学位論文要旨



No 118523
著者(漢字) 二藤,京
著者(英字)
著者(カナ) ニトウ,ミヤコ
標題(和) 『日本書紀纂疏』の<日本書紀>
標題(洋)
報告番号 118523
報告番号 甲18523
学位授与日 2003.09.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第448号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 義江,彰夫
 東京大学 教授 松岡,心平
 東京大学 講師 徳盛,誠
 東京女子大学 名誉教授 大隅,和雄
内容要旨 要旨を表示する

『日本書紀』の注釈書なる一条兼良『日本書紀纂疏』(以下『纂疏』と略称)は、それと異なる世界観をもって『日本書紀』を再解釈した。その結果、物語が元来のものから遠く離れてしまった。仏教と儒教の典籍を引用し、仏教の注釈書のスタイルにならい、三国的世界観をもって『日本書紀』を説明しようとする『纂疏』にとって、その世界観のもとで『日本書紀』を再解釈することには、何の意味があるか、について、『纂疏』の周辺を見ると、仏典の中に示されたような、風輪から水輪、水輪から金輪、その上に地上世界が同時にあらわれるという世界像を敷衍した上での、天竺・震旦・本朝が同時発生の世界だという三国的世界観が中世の書物に反映されているということがわかる。そして、「震旦ひろしといへども五天にならぶれば一辺の小国なり」とする『正統記』も、「吾朝粟散辺地ナリト云ドモ、同時所成ノ世界ナルベシ」とする『塵荊抄』も、『纂疏』のいう「天竺支那日本等、皆南洲区也」というのと共通し、日本を天竺・震旦と「同世界」とするのであった。

『古事記』と『日本書紀』は、それぞれ、ムスヒのコスモロジーと中国的な陰陽論の世界観をもって、律令制度下の現実世界を神代につながるものとして正統性を確証していた。それは、隋・唐という帝国と対等的な立場に立とうとする古代日本のみずからの世界に対する確認であった。古代帝国が滅びるにつれて、そのような世界観も価値を失う。そこで、それに取って代わる、より普遍的な世界観が世に浸透するようになった。

『纂疏』の問題にもどると、『日本書紀』を再解釈することは、現実世界が何であるかを確認するというところに意味をもつ。兼良は、新しい世界観をもって『日本書紀』を解釈しなおす、ということは勿論、その中の物語を再構成する作業もともなった。

そういう意味では、『纂疏』には、そうした中世における神話のあり方が集約されていると言えよう。『日本書紀』の注解のかたちで、日本を三国的世界に位置づけるとともに、そこに、みずからの根拠を求める。それによって、『日本書紀』は体系的に再解釈され、儒(道)・仏・神三教一致においてあるものとしてとらえなおされた。

こうして見れば、『纂疏』における『日本書紀』再解釈の研究は、神話テキストの再生という問題の解決の一環として必要不可欠である。以上のような問題に向かって、『纂疏』を解読してゆきたい。具体的には、第一章「世界のはじまりの物語」・第二章「世界像の再構築」・第三章「現実世界の確証」・第四章「「三種神器」説の体系化」・第五章「「系譜」の保証」という五つの章を立てて考察したい。

第一章では、『纂疏』が描いた「三才開始」と「七代化生」という、はじまりの物語はどんなものなのかを見、それが、元来の『日本書紀』と異なるものであったことを示す。この中で、『日本書紀』の「一書」に対する『纂疏』の把握を取り上げる。『纂疏』は、「一書」を「本書」物語の一部としてとらえなおす。そうすることによって、「本書」と「一書」が一つの物語であるかのように読まれることになる。それが『日本書紀』の構成的変換だ、ということを明らかにする。

第二章では、『纂疏』の創世後の世界像を見る。

『纂疏』は、仏教にいう「三世六趣」の世界が『日本書紀』にもあるとして、『日本書紀』の世界像を天・地上・地下としてとらえる。

天は「高天原」、地上は「大八洲国」、地下の地獄世界は「根国」(黄泉)である。

「高天原」には天神がいる。その中のアメノミナカヌシは仏教にいう大梵天、儒教にいう北極と同じであり、イザナキ・イザナミに国づくりを命じる。その符信として天之瓊矛を授ける。つまり、天の世界「高天原」は、地上世界を統御しているということである。

地上世界「大八洲国」は八卦の国である。そこに生まれる山川草木、日神・月神とヒルコ・スサノオも「八卦」の枠組にある。

地下世界は「根国」である。それは仏教がいう地獄、もしくは儒教がいう黄泉と同じである。この世界には餓鬼がいる。また、泉守道者が来者を裁く。

地上に生まれた日月は善の徳をもつ神だから天の世界に上り、ヒルコとスサノオは悪の徳をもつ神であることから地下に堕ちる。これが「三世六趣」の説くところだという。

要するに、『纂疏』の示しだした三層の世界は、地上世界「大八洲国」とそれを超越する天の世界「高天原」、そして、地下の世界「根国」によって構成される。それが元来の『日本書紀』世界像に対する再構築だ、ということを明らかにする。

