学位論文要旨



No 118537
著者(漢字) 三井,さよ
著者(英字)
著者(カナ) ミツイ,サヨ
標題(和) 転換期における医療専門職とケア
標題(洋)
報告番号 118537
報告番号 甲18537
学位授与日 2003.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第416号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 助教授 武川,正吾
 東京大学 助教授 吉野,耕作
 東京大学 助教授 市野川,容孝
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、今日の社会において、制度的支援の限界を乗り越え、いかにして人々の個別の「生」が支えられうるかという問いを立て、特に医療という領域に特化してその過程を検討するものである。

第一章では、医療という領域において、上記のような問いがいかに緊急の課題となっているかを検討した。医療専門職は、医療が特に疾患とされるものに関わりつつ、人々の「生」を支えようとするものであることを考えれば、本来はケアを職務としている。ただ、近代医療制度がケアを制度化したものであり、患者のニーズをどう定義するかという困難を根本において抱えていたため、医療専門職は患者のニーズを定義し対処するという対人専門職制度の中に位置づけられてきた。つまり、医療専門職は患者のニーズを定義すれば、その職務であるケアを行えると見なされてきたのである。

だが、医療化の進展により、今日の医療は転換期を迎えている。この転換期においては、医療専門職がニーズを定義すれば患者へのケアが行えるというわけではない。むしろ医療専門職によるニーズ定義はときに患者の「生」を侵害することすらあり、医療専門職はケアと相反する局面が臨床現場では多々生じてきている。こうした中で、患者の自己決定権が主張されるようになったが、患者の自己決定は医療専門職を含めた他者との関係性においてなされるものであり、患者の自己決定権をただ主張するだけでは問題の解決とはならない。その先に、それを支えるような医療専門職と患者との関係が問われなくてはならない。それが「キュアからケアへ」というテーゼの意味であり、本稿がいう制度的支援を越えたケアの模索である。

では、医療専門職が自らの制度的限界を乗り越え、個別の患者の「生」を支えられるとしたら、それはいかにしてだろうか。第2章では、この点に関する従来の議論を批判的に検討した。まず、ケアとは何かを問う際に留意しなくてはならないのは、今日の医療専門職が直面している問題からすれば、従来のように制度とは無関係な「人間性」として捉えてはならず、かといって制度化された技能として捉えてしまってもならないということであった。だが、従来のケア論はこれらの陥穽を十分に避けられていない。ケア技能論はケアを制度化された技能としてのみ捉え、ケア倫理論はケアを制度とは無関係な倫理としてのみ捉えてしまっていた。

それに対して本稿は、臨床現場に徹底して着目し、ケアを医療専門職と患者の相互行為過程として捉えてきた。そこから明らかになったのは次のような点である。

第3章では、阪神・淡路大震災における対人専門職ボランティアの変容過程を検討した。そこから明らかになったのはまず、ケアの過程においては自明視していた技法のみならず観点の乗り越えが必要になる局面があることである。本稿ではこれを限定性の乗り越えと呼んだ。そして限定性の乗り越えは、医療専門職にとってみれば同時に自己を問い直すことでもあった。こうした限定性の乗り越え=自己の問い直しは、ケアの過程において常に生じることではないが、こうした局面が訪れることは確かにあり、そこで限定性が乗り越えられるかどうかはケアの過程において決定的に重要な意味を持つ。医療専門職による働きかけが、制度的支援を乗り越えて個々人の「生」を支えるものとなるかどうかは、こうした限定性の限界に直面したときに、その乗り越えが可能になるかどうかによって規定される。そのため本稿は次に、限定性の乗り越え=自己の問い直しがいかにして可能になるかを問うた。

第4章では、施設内での看護職による患者への働きかけを検討した。そこから明らかになったのは、限定性を乗り越える過程が既存の制度と無関係な個人によってなされるというよりも、個人の自己の問い直しと不可分でありながら、既存の制度との間に差異を繰り返し生み出すことによってであるということである。まず、個々の患者の「生」に合わせた「自立」を目指すためには技法の再考が必要になるが、施設内が技法化・制度化された空間であるために、そこで技法の再考を実現するためには、技法の再考を課すことをメタ技法化することが必要である。そこでなされるのは、看護職によるニーズ定義でもあるが、同時に患者の自己決定を促してもいるような、看護職と患者との間でのニーズの相互的了解である。

