学位論文要旨



No 118524
著者(漢字) 村田,勝幸
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,カツユキ
標題(和) 現代アメリカのネイティヴィズム :「非合法移民問題」の展開と人種・エスニシティ・ネイションの交錯
標題(洋)
報告番号 118524
報告番号 甲18524
学位授与日 2003.09.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第449号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 油井,大三郎
 東京大学 教授 能登路,雅子
 東京大学 教授 遠藤,泰生
 東京大学 助教授 矢口,祐人
 城西大学 助教授 庄司,啓一
内容要旨 要旨を表示する

世紀をまたいで発表された20世紀最後の人口動態分布調査・2000年センサスは、アメリカにおける人種・エスニック関係の新たな幕開けを告げた。アメリカ史上初めて、全米の人口数で最大の「マイノリティ」集団であり続けていたアフリカ系(人口比12.3%)が「スパニッシュ/ヒスパニック/ラティノ(Spanish/ Hispanic/ Latino)」(同12.5%)に抜かれたのである。州・郡・市レヴェルではすでにみられていた、アフリカ系の数的優位の崩壊が全米規模で起こったことは、アメリカの人種・エスニック関係を特に一般認識において強く規定してきた「白か黒かの二分法」がいよいよ通用しなくなったことを示している。

本論文は、「白か黒かの二分法」のなかに安定的な場を確保することができなかったラテン・アメリカ系住民を分析対象として、かれらが自らに向けられたネイティヴィズムへの対抗戦略を練りあげる過程でどのようにエスニシティを再構成していったのかという点に注目する。

合法・非合法の移民流入を受けて急速に増え続けるラティノ/チカノ住民への警戒感を基盤とした近年のネイティヴィズムは、しばしばラティノ/チカノ住民全体を「新参者」ないし「外国人」として規定してきた。その際、ラティノ/チカノ住民は「人種化された外国(人)性(racialized foreignness)」を体現する者として、「非アメリカ(人)的」な存在として一括りに表象されることになる。つまり、かれらを標的としたネイティヴィズムは、アメリカ人としてのネイションを立ち上げる際に必要な「他者」を創り出す機能を果たしているのである。そしてこのような他者化を可能にしているのが、ラティノ/チカノ住民が長いあいだアメリカ社会で築いてきた歴史の周縁化であり、ラティノ/チカノ住民内部の多様性の軽視ないし無視であることは想像に難くない。この「内的に均質で歴史が浅いラティノ/チカノ住民」というイメージが、合法か非合法かという基本的な区分線を事実上帳消しにして、「非合法移民問題」をラティノ/チカノ住民全体に関わる「問題」へと転化していった。こうしたラティノ/チカノ住民全体の問題化は、移民法改編論議が熱を帯び始めた1970年代初頭以降、一貫してラティノ/チカノ側を悩ませ続けた。

研究史という観点からみれば、これまでのネイティヴィズム研究は、基本的にナショナリズム研究の一環としてなされてきたといってよいだろう。第1章で言及するアメリカ史家ジョン・ハイアムなどは、多様な価値の統合を理念的な基盤としたうえで、ネイティヴィズムをある種の逸脱として批判的に分析するというスタイルにおいて一貫している。

