学位論文要旨



No 118567
著者(漢字) 宋,虎斌
著者(英字)
著者(カナ) ソン,ホビン
標題(和) 建設作業員の「イハン」の意味空間に関する研究 : 建設現場のエスノグラフィ
標題(洋) An Ethnographic Study of the Social Meanings of "Violation" : Voices of Japanese Construction Workers
報告番号 118567
報告番号 甲18567
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5586号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 堀井,秀之
 東京大学 助教授 小澤,一雅
 東京大学 助教授 堀田,昌英
 他機関 助教授 渡邊,法美
内容要旨 要旨を表示する

昭和47年に労働安全衛生法が施行されてから、政府や産業界の労働災害防止対策が強化され、平成14年までに建設産業における死亡災害と死傷災害はともに約7割減少している。しかし建設産業は全産業の1割の就業者を抱えているのに対し、平成14年現在において死亡者数と死傷者数は依然としてそれぞれ全産業の4割弱と2割強という高い比率を占めており、決して安閑としていられる状況とはいえない。

建設労働災害の発生原因として建設作業員の不安全行動ないし「イハン」が取り上げられる場合が多い。しかし既往の災害発生原因の分析においては、建設作業員の文化的主体性への無関心という本質的な問題があり、原因の的確な特定を妨げている可能性がある。本研究は、建設作業員の日常生産活動のなかで現出する言動を観察し、彼らのイハンの意味空間の再構築を目的とした。

本研究ではエスノグラフィーという研究手法を用い、5ヶ月間のフィールドワークを行った。二つのフィールドの型枠大工ととび職の建設作業員51人と7人の元請会社の職員(うち、キーインフォーマントはそれぞれ23人と7人)の言動を記録したデータから、建設作業員が付与する安全関連の規則イハンの文化的意味および彼らをイハンへと導く社会的要因を分析し、建設作業員のイハンの意味空間を再構築した。

本研究における建設作業員のイハンの意味空間とは、建設現場における諸活動のなかで安全関連の諸規則に抵触するイハン行為に対する作業員の定義である。建設作業員のイハンの意味空間は、行為主体、行為主体間の相互作用、行為の帰結(規則遵守とイハン)や価値体系などの四つの要素によって構成されている。イハンの意味空間は作業員によって異なるものであるが、以下の(1)から(4)に示すような共通性の高い部分がある。

(1)建設作業員にとって身体的安全は極めて重要な価値であるが、いかなる場合においても他の全ての価値を凌駕する価値ではない。安全関連の諸規則が安全以外の重要な価値の追求を妨げると認識すると、その一つの解決策として建設作業員たちは規則にイハンする。

(2)建設作業員がイハン行為を行うとき、認知的緊張関係を低減するために、二つの緩和的テクニックを用いる。規則の遵守と安全を分離するのが第一の緩和的テクニックであり、規則の遵守が重要な価値の追求を妨害していることを強調するのが第二の緩和的テクニックである。

(3)建設作業員が日常的に行っている主な社会的相互作用は、集団内の成員との間で行われるものと、元請の職員と行っているものの二種類がある。集団内の相互作用のうち、職長/親方への服従はイハンの一つの源泉となる場合がある。

(4)作業員と元請の職員の相互作用には、矯正、協働、共謀の三つのモードがある。矯正モードが発動された場合に作業員のイハンは抑止されるが、協働と共謀モードが働く場合はイハンが実現する。日常的な生産活動において、矯正、協働、共謀の三つのモードのどれを選ぶかは殆ど職員に依存しているため、作業員は場面の定義を適切に読み取る必要がある。

建設作業員のイハンの意味空間は共通性のみならず、多様性と動的様相も有している。観察された六つの類型のイハンのうち、積極型と消極型のイハンは共通性によって説明できるが、頑固型、遊び型、忘却型、その他(二日酔い)のイハンについては説明し切れないところがある。また、建設作業員のイハンは社会的経験のなかで習得されるため、イハンの意味空間は動的様相を呈している。

建設作業員の規則遵守と経済性について考察した結果、建設作業員にとって「目標達成のための是認された道が厳しく制限されたり、全く閉ざされている」との仮説を導き、この仮説は以下に示す三つの命題によって検討できることを示した。

a) 「建設現場の日常的な生産活動においてイハンが大規模に発生している」

b) 「積算基準における労務単価若しくはそれに準ずる労務単価は産業の平均を反映している」

c) 「規則遵守により建設作業員の生産性が低下する」

命題b)は、労務単価に関する調査が実勢調査であるため真であると考えられるが、命題a)とc)については、それぞれ統計的検証と実験的検証が必要であることを示唆した。

建設作業員のイハンを減少させるには、経済的配慮、教育および罰則などの事柄が重要と考えられる。建設作業員の「目標達成のための是認された道が厳しく制限されたり、全く閉ざされている」のであれば、建設作業員のイハンを減少させるために、まず経済的配慮を行うとともに作業員に対する教育を実施し、罰則の適用を補助的手段として用いる包括的な方法を採用することが有効であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

