No | 118552 | |
著者(漢字) | 大井,哲雄 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | オオイ,テツオ | |
標題(和) | 染色体倍数性とDNA多型からみた日本列島におけるアオキの地理的分化 | |
標題(洋) | Geographic structure as evidenced by ploidy level and DNA variations of Aucuba japonica (Aucubaceae) in the Japanese archipelago | |
報告番号 | 118552 | |
報告番号 | 甲18552 | |
学位授与日 | 2003.09.30 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4416号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 植物の分布域の形成には,地史的要因が極めて大きな影響力を持っている。日本列島の植物は,第四紀に繰り返し起きた気候変動に伴い,分布域の縮小と拡大による変遷を遂げてきた。特に,最終氷期(約10万年〜1万年前)の寒冷化とその後の温暖化が,現在の分布域の成立に大きな影響を与え,種内レベルの地理的な分化が形成されたと考えられる。このような地理的分化の形成を明らかにする上で,系統推定の可能な分子情報に基づく解析が非常に有効である。被子植物では,半数性・母性遺伝で,種子散布で遺伝子流動が起きるオルガネラゲノムに分布変遷の歴史が反映されており,その遺伝的多型の地理的分布と系統関係から,分布域の動向,地理的分化のプロセスを捉えることができるようになってきた。日本列島の植物では,まだ解析例が限られているが,様々な植物での地理的分化のパターンを捉えることにより,日本の植物相の形成過程が明らかになると期待できる。また,オルガネラゲノムの情報に加えて,両性遺伝で,種子散布と花粉散布による遺伝子流動が起きる核ゲノムの情報も用いることにより,地理的分化と遺伝子交流の面から総合的に種内分化の全貌を明らかにできると期待できる. 本研究では,日本列島の温帯林に連続的に広い分布域をもち,種内に染色体倍数性が存在する常緑低木種アオキ Aucuba japonica(アオキ科)における地理的分化について明らかにすることを目的とした。アオキは,外部形態と染色体倍数レベルの違いから,異なる分布域をもつ種内分類群(3変種)が区別され,日本海側と太平洋側の間での地理的分化を示す代表的な植物と考えられている。概ね,太平洋側では植物体が直立するのに対し,日本海側では植物体が小型で匍匐する傾向があり,後者は日本海側の気候環境への適応により形成されたと考えられている。しかし,その区別は厳密に捉えられてはいない。また,染色体倍数性は,2倍体 (2n=16) が西日本に分布するのに対し,東・北日本には4倍体 (2n=32) が分布していることが示唆されているが,分布域内を通しての染色体倍数性は調べられていない。このような現状を踏まえ,まず,アオキ種内における種内倍数性と葉緑体DNA多型から地理的分化を明らかにし,種内倍数体の起源を明らかにした。また,明らかになった地理的分化を考慮し,種内レベルでの遺伝マーカーとして注目されはじめている核DNA low-copy遺伝子の多型解析を用いて,種内における遺伝子交流について明らかにした。これらの結果をまとめ,アオキ種内の地理的分化の過程について考察した。 結果と考察 染色体倍数レベルと葉緑体DNA多型からみたアオキの地理的分化 アオキ種内の2倍体と4倍体の地理的分布を明確に捉えるため,フローサイトメトリー法を用いて,分布域全体を網羅した個体のサイトタイプを調べた。根端細胞の染色体数を顕微鏡観察により計数した2倍体個体と4倍体個体を各サイトタイプのサイズマーカーにし解析した結果,調べた151個体のうち,58個体が2倍体,93個体が4倍体として区別できた。サイトタイプの地理的分布は,中国・四国地方の東経134度付近を境にして,西日本・台湾北部・欝陵島に2倍体,東日本に4倍体が分布していることが明らかになった(paragraph)。 アオキ種内の遺伝的多型における地理的構造を捉えるため,分布域全体を網羅した葉緑体DNA多型の地理的分布を調べた。3種類の遺伝子間領域atpB-rbcL; psbA-trnH (GUG); trnT (UGU)-trnL (UAA)5'exon の塩基配列(約1,900bp)を234個体について決定し,塩基置換と length polymorphismにより,9個のハプロタイプが区別できた。アオキ種内の葉緑体DNA多型は,塩基多様度 (π=0.00303) で,平均的な植物種内レベルにある。ハプロタイプについての系統解析の結果からは,アオキは,台湾中南部のAucuba chinensisと単系統群となり,そのクレードは2つのサブクレード(系統1, 系統2)からなること,系統1にA. chinensis が含まれ,アオキが側系統群であることが示された(paragraph)。