第三章では、『纂疏』が、どのように、以上の世界像のもとで自分たちの現実世界を認識するのかを明らかにする。「日本」という現実世界がアマテラスの国だ、という言説が、当時流布している。その言説を立証しようとして、『纂疏』は、「日本」という国号を、「天無二日」という説を用いて、太陽の実在性と絶対性から論じ、「日本」を日神誕生の国とし、その「日」が君主的象徴だという三つの面において再定義した。そして、アマテラスの誕生物語を、「大八洲之主」の誕生物語としてとらえなおす。その際、仏教の説をもって、「法身神」という新たなアマテラス像をつくりあげた。

第四章と第五章で明らかにしたいのは、『纂疏』が、いかにして、現実世界の天皇がアマテラスの末裔だ、ということを証し、天皇の正統性を確認したのか、ということである。ここでは、『纂疏』が、当時、常識だと見なされていた王権のしるしとしての「三種神器」とアマテラスを源流とする帝王の「系譜」をもって、正統性を立証しようとしたことを明らかにする。

第四章において、「三種神器」について論述する。第九段の「本書」におけるニニギの名の「火・瓊・杵」を「明・美・堅」という三つの「性徳」とし、それを「神器」の「本質」ととらえる。これをもって、「本書」の中に記されてさえいなかった「神器」を読み出した。その上で、第一の「一書」にある三種の宝物を「神器」と見なし、そこから、三つの「性徳」を儒教にいう仁・智・勇の「三徳」と仏教にいう真如徳・般若徳・解脱徳の「三身」に対応させるかたちで、「神器」説を体系化した。そして、第二の「一書」にある神勅を「神器」伝授時の「神勅」として、そこから「三器」に定位し、第六、七、八段を「三器」の起源として、その「神器」説の体系を支える。

第五章で、帝王の「系譜」について論述する。中世において、「天七・地五」が「人皇」につながるという、いわば、帝王の「系譜」の存在が一般的に認められていた。『纂疏』は、その根拠づけとして、まず、「地神」を、仏教にいう「地居天」という概念をもって定義し、アマテラス=地神第一代であることを再確認した。そして、第九段の註解をつうじて、アマテラスが「中国之主」、タカミムスヒがニニギの外祖だととらえなおし、アマテラスからニニギにまでの「正嫡系譜」を書き出した。さらに、第十段におけるヒコホホデミの海宮入りの叙述を仏典にいう世尊の龍宮訪問に関する叙述と同じだとして、『日本書紀』におけるヒコホホデミと海神との関係を仏と畜生類との関係に重ねる。そうすることによって、ニニギからフキアヘズにいたるまでの物語が、「地神五代」という中世的な枠組みの中に定着した。

以上のような考察をつうじて、一条兼良『日本書紀纂疏』は、『日本書紀』を体系的に解釈しなおした、ということがうかがえよう。そのように注釈された『日本書紀』は、もはや、元来の『日本書紀』ではなく、〈日本書紀〉(以下、変換されたテキストを〈〉で標示する)となってしまったのである。それを、『日本書紀』の再神話化、または、テキスト再生の全プロセス中の一段階と見届ける。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「『日本書紀纂疏』の〈日本書紀〉」は、一条兼良の『日本書紀纂疏』(以下『纂疏』とする)が、どのように『日本書紀』を成り立たせたかということを追究したものである。『纂疏』は、『日本書紀』の注釈として扱われるのが普通であるが、現在あまり高い評価は与えられてはいない。中世的な解釈であって見るべきところがないとするのが一般的である。しかし、中世の理解を集約的かつ体系的に示すものとして、古典として生き続けてきた『日本書紀』の歴史のなかに、『纂疏』の位置づけがもとめられる。現在にいたるまで『日本書紀』は不変であり続けてきたわけではなく、その時代時代に意味を更新してあったものとして見るべきである。そうした見地から、中世において『日本書紀』がいかにあったかということを、『纂疏』においてとらえねばならない。本論文は、この課題をひき受けたものであり、「『日本書紀纂疏』の〈日本書紀〉」という題目に、主題は端的にあらわされている。