次に、メタ技法の採用によってさらに直面する機会が増大する、自らの限定性の限界に直面させられるという「問題的状況」において、いかにして限定性を乗り越えていくかを検討した。「問題的状況」への直面はともすれば患者とのコミュニケイションすら断ちたいと看護職が思うほどの心理的負担を課すが、そうした中で看護職が自らを問い直すために必要なのは、自らがそこでなすべきことの限定化であった。本稿では、直面した「問題的状況」に応じて、看護職がそのつど行い、既存の限定性との間に差異を生み出すような行為を限定化と呼んだが、それによってこそ、看護職は自らを問い直すことが可能になっている。

さらに、実際に限定性を乗り越える過程において重要な結節点となるのは「物語的理解」を行うことであるが、これは医療専門職がニーズ定義を行う際に採用してきた「科学的理解」と連続性を持ちつつも、それにはとどまらないという性格を有するものである。このように、限定性を乗り越えるという過程は、確かに自己の問い直し過程でもあるのだが、同時に単に制度から脱するというのではなく、既存の制度との間に繰り返し差異を産出することによってこそなされるものである。

そして第4章での詳細な検討から明らかになったのは、限定性を乗り越える過程においては、ケアの担い手間での関係性のあり方が決定的に重要な意味を持つということでもあった。そこから本稿は次に、ケアの担い手間の関係性のあり方と限定性の乗り越えとの関わりについて問うことにした。

第5章では、二つの病院の病院改革の過程とそこにおいて出現した各医療専門職間の関係性を検討した。そこから明らかになったのは、医療専門職間には相補的でありながら相互に自律的でもあるという相補的自律性が成立しうるということであった。このとき医療専門職における自律性は、一方的に患者のニーズを定義することに基づくのではなく、患者あるいは他医療専門職との間でのニーズの相互的了解に基づいた職務の自己定義である。自律性がこうしたものへと変質することによってはじめて相補的関係性と自律性とが相互に結びつくのである。こうしたことからすれば、相補的自律性は限定性の乗り越えを支えるものであり、また各医療専門職が自らを問い直し限定性を乗り越えることによって形成されるものでもある。ケアにおいて担い手の相補的自律性は、必要なことでもあり、またケアを行おうとするがゆえに生み出されるものでもあった。

医療が転換期を迎えた今日、医療の再編を図っていこうとするのであれば、ケアのこうした過程を正しく理解しなくてはならない。ケアの過程においては技法化される部分ももちろんあり、特に施設内であれば制度化されたメタ技法によって技法の再考が課せられることの意義は軽視できない。ただ、それを越えて限定性を乗り越えることが必要になる契機も確かに存在する。それは自己を問い直すとともに、既存の制度との差異を産出することによって可能になるものである。さらにはそれを支えるための医療専門職間の相補的自律性が必要になる。これらのことが正しく踏まえられることが必要であろう。

これらの検討から、今後の社会においてケアを実現していくための提言が導き出される。その一つが、ケアにおける職能を従来のように単独者をモデルとして考えるのではなく、複数者による相補的自律性によっても捉えることである。そうした相補的自律性を実現するようなシステム作りが求められる。もう一つには、ケアの担い手の中に相補的自律性が実現するだけの多様性を作り出すことである。従来のように有資格者以外はケアに携わるべきではないという考え方から、多様な人々によるケアという考え方へ移行する必要がある。それによって、今日の社会においてケアを実現する可能性が高められるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、最近、医療分野で「キュアからケアへ」という転換期のテーマの新たなる問題提起を、以下のような課題として行ったものである。すなわち、医療専門職の、その都度現れる患者の、「生」の固有性という観点に焦点を据えてケアを試みる過程にこそこのテーマの真の課題は存在するという、従来の視点とは異なる、独自の視点を打ち出そうとするものである。

この点を明らかにするため、特に「生」の固有性を自覚した看護職の職務の分析に着目し、看護職が患者との相互行為の内に、業務としての看護行為のもつ自らの日常的な制度限界をどのようにして気づき、克服し、確立していこうとするか実証的に検討し、その上で経験的理論命題を構築することを試みる。そのため、看護の業務にについて、A病院(首都圏にある500床を有する大学付属病院)とB病院(首都圏にある100床を有する福祉法人病院)、C病院(九州にある400床を有する福祉法人病院)の3つを、視点の原点たる、看護職の今日的ケアの課題である、患者の「生」の固有性という観点については、阪神・淡路大震災における「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」および看護協会看護ボランティア等のインテンシヴな経験調査を行っている。

