学位論文要旨



No 118522
著者(漢字) 飯島,淳子
著者(英字)
著者(カナ) イイジマ,ジュンコ
標題(和) フランスにおける地方自治の法理論
標題(洋)
報告番号 118522
報告番号 甲18522
学位授与日 2003.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第173号
研究科 法学政治学研究科
専攻 公法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小早川,光郎
 東京大学 教授 高橋,和之
 東京大学 教授 碓井,光明
 東京大学 教授 伊藤,洋一
 東京大学 助教授 斎藤,誠
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、わが国の行政法学の基本をなす行政の内部関係・外部関係の原理に対する問題意識を根本にもちながら、内部関係と外部関係の区別を知らないフランス法が、国-地方公共団体-住民関係について、いかなる法理論をくみたてているのかを探究することを目的とするものである。そのために、フランスにおける1980年代の地方分権改革を直接の対象として取りあげ、住民によるコントロールを視野に入れながら、国地方間調整法という議論の枠組みを設定し、行政作用法令によるコントロール、地方予算法令によるコントロールおよび契約によるコントロールという三つの分野について、実体法的側面と手続法的側面をつうじて検討を行った。

従前の制度においては、国の行政機関が、法律と地方公共団体との間に入り、法律適用のための一般的規範定立権限を独占し、さらに技術的後見監督というかたちで立法権限を行使し、これらの実体的規律を、合目的性の機能をももつ行政的後見監督によって確保していた。これに対して、1980年代改革は、第一段階としてまず、地方行政の国の行政からの切りはなしを行った。実体法的側面については、国の行政機関の立法的関与が排除され、また、地方機関が地域の特性に適した一般的規範を定めうるようになった。手続法的側面については、事前の後見監督が廃止され、地方機関は、みずから法律を解釈・適用して執行的決定を行い、また、自らの意思にもとづいて契約を履行し、国の契約不履行・不遵守に対して裁判官に取消を求めることとなった。

国の行政から切りはなされた結果、地方行政は直接法律に従属することになり、第二段階として、国の法律に対して地方行政を守る必要性が認識されるようになった。実体法的側面については、地方公共団体の自由な行政を過度に制約する法律が憲法院によって違憲とされ、また、国地方関係の契約化は、国の法令の規律に対する脱規律化現象の一つとして把握される。手続法的側面については、コンセイユ・デタ判例によって、法律適合性の確保にかぎられない行政的解決が原則的地位を占めるものとされた。すなわち、適法性コントロールにおいては、行政裁判所への付託が知事の権能とされ、行政的解決が制度化された。予算コントロールにおいては、コンセイユ・デタより州会計院の機能が重視され、適法性よりむしろ均衡・真正の法理が通用している。契約関係においても、裁判官により確保されるのは、法律適合性ではなく、契約つまり行政主体間の合意への適合性である。これらはすべて、国の法律による画一化への対抗の動きとして集約することができる。

このような行政的なルールの形成に伴って、それに対する均衡力として、住民による法律適合性の確保が不可欠となる。適法性コントロールにおいては、私人による越権訴訟の提起が行政的解決の対として位置づけられ、予算コントロールにおいては、行政レベルでしかるべき動きがない場合に、私人が適法性の面からコントロールを補完し、契約関係においては、私人のみが行政主体間の合意の法律適合性を確保する。住民によるコントロールはまた、一個の権力となった地方行政に対する抑止力としての働きをもする。1980年代改革は、伝統的な越権訴訟に加えて、行政的コントロールの手段をもうけ、さらに、地方公共団体に対する直接参加の諸制度をととのえている。

以上のような改革の法理論的意義から、国地方間調整法の一般理論として、ひとつには、裁判原理による地方自治の保障をひきだすことができる。ここでは、一方当事者たる国の行政機関ではなく、裁判所機関が、国と地方公共団体との解釈の相違を法的に解決することによって、地方公共団体の自主性が守られる。とりわけ、予算コントロールは、二重の裁判化、すなわち、独立の機関たる州会計院をコントロールの主体とし、さらに、この州会計院を行政裁判所のコントロールの下におくという仕組みをとっている。これは、裁判所が、両当事者の間に入り、一方当事者による意思のおしつけを排除して、第三者としての立場で紛争を解決するという、普遍的な理念にもとづくものである。

