学位論文要旨



No 118580
著者(漢字)
著者(英字) Sriussadaporn,Chutchalida
著者(カナ) スリウサダポーン,チュッチャリダ
標題(和) 植物を用いたコメットアッセイによる都市大気質評価のためのバイオモニタリング手法の開発
標題(洋) Development of Plant Comet