学位論文要旨



No 118578
著者(漢字)
著者(英字) Islam,Md. Sirajul
著者(カナ) イスラム,モハマド シラジュール
標題(和) 利根川流域および首都圏を対象とした気候変動が水利用に与える影響の統合評価
標題(洋) Integrated Assessment of Water Availability under Climatic Changes along the Tone River and Tokyo Metropolitan Area
報告番号 118578
報告番号 甲18578
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5597号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 助教授 滝沢,智
 東京大学 講師 荒巻,俊也
内容要旨 要旨を表示する

地球の気候が日々変化していることは広く知られるようになってきた事実である。今日の地球規模での人間活動による温室効果ガスの激増は、温室効果として知られる地球の気温上昇を引き起こしてきている。ここ10年(1991年〜2000年)の 地球の平均気温は、気温の測定記録のある1800年代半ば以来、最も高く、気温上昇効果による、自然や、人、または、社会経済などのさまざまなセクターに対する影響への懸念が強まっている。

こうした状況下で、水資源問題は最も不安定な要素として考えられている。温暖化が懸念されはじめた頃から、温暖化による水文学や水資源への影響は、自然や、社会、経済に多大なインパクトを与えうるということが広く認識されてきている。水循環のバランス、水需要や水質などの変化を含む将来の気候変化によって、一つの地域の水文学的システムはさまざまな影響を受けうる。ところが、その影響の性質や大きさは、一般化することが困難で、考慮されるパラメーターや、地域ごとの地形や水文学的な気候の性質が違うため、異なるセクターや地域では、その影響の性質や大きさが異なる。

本研究では、将来、気候が変化した時の、都市における利用可能水量の予測を研究対象としている。研究対象地域として東京都都市圏(TMA)を選んだ。ここでの東京都都市圏(TMA)の定義は、東京都のうち、東京都水道局によって配水がなされている地域のこととする。TMAは、供給水量のうち約80%を利根川から取水しており、2,3年に約1回の頻度で水不足に陥っている。都市周辺部での利用可能水量に影響を与えるいくつかの因子は、自然のシステムの変化による因子と人間活動の変化による因子に分けられる。TMAの利用可能水量に影響する因子を特定するための最初のステップとして、いくつかの水文学的な気候上のパラメーターの、歴史的変動の性質と相関関係を調べた。TMAでの水管理のための重要な地点と考えられる利根川の栗橋地点が、調査地点として選択された。1961年から2000年の間に、利根川流域では約1.3℃の気温上昇が観測されており、これは全球平均の約0.5℃の気温上昇よりもかなり高い。この期間における降雨量は増加傾向にあるものの、降雨の年変動が大きく、結果としてTMAにおける利用可能水量は年ごとに大きく変動するようになってきている。また、渇水の年のほとんどで、温度が高く、降水量が少なかった。雨水の流出量と降水量との比、または、流域での河川への流出量も気候変動に敏感であることが観測された。他方で、この期間での流域における土地利用の変化はわずかであった。従って、観測された利根川の流れの変動は、気候変動にほとんど依存していると考えることができる。ところが、観測された相互関係から、自然のシステムとは別に、農業用水や家庭用水などの気候に感受性のあるいくつかの人間活動もまた、栗橋地点での流れの変動に重要な役割を果たしているということが仮定できることが分かった。

次のステップとして、将来、気候が変化した時のTMAにおける利用可能水量の統合的評価をおこなった。この目的のために、物理学に基づいたsemi-distributed水均衡モデルを作成した。利根川流域は複雑な河川システムの一例であり、上流域に八つの多目的の貯水池をもつ。これらの貯水池は流域内で、水力発電、灌漑、工業用水や家庭用水など、水資源の管理の上で重要な役割を果たす。他にも利根川の利用可能水量に影響を与えうる自然の、人工のあるいは社会経済的ないくつかの要因がある。統合的評価とはここでは、自然と人工の水システムの変化を需要と供給の両方の側から評価することを意味する。利根川上流域での人間活動を注意深く調査することで、利根川の利用可能水量に影響を与える二つの主要な人工のシステムとして、灌漑のための取水と貯水池での流量調整が選択された。そこで、現実の水の流れを適切に表現するために、気候、水文学、人による水使用など、全てのシステム構成要素間の相互作用をモデルの中で適切に記述した。TMAにおける利用可能水量の変化は、自然の水文学的バランスと人による水使用の両方の、起こりうる全ての変化の統合的な影響からもとまると考えられる。