しかしながら、コンセイユ・デタの判例理論をふまえるならば、フランスにおける現在の国地方間調整法としては、裁判的解決よりむしろ行政的解決が原則であるとみるのが適当である。ここでは、地方公共団体が国レベルの視点をあわせもちつつ自ら決定するという仕組みがとられている。コンセイユ・デタは、地域利益と国全体の利益の双方を同時に充足する必要から、地方公共団体と国のいずれが法律にもとづいて正しいかを判断する裁判的解決よりむしろ、対話をとおして両者の合致点をみいだす行政的解決を優先させていると考えられる。

この行政的解決は、従前の行政的解決とは本質的に異なるものである。従前は、国の法制度上の優位が背景にあったが、現在は、地方公共団体が自己決定権を有することが制度の基本をなしている。もはや国が一方的に介入することはできない。これとともに、現在の制度が、私人の越権訴訟を行政的解決に対する歯止めとして自覚的に位置づけていることも重要である。

そして、もっとも根本的なことは、現在の行政的解決が、分権改革以後、地方公共団体が、自らの政策を有し実現するようになったことと結びついている点である。地方公共団体は、一般的規範定立権限を用いてよりグローバルに行動をくみたて、予算において政策目的とその優先順位を示し、また、行政方針を反映させた契約を締結する。かような地方公共団体の政策を手続的に確保するためにこそ、行政的解決が要請されるのである。法律の課す義務を履行させる裁判的解決は、ここには適さない。地方公共団体と国の行政機関との対話は、法律の画一的解釈にとどまらない政治的判断を可能にするものである。地方公共団体は、自己の政策にもとづいて、法律を適用ないし解釈し、国の行政機関との行政的・政治的な交渉をおこなって、自律的に行政を展開していくことになる。

このような行政的解決の原則は、憲法上の基盤を得ている。憲法院は、「具体的評価」をキーワードとして、地方公共団体の自由行政の原則を構成している。地方公共団体は、それぞれの状況のなかで特定の要求を充足するために行動する。憲法院は、地方公共団体の権限行使のあり方に着目し、これを規範化して、法律による地方機関への権限配分を授権し、さらに国の法律および国の行政を規律している。地方公共団体は各地域の要求に即して行動を決定するのであるから、立法者は、一律・機械的に規制を課してはならない。また、実体的義務の履行確保のしかたも、一律・機械的であってはならない。つまり、憲法院の論理からも、裁判所による平等・画一的な解決よりむしろ、行政による個別具体的な解決を原則とすべきことになる。

地方公共団体が具体的な評価を行うものであるということは、従来から行政法理論においても認識されていたが、そこでは地方公共団体の権限の画定という観点から論じられていたのに対し、憲法院は、これを、地方行政を規定し、国の関与をも規律する規範として構成している。そして、この憲法上の規範が実体法的側面においても地方公共団体の自律的な行動の領域を確保するがゆえに、必然的に、地方公共団体は自らの政策をもつことを求められる。地方公共団体は、もはや法律を補完して点的に政治的判断を行うのみでなく、自己の行政方針にのっとって一貫した行動をとらなければならない。この点において、憲法理論は伝統的な行政法理論から質的な跳躍を遂げており、そして、改革以後の地方自治理論は、この憲法理論にもとづいて理解されることになる。