第一章では、この論文の基本的な問題所在として、阪神・淡路大震災における対人専門職ボランティアの経験を介して、ケアというテーマが、当事者の「生」の固有性と向き合った専門職との相互行為の持続性として受けとめるべきであることを指摘する。その上で、対人専門職制度の意義と限界を指摘する。そして限界については、今の制度では、対象者の「生」の固有性を捉えきれないことを指摘する。著者は、対象のニーズを確定できない問題を「限界性」を呼んでいる。

第二章は、従来のキュア論、ケア論を批判的に検討し、「キュアからケア」というテーマは、近代医療制度が現在の医療化により大きく転換せざるをえない状況にあり、特に、患者の「生」に深く関わるとともに進展する病院内分業は同時に、患者の「ニーズ」とは何かをめぐる、患者と医療専門職の間、また、個々の医療専門職間の相違点が表面化しつつある点を論ずる。医療専門職が患者のニーズを捉えることに必ずしも成功していない事態を医療専門職の限界性のテーマとして捉え、従来の医療専門職の議論はこの点を十分に言及してこなかったと批判し、パーソンズ、フリードソンの講義および、多くのケア論の限界、ケア論理論の限界、を検討する。そこから、この乗り越えとして、医療専門職と患者の相互行為過程によって否応なく生まれてくるケアのありかたを経験的に分析することの不可欠性を指摘する。

第三章は、看護職の患者への看護行為の途上で気づく様々な「生」の個別性から発するニーズを、いかに自らがとらえ直し、自らの看護行為の枠組みの限界を乗り越え、ニーズとして再定義しようとするのかを、A病院、B病院の調査から検討する。そこでは、看護行為が日常業務として技法化されている施設で、看護職が患者が捉えた自らのニーズを「確認」する、という行為を介して、患者と看護職が「自立」していく過程を経験的に考察している。そしてこのような状況を、「メタ技法によるニーズの了解」と呼ぶ。しかしこの技法は、職務としてまた技法として不安定であることに限界がある、と結論する。ではどうするか。不確実な問題状況下において看護職は自らの職務を、患者にかかわるものとして意識化することを、著者は「戦略的限定化」と呼ぶ。この「戦略的限定化」を挺子として、患者の新たなニーズを発見する可能性を検証する。業務としての看護職から、問題状況に応じたその都度の、自らの業務の「戦略限定化」は専門職の限界の乗り越えの第一歩である。これが、患者のニーズを発見した際に、そのような状態を著者は「ニーズの中間的了解」と概念化する。第四章は、個々の医療専門職の制度的限界の乗り越えを、同じ看護職や他の医療専門職の間で共有される実践が行われつつあるかにつき、B病院とC病院で行われた病院改革の過程から検証している。「ニーズの中間的了解」は個々の看護職の看護行為で生じたものである。制度的に共有するためには、技法や職務観の共有とともに看護職間の関係性の内に、個性的な「ニーズの中間的了解」が共有されていく過程を経験的に検証することに焦点が置かれる。B病院における看護業務整理に基づく病院改革の検証や、C病院のクリニカル・パスの導入による病院改革の分析を通して、患者中心の業務改革やそれによる看護職の職務見直し実践、コ・メディカルによる職務見直しによる患者の発見、に乗り越えを支える関係性を産出を見いだしている。その過程で特に重要なのは、医療専門職間の支配的階層性が、この病院改革を介して、「相補的自立性」へと変貌していくことに深く関わっていくことが指摘される。

終章は、ケアの持続性を可能にする論点を問題提起する。乗り越えを支える同一医療専門職内の関係性につき、従来のような看護管理論でいう技法や職務観のみでなく、問題状況に応じて否応なく正起してくる個別の医療専門職の「個性」の相互承認のありかたをどのように制度的に構築するか今後の重要な課題であるとする。

本論文は、現代におけるケアのありかたに関して、社会学的に正面から取り組んだ論稿であり、数多くの実証研究を介して、著者独自の概念たる「戦略的限定化」、「ニーズの中間的了解」、「相補的自立性」を構成して、かつそれを武器として転換期における医療の基本的課題が今どこにあるかについて究明した、意欲的な研究といえる。従来、全人格的配慮等として暖昧に問題提起に終始した「ケア論」に対し、医療社会学としてのパーソンズ等が明らかにしてきた「限定性」、「不確実性」の概念を批判的に検討して自らの概念として再定義し、実証の中できちんと検証している。相互行為の視点を導入することにより、生態的な制度的な研究をしたパーソンズ等に対する十分な反論ともなっている。

したがってこの研究は学界に大きく貢献するものと高く評価されよう。よって本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位に相当すると判断する。

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