TMAにおける将来の利用可能水量を評価するためには、おそらく、将来の気候の予測が最も重要なステップである。複雑な大気循環システムとその水圏との間の相互関係についての知見が不足しているため、将来の気候の正確な予測は依然として、ほとんど分かっていない。こうしたケースでは、将来の気候シナリオを仮定する手法が一般的に用いられる。将来の気候シナリオをもとめるためには、水文学的シナリオ、GCMシナリオ、古気候学シナリオなどのいくつかの手法がある。本研究では、水文学的シナリオとGCMシナリオを用いた。水文学的シナリオとしては、1℃、2℃、3℃の気温上昇と+10%と−10%の降水量変化を仮定した。自然の水文学的均衡や農業用利用水、TMAにおける水需要の、起こりうる変化の統合的な影響から、TMAにおける利用可能水量への気候変化の影響をもとめた。3℃の気温上昇と−10%の降水量変化を仮定した、最悪の気候変化シナリオの場合、水需要が最大になる4月から7月の間、利根川の流量は約30〜50%減少することが推定された。もうひとつのシナリオとして、地域気候モデル(国立環境研究所(NIES)によって開発されたGCMの予測値を土木研究所(PWRI)がダウンスケールしたもの)と統計学的ダウンスケーリング技術(農業生物資源研究所(NIAR)より)の両方によるGCMをダウンスケールした値を用いた。大気中のCO2濃度を現在の二倍とした場合の全てのケースで、2〜5℃の気温上昇が推定された。しかし、降水量の傾向は、モデル間で異なった。スケールダウンされた値を用いた地域気候モデルでは、一年のうち、ほとんどの月で、降水量や利根川への雨水の流出量がより少なくなることが予測された。CO2濃度が現在の二倍となるシナリオでは、一年のほとんどの期間で約40〜60%の流量の減少が観測された。ところが、四つの異なるGCM(CSIRO-Mk2、CGCM1、CCSR-98、ECHAM4)から統計学的にスケールダウンしたGCMの予測値では、年間を通しての、降水量変化と利根川の流量の結果が異なった。概して、栗橋地点での流量の予測値は、4つの全てのGCMで、7月から9月の間は増加し、4月から5月の間は減少し、他の月では一定の傾きでわずかに増加するか減少するかのいずれかだった。7月から9月の間の流量増加量は約20〜40%だった。4月から5月の間の流量減少量は約25〜50%だった。

ダム湖や他の人工的な河川の調整の影響を考慮した後、水量の観点からTMAにおける利用可能水量をもとめるために、リスク概念に基づく方法でモデルの結果をさらに分析した。TMAでの水需要を含む栗橋地点での必要になる目標流量は、月ごとに異なると仮定した。risk、reliability、resiliency、vulnerabilityの四つの指標を仮定し、推定した。前述のモデルで観測された月別の流量変化は貯水池による水量調整効果を考慮しなかったものだったが、ここでは上流域での八つの多目的の貯水池の存在を考慮した。水文学的シナリオでの最悪のシナリオで、水需要が最大となる期間で約30〜50%の流量の減少が見られたが、貯水池による調整を考慮した後では、同期間でのシステムのreliabilityは13%の減少しか観測されなかった。他のGCMシナリオでも同様の結果が得られた。このことは全体としてのTMAにおける水資源システムの安定性を示す。