フランス法は、伝統的に、越権訴訟というひとつの道具をもって、国-地方公共団体-住民関係を処理してきた。1980年代改革は、一面では、新たな形で国地方関係の裁判化をさらに進めたものであったとみることもできる。しかしながら、コンセイユ・デタの判例理論によると、裁判原理の奥深くでもうひとつの原理、すなわち行政的解決の原則が働いていることが分かる。裁判的解決が国の法律と結びついているのに対し、これは地方公共団体の政策と結びついているものである。そして、この行政的解決は、住民によるコントロールと一体となってはじめて成り立っているものである。フランス法は、国-地方公共団体-住民関係を見据えながら、国の行政のみならず国の法律からの自由をも射程に入れた真の地方自治理論を切り拓こうとしているとみることができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、地方公共団体が国の統治構造においてどのような地位を占めるのか、そして、我が国において、両者の関係を規定するとされる行政の内部関係・外部関係区別の原理を問い直す必要があるのではないか、という問題意識のもとに、フランスの1980年代地方分権改革の制度と理論、および改革後の展開を分析するものであり、「序章」、「第一章 行政作用法令によるコントロール」、「第二章 地方予算法令によるコントロール」、「第三章 契約によるコントロール」、「第四章 フランスにおける地方自治の法理論」、という構成で組み立てられている。

序章の「一、問題提起」では、近時我が国の地方分権改革における、国の関与に関する訴えや国の裁定的関与をめぐる議論を概観し、そこに、国・地方公共団体の関係を行政の内部関係と構成し、外部関係としての私人との関係と区分する従来の考え方への疑問が提示されているとする。そして、国-地方公共団体-私人の関係のトータルな把握、すなわち、国の地方公共団体に対する関与を行政組織法問題としてのみ捉えるのではなく、それを住民による地方公共団体の統制とともに地方公共団体の行政過程のなかに位置づける可能性を探るべく、国地方間調整法という分析枠組みを提示し、地方自治制度について内部関係・外部関係の区別によらないフランス法、具体的には、その1980年代地方分権改革における国家関与法制及びその後の判例・学説の展開を、考察の対象に据える。

「二.フランス地方自治法の基礎」では、議論の前提として、現行地方制度の枠組み、行政法における分権理論、及び憲法における地方自治、について簡潔に整理する。本論文の問題意識からは、特に、行政法の地方分権理論においては地域事務の要素が根幹に据えられていること、住民の地方公共団体に対するコントロール手法として、越権訴訟(行政訴訟)に加えて、近時、住民投票その他の住民参加手続が整備されつつあること、また、憲法における地方自治の保障形態に関しては、憲法院判例の展開と80年代地方分権改革によって、地方公共団体の自由行政の原則が、存在する自由から行動する自由へ、法律による保障から法律に対する保障へ、と変遷していることに注目すべきであるとする。

本論文の中心たる第一章から第三章は、国地方間調整法の実相を、立法過程資料・学術文献・裁判判決を用いて詳細に検討する。

まず「第一章 行政作用法令によるコントロール」では、実体法的側面と手続法的側面の両面に分けて、改革による制度の変化と学説・判例の展開を分析する。実体法的側面では、従前の制度においては、国の行政機関が、法律実施のための一般的規範の定立や、技術的後見監督の権限によって、法律と地方公共団体の間に入っていたところ、82年改革の3月2日法律および7月22日法律が、これらの介入を制限した。加えて、分権改革後に、憲法院の判例が自由行政の内容として地方公共団体の規範定立権限を認めた。著者は、これらによって、地方行政が、国の行政から切り離されることになったと位置づける。

改革の第一段階としてのこの分離によって、地方行政が直接法律に従属することになった結果、次いで、第二段階として、国の法律に対して地方行政を守る必要性が認識されることとなった。ここでは、憲法院の諸判例において、自由行政の原則を根拠として、立法者が個々の地方公共団体の異なる状況を無視し一律の規律を課することを違憲と判断していることが、大きな意義を有すると評価する。

手続法的側面では、地方公共団体の行為に対する国の認可等の後見監督制度を廃止し、知事の行政裁判所への付託というコントロールを導入した82年3月2日法律の立法過程を詳密に検討する。地方公共団体の行為が完全に執行力あるものとなることに重点を置くのが政府の立場であったのに対し、審議過程を通じて、知事への送付が執行の要件とされるとともに特別の執行停止手続がもうけられ、また、裁判所への付託にあわせて知事の提訴意図の通知制度が導入されたことにより、裁判コントロールに加えて、国地方間の対話による新たな行政的問題解決の可能性が開かれたとする。