葉緑体DNAの塩基置換速度 (Richardson 2001)と,アオキとA. chinensis の塩基多様度に基づくと,系統1と系統2の推定分岐年代は320万年〜19万年前であった。それら2つの系統の地理的分布は,非常に明確な地理的構造をもち,系統1が西日本・台湾北部・韓国欝陵島と,関東・東海に,系統2が四国東部・紀伊半島・日本海側・東北にかけて分布しており,さらに各ハプロタイプには地域的な偏りがみられた(paragraph)。また,染色体倍数性も考慮した地理的分布では,西日本の系統1の分布域の東端に4倍体が存在し,中国・四国地方にみられるサイトタイプの分布境界に近接して東側に,葉緑体の系統の分布境界がみられた(paragraph)。 葉緑体ゲノムは種子散布で遺伝子流動が生じるため分布域の変遷を反映しており,さらにアオキは他の暖温帯植物同様に,最終氷期に太平洋沿岸に縮小していた分布域が温暖化により拡大したことを踏まえると,アオキの地理的分化のパターンは,最終氷期に異なる集団に別れていた系統の分布域が,その後の温暖化に伴い独立に拡大したことにより形成されたことが想定される。その過程において,系統2とJa-4x(系統1)の間では,脊梁山脈が地理的障壁となったが,障壁のみられない地域では,異なる集団から拡大してきた系統1と系統2の分布域が接触したことが考えられる。 染色体倍数体の起源は,系統関係に基づくと,少なくとも系統1のJa1-4xとOv-4xのそれぞれで1回,系統2の基部で1回の,計3回の倍数化が生じたことが明らかになった(paragraphの矢印)。系統2の推定分岐年代から,系統2における倍数化は3万年以前に生じたと推定され,最終氷期後の分布拡大時には4倍体が存在していたと考えられる。現在,系統2には祖先2倍体が存在せず,既に6種類のハプロ・サイトタイプに分化しているのに対し,系統1の2つの4倍体それぞれに,同じハプロタイプをもつ祖先2倍体が存在することは,系統1における2回の倍数化が,系統2における倍数化に比べて,最近に生じた可能性を示唆している。系統1には,同じハプロタイプを持つ2倍体と4倍体の群が2組(Jal-2xとJal-4x群,Ov-2xとOv-4x群)含まれ,その地理的分布は,Ja群では2倍体と4倍体が九州と関東・東海に隔離しているが,Ov群では2倍体の分布域の東端に側所的に4倍体が分布している(paragraph)。この2群の地理的分布の違いは,倍数化と地理的分化の成立過程に違いがあることを示しており,Ja群では最終氷期の分布域の縮小に伴い,九州に2倍体,関東・東海に4倍体の隔離が生じ,各々が独立に分布を拡大した一方で,Ov群では2倍体の分布拡大した後に,最近に4倍体が生じたと考えられる。 核DNA多型からみた葉緑体の系統間における遺伝子交流 アオキ種内の葉緑体の2つの系統の間での核DNAの遺伝子交流について,GapC 遺伝子の多型解析を行った。アオキのサイトタイプを調べた151個体と,葉緑体の系統関係でアオキとの単系統性が示されたA. chinensis 7個体ついて,PCR・ダイレクトシークエンスによりヘテロ個体とホモ個体を区別し,ヘテロ個体はクローニング法により,各個体内の対立遺伝子の分離を行った。その結果,塩基置換とlenghth polymorphism により,アオキには24個,A. chinensis に8個の計32個の対立遺伝子が区別でき,塩基多様度 (π) は,0.01185であった。対立遺伝子の遺伝子系統樹は,基部での2分岐がみられたが,葉緑体の系統関係とは一致せず,またA. chinensis は単系統にはならなかった(paragraph)。32個の対立遺伝子のうち,6個が葉緑体の異なる系統間で共有されており,そのうち3個は4倍体間のみで共有され,残りの3個は2倍体と4倍体で共有されていた。対立遺伝子の地理的分布には,染色体倍数性および葉緑体DNA多型にみられたような明確な地理的構造がみられなかったが,葉緑体の系統間および2倍体と4倍体で共有される2個の対立遺伝子で地域的な偏りがみられ,対立遺伝子Kが分布域全体にみられ,且つ特に東・北日本の4倍体に偏り,対立遺伝子fが西日本の2倍体に偏っていた(paragraph)。 核DNAと葉緑体DNAの系統関係の不一致,及び葉緑体の系統間での対立遺伝子の共有からは,葉緑体の系統間における遺伝子交流が生じている可能性、または葉緑体の系統が分岐する以前の祖先多型を反映している可能性が考えられる。しかし,自然集団では4倍体から2倍体への遺伝子流動が知られていないこと,また一般的に核DNAの進化速度が葉緑体DNAより速いことを考慮すると,対立遺伝子の共有は,系統が分岐した後に生じたと考えられ,葉緑体の2つの系統間に遺伝子交流が生じていることを示唆している。特に,2倍体と4倍体で共有される対立遺伝子kは,分布域全体を通してみられ(paragraph),系統1における2倍体から4倍体への遺伝子流動と,その後の異なる起源の4倍体間での遺伝子交流が生じていることを示していると考えられる。 アオキ種内では,染色体倍数化が,異なる系統で異なるタイミングで生じ,2倍体から4倍体へ遺伝子流動が繰り返し生じ,さらに異なる起源の4倍体間での遺伝子交流が生じることにより,分布域全体における核遺伝子の移動があることが示唆された。 葉緑体DNAハプロタイプとサイトタイプにより区別されるハプロ・サイトタイプの地理的分布. 葉緑体DNAの遺伝子間領域の塩基配列に基づくアオキ属の系統関係. GapC遺伝子の対立遺伝子の地理的分布. GapC遺伝子の対立遺伝子の遺伝子系統樹. | |