本研究の最後で、TMAにおける最悪のシナリオでの水の利用可能性を改善するためのいくつかの対応策について議論した。流量変動による影響を弱めるのに貯水池の存在が効果的だということが分かったが、自然や生態系へのダム建設による様々な形での有害な影響を考えると、ダム建設を唯一の解決法とすることは思いとどまらせられる。そこで考えられる代替案として、下水の再利用、雨水利用、水需要管理、土地利用管理がある。TMAにおける高い経済水準を考えると、水需要管理は魅力的でないと結論づけた。同様に、将来における土地利用の変化に対する、利根川の水の流れの感受性も高くないと予想される。他方で、下水の再利用は大きな寄与がある可能性があり、持続可能な解決策だと考えられ、また、経済的利益もあると考えられる。新しい貯水池を建設する代わりに、現在ある貯水池による流量調整機能を、運転管理によって最大限利用することもシステムの安定性の向上につながる。

この流域では、一ヶ月の降水量が大きく変動するため、平均的な月ごとの気候変動から予測した前述の流量変動は実際のTMAの利用可能水量と乖離するかもしれない。そのため、予想される将来の降水量変動を考慮するために、過去における月ごとの降水量変動の性質を将来予測のために修正させて、モンテカルロシミュレーションを行なった。この時得られた利用可能水量シナリオでは、前述のシナリオよりも利用可能水量がずっと小さくなった。特に4月から5月の期間中、この水系におけるreliabilityの減少は60%にも上った。また、冬の全ての月でreliabilityがより小さくなった。この事は、夏季の水需要ピークとともに、流域内の流量が少なくなるため、冬季の利用可能水量が小さくなることについても考えさせられる。最後に、貯水量の調節、下水の再使用、雨水利用、水需要管理、土地利用管理などの適応策についての定性的な評価について議論した。

審査要旨 要旨を表示する

淡水資源の確保と安定的な供給は、われわれの生命、生産活動を維持するうえで重要な要素の一つである。特に将来の気候変動に対して水資源システムは影響を受けやすいものと考えられており、世界の各地において気候変動に対する水資源システムの脆弱性が大きな関心事となっている。気候変動の下での水資源システムの脆弱性や安定性を評価するためには、将来の水資源の存在量を定量的に評価するとともに将来の水需要量の評価も必要となってくる。しかし、地域のスケールで気候変動が水資源の存在量および水需要量の両方に与える影響を考慮に入れて水資源システムの安定性の評価を行っている研究例はほとんどない。

本論文はこのような背景の元に行われたもので、「Integrated Assessment of Water Availability under Climatic Changes along the Tone River and Tokyo Metropolitan Area(利根川流域および首都圏を対象とした気候変動が水利用に与える影響の統合評価)」と題し、以下の8章からなる。

第1章は序論であり、研究の背景を示した上で、気候変動下での水資源システムのアセスメントにおいて統合的な視点の必要性を示すと共に、研究の焦点を示している。

第2章は既往の研究についてのレビューである。この章では、気候変動やその水資源への影響、その評価手法など、本研究で取り上げる項目に絞って既往の研究成果をレビューするとともに、本論文における研究手法のフレームワークを提示している。

第3章は対象地域の説明と統計データを用いた過去のトレンド分析の結果を述べた章である。本論文で対象としている利根川水系について説明するとともに、土地利用や気温、降水量、河川流量について変化の傾向について示している。土地利用には大きな変化はないものの気温や降水量は若干増加する傾向が見られるとともに、年降水量や年間平均河川流量の分散も増大する傾向が見られた。また、降水量の変化に対応して河川流量も大きく変化する傾向が見られ、この地域において、気候変動に伴う気温や降水量の変化が河川流量に大きな影響を及ぼす可能性が示唆されている。