そして、改革後において、コンセイユ・デタの判例は、一方で、知事による行政裁判所への付託を、性質上は越権訴訟であるとしたうえで、それを知事の義務ではなく権能と位置づけて、知事が地方公共団体に行為の撤回を求めて働きかける余地を認めることにより、国地方間調整法における行政的解決への傾斜を強めた。しかし他方で、コンセイユ・デタが憲法院とともに、私人が地方公共団体の行為に対して直接提起する越権訴訟に重要な意味を認め、地方公共団体のコントロールについての私人の役割を重視していることが、複雑なシステムを正確に運営するための行政的解決・調整と対になっていることを指摘する。

90年代に入ると、判例は、知事が地方公共団体のすべての行為に対して越権訴訟を提起することを認めることによって、裁判コントロールを強化したが、知事と地方公共団体との間での対話・交渉による行政的解決を積極的に評価する点では一貫しているとする。

「第二章 地方予算法令によるコントロール」も、実体法的側面と手続法的側面を区分して改革立法及びその後の判例・学説の展開を分析するという構成による。実体法的側面については、82年3月2日法律は制度の骨格を変えるものではなく、国の法令による制約は依然として強いままであるとしつつ、地方予算制度を概観し、次いで、予算編成上の制約としての、実質的均衡原則と義務的支出につき論ずる。同法律が実質的均衡の原則について初めて定義し、義務的支出についても従来の判例による概念の拡張を受け入れる定義規定を置いたことにっき、立法過程を検証して、従来の規律をゆるめる意図はなく、それが追認されたとする。

判例・学説の展開に関しては、まず、義務的支出を規定する法律の合憲性について結論を異にした憲法院判例を分析し、いずれもが、支出による財政の圧迫という量的基準ではなく、当該支出を要する事務に関する地方公共団体の決定権を奪うものかどうかという判断によるものとして理解する。収入に関する制約に関しても憲法院の諸判決は自由行政の原則から立法者に関する一定の制約を示唆しているが、そこでは制約が金額的に限定的かどうかが決め手になっている。支出に関する制約における判断枠組みとの違いは、控除の程度が限定的であれば残りの分について自由な使用が可能な点にあるが、共に、憲法院が財政的側面から地方公共団体の最低限の自己決定権を守ろうとしているものとする。

手続法的側面については、まず、知事による予算議決に関する事前認可と職権による予算調製という従来の財務的後見監督に対して、新たな予算コントロール主体としての州会計院の創設に集約される大きな変更を加えた82年3月2日法律に関し、その立法過程を跡づけることによって、以下のような知見を提示する。すなわち、立案の過程では、元老院は、事前の予算コントロールの廃止を主張しながらなお知事の役割を重視して州会計院の役割を削減しようとし、国民議会は、職権調整手続の存続を主張しながらも、知事の裁量的判断を縛って州会計院の判断を中心に据えようとした。元老院が、州会計院の裁判的後見監督を危倶して、地方公共団体との対話を通じた知事の行政的コントロールを重視したのに対して、国民議会は、地方自治の強化の観点から、独立かつ非政治的な機関である州会計院の役割重視を優先させたのである。採択された制度は、国民議会の主張にそって、州会計院を主たる担い手とし知事を補助者にとどめるものであり、立案者としての政府の意図にそうものでもあった。

次いで、判例・学説の展開につき、予算コントロールの、1)行政裁判所の行う適法性審査との関係、および、2)その法的性質、という視点で検討する。1)に対しては、判例は、州会計院と知事による予算コントロールが行われる可能性がある限り、その間は行政裁判所は第三者の出訴にもとづいて介入することができないという立場をとっているが、判例理論の根底には、財政において重要なのは、適法性原理よりも、特別の財政原理としての予算の均衡および真正の概念であり、その実現には州会計院と地方公共団体との対話による解決が重要であるという、立法者と共通の認識があるとする。2)に対しては、判例が、州会計院の行為をコンセイユ・デタの審査に服するものとしており、州会計院との関係でも地方公共団体を保護しようとしているとし、それは改革後の立法動向とも軌を一にするものと位置づける。

