学位論文要旨



No 118539
著者(漢字) 赤堀,三郎
著者(英字)
著者(カナ) アカホリ,サブロウ
標題(和) 社会学的システム理論の機成 : コミュニケーションの自己言及性を中心に
標題(洋)
報告番号 118539
報告番号 甲18539
学位授与日 2003.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第418号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 助教授 吉野,耕作
 東京大学 助教授 武川,正吾
 清泉女子大学 教授 庄司,興吉
 法政大学 教授 徳安,彰
内容要旨 要旨を表示する

ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンは、社会学にはその対象である社会的事実のすべてを包括できるような理論枠組、すなわち「普遍理論」が必要であると主張し、さらに、彼の言う「システム理論のパラダイム転換」の結果である「自己言及システムの理論」を社会学のなかにとり入れることによって、社会学の「普遍理論」としての社会システム理論の構築を試みた。つまり、ルーマンによる社会システム理論の革新の中心にはこの「自己言及システムの理論」がある。こういったことから本論文では、ルーマンの種々雑多な試みを有機的なつながりにおいて把握し、さらに、ルーマン社会システム理論をさらに精緻化させたりあるいはその応用への道を拓いたりするにあたっては、彼の言う「自己言及システムの理論」の理解が鍵になると考える。

しかしながら、これまで多くのルーマン社会システム理論に関する研究が産出されてきているにもかかわらず、「自己言及システムの理論」と社会学理論とのかかわりは、これまでの研究においてなかなか明らかにされてはこなかった。その主な理由としては、ルーマンのテキストにおいて、システム理論的な用語の使用に際してその内容や背景の説明が欠けていることに加え、社会学の世界に「自己言及システムの理論」を理解する上での前提が欠けていることが挙げられるであろう。

以上のようなことを踏まえ、本論文では次のような特徴をもつ考察を行う。

ルーマンの言う「自己言及システムの理論」の「パラダイム」とは、結局のところどのような考え方を指し示しているのかを明らかにする。

「自己言及システムの理論」が社会学とどうかかわるのかを、ルーマンが社会学の「普遍理論」の構築を目標としていたことを考慮に入れつつ、「コミュニケーションの自己言及性」という論点に絞って論じる。というのは、ルーマンにおいては、コミュニケーションが社会システムを構成するとされており、また、コミュニケーション概念がシステム理論と社会学とを架橋するものとして位置づけられているからである。

ルーマンの研究営為はこれまで前期/後期などと区分されて解釈されてきたが、ルーマンの学問的キャリアを貫くものとして自己言及というキーワードを位置づけることによって、ルーマン社会システム理論に新たな見取り図を与える。

ルーマンのテキストにおいては、自己言及というタームがさまざまな局面、さまざまな水準で用いられている。このことをヒントに、ルーマンにおける自己言及概念の多面性を検討し、社会システム理論の今後の展開方向を考える。

ルーマンは、自己言及システムの理論は「パラダイム」であると述べている。パラダイムというからは、何らかの一連の考え方があり、それを担う研究者集団があるということになるだろう。本論文では、ルーマンのテキストにおいて参照されている諸文献を手がかりに、1950〜1970年代にハインツ・フォン=フェルスターを中心にイリノイ大学バイオロジカル・コンピュータ・ラボラトリに集った研究者たちを「自己言及システムのパラダイム」を担った研究者集団として指摘する。フォン=フエルスターらの所説はサイバネティクスに源を発する。従来、サイバネティクスにおけるフィードバックのメカニズムに関する論点、およびそれに付随する目標設定と制御という論点が強調されてきた。しかし、フォン=フェルスターらのサイバネティクスの関心はむしろ、神経系とコンピュータとの関係を明らかにしようとするところにあった。「自己言及システムの理論」を担った研究者たちのあいだで共有されていた考え方として、大まかに言って次のようなものを指摘することができる。

