学位論文要旨



No 118570
著者(漢字) 広瀬,望
著者(英字)
著者(カナ) ヒロセ,ノゾム
標題(和) チベット高原における陸面水文の不均一性のモデル化
標題(洋) Modeling of the heterogeneity of the land surface hydrology in the Tibetan Plateau
報告番号 118570
報告番号 甲18570
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5589号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 助教授 楊,大文
 東京大学 講師 鼎,信次郎
 東京大学 助教授 溝口,勝
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、チベット高原における土壌水分の不均一性に着眼し、次の四点を行った。

1)土壌水分の不均一性形成メカニズムの理解(第四章、第五章)2)土壌水分の不均一性再現モデルの開発とその再現性の検討(第六章、第八章)3)衛星データを用いた微地形情報抽出手法の提案とその適用(第七章)4)土壌水分の不均一性が領域平均蒸発量算定に与える影響評価と土壌水分の不均一性の変動特性理解(第九章)

まず、本論文の背景と問題提起は第一章から第三章に記述された。その内容を簡易にまとめ、本論文の重要性と全体像を記述する。次に、各章で論じた本論文の具体的な成果は先に列挙した四点である。この四点を整理し、本論文の要旨とした。

本論文の背景と問題提起 (第一章、第二章、第三章)

グローバルな気候変動は大規模水災害の増加を引き起こす。したがって、水害の防御や長期的な水資源管理の実現に向けて、気候モデルによる長期予測に基づく災害発生予測が不可欠である。しかしながら、気候モデルは多くの問題点を抱え、大気の温度場や気圧場に比べ、降水や地表面水文量などの水文変動予測の精度は十分ではない。その主たる原因は気候モデルにおける空間解像度が粗いことである。地表面は大気と比較し、多様で不均一であるため、その情報を気候モデルで考慮することが出来ない。したがって、気候モデルに陸面の多様性を取り込む手法開発が急務であり、多くの研究者によって活発に研究されている。

本論文は、気候システムの中で重要な役割を果たす陸面の土壌水分量に着目し、気候学的な重要なチベット高原を研究フィールドと定めた。まず、1)野外観測に基づく土壌水分の不均一性形成メカニズムの理解、2)観測によって得られた知見を基礎とした土壌水分の不均一性再現モデルの開発とその再現性の検討、3)衛星データを用いた微地形起伏推定手法の提案の3つを組み合わせた統合的な研究を進める。次に、4)開発したモデルをチベット高原域に展開し、土壌水分の不均一性が領域平均蒸発量算定に与える影響評価を行い、土壌水分の不均一性推定手法の基礎的検討を行うこととした。各章の詳細な内容について、以下に記述する。

本論文の成果

本論文の成果は次の四点である。それぞれの内容を簡単に記述する。なお、括弧内は本論文内で対応する章番号を付記した。

土壌水分の不均一性形成メカニズムの理解(第四章、第五章)

まず、既往の研究成果をレビューし、土壌水分の不均一性形成メカニズムを推論する。その推論したメカニズムの妥当性を検討するため、チベット高原において、総合的な観測計画を立案・実施した。その結果、土壌水分の分布特性を高原全域で明らかにするとともに、推論した土壌水分の不均一性形成メカニズムの妥当性が明らかとなった。すなわち、チベット高原平坦地における土壌水分の不均一性は微小な地形起伏における水分の貯留効果が端緒である。しかしながら、春期と夏期で異なるメカニズムが機能する。

春期は表面貯留による土壌水分の乾湿偏差が凍土の融解速度に影響を与える。まず、比較的湿潤な領域に着目する。この領域では、土壌水分が大きいため、1)蒸発に使われるエネルギーが多くなり、土壌の熱容量が増加する。このため、地中熱流量は小さくなり、凍土の融解速度が遅く、凍土層の深さは浅くなる。また、凍土層上面が不透水層として機能し、水分の流下を妨げるため、土壌水分の高い状態が維持される。一方、比較的乾燥領域では、蒸発に使われるエネルギーが小さく、熱容量が小さいため、地中熱流量が多くなる。その結果、融解速度が速く、活動層厚さが大きくなる。そのため、水分の流下を妨げる要素がないため、土壌水分の低い状態が維持される。このように表層土壌水分と凍土の融解過程との相互作用が乾湿偏差を拡大し、土壌水分分布を形成する。

次に、夏期に視点を移す。夏期は凍土の融解層が深く発達し、凍土層上面の影響が減少する。しかし、夏期は降水の増加とともに、表層における飽和層形成が容易である。飽和層形成により表面浸透能が低下し、浸透能を越えた水分は微小な地形のうねりに沿って移動する。このため、微地形起伏の下部に水分の貯留域が形成され、土壌水分の不均一性が助長される。

土壌水分の不均一性再現モデルの開発とその再現性の検討(第六章、第八章)