以上の検討から、地方予算コントロールシステムの総体について、以下のように総括する。国と地方公共団体の間に州会計院を組み込んで国地方間の距離を保障し、さらに州会計院と地方公共団体の間に行政裁判所を組み込んで、いわば二重の裁判化により地方公共団体の自主性を強化するものである。そこでは、私人も州会計院への付託や行政裁判所への訴訟によってコントロールを発動させることができ、そのことも、コントロールシステムのなかで重要な機能を担う。

「第三章 契約によるコントロール」では、計画化の改革に関する1982年7月29日法律で定められた国・州間の計画契約制度を軸として、一方的コントロールとは相異なる国地方間契約によるコントロールを検討対象とする。

まず、計画契約の先駆けとなった諸制度を概観し、70年代の諸制度は、受益措置をインセンティブに市町村の再編を促進することに重点がおかれていたもので、契約の特性を活かそうとする意図は希薄であり、判例によって契約の性質が明らかにされることもなかった、とする。82年7月29日法律によって州が独自に州計画を作成・実施できることとなり、そこで全国計画との調整の必要性が生まれたが、同法は州の自立性を保持しつつ、国の計画に組み込むため、計画契約という手法を定めた。立案過程を分析して、著者は、契約当事者対等の原則を明らかにして計画契約を法的サンクションが付された真の契約とするのが政府の意図であり、審議過程においてもそれは異論なく認められ、計画契約は特別な行政契約として性格づけられたと論ずる。

判例・学説の展開に関しては、ここでも、実体法的側面と手続法的側面を分析する。実体法的側面としての、国地方間契約の概念については、経済公法上の制度あるいは公法人間契約として把握する従来の学説についてその限界を指摘し、法規範としての位置づけの問題とあわせ、伝統的な行政契約との対比および一方的行為によるコントロールとの対比において、その論を進める。国地方間契約は、伝統的行政契約とは異なり、二つの公的管理の遭遇であって、一般利益を理由とする一方当事者の優位が当然には妥当せず、他方で、一方的行為によるコントロールの場合と違ってそこでの実体的規律内容をコントロールする制度的な仕組みないし枠組みが存在せず、問題は当事者間の調整にゆだねられる、との認識を提示する。

手続法的側面としての、契約履行確保のあり方については、まず、私人と行政の間の伝統的行政契約において行政側に認められている、一方的契約変更・解除等の特権が、国地方間契約においては妥当しないことを確認する。国地方間契約に関する契約訴訟の裁判官に契約違反行為の取消権限を認める判例を分析して、契約当事者双方が一般利益のために相手方の義務履行を確保すべき手続的な責任を負い、裁判所が地方公共団体の側の解釈権を保障する役割を果たすこと、そして、国地方間契約の適法性を確保するために、私人が契約にかかる諸決定・諸行為に対して越権訴訟を提起することもできるという、別の局面の裁判利用についても指摘する。

このようにフランス法において、国地方間契約上の義務の履行確保の手続的責任が契約による実体的権利義務と次元を異にして存在していることは、補助金交付について、給付・反対給付の双務的関係に加えて国の履行監督を認める我が国の制度、理論との対比において、問題提起を含むものであるとする。

「第四章 フランスにおける地方自治の法理論」では、以上の、地方行政の国の行政からの切り離し、国の法律からの地方行政の保護、そして、これらとの関連での住民による地方行政のコントロールという、80年代改革の法理論的意義の検討から、国地方間調整法の一般理論を以下のように敷衍する。

