学位論文要旨



No 118531
著者(漢字)
著者(英字) GRANADOS QUIROZ,ULISES
著者(カナ) グラナドス キロス,ウリセス
標題(和) 共存と不和 : 南シナ海における領有権をめぐる紛争の分析、1902-1952年
標題(洋)
報告番号 118531
報告番号 甲18531
学位授与日 2003.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第410号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 吉澤,誠一郎
 東京大学 助教授 野島(加藤),陽子
 東洋文化研究所 教授 黒田,明伸
 総合文化研究所 教授 並木,頼寿
 京都大学 教授 濱下,武志
内容要旨 要旨を表示する

本論文『共存と不和:南シナ海における領有権をめぐる紛争の分析、1902-1952年』は、南シナ海における関係国・植民地政府間の島嶼、海域の領有権問題を分析するものである。現在の行き詰まった状態の起源は第二次世界大戦の直後から、当事国が自らの立場を固めてきた結果であったが、これを理解するため、アジアにおいて西洋列強・日本の衝突が見られた植民地主義・帝国主義下の20世紀初頭から、太平洋戦争後のサン・フランシスコ会議で連合国と日本が『対日平和条約』を締結した1951年までの、20世紀前半の期間を中心とする。この期間における、南シナ海の領有権紛争の歴史(History)および歴史叙述(Historiography)をまとめたのが本研究である。

このテーマについての研究史は、問題そのものと同じほどの長さをもち、特に太平洋戦争終了後から豊富な蓄積がある。とりわけ1950-1960年代には、冷戦開始、インドシナ戦争、中台紛争などの様々な要素により、また1970-1980年代にも南沙群島における石油・天然ガス埋蔵量の可能性をめぐる国際連合による最初の報告や中国の改革・開放政策の開始や第三次国連海洋法会議での条約締結などを背景として、南シナ海の領有権の紛争に関する論争的な研究が現れてきた。そのうえ、1990年代以降、南シナ海の歴史に関する研究は、当事国だけでなく、むしろ国際関係論および政治学の研究テーマとして多くの国により研究は盛んとなっていった。しかし、領有権をめぐる研究の大部分には、ナショナリズムがイデオロギー的な要素として大きな影響を与えており、また島嶼の領有権の研究をめぐる歴史では、研究者は地政的・法律的な要素を非常に重視してきたという、二つの重大な特徴と問題点が見られる。したがって、この研究では一次史料・研究文献の調査を通じて、1902-1952年の期間において南シナ海の領有権の問題を対象としてなされてきた歴史叙述を批判し、また地政的・法律的なアプローチを超えて、歴史的な分析に社会・経済的な要素をつけ加えることにより、独創的で新しい論点から議論する。

論文は三つの章から成る。第一章では、中国の明朝・清朝時代においての南シナ海の知識に関する紹介である。当時のおもな資料・地図に見られる「南海」の地理的知識と、当時の王朝がその海域を統制していたということとは異なる、という点から歴史的議論を始め、中国側による四つの群島の主張をめぐる歴史的な根拠の分析を深める必要があるということを強調する。さらに、20世紀初頭から太平洋戦争まで、この領有権の問題をめぐる直接的な当事者として中国、フランス、日本の各政府によるそれぞれの措置を分析し、とくに現在の中国、ベトナムの立場の根拠をいわゆる「神話的な歴史叙述」(mythical historiography) として批判的な分析を提示するつもりである。一方、日本側の立場については、本論文では20世紀初頭の経済・社会・政治・軍事的な列強諸国の拡大という複合的な過程のなかで、この海域に見られた様々な利益の網の目と、日本人による経済開発など様々な活動が当時の地政的な枠組みに従属していくその過程を対象とする。最後に、太平洋戦争勃発までの時期において、イギリスとアメリカがどの程度まで南シナ海の海域、島嶼に関与したのか、イギリスの地域的な優先事項のなかで、南沙群島に対する自らの主張はどのような役割を果たしたのか、またフィリピンおよび西太平洋海域を中心とする地政的な優先事項の中で、アメリカが南シナ海の海域全体をどのように見なしていたのかどうか、という検討もおこなう。

この歴史的な分析に基づいて、第二章では太平洋戦争直後から1946-1952年という過渡期を中心とする。まず、自らの主張に関する中国側の歴史叙述を詳細に検討し、南シナ海をめぐる現在のいわゆる海洋政策の起源として、当時とられた措置の特徴を明らかにする。これにより、中国側の歴史叙述の主な根拠が再検討され、また根拠の欠点が強調される。一方、太平洋戦争終了直後からの、フランス、イギリスによる西沙群島および南沙群島の主権を中心とするそれぞれの主張の復活、という問題も扱う。とくに両国が南シナ海の島嶼の経済的・地政的な重要性を、東南アジアにおける他の優先事項と、どのように関連していたのかという点を吟味し、また戦後から始まった脱植民地化の過程における各国政府それぞれの政策の特徴を検討する。さらに、新たな当事者であるフィリピンについては、フィリピン人トマス・クロマ(Thomas Cloma)による南沙群島における“フリーダム・ランド”(Freedomland) の発見にまつわる出来事の概要を述べ、この活動に対してのフィリピン政府の態度について検討し、そしてフィリピン側の主張の根拠を、幾つかの観点より分析する。最後に、それぞれの当事者の立場にもとづいて、1951年のサン・フランシスコ会議および『対日平和条約』において南シナ海の島嶼の返還という問題が適切に解決されなかった理由を検討する。このように、一次史料および二次的な研究文献を通じて、さらにこの複合的な問題に対する学際的なアプローチに基づいて、第二章では、今日的な視点から、太平洋戦争終了直後からの南シナ海における領有権の紛争の歴史を再解釈する。