システムの閉鎖性(自律性):システムの振る舞いは、外的要因ではなく、システム自身の振る舞いによって生み出される構造が決定する(「構造決定主義」)。

固有値:システムの振る舞いの繰り返しから、システム自身の振る舞いの特性と言うべき構造が生まれる。

「ノイズからの秩序」原理:システムの環境における撹乱要因(偶然の契機)によってシステムの構造生成が生じうる。

観察者の問題:観察とは、区別に基づく指し示しという作動である。つまり、観察の基盤にはつねに区別が存在する。だが観察の際に用いられて区別は、当の観察者にとっては盲点となっている。自己言及システムは「観察するシステム」であるが、「観察するシステム」を観察するには、観察の際に用いられている「差異」を指し示すためのメタ水準での認識論が要求される。

そしてルーマン社会システム理論もまた、以上のような考え方をとる「自己言及システムの理論」をその基盤に据えている。だがルーマンは、自己言及というタームをいくつかの水準に区別して用いていた。まず、一般システム理論の水準での「他者言及に伴われた自己言及」。次に、対面的相互作用の場面におけるダブル・コンティンジェンシーの「基礎的自己言及」と「社会的自己言及」の区別。さらに、一般システム理論の水準での「要素の自己言及」「プロセスの自己言及」「システムの自己言及」(「基底的自己言及」、「過程的自己言及」、「再帰」)という三つの類型である。このうち、最初に挙げたの自己言及は「自己言及システムの理論」(具体的にはラルス・レフグレンの言う「部分的な自己言及」)に由来するものであるが、後の二者にはルーマン独自の解釈が入り混じっている。

本論文では、以上のような多面的な自己言及概念をコミュニケーション概念と結びつけることによって、ルーマンは社会学の「普遍理論」を打ちたてようとしたのだと考える。ルーマンのテキストにおいて自己言及というタームが多様な水準において用いられていることは、システム理論としての一貫性を考えると混乱を招く要因であると思われる。しかし、たとえそうであっても、自己言及概念の多面性が社会学の分析枠組として有意味であればよい(そうでなければ自己言及概念の使用を差し控えることを提案せざるを得ない)と思われる。こういった観点から「コミュニケーションの自己言及性」という見方が社会学的分析枠組としてどういう意味をもつのかを検討し、これをもって「あるべき社会システム理論」の姿を考えていく。

基底的自己言及」、「過程的自己言及」、「再帰」という三つの自己言及は、社会システム理論の水準ではそれぞれコミュニケーションという出来事、コミュニケーション・プロセス、そして社会システム(コミュニケーション・システム)という三種類の統一体に対応している。

ルーマンはダブル・コンティンジェンシーの問題とかかわらせて基礎的自己言及と社会的自己言及の同時進行について論じているが、これは行為の自己言及であって、コミュニケーションの自己言及とは区別されなければならない。他方、コミュニケーションという出来事、およびコミュニケーション・プロセスの水準の自己言及に関しては、コミュニケーションの非蓋然性を蓋然性へと変える役割を果たすメディア概念が深くかかわっている。ルーマンにおいては、行為にしてもコミュニケーションにしても、出来事という時間的持続の少ない要素がシステムを構成するとされているが、このことは「自己言及システムの理論」(具体的にはゴードン・パスクの会話理論)とかかわっている。

一方、コミュニケーション・システムの水準の自己言及に関しては、社会 (Gesellschaft) と相互作用 (Interaktion) の分化、社会の「機能的分化」といったトピックを取り上げる。これらの分化の決め手となったのは、やはりコミュニケーション・メディアだとされている。また、ルーマンにおける進化概念も、コミュニケーションのコードの変化と結びつけられている。いずれの論点においても、従来の社会学の鍵概念が「自己言及システムの理論」の観点から捉えなおされている。

最後に取り上げるのは観察者の問題である。ヴェーバーやシュッツが社会科学者と日常生活者の観察様式の差異についての基準を設けたのに対し、システム理論の「パラダイム転換」を組み込んだ社会システム理論は、どのような方法論的規準を社会学に提供することができるのか。フォン=フェルスターの所説に由来するルーマンの「セカンド・オーダーの観察」においては、その対象について「何を観察するか」ではなく「誰がそれを観察しているか」「他の観察者ならどう観察するか」といった問いの立て方がなされる。こういう記述スタンスは、さまざまな相異なるパースペクティヴが錯綜するこんにちの社会を記述するにあたって有用な認識論的立場となりうる。