実のところ、こうした政治思想史的アプローチは、本論文の問題設定と重なる部分であり、同時にそこからテイクオフするという意味で分岐点でもある。やや乱暴にいえば、政治史的なアプローチによるネイティヴィズム分析は、ナショナリズムの波にのまれて他者化されていく者たちの「大きな物語」を主に政治思想史的に描いてきたといえるだろう。これに対して、ある特定の人種・エスニック集団やジェンダーに注目した移民史およびエスニック・スタディーズのモノグラフは、「断片化された実態」を積みあげることで地道に抵抗を重ねてきた。1980年代後半以降しばしば耳にするようになった、アメリカ社会史記述が分析対象を過度に細分化させ、めいめい独自のアプローチをとったため共有可能な議論の基盤を失ってしまったという批判は、典型的には前者から後者へという矢印で展開されてきた。こうした批判に対して後者の側は、「大きな物語」への回帰はやっとの思いで歴史の表舞台へと連れてきた人々や出来事を再度周縁化してしまうと反論してきた。だが、そもそもこのような応酬以外に途はないのか。本論文では、大きな歴史的・社会的文脈につねに注目するという政治思想史的アプローチを積極的にとりながらも、個別実証的なエスニック・スタディーズの側から「大きな物語」を捉え返すという手法をとることで、両者の相互補完的な接合を試みたい。こうした狙いを本論文の「非合法移民問題」分析に適用するならば、具体的には次のようなものになる。政治史的なネイティヴィズム分析は、排斥する側と排斥される側の対抗図式を大状況のなかで明らかにしてきた。だがその一方で、そうした二分法は、排斥する側と排斥される側の双方をそれぞれ一枚岩的に描く傾向があった。「する側」「される側」という区分線の強調が、両集団内部に(あるいは両者を横断するかたちで)存在する人種、エスニシティ、階級、ジェンダー、セクシャリティ、地域性といった差異をしばしば二義的なものとして周縁化してきたのである。主に1970年代以降のネイティヴィズムを「非合法移民問題」を中心に分析する本論文では、ラティノ/チカノを「非アメリカ(人)的」と規定する歴史的・社会的状況に注目するとともに、「非合法移民問題」の展開がラティノ/チカノのエスニック・アイデンティティに繰り返し再構成を迫っていくダイナミックな様態をさまざまな角度から分析したい。

アプローチに関わる以上のような課題を踏まえたうえで、本論文の中心的な設問を整理すれば次のようになる。現代アメリカにおけるネイティヴィズムは、それ以前のネイティヴィズムとどこが共通し、どこが異なっているのか。総じて、どのように歴史化されうるのか。1970年代以降のネイティヴィズムの集約ともいえる「非合法移民問題」の形成と展開は、「アメリカ(人)性」をめぐる認識と価値をどう規定し(あるいは規定され)たのか。また「アメリカ(人)性」と人種やエスニシティはどのように連動したのか。

さて、第1章では、1970年代以降のネイティヴィズムの歴史的性格を、人種主義的なネイティヴィズムが顕在化したもう一つの時期、19-20世紀転換期の状況を分析することで浮かびあがらせる。またここでは、こうした歴史化という作業に加えて、人種とエスニシティという二つの鍵概念を理論的に考察することで、次章以降の実証研究についての理解を理論的な面から補強することを意図している。続く第2章は、1986年移民法制定へと至る移民法改編論議のなかで非合法移民が「社会問題」として規定されていく過程に注目している。その際、移民法改編論議における転換点がどこで、どのような利害がぶつかり合い、そしてどう調停されたのか、といった点が議論の中心となる。

第3章以下の三章の目的は、それまでの二章で行ったネイティヴィズムの歴史化と1986年移民法制定過程に関する包括的な議論を踏まえつつ、「非合法移民問題」というイシューにエスニック・スタディーズ(ここではラティノ/チカノ研究)の立場から分析を加えることである。とはいえ、そこで展開されているのはオーソドックスなエスニック・スタディーズではなく、政治文化史的な文脈を重視した実証的記述である。先に述べた「通史的記述と個別実証的分析を相互補完的に結びつける」という戦略は、まさにここに関わっている。一般的な歴史記述に多くみられるように、歴史的な流れを古い時代から新しい時代に向かって一本の線で描き、それをまとまった論点毎に時期区分して各章の叙述対象として割り当てるという体裁をここではとっていない。そうした判断は、第3章から第5章までの中心的な狙いを、特定の組織や個人が「非合法移民問題」の形成と展開のなかで思想や戦略をどう変えたのか、あるいは変えなかったのか、という事柄に強調点に置いたことと密接に関わっている。そのため、この三つの章には、記述対象となった時期や個々の出来事に関してところどころオーバーラップした箇所がある。見方をかえれば、これらの章は特定の組織や個人に関わる三つの通史が絡み合いながらより大きな通史を構成しているといえるのである。

