学位論文要旨



No 118530
著者(漢字) 山本,良
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,リョウ
標題(和) 小説の維新史 : 小説はいかに明治維新を生き延びたか
標題(洋)
報告番号 118530
報告番号 甲18530
学位授与日 2003.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第407号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 助教授 安藤,宏
 東京大学 助教授 井島,正博
 東京大学 助教授 キャンベル,ロバート
内容要旨 要旨を表示する

「小説」という語は、漢書の「小説家者流、蓋出於稗官。街談巷語、道聴塗説者之所造也。」に見られるように、世俗の興味深い噂話といった意味であった。十九世紀に読本作者が、「国字小説」(都賀庭鐘『繁野話』序、寛延二、一七八六)を名乗ったのは、いまだ中国臭が濃厚な「小説」という言葉に、あえて「国字」のという限定を付し、中国白話小説に対峙させたためといわれる。享和年間(一八〇一〜〇四)に、「小説(よみほん)」のような用法が使われはじめ、それ以後、中国白話小説の翻案という基本的な意味を揺曳しつつも、戯作全般を指す「小説」の用法が定着していった。

「国字小説」が現れてから、百年後の明治十八(一八八五)年、坪内逍遙が「小説」の語に「ノベル」という振り仮名を付したとき、「小説」は、さらに別の概念として再生したのである。戯作を指す「小説」が、「小説(ノベル)」へと生まれ変わる前、「小説」は明治維新という変革期を迎えた。明治維新が革命 revolution であるか、改革 reform であるか、復古 restoration にすぎなかったのか、一概に結論は出せないし、また、日本列島の歴史を通じて見た場合、戦国時代の終焉と豊臣政権の成立、つまり中世と近世の間にこそ、社会構造及び政体に関する最大の変動があったという見方が有力である。しかし、それでも、日本列島が、中国大陸以外の文明と接触し、そこから大量の文物が到来したのは、明治維新が初めてであった。実際の変革の成果は別として、この西からの衝撃を軽視することはできない。「小説」は、この衝撃をどう受け止め、この変革期をどう生き延びたか。

第一、二章では、幕末から明治初期の実録小説を扱う。幕末期、戯作・演劇に実録ものが流行した。幕府の検閲機能が弱体化したという事情が、この流行を促したのはたしかだが、一方にはまた、戯作の虚誕性を否定するような思想の高揚が存在したと考えられる。そしてこの動きが、維新後に勃興した歴史創出の潮流に接続したのである。この間の実録の流れを見通すため、幕末実録や末期戯作、新時代の小説家による実録小説を検討する。分析の対象は、『近世紀聞』(一八七四・三〜一八八三・二、金松堂)や『開明小説春雨文庫』(一八七六・四〜、文永堂)などの実録小説、そしてアヘン戦争や台湾出兵に取材した実録類である。

近世紀聞』と『春雨文庫』は、ともに喜遊という遊女の伝を冒頭に置いている。両者には、同時代的な感性の一致が見られるのである。従来の実録小説形式を基盤にしながらも、明治維新という同時代的かつ歴史的な事象を描く両者を分析するにあたっては、幕末実録や末期戯作との比較が不可欠であり、論証は必然的に幕末以降の小説史全体に及ぶこととなる。

『海外余話』(酔夢痴人、嘉永四、一八五一)は、アヘン戦争で失脚した林則徐が再び登用され、イギリス軍と勇ましく交戦、遂に大勝利を収め、イギリスは清の属国となるといった結末を持つ。『海外余話』にはもう一種、「安政二発兌 禁売買 行餘堂蔵梓」と見返しにある新刻版が存在する。これは口絵挿絵を加え、読本の体裁となり、貸本屋の商品として流通したらしい。警世の書が、より広範な読者層へ向けた書物となった。はたして、イギリスが清の属国となる物語をどのような心性が受け入れると考えられたのか。