第4章は統合的な評価を行うために構築したモデルに関する説明である。自然の水循環のサイクルのうち蒸発散、流出、積雪や融雪に関するモデルについて、これまでのレビューをふまえて、Generalized Watershed Loading Functions (GWLF)モデルにUS Soil Conservation Service Curve Number(CN) methodを取り入れたモデルを構築し、その概要を説明している。特に蒸発散では、流域の10%以上を占める水田における蒸発散を正確に評価するために、FAOのCROPWATモデルを組み合わせて、潅漑水需要や蒸発散量を算出している。さらに流域内にあるダム群についてもその運用方法をモデル化している。

第5章は構築したモデルを利根川水系の現状に対して適用した結果を示している。ここでは対象水域を流域の特性から15の小流域に分割して、第4章で構築したモデルからダム群の影響を省いたモデルを適用している。検証用の現状値についても、実際の運用データからダム群の影響がなくなるように修正したものを用いている。1984年から91年の降水量と気温を用いて対象地域の最下流点である栗橋地点の河川流量のシミュレーションを行った結果、モデルはどの年においても現状値とよく整合する結果が得られている。

第6章ではいくつかの気候変動のシナリオの下で栗橋地点の河川流量がどのように変化するか解析を行っている。気候変動のシナリオとしては、現状から気温が1、2、3度上昇、降水量が-10%、0%、+10%変化、という固定的なシナリオを与えたもの、General Circulation Model (GCM)の結果を地域気象モデルを用いてダウンスケールしたもの、4つのGCMの結果を統計的な関係を用いてダウンスケールしたもの、の3種類を用いて評価を行っている。ここで、GCMをベースとした後者2つについては月単位での出力しか得られていないため、マルコフ連鎖や確率分布を仮定して時間的なダウンスケールを行い、日単位の降水量を算出している。固定的なシナリオを与えた結果では、気温が上がるとともに冬季の流量は微増する一方で夏季は微減し、4〜5月にかけては大きく流量が減少する傾向が示された。GCMをベースとしたシナリオでは、この流域においては年間を通して降水量は増加していたが、夏季や冬季は流量が増加するものの4〜5月にかけて流量が大きく減少する傾向が示された。これらの結果から、温暖化による蒸発散量の増加と融雪のタイミングの早期化が、水田潅漑の始まる時期である4〜5月の水需給に大きな影響を与える可能性が示唆された。

第7章では栗橋地点の流量に対してリスク評価を行っている。6章の結果にダム群による運用を考慮したモデルを組み込んで栗橋地点の流量をシミュレートし、Risk、Reliability、Resiliency、Vulnerabilityの4指標を用いて評価を行っている。ダム群の運用をシミュレートする場合に栗橋地点の目標流量が必要となるが、目標流量のうち下流部の農業用水として必要とされる分についてはCROPWATモデルを用いて気温の変化に応じて必要量が変化するように設定している。また生活用水として必要とされる分についても、東京都水道局の時系列での一人あたり給水量の変動状況を解析し、そこから平均気温と給水量の関係を算出して、生活用水の必要量が気温に応じて変化するように設定している。その結果として、GCMをベースとした気候変動シナリオでは一部を除いて全てのリスク指標とも現状より改善される結果が示されている。

さらに、現状と気候変動シナリオの降水量について、過去の分布を用いてモンテカルロシミュレーションにより100年分の降水時系列を作成し、各季節におけるリスクの評価を行っている。その結果、第6章と同様にGCMをベースとした気候変動シナリオでも4〜5月においてReliabilityが大きく悪化しVulnerabilityが増加することが示され、この季節において重大な影響が起こり得る可能性があることが示されている。

第8章は結論である。

本研究の独創的な点は、気候変動下での供給サイド、需要サイド、さらにはダムの運用まで考慮に入れて統合的に水資源アセスメントを行ったと言う点、本来水文事象が不確定性を持つことを考慮しリスクという形で評価を行っている点、さらには降水量が増加した場合でも季節によっては水資源の安定性は減少する可能性があることを定量的に示している点、であると言えよう。

以上、気候変動下での統合的な水資源アセスメントに焦点を当てた本研究において得られた成果には大きなものがある。本論文は環境工学の発展に大きく寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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