まず、裁判原理による地方自治の保障である。裁判機関が国と地方公共団体との解釈の相違を法的に解決することにより、地方公共団体の自主性が守られる。とりわけ、二重の裁判化のもとにある予算コントールに、それは顕著である。しかし、コンセイユ・デタの判例理論をふまえると、フランスにおける現在の国地方間調整法としては、両者いずれが法律にもとづいて正しいかを判断する裁判的解決よりもむしろ、対話を通じて両者の合致点を見出す行政的解決に重きがおかれている。この行政的解決は、国からの一方的な介入ではなく、地方公共団体が自己決定権を有することが制度の基本をなしている点で、従前のものとは本質的に異なる。そして、私人による越権訴訟が行政的解決に対する歯止めとして自覚的に位置づけられている。最も根本的なことは、現在の行政的解決が、分権改革以降、地方公共団体が自らの政策を有し実現しうる地位を与えられたことと結びついている点である。

最後に、コンセイユ・デタのこのような判例理論が、憲法上の基盤を得ていることを、自由行政の原則に関する憲法院判例の検討を通じて以下のように論証し、論が結ばれる。

憲法院は、その諸判例において、地方公共団体による地域の状況の「具体的評価」という側面から自由行政の原則を考えている。そこから、法律による地方機関への一定の権限配分が許容される。それはまた、国の法律と行政を規律するものである。立法者は一律・機械的に規制を課してはならない。さらに、国のコントロールの手続法的側面についても同様であり、したがって憲法院の論理からも、一律・機械的ではない個別具体的な解決が原則となる。地方公共団体は、この憲法上の規範により確保された自律的な行動の領域において、自己の行政方針にのっとって一貫した行動をとらねばならない。改革以降の地方自治理論は、この憲法理論に基づいて理解されることになる。

以上が本論文の要旨である。以下、評価を述べる。

まず、第一に、本論文は、フランスにおける80年代地方分権改革の全体像を、立法過程資料、判例、及び学説を丹念に渉猟したうえで、国地方関係調整法という枠組みのもとに掌握し描出することに成功している。行政作用法令による国の規制・関与、地方予算法令によるコントロールシステム、及び契約による国地方間の調整という個々の仕組みの精緻な分析により、理論枠組みの妥当性がうらづけられ、国地方関係における住民の位置をも包摂した、同改革の全円的な理解を獲得している。日本において同改革をあつかった従来の研究は切片的なものに止まっていたのに対し、格段に歩を進めたものであり、今後この研究分野において必ず参照される文献となるものである。なお、叙述のスタイルは極めて平明であり、複合的な改革の諸相をわかりやすく提示していることも特記に価する。

第二に、現在のフランスの地方自治の法理論を分析するにあたり、コンセイユ・デタの判例を中心とする行政法の素材のみならず、地方公共団体の自由行政の原則を扱った憲法院の判例にも綿密な検討を加え、地方自治の憲法原理と行政法原理の連関を、改革後における地方公共団体の政策形成の位置づけを含め、整合性をもって提示している。このことは、我が国の地方自治法理論研究にも大きな刺激を与えるものである。

第三に、このように堅実な行論は、日本の行政法において一つの基調をなす行政の外部・内部関係の区別とそれに基づく国地方の法関係理解に対する批判的問題関心に、一貫して貫かれており、検討により提示された新たな行政的問題解決手法の位置づけと住民によるコントロールの意味づけと相まって、本論文は、日本における今後の行政法基礎理論の展開にとっても示唆するところが大きい。

もっとも、本論文にも問題点がないわけではない。

第一に、80年代改革とその後の法理論の展開に検討対象が限定されており、地方自治に関するそれまでの法思想、とりわけ憲法思想史との対話に十分に意が払われていない点である。そうした角度からの論及により、本論文における地方公共団体の自由行政の原則の分析に、より厚みが増したのではないかと考えられる。

第二に、日本法に対する問題意識は先に述べたように明確であるものの、本論文では、日本との対比における具体的分析は、国地方間契約の関連で一部言及する以外はなされていない。日本における地方自治の本旨論とフランス憲法院の自治保障論との比較など、今後の課題となろう。

しかし、以上のような問題点も本論文の価値を大きく損なうものではなく、本論文は、全体としてフランス地方自治の法理論についての我が国における研究水準の向上に大きく貢献するものであると評価することができる。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと認められる。

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