観測結果に基づく検討から、土壌水分の不均一性形成メカニズムは、春期と夏期で異なることが明らかとなった。しかし、土壌水分の不均一性形成の端緒は微小な地形のうねりである。この微小な地形のうねりを微地形起伏と定義し、微地形起伏をモデル化することによって、土壌水分の不均一性の再現が可能である。そこで、本論文は、凍土域における水・熱移動を記述する凍土一次元モデルに水分の貯留効果を組み込むこととした。具体的には、微地形起伏の凹凸による水分貯留の形成を、表面での水分貯留高として表現する。その貯留高が領域内の微地形起伏に応じて分布すると考え、土壌水分の不均一性再現モデルを構築した。

次に、開発したモデルをチベット高原に適用し、観測された土壌水分分布がよく再現されることを示した。

衛星データを用いた微地形情報抽出手法の提案とその適用(第七章)

土壌水分の不均一性が形成する端緒は微地形起伏による表面での水分貯留分布である。したがって、微地形起伏を把握することが出来れば、土壌水分の不均一性を再現することが出来ると考えられる。しかし、人的な観測では、限られた領域における地形起伏しか計測できない。そこで、衛星データを用いた微地形起伏情報抽出手法を検討した。

本論文で用いた衛星データは高分解能で観測可能な合成開口レーダ(SAR)による。この能動型マイクロ波放射計であるSARは、観測される後方散乱係数が入射角に応じて変化する。この入射角変化は微地形起伏に依存する。したがって、後方散乱係数から入射角依存性に関する情報を抽出できれば、微地形起伏の把握が可能である。そこで、まず、この現象を土壌内部におけるマイクロ波の伝達特性の記述が可能な数値モデルを用いて確認した。次に、数値モデルのシミュレーション結果より得られた知見に基づいて、微地形起伏情報抽出手法を提案した。更に、高原全域に適用し、微地形起伏情報を抽出するとともに、現地観測データとの比較検討を行い、その妥当性を検証した。

モデルに基づく大気への影響評価と土壌水分分布の変動特性の理解(第九章)

土壌水分分布が再現できるモデルを用いて、土壌水分の不均一性が領域平均蒸発量算定に与える影響を検討した。この結果、領域平均蒸発量を正しく見積もるためには、土壌水分分布の平均値のみならず、土壌水分分布の標準偏差が必要であることが明らかになった。しかしながら、土壌水分の分布状態を計測することは困難である。例えば、衛星による土壌水分推定は空間分解能が粗いため、領域平均値しか計測できない。そこで、a)土壌水分分布の平均値、b)モデルの境界条件となる最大貯留高分布、c)降雨変動の3点から、土壌水分分の不均一性による領域平均蒸発量の誤評価を推定したい。

本論文は、領域平均蒸発量の誤評価推定手法の基礎的検討として、b)とc)に対する土壌水分の不均一性の変動特性を、モデルを用いて検討した。その結果、最大貯留高分布の形状、降雨強度、降雨パターンに対して、土壌水分の不均一性が変動するメカニズムを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,地表面の土壌水分不均一性が大気−陸面間の水・エネルギーフローに与える影響の定量的評価のための基礎研究として,現地観測,数値モデルの開発,衛星観測手法の利用,数値シミュレーションによるプロセス研究に取り組んだものである.

本研究では地表面の土壌水分分布に大きな影響を与える要素として微地形に焦点を当て,植生が疎らで気候学的に重要なチベット高原を観測研究対象領域を設定し,継続的な点観測と短期集中的な面観測を組み合わせて土壌水分の不均一性形成メカニズムを明らかにした.すなわち,チベット高原における平坦地での土壌水分不均一性の形成は微小な地形起伏による水分の貯留効果が端緒であり,表層土壌水分と凍土の融解過程との相互作用が乾湿偏差を拡大し,大きな土壌水分分布を形成することを明らかにした.

次に,土壌水分の不均一性を再現するために,微地形起伏による表層の水分貯留効果を表すモデルと凍土の融解過程を記述できるモデルを組み合わせた土壌水分分布モデルを開発し,微地形起伏に応じた最大貯留高分布を導入することにより,チベット高原の4つの観測サイトで土壌水分分布の季節変化の再現計算を行い,モデルの適用性が良いことを確認した.

本研究で開発したモデルを広域に適用するためには微地形起伏の分布の計測が必要となる.そこで,10m程度の高分解能を有する衛星搭載合成開口レーダ(SAR)によって得られる後方散乱係数の観測値と,マイクロ波伝達モデルとを組み合わせた微地形起伏抽出手法を開発した.本手法で推定された微地形起伏分布と,上記の土壌水分の不均一性再現モデルによって得られた最大貯留高分布を比較し,定性的に適合することを確認した.

最後に,開発したモデルによるシミュレーション結果に基づいて,微地形起伏に由来する最大貯留高分布,降水強度,降水パターンが土壌水分分布特性および領域平均蒸発量算定の精度に与える影響を定性的に示した.

以上,本研究は,全球水循環の数値モデル化において重要な役割を担っている陸面過程のモデル化の精度向上に貢献するところが大きく,その成果は長期的,地球的な水循環変動のより確かな情報を社会に提供して,水災害による被害軽減に資するところが大きく,社会的有用性に富む独創的な研究成果と評価できる.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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