また、「台湾出兵」(明7、一八七四)や壬午軍乱(明十五、一八八三)を契機にして、「台湾もの」「朝鮮もの」等の刊行物が陸続と出版された。小説とはいいがたい刊行物が多いが、実録小説の体裁をとるもの、錦絵表紙草双紙の体裁を持つものも少なくない。これらは江戸初期以来の『太閤記』や国姓爺もの、天竺徳兵衛ものと連続しながら、幕末以来変化しつつあった対中国観・対朝鮮観を反映している。それは同時に対西欧観を裏返しに表現し、また国境を確定しつつある「日本」の自己表現ともなっている。

第三、四章は、政治小説を扱う。政治小説は、これまで基本的に自由党系の政治小説作者の研究に偏っていた。そ政治小説作者のありかたを、政党への帰属という条件のみにおいて考えてきたことがその原因である。そうした現状に新たな局面を開くために、改進党系や非政党系の小説類を幅広く取り上げ、分析する。

畢竟政治小説の使命は、政治運動に具体的な表現を与えることであった。ならば、来るべき革命の表象を示さない政治小説はない。政治小説に近接していた革命は、虚無党、フランス革命、そして明治維新であった。それぞれの革命がどのように表象されているかを多種多様な言説を通して探る。虚無党とは「ニヒリスト」の翻訳語である。ツルゲーネフ『父と子』(1862) 以降広まったといわれているが、日本ではツルゲーネフがまったく読まれていないにもかかわらずこの言葉が流通し始めた。革命的民主主義者を即座にニヒリストと呼ぶ発想は、当時のフランス革命観の形成をも左右し、政治小説及び民権運動に強い影響を及ぼした。

フランス革命二百周年を迎えたフランス国内でも、フランス革命の栄光に隠された多大な犠牲を暴き出し、強調するという修正派の見解が支持を増しつつある。だが、重要なのは、多大な犠牲の上に成立したフランス革命が人類にもたらしたものの重みを測定することであり、翻って相対的に犠牲の少なかった明治維新が、はたしてその後の社会に何をもたらしたかを考えることである。実は、こうした革命の解釈論争は、民権運動のさなかにすでに起こっていた。その中で警世された革命観は、当然政治小説の動向を左右する。現代社会に通ずる問題として、当時形成されていた革命観を検討する。

第五、六章は、翻訳の問題を考察する。明治維新後の言説空間を比喩的にいえば、〈翻訳〉空間と名付けることができる。政治や経済などの諸領域に分化される以前の、混沌とした状況は、異なる複数の言語によって成立した空間的な〈翻訳〉空間であり、同時に、維新以前の言語の再編成が試みられた時間的な〈翻訳〉空間であった。ここでは、坪内逍遙や河島敬蔵によるシェイクスピア翻訳を分析対象とする。彼らのテキストに、〈翻訳〉空間の様態が先鋭的に表れているからである。坪内逍遙『甸國皇子班烈多物語(はむれっとものがたり)』(「中央学術雑誌」九・十一號、明十八、一八八五年七月十日、八月十日)や河島敬蔵「欧洲戯曲ジュリアス、シーザルの劇』(「日本立憲政党新聞」明十六、一八八三年二月〜四月)には、ヨーロッパの思想と江戸文芸の遺産が複雑に絡み合っており、また、レーゼ・ドラマという新たな形式を移入するにあたり、院本や根本等の様式をどう再生させるかという課題に直面していて、思想のみならず形式の面でも、江戸と明治の〈翻訳〉を実践している。彼らの翻訳の方法と、テキストの中で複数の言語体系が錯綜するさまを分析する。