まず第3章では、全米最大のラティノ/チカノ組織である<統一ラテン・アメリカ系市民連盟(LULAC)>を分析対象とする。そこで論じられるのは、「非合法移民問題」に関する議論が進展していくなかで穏健派ラティノ/チカノ組織の代表格であったLULACがどう変わっていったのかという点である。またこの章には、ラティノ/チカノの側から移民法改編論議を捉え返すことで、第2章の議論に架橋するという狙いもある。続く第4章では、非合法移民の権利擁護を目的として立ちあげられたラティノ/チカノ組織、<自律的社会行動のためのセンター(CASA)>の思想と活動が分析の対象となる。本格化していく移民法改編論議のなかで、そして「非合法移民問題」に対するラティノ/チカノ組織の向き合い方を決定するうえで、組織としては短命におわったCASAがどのような役割を果たしたのかという問いを軸に議論が展開される。また同時に、同章では人種やエスニシティだけでなく階級が鍵概念となっている。最後に、第5章では、ラティノ/チカノ住民にとって全米レヴェルのシンボル的存在であった農業労働運動指導者セサル・チャベスと彼が率いた<統一農業労働者組合(UFW)>が「非合法移民問題」をめぐってどのような戦略転換を行ったのかに注目する。この章ではまた、ラティノ/チカノによる人種/エスニック・アイデンティティの再構成の意義を、チカノ史記述の質的な変化を批判的に検討することで明らかにする。UFWの戦略転換とラティノ/チカノ住民全般が持つ人種/エスニック・アイデンティティの変化が緩やかに連動している、というのが同章の基本的な問題設定なのである

審査要旨 要旨を表示する

村田勝幸氏が提出した博士学位請求論文「現代アメリカのネイティヴィズムー非合法移民問題の展開と人種・エスニシティ・ネイションの交錯ー」は、1980年代の米国で重大な争点となったラテンアメリカからの「非合法移民」問題をめぐる政府や議会での論争が1986年移民法に結実する過程とそれに対するラテンアメリカ系移民諸団体の反応を、大量の一次史料や先行研究を駆使して丹念に実証した日本では初めての本格的な研究である。その分量は、400字詰め原稿用紙に換算すると600枚近くとなり、いづれ重厚な研究書として出版されることが期待される。

そこで、まず本論文の要旨を紹介した上で、本論文の意義と問題点を指摘したい。

まず序では、2000年の米国センサスでラテン・アメリカ系住民がアフリカ系を抜いて、米国最大のマイノリティになったものの、彼らの多くを「非合法移民」と見なして排斥する「ネイティヴィズム」が現在の米国で高まっていることを指摘する。そのため、本論文では「非合法移民」が社会問題化される歴史的・社会的文脈とそうした問題化がラティノ/チカーノ系住民(本論文ではラテン・アメリカ系住民の中で多数派を構成するメキシコ系に重点を置いて分析するためにこの表現を使用している)の人種やエスニシティに与えた影響に注目し、「非合法移民問題」の政治思想史的研究を行おうとする。

その際、村田氏は、従来のエスニック・スタディーズのようにラテン・アメリカ系集団の人種やエスニシティ意識の分析を行うだけでなく、カルチュラル・スタディーズなどの方法も駆使して、排斥する側や抵抗する側の言説分析も加えて、アメリカ人の国民意識分析という「大きな物語」にもつなげようとするところに方法論的な特徴がある。論文の副題が「人種・エスニシティ・ネイションの交錯」としているのはそれ故である。

つまり、本論文の問題設定は、あるエスニック集団を「非合法移民」=「他者」と規定する論理の背後にある特定の「アメリカ人」意識を析出することによって20世紀末に登場した「ネイティヴィズム」の歴史的性格とそれに抗するラテン・アメリカ系移民集団の抵抗意識の特徴をも解明しようとする壮大な関心にもつながっているのである。