審査要旨 | 本論文は2章からなり、第1章は染色体倍数レベルと葉緑体DNA多型からみたアオキの地理的分化について、第2章は第1章で見いだされた葉緑体の2系統間および2倍体と4倍体間での核DNA多型の変異について述べられている。 第1章ではまずアオキ種内のサイトタイプの地理的分布を明確に捉えるため,フローサイトメトリー法を用いて,分布域全体を網羅した個体の倍数性を調べ、中国・四国地方の東経134度付近を境にして,西日本・台湾北部・欝陵島に2倍体,東日本に4倍体が分布していることが明らかにした。次に、分布域全体を網羅した葉緑体DNA多型の解析を行い、ハプロタイプの地理的分布と系統関係を調べた。その結果アオキは,台湾中南部のAucuba chinensisと単系統群となり,そのクレードは2つのサブクレード(系統1,系統2)からなること,系統1にA. chinensis が含まれ,アオキが側系統群であることが明らかになった。それら2つの系統の地理的分布は,非常に明確な地理的構造をもち,系統1が西日本・台湾北部・韓国欝陵島と,関東・東海に,系統2が四国東部・紀伊半島・日本海側・東北にかけて分布しており,さらに各ハプロタイプには地域的な偏りがみられた。また,染色体倍数性も考慮した地理的分布では,西日本の系統1の分布域の東端に4倍体が存在し,中国・四国地方にみられるサイトタイプの分布境界に近接して東側に,葉緑体の系統の分布境界がみられた。このようなアオキの地理的分化のパターンは,最終氷期に異なる集団に別れていた系統の分布域が,その後の温暖化に伴い独立に拡大したことにより形成され,本州中部では,脊梁山脈が地理的障壁となったが,障壁のみられない西日本地域では,異なる集団から拡大してきた系統1と系統2の分布域が接触したと考えられる。染色体倍数体の起源は,系統関係に基づくと,少なくとも3回の倍数化が生じたことが明らかになった。系統樹の推定分岐年代から,系統2の4倍体は3万年以前に生じ,最終氷期後の分布拡大時には存在していたのに対し、系統1の2つの4倍体はより最近に生じた可能性が示唆された。系統1には,同じハプロタイプを持つ2倍体と4倍体の群が2組含まれ,1組は九州と関東・東海に隔離しているが,他の組は2倍体の分布域の東端に側所的に分布している。この2群の地理的分布の違いは,倍数化と地理的分化の成立過程に違いがあることを示しており,前者では最終氷期の分布域の縮小に伴い,九州に2倍体,関東・東海に4倍体の隔離が生じ,各々が独立に分布を拡大したのに対し,後者では2倍体の分布拡大した後に,最近に4倍体が生じたと推定される。 第2章ではアオキ種内の葉緑体の2系統間および2倍体と4倍体間での核DNA多型の変異について,第1章でサイトタイプを調べた151個体と,葉緑体の系統関係でアオキとの単系統性が示されたA. chinensis 7個体を材料とし、GapC遺伝子の多型解析を行った。その結果、アオキには24個,A. chinensis に8個の計32個の対立遺伝子が区別できた。対立遺伝子の遺伝子系統樹は,基部での2分岐がみられたが,葉緑体の系統関係とは一致せず,またA. chinensis は単系統にはならなかった。また、32個の対立遺伝子のうち,6個が葉緑体の異なる系統間で共有されており,そのうち3個は4倍体間のみで共有され,残りの3個は2倍体と4倍体で共有されていた。核DNAと葉緑体DNAの系統関係の不一致,及び葉緑体の系統間での対立遺伝子の共有について,一般的に核DNAの進化速度が葉緑体DNAより速いことを踏まえ,対立遺伝子の共有は,系統が分岐した後に生じたもので,葉緑体の2つの系統間に遺伝子交流が生じていることを示唆していると考察した。アオキ種内では,染色体倍数化が,異なる系統で異なるタイミングで生じ,2倍体から4倍体へ遺伝子流動が繰り返し生じ,さらに異なる起源の4倍体間での遺伝子交流が生じることにより,分布域全体における核遺伝子の移動が維持されていることが示唆された。 本論文は現在の日本列島の植物相の成立に大きな影響を与えたと考えられる最終氷期とそれ以後の植物の動向について、日本産の代表的な広域分布種であるアオキの特色を活かし、最も先端的なDNA分子情報の解析技術を応用して解析した先駆的な研究であり、地理的分化と遺伝子交流の面から総合的に種内分化の全貌を明らかにした優れた研究であると評価される。また、一般には種分化を強く促進すると考えられている染色体倍数化が起こっても、倍数化のたびに2倍体から倍数体に遺伝子が移動することにより、その種が倍数体複合体として維持される可能性を示唆した点でも貢献があったと考えられる。 なお、本論文第1章は、梶田忠、邑田仁との共同研究であるが、論文提出者が主体となって調査、分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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