第七、八章は、坪内逍遙『小説神髄』(一八八五・九〜一八八六・四、松月堂)が小説界の主導権を握っていく過程を、諸領域の言説との相関において考察する。分析の視座のひとつは、〈美〉学である。明治十年代の〈美〉をめぐる言説は、東京大学を中心とする知的パラダイムの転換において、重要な役割を演じた。概括的にいえば、それは啓蒙思想や功利主義、実証主義から、観念論的傾向への転換である。そうした動向のなかで、『小説神髄』によって、江戸・明治期の稗史小説とは異なる〈小説(ノベル)〉の生産が提唱され、その後、〈美〉と〈小説〉とは急速に結びつけられる。そのような動きを美学化 aestheticization−理性の普遍性と感性の特殊性とを媒介する試み−と呼び、〈小説(ノベル)〉に関する言説を中心にその動向を分析する。

また、『小説神髄』の実践といわれる『当世書生気質』(一八八五・六〜一八八六・一、晩青堂)以降、人情世態小説とよばれる小説の隆盛が、いわゆる近代文学史の主流を形成していったが、その過程には、近代的な視点からこぼれ落ちる多様な試みがあった。『鳥追阿松海上新話』の版元大倉孫兵衛は、饗庭篁村『当世商人(あきうど)気質』(「読売新聞」明一九、一八八六年三月二三日〜五月二〇日)を、「書生気質の体裁にて出」そうともくろんだ。両者を気質物として一括していたのである。事態は、坪内逍遙が期待していたのとは、異なる方向へ動き始めた。この後も、前田香雪『経済小説金貸気質』(明二十一、一八八八年十月、大坂駸々堂)や、風月散人『十人十色婦人気質』(明二十、一八八七、共隆社)などの追随作が出版される。ここでは、そうした試みの中から、明治の〈気質物〉とでもよぶべき小説群を分析し、江戸と明治の連続について考察する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は戯作全般を指していた「小説」という語が、明治維新後に次第に「ノベル」の誤訳として定着していくまでの変革期の様相を考察したものである。構成は八章からなり、一、二章は、幕末から明治初期の実録小説を検討の対象にしている。松村春輔『春雨文庫』が実録と政治小説の過渡的性格を持つ点に注目し、これを「居留地」であった当時の日本の状況に重ね合わせた上で、攘夷思想に依りながらもそれとも微妙に性格を異にする、あらたなナショナリズムの萌芽を読みとっている。明治七年の台湾出兵、明治十五年の壬午の変を契機に、それぞれ日本人の東アジア観が変質していく様相を分析したくだりとともに、「近代国家」意識の形成過程を具体的に明らかにした成果として注目に値するものである。

三、四章は政治小説を対象にしている。これまでの自由党系の作品に分析が集中してきたこと、また所属する政党によって作品が切り分けられてきた事実を問題点として指摘した上で、フランス革命やロシアの皇帝暗殺事件が当時の政治小説にどのようにとりあげられていくのかを実証的に明らかにしている。非政治小説として区分されてきた稗史小説に、士族のイデオロギーでは裁ききれない政治的なメッセージが読みとれるという指摘は、あらたな視点を提示したものとして注目に値しよう。

五、六章は翻訳小説を対象にしている。坪内逍遙の『斑烈多(ハムレット)物語』を逍遙の使用したテクストと比較考察した上で、翻訳に浄瑠璃の文体が採用されるに至った必然性が浮き彫りにされている。西洋の「性格(キャラクター)」の概念を江戸文学の枠組みで受容しようとした結果生ずるさまざまな軋轢を分析したくだりは多くの新見を含んでおり、今後の研究に示唆を与えるものである。『小説神髄』前後の「小説」概念の変容を論じた七、八章もこれに関連しており、人物の具体的な「感情」を美学的に捉えようとした逍遙の意図に、江戸期の「気質(かたぎ)もの」からの脱皮の志向がたどられている。心理学から美学へ、という時代的な知の枠組みの変遷を踏まえたその考察は、従来の坪内逍遙観に大きな変更を迫るものとして注目される。

総じて文章や論理展開が晦渋になる傾向が見られるが、変革期における国家意識の変容、異質な文化相互の軋轢を実証的に明らかにしたその成果は、これまで手薄であったこの時期の文学史の見直しに寄与するものとして十分な評価に値する。以上の点から、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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