昭和47年に労働安全衛生法が施行されてから、政府や産業界の労働災害防止対策が強化され、平成14年までに建設産業における死亡災害と死傷災害はともに約7割減少している。しかし建設産業は全産業の1割の就業者を抱えているのに対し、平成14年現在において死亡者数と死傷者数は依然としてそれぞれ全産業の4割弱と2割強という高い比率を占めている。

建設労働災害の発生原因として建設作業員の不安全行動ないし「イハン」が取り上げられる場合が多い。しかし既往の災害発生原因の分析においては、建設作業員の文化的主体性への無関心という問題があり、これが原因の的確な特定を妨げている可能性がある。本論文は、建設作業員の日常生産活動のなかで現出する言動を観察し、彼らのイハンの意味空間を再構築することを目的としている。

本論文ではエスノグラフィーという研究手法を用い、5ヶ月間のフィールドワークを行っている。二つのフィールドの型枠大工ととび職の建設作業員51人および7人の元請会社の職員(うち、キーインフォーマントはそれぞれ23人と7人)の言動を記録したデータから、建設作業員が付与する安全関連の規則イハンの文化的意味および彼らをイハンへと導く社会的要因を分析し、建設作業員のイハンの意味空間を再構築している。

本論文においては、建設作業員のイハンの意味空間を、建設現場における諸活動のなかで安全関連の諸規則に抵触するイハン行為に対する作業員の定義として論じている。建設作業員のイハンの意味空間は、行為主体、行為主体間の相互作用、行為の帰結(規則遵守とイハン)や価値体系などの四つの要素によって構成されていると分析している。イハンの意味空間は作業員によって異なるものであるが、以下の1)から4)に示すような共通性の高い部分があることを明らかにしている。

1)建設作業員にとって身体的安全は極めて重要な価値であるが、いかなる場合においても他の全ての価値を凌駕する価値ではない。安全関連の諸規則が安全以外の重要な価値の追求を妨げると認識すると、その一つの解決策として建設作業員たちは規則にイハンする。

2)建設作業員がイハン行為を行うとき、認知的緊張関係を低減するために、二つの緩和的テクニックを用いる。規則の遵守と安全を分離するのが第一の緩和的テクニックであり、規則の遵守が重要な価値の追求を妨害していることを強調するのが第二の緩和的テクニックである。

3)建設作業員が日常的に行っている主な社会的相互作用は、集団内の成員との間で行われるものと、元請の職員と行っているものの二種類がある。集団内の相互作用のうち、職長/親方への服従はイハンの一つの源泉となる場合がある。

4)作業員と元請の職員の相互作用には、矯正、協働、共謀の三つのモードがある。矯正モードが発動された場合に作業員のイハンは抑止されるが、協働と共謀モードが働く場合はイハンが実現する。日常的な生産活動において、矯正、協働、共謀の三つのモードのどれを選ぶかは殆ど職員に依存しているため、作業員は場面の定義を適切に読み取る必要がある。

建設作業員のイハンの意味空間は共通性のみならず、多様性と動的様相も有していると分析している。本論文において観察された六つの類型のイハンのうち、積極型と消極型のイハンは共通性によって説明できるが、頑固型、遊び型、忘却型、その他(二日酔い)のイハンについては説明し切れないところがあり、また、建設作業員のイハンは社会的経験のなかで習得されるため、イハンの意味空間は動的様相を呈していると論じている。

また、建設作業員の規則遵守と経済性について考察した結果、建設作業員にとって「目標達成のための是認された道が、厳しく制限されたり全く閉ざされている」との仮説を導き、この仮説は以下に示す三つの命題によって検討できることを論証している。

a) 「建設現場の日常的な生産活動においてイハンが大規模に発生している」b) 「積算基準における労務単価若しくはそれに準ずる労務単価は産業の平均を反映している」c) 「規則遵守により建設作業員の生産性が低下する」命題b)は、労務単価に関する調査が実勢調査であるため真であると考えられるが、命題a)とc)については、それぞれ統計的検証と実験的検証が必要であることを示唆している。

建設作業員のイハンを減少させるには、経済的配慮、教育および罰則などの事柄が重要と論じている。建設作業員の「目標達成のための是認された道が、厳しく制限されたり全く閉ざされている」のであれば、建設作業員のイハンを減少させるために、まず経済的配慮を行うとともに作業員に対する教育を実施し、罰則の適用を補助的手段として用いる包括的な方法を採用することが有効であると提唱している。

本論文は建設作業員の文化的主体性への無関心という既往の研究および建設労働安全管理に関する諸政策の問題点に着目し、建設作業員のイハンの意味空間を再構築することに成功している。その結果に基づき、建設作業員の規則遵守と経済性に関する分析から、イハンを減少させるための今後の政策立案にとって有益な数多くの知見および示唆を提示していると認められる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク