長速度を調べた結果、デキサメタゾン(DEX)で処理した植物では野生型やDEXで処理していない形質転換体に比べて根の伸長が速いことが明らかになった。その際、皮層細胞の長さはDEX処理によりほとんど変化しなかったことから、細胞伸長には影響がないことが示された。前述のようにCycB2;2はCDKAとは結合せずCDKB2;1と特異的に複合体を形成するため、CycB2;2の過剰発現によりCDKB2;1が活性化され、その結果、根端分裂組織における細胞分裂が加速化したと考えられる。

転写因子E2Fによって制御される遺伝子群の同定とその発現解析

動物では、転写因子E2Fが細胞周期のG1/S期の移行において重要な役割を果していることが知られている。そこで、本研究では細胞分裂の活性化に伴なう遺伝子発現の変化を解析する目的で、E2Fにより制御される遺伝子群の同定をおこなった。タバコのE2F遺伝子(NtE2F)をグルココルチコイド転写誘導系を用いてイネカルスに導入し、DEX依存的にNtE2Fを発現する系統を選抜した。懸濁培養細胞を確立し、それに1μM DEXを加えて経時的に全RNAを抽出しプルーブとして8987個のイネcDNAクローンを含むアレイを使用した。その結果、約320個の遺伝子がNtE2Fの発現により2倍以上に発現が増加し、その中にはanaphase-promoting complex (APC)を調節するCDH1-Dなどの細胞周期遺伝子や、ホルモンシグナル伝達に関わるmitogen-activated proteinなどの遺伝子が含まれていることが明らかになった。

同定した遺伝子の中にNACドメインをもつ遺伝子が3種類含まれていたため、それらの遺伝子発現を個別に解析した結果、Index No. 2890のクローンがNtE2Fの発現に依存して転写産物量が増加することが明らかになった。そこで、この遺伝子についてイネの培養細胞における発現パターンを解析した結果、増殖が活発な4日から8日目にかけてその転写レベルが上昇することが明らかになった。また、細胞周期をG2/M期で停止させるコルヒチン又はG1/S期で停止させるアフィディコリンをイネ培養細胞に処理して解析した結果、この遺伝子の転写産物はG1/S期を中心に蓄積することが明らかになった。次に、この遺伝子の分裂組織における発現パターンをin situハイブリダイゼージョンにより解析した結果、細胞分裂が活発な分裂組織周辺でその発現が観察された。これらの結果から、この遺伝子の発現はG1/S期において直接または間接的にE2Fの制御を受けている可能性が示唆された。

本研究により、植物特異的なCDKB2;1とCycB2が複合体を形成し活性を持つこと、細胞周期のM期中期まで染色体での局在が一致することが明らかになり、CDKB2;1-CycB2複合体が植物細胞のM期の実現機構に関与することが示唆された。また、CycB2;2を過剰発現する形質転換イネを用いた解析からCycB2;2が根端分裂組織における細胞増殖を活性化させる要因となることが明らかになった。さらに転写因子E2Fの発現により発現量が変化する遺伝子の探索を行った結果、NACドメインをもつ遺伝子の一つがE2Fにより発現制御を受け、分裂組織などの細胞増殖が活発な組織で発現していることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

細胞が分裂し増殖することは、細胞の持つ最も基本的な機能の一つである。増殖は細胞周期を基本としており、この細胞周期は、S期、G2期、M期、G1期の4つのステージから構成されている。これら各々のステージの移行はサイクリン依存性キナーゼ(cyclin-dependent kinase; CDK)によって制御されている。植物は、細胞骨格の組織化や細胞質分裂の様式において動物や酵母とは異なる特徴をもつとともに、分化全能性に代表されるように植物独自の柔軟な細胞分裂と分化の制御機構を有している。本論文では、植物特異的なイネのBタイプCDKおよびサイクリンBの機能解析を行い、それらの細胞増殖における分子機能について解析している。また転写因子E2Fにより発現制御を受ける遺伝子群について網羅的な解析を行い、細胞増殖・分化との関連性について考察を加えている。

第1章では、B2タイプCDKとサイクリンBによるM期の実現機構の解析をおこなっている。細胞周期のS〜M期特異的に発現することが知られているCDKBは植物特有のCDKであるが、その役割については全く解析が進んでいない。本論文ではイネのCDKBの一つであるCDKB2;1とそのサイクリンパートナーについて機能解析を行い、M期の実現機構との関連性について調べた。まず、CDKB2;1と複合体を形成するサイクリンを同定する目的で、イネの各種サイクリンをin vitroで転写・翻訳させ、CDKのGST融合タンパク質を用いてpull-downアッセイを行なった。その結果、B2タイプのサイクリンであるCycB2;1とCycB2;2がCDKB2;1と結合することを明らかにした。さらに、このB2タイプのサイクリンは、AタイプのCDK(CDKA;1,CDKA;2)とは結合しないことから、これら二種類のサイクリンがCDKB2;1と特異的に結合することを示した。また、昆虫細胞を用いてCDKB2;1とサイクリンB2を発現させ、そのキナーゼ活性を調べたところ、CDKB2;1とCycB2;1(またはCycB2;2)の複合体が単量体のCDKB2;1よりも高いキナーゼ活性をもつことが明らかになった。したがって、2種類のサイクリンB2はCDKB2;1と特異的に結合しその活性を正に制御することが示された。

次にCDKB2;1およびCycB2;2のGFP融合タンパク質をタバコBY-2細胞で発現させ、M期の進行に伴う細胞内局在の変化について詳細に解析した。CDKB2;1-GFP、CycB2;2-GFPの両遺伝子はエストロゲンによって発現誘導できるpER8ベクターにクローン化し、タバコBY-2細胞に導入した。形質転換細胞はアフィディコリンにより同調化し、アフィディコリンの除去と同時にエストロゲンを添加して、分裂指数が最も高い7〜9時間後(M期に相当)にGFPの蛍光を観察した。その結果、間期(G2期)とM期前期ではCDKB2;1-GFPは細胞質と核に、また、CycB2;2-GFPは核に局在した。核膜が崩壊する前中期では細胞質全体にCDKB2;1-GFPとCycB2;2-GFPの蛍光が見られ、CycB2;2-GFPは特に染色体で強い蛍光が観察された。そして、染色体が赤道面に並ぶ中期ではCDKB2;1-GFPは紡錘体と染色体に、またCycB2;2-GFPは染色体に局在していた。後期以降にはCDKB2;1-GFPはフラグモプラストと染色体に局在していたが、CycB2;2-GFPはシグナルが観察できなかった。したがって、CycB2-GFP融合タンパク質は中期以降に急速に分解すると考えられた。以上の結果から、CDKB2;1とCycB2;2はM期中期まで染色体での局在が一致することが明らかになり、これらの複合体は植物細胞のM期への移行とその進行を制御することが示唆された。

次にCycB2;2をグルココルチコイド依存的に過剰発現する形質転換イネを作成して、サイクリンB2の発現が細胞分裂に与える影響について調べた。形質転換イネの根の伸長速度を調べた結果、デキサメタゾン(DEX)で処理した植物では野生型やDEXで処理していない形質転換体に比べて根の伸長が速いことが明らかになった。その際、皮層細胞の長さはDEX処理によりほとんど変化しなかったことから、細胞伸長には影響がないことが示された。前述のようにCycB2;2はCDKAとは結合せずCDKB2;1と特異的に複合体を形成するため、CycB2;2の過剰発現によりCDKB2;1が活性化され、その結果、根端分裂組織における細胞分裂が加速化したと考えられる。

第2章では、転写因子E2Fによって制御される遺伝子群の同定とその発現解析をおこなっている.動物では、転写因子E2Fが細胞周期のG1/S期の移行において重要な役割を果していることが知られている。そこで、本論文では細胞分裂の活性化に伴う遺伝子発現の変化を解析する目的で、E2Fにより制御される遺伝子群の同定をおこなった。タバコのE2F遺伝子(NtE2F)をグルココルチコイド転写誘導系ベクターによってイネカルスに導入し、DEX依存的にNtE2Fを発現する系統を選抜した。懸濁培養細胞を確立し、それに1μM DEXを加えて経時的に全RNAを抽出しプローブとして8987個のイネcDNAクローンを含むアレイを使用した。その結果、約320個の遺伝子がNtE2Fの発現により2倍以上に発現が増加し、その中にはanaphase-promoting complex (APC)を調節するCDH1-Dなどの細胞周期遺伝子や、ホルモンシグナル伝達に関わるmitogen-activated proteinなどの遺伝子が含まれていることが明らかになった。

同定した遺伝子の中にNACドメインをもつ遺伝子が3種類含まれていたため、それらの遺伝子発現を個別に解析した結果、一種のクローンがNtE2Fの発現に依存して転写産物量が増加することが明らかになった。そこで、この遺伝子についてイネの培養細胞における発現パターンを解析し、増殖が活発な4日から8日目にかけてその転写レベルが上昇することを明らかにした。また、細胞周期をG2/M期で停止させるコルヒチンまたはG1/S期で停止させるアフィディコリンをイネ培養細胞に処理し、この遺伝子の転写産物がG1/S期を中心に蓄積することを明らかにした。さらに、この遺伝子の分裂組織における発現パターンをin situハイブリダイゼージョンにより解析した結果、細胞分裂が活発な分裂組織周辺で発現している事がわかった。これらの結果から、この遺伝子の発現はG1/S期において直接または間接的にE2Fの制御を受けている可能性を示唆した。

以上本論文は、植物特異的なCDKB2;1とCycB2が複合体を形成し活性を持つこと、細胞周期のM期中期まで染色体での局在が一致することを明らかとし、CDKB2;1-CycB2複合体が植物細胞のM期の実現機構に関与することを示唆した。また、CycB2;2を過剰発現する形質転換イネを用いた解析からCycB2;2が根端分裂組織における細胞増殖を活性化させる要因となることを明らかにした。さらに転写因子E2Fの発現により発現量が変化する遺伝子の探索を行った結果、NACドメインをもつ遺伝子の一つがE2Fにより発現制御を受け、分裂組織などの細胞増殖が活発な組織で発現していることを明らかにした。これらの知見はイネの細胞増殖機構の解明に新たな視点を与え、将来の農業生産の効率化に寄与するものである。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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