ついで、第一章では、19世紀末から20世紀初めの米国で主として東欧や南欧から大量に流入したいわゆる「新移民」に対する排斥の論理として台頭した古典的な「ネイティヴィズム」が先行研究に依拠して整理されている。続く第二章では、1986年移民法制定に至る移民法改正論議に注目し、「非合法移民」を取り締まるために「雇用者罰則」規定が盛り込まれるとともに、妥協の産物として一定時期以前に入国した「非合法移民」に市民権を付与したり、一定数の農業労働者の導入を認めるなどの条項が挿入された過程が議会史料などを駆使して、詳細に分析されている。

続く三つの章では、ラティノ/チカノの諸組織が「非合法移民」論争にどのように関わったのかが、それぞれの組織の内部文書などを駆使して対比的に解明されている。まず、第三章では、全米最大のラティノ/チカノ組織である「統一ラテン・アメリカ系市民連盟(LULAC)」を取り上げ、元来は中産階級的な立場にたって、米国社会への「同化」を主張してきたこの組織が「非合法移民」と自分たちが、その身体的な特徴から一括して排斥される危険性を自覚し、「非合法移民」を擁護する姿勢に転換したという興味深い過程が解明されている。

次の第四章では、1968年に「非合法移民」を擁護する組織として発足した「自律的社会行動のためのセンター(CASA)」を取り上げ、この組織が自らを「褐色の民」と規定し、その民族自決と自治権を求める革新的な運動を展開しながら、内部対立などから1978年には消滅した過程が分析されている。

そして、第五章では、メキシコ系の農業労働者を中心とした「統一農業労働者組合(UFW)」とその指導者であるセサル・チャベスを取り上げている。その際、この組織が、「非合法移民」が「スト破り」に使われる事態が多いと批判し、当初は「非合法移民」を雇用した者を罰する「雇用者罰則」規定を支持する形で「非合法移民」に対立する姿勢をとりながら、ラティノ/チカノ系住民から批判を受け、その態度を修正していった興味深い過程が検討されている。

最後の結語では、「非合法移民」の排斥を意図した移民法の改正論議に対してラティノ/チカノ組織が異なる反応を示しながら、結局は「非合法移民」をも「我々」の側に取り込むような「境界線」の引き直しを行っていった歴史的な意義を強調して結びとしている。

以上のように、本論文では、主としてラテン・アメリカ諸国からの「非合法移民」の流入を規制するために1986年の移民法改正で「雇用者罰則」規定などが挿入された過程を詳細に検討するとともに、「非合法移民」排斥論に対してラティノ/チカノ団体が当初は多様な反応を示しながら、「非合法移民」を擁護する姿勢にまとまっていったという興味深い過程を、関係する一次史料を駆使して実証したところに最大の意義があるといえるだろう。

その際、特に、1986年移民法の妥協的な性格を大量の議会資料を駆使して明らかにしたこと、そして、その議会での議論の中に、「非合法移民」を排斥する新しい「ネイティヴィズム」の論理が潜在することを19世紀末から20世紀初めの古典的な「ネイティヴィズム」との比較の中で解明したこと、さらに、「非合法移民」排斥の論調が高まる中で、ラテン・アメリカ系団体が当初は多様な反応を示しながら、最後には「非合法移民」を擁護する方向に結集していった過程を、関連団体の内部文書を駆使して明らかにしたことが貴重な成果と指摘できる。

ただし、移民法の改正過程と三つのラティノ/チカノ団体内部での論議を別々の章で扱ったため、説明に重複が目立つ点や19世紀末から20世紀初めの「ネイティヴィズム」を詳細に検討しながら、20世紀末のそれについては言及が少ない印象が残る点などの不満も残る。しかし、これらの欠陥は、本論文が日本におけるラテン・アメリカ系の「非合法移民問題」に関する初めての実証的で、本格的な研究成果であるという評価をいささかも揺るがすものではない。

したがって、本審査委員会は本論文に対して博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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