『纂疏』の著者、一条兼良(一四〇二〜一四八一)は、室町時代に、五百年来の学者と評され、故実・歌学・古典学等多方面にその才を発揮した。『纂疏』は、康正年間(一四五五〜一四五七)に宮中でおこなわれた講義に際して成された、兼良の壮年期の著作と認められる。その機軸は、「三教一致」、つまり、儒教・仏教・神道はもとより一つのものだとする立場から、中国の典籍・仏典と一つにして『日本書紀』神代巻を解釈することにある。仏典の注釈にならった体裁でなされ、神代巻の一言一句に解釈を施した劃期的な著作であり、後代に与えた影響もきわめて大きいものがある。

しかし、その中世的時代性のゆえに顧みられることが少なく、思想大系のようなシリーズにも収められることがないままにきた。これに対して、本論文は、『纂疏』を現在のわたしたちの見方で裁断して切り捨てるのではなく、中世における『日本書紀』のありようをとらえるために不可避のものとして、テキスト全体を読み解くことを試みたのである。思想史や国文学においていままでなされてこなかった作業であり、未開の領域ともいえるところに、果敢に挑戦したことは高く評価されてよい。そして、本論文によって、『纂疏』は、元来の『日本書紀』を変換し、新たな〈日本書紀〉を成り立たせたものであるという認識が明確にされたことは、古典としての『日本書紀』把握にとって大きな意義を有すると評価される。

本論文は、第一章「はじまりの物語」、第二章「世界像の再構成」、第三章「現実世界の確証」、第四章「「三種神器」説の体系化」、第五章「「系譜」の保証」を本論とし、序章、終章とを加えた全七章から構成される。

序章は、『纂疏』の体裁が、「科文」という、仏典の注釈のスタイルにならったものであることを明らかにするとともに、「三教一致」という『纂疏』の立場に沿ったアプローチの必要性を確認し、第一章以下は、『纂疏』が『日本書紀』を十一段に分けて注解を加えたところを逐って、そのアプローチを具体化する。第一章は、『日本書紀』冒頭部の語る世界生成を『纂疏』がどのように読むかを分析し、その世界のはじまりの物語として読まれたものは、「本書」(『日本書紀』が神代巻において中心として立てた本文)・「一書」(「本書」に対して注として載せた異伝)を、一つのものとして組み立て直すことによって成り立つ、元来の『日本書紀』の構成のありようを変換したテキスト理解であることを明らかにした。第二章は、『纂疏』が、『日本書紀』の世界を、元来の世界像を離れて、仏典の語る世界と合致するのを確かめることを論じる。第三章は、天照大神について、『纂疏』の注解を通じて、元来の『日本書紀』が「日神」としてのみ意味づけていたのとは違う、新たな像が作り出されてしまうことを析出したものであり、第四、五章は、その天照大神の裔であることによって天皇が保証されるのを証すべく、神器と系譜とによって正統性を確認してゆく『纂疏』の言説が、やはり『日本書紀』を変換して成されることを追尋したものである。終章は、『日本書紀』の更新という、『纂疏』の本質と、時代のなかに生きる古典という点からそれを見るべきこととを再確認する。なお、付録として、引用仏典索引、本文分析構成図の二を添える。

こうして、『日本書紀』の体系的再構築--新たなテキストとしての変換・再生--を果たしたものとして、『纂疏』の本質を照らし出したのが本論文である。従来『纂疏』には注釈テキストもなく、まともに読まれてこなかったというほかないのに対して、はじめて、全面的なテキスト理解を試みたことは特筆に値する。果敢な挑戦という所以であり、それが留学生の課程博士論文として成されたことも特記されねばならない。本論文の意義は、何より、『纂疏』の本質把握と、正当な評価のための新たな開拓という点にある。きわめて低くしか評価されてこなかった『纂疏』が正当に位置づけられ、古典としての『日本書紀』の歴史にとってはじめて正当な認識が拓かれたのである。『日本書紀』自体の研究ではないが、もっともよく知られた古典である『日本書紀』への大きな寄与というべきである。付録も、『纂疏』理解にとって、今後に益するところ多大な試みとして評価される。

無論、新しい開拓であるだけ、のこされた問題も少なくない。テーマ設定がより明確になるように論述されるべきだというのもその一つである。問題設定自体が、新しい問題提起なのだという点からすれば、当然工夫があるべきところであった。また、これも小さくない問題として、『日本書紀』そのものについて、自分のことばで語りうるところが少なすぎるのではないかということが指摘された。さらに、兼良の仏教思想に関しても、一般的に仏教というだけでなく、天台・南都という環境についてもっと具体的に見る必要もあるのではないか、等々、より深めてゆかねばならない問題がなお多いということや、文章表現の未熟さも、審査委員から指摘された。しかし、そうした欠点は、本論文の価値を何ら損なうものではないということが委員の一致する評価であった。また、この研究が、今後の研鑚によってさらに発展させられることが学界にとって大きな寄与となるという点でも一致した。

したがって、本審査委員会は、全員一致をもって、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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