以上のように、本論文ではシステム理論そのものの検討、およびシステム理論と社会学との関係の考察をつうじて、ルーマン社会システム理論を捉える新しい一つの視角を提供した。本論文のようなパースペクティヴはルーマン社会システム理論への可能なアプローチのなかのーつにすぎないのではあるが、ルーマン研究ではなく、ルーマンの企図を受け継いで「社会学的システム理論」としての社会システム理論の研究をさらに発展させていくという関心からみれば、他のアプローチに比して多くの利点をもっている。

しかし、ルーマン社会システム理論からさらに先に進むには次のような点に留意しなければならない。ルーマンにおいては、自己言及というタームがいくつもの水準にまたがって用いられることをつうじて社会学的な理論枠組の再構成が行われている。このことはさらなる検討を要する。社会学的分析枠組の洗練という関心からすれば、これらの水準を統括する必要はないかもしれない。だが、今後も「社会システム」という術語を保持し、ルーマンの言うように一般システム理論の一部門として社会システム理論を展開させて行こうとするのであれば、自己言及概念の適用にも整合性・一貫性が求められてくるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、現代社会学を代表するN.ルーマンの社会学的システム理論が、なぜ「システム理論という土台の上につくられた社会学理論」でなければならなかったのかという観点から、それが「コミュニケーションの自己言及性」を基軸とする理論構成へと展開していった過程とその社会学上の意義を解明することにある。著者は、ルーマンが学際的理論パラダイムとしてのシステム理論のさまざまな概念を自らの理論に取り入れ、かつ自らのものとして展開していく側面を詳細に分析し、それに基づいて、普遍理論としての社会学理論の構築という社会学的課題を解決しようとする試みとしてルーマンの理論形成の過程を理解できることを明らかにしている。

本文は5章からなっており、第1章で、これまでのルーマン研究では哲学的な読み方が中心であったため、ルーマンにとってなぜシステム理論を導入する必要があったのかが明らかにされてこなかったことを論じたのち、第2章では、ルーマンが参照したサイバネティクス、情報理論、開放系の理論、オートポイエーシス、セカンド・オーダー・サイバネティクスを中心とするシステム理論の展開史を詳細に跡づけている。第3章は、複雑性の萎縮、ダブル・コンティンジェンシー、メディア理論、自己言及性、オートポイエーシス概念の導入を経て、コミュニケーションを要素とする閉鎖性システムとしての社会システム理論の構築に至るルーマン社会学の展開過程をシステム理論との関係を明確にしながら独自の仕方で記述している。第4章では、ルーマンの最晩年のテーマであった全体社会 (Gesellschaft) の理論を分析し、機能分化した諸システムを環境とする社会システムとしての近代社会という位置付けを明らかにしている。第5章は前章までの考察を踏まえ、ルーマン社会学が社会システム理論であった理由を、ルーマンにとって、コミュニケーションとしての社会学はコミュニケーションからなる社会システムにおける観察者を含む観察というパラドキシカルな状況の下での普遍理論でなければならなかったことにあると論じている。

本論文は、社会学上の根本問題を解くためにシステム理論を積極的に活用したという観点から、ルーマン社会学の展開過程を首尾一貫したものとして鮮やかに描き出しており、他のルーマン研究にはない画期的な論考となっている。その一方で、ルーマン理論のもう一つの側面である現象学などの哲学的問題群との関わりが主たる考察の射程に入れられていないけれども、これは本論文の課題設定の性質上やむをえないことと判断される。そのことは筆者自身が自覚した上でのことであり、本論文がルーマン研究として新たな知見を提出したという意義をいささかも損なうものではない。

以上により審査委員会は、本論文が博士(社会学)を授与するに値するものとの結論を得た。

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