最後に、第三章では社会・経済的な分析をつうじて、1902-1952年の領土紛争の研究を補足する。まず、南シナ海を華僑・華人および日本人による移動がおこなわれていた海域と見なし、おもに沿岸的な航海ルートにおけるこれらの移民の移動が地域の経済活動(貿易、漁業など)にきわめて大きな影響を及ぼしていたこと、さらに関係国の政府による島嶼の領有権の主張にどの程度まで影響を与えていたのか、など様々な点を論じる。さらに、概念的なレベルにおいて、沿海・環海・連海として捉えられる南シナ海の海域の複合的な性質を明らかにする。とくに20世紀前半において、西洋列強の植民地主義的な意図の中では、南シナ海で行われていた主な経済的活動、すなわち貿易、運送業、漁業は、各国が領有権を主張する島嶼(西沙群島、南沙群島)においてどのような重要性を持っていたのか、またその海域および属する島嶼は沿岸国の自らの経済的な優先事項の中で、どのような重要性をもっていたのか、さらに中国人、日本人の漁民それぞれの活動と島嶼の領有権をめぐる両国の政策とは、すなわち「漁業活動」と「公式な主張」の間にはどのような相互関係があったのか、といった論点を検討する。最後に、国境を越える海域としての南シナ海をめぐる概念的な分析において、「中心」と「周辺」および「中央」と「地方」の間の緊張、という観点からこの領土紛争を分析する。このダイナミズムのもとで、各国政府が一方的に「海の辺境」(Sea Frontier) を編入しようとした過程を描写し、またこの沿岸国の「周辺地域」(Peripherial Zone) における中央政府による南シナ海の海域・島嶼の統制という大きな問題を、各国それぞれのケースに即して検討する。具体的にいえば、島嶼の領土紛争における中央政府・地方政府の間の緊張関係が、この研究で対象とする時期においてどのような形で現れていたのかを論じる。

結論では、第一章から第三章までの考察を今一度まとめる。本研究で特に強調したい点は、まず第一に、南シナ海の歴史・歴史叙述の根拠を構成する当時の出来事が、様々な研究においては、いくつかの事項がしばしば無視されたり軽視されたりしているが、様々な論点から検討することで、よりバランスのとれた研究とすることができるということである。第二に、20世紀前半の南シナ海の紛争をめぐる歴史、歴史叙述の分析を補足するためには、地政的・法律的な観点と並んで、幾つかの方法論的なアプローチが不可欠であるということである。この期間を中心とする“南シナ海の問題"をめぐっては、大部分の研究が法律的・地政的な分析を優先させているが、当事者の行為を完全に理解するためには、歴史的な分析で他の局面を補足することが必要ではないだろうか。

本論文で利用した資料、文献は、国内では東京大学その他の様々な図書館より、海外では中国社会科学院中国辺疆史地研究中心、北京の中国国家図書館、上海の上海図書館、広州市の中山図書館文献館、中山大学、広東省〓案館、海口市の海南南海研究中心、そしてシンガポール国立大学より収集したものであり、またデジタル資料については、アカデミックなデータベースで電子ジャーナル、且つ又アジア歴史資料センターを参照し利用した。本論文の第一章第三節は、2002年10月のクラクフ経済大学における国際会議『紛争処理・平和経済・開発』での口頭発表の改訂版であり、さらに第二章第一節は2000年6月のオスロ大学における国際会議『南シナ海周辺の人間・地域安全』での口頭発表の改訂版である。

審査要旨 要旨を表示する

共存と不和:南シナ海における領有権をめぐる紛争の分析、1902-1952年

本論文は、20世紀前半期における南シナ海の領有権をめぐる国際紛争について、イギリス・フランス・日本・中国のそれぞれの原資料に基づいて、国際交渉過程を再構成した「南洋問題」に関する研究であり、なかでも、1951年のサンフランシスコ条約までを画期とする半世紀におよぶ時期について、中国の政策施行過程を中心として、研究史上初めて分析した力作である。とりわけ1946-1952年の期間は、領有権紛争の開始から、アジアにおける植民地時代の後期として、また、国際関係における地域的な勢力の再構成の時期として、さらに東・東南アジアにおける冷戦時代の初期として、現在に連なる南シナ海の領有権紛争の歴史および歴史叙述にとってきわめて重要であることを明らかにした。

各交渉主体の原資料を博捜し、それを、系統的に論理付けたことによって、例えば、フランスとその保護国の安南政府に対する政策の違いなどが明らかにされたことにより、錯綜し重層化する権力関係が、海洋諸島の領有権紛争をめぐって現出したことが明らかにされた。

また、戦後に、フィリピン人トーマス・クロマが主張した「フリーダムランド」が検討されるなど、それぞれの交渉主体のみならず、当該海域にかかわる理念が、植民地的領海から国家主権の下での、さらには、共有の海という理念にまで及んでいることが分析され、歴史的にそれらのいくつかは過度に強調されたり無視されたりしているため、より歴史整合的な叙述と位置付けが必要であるとする、広い視野と方法論的関心に裏付けられた結論を導いている。

残された課題として、法律的な議論からの整理を深めること、各国の主張と相互の交渉過程との関連、また、日本の海洋政策と中国のそれとの相関性、などの点が存在する。

しかし、これらのテーマは、新たな資料の発掘の下に、稿を改めて検討すべきであり、本論文において明らかにされた南シナ海における領有権紛争に関する議論をいささかもそこなうものではないと考える。本委員会は、上記のような画期的な成果をあげていることに鑑み、本論文を博士(文学)の学位に十分に相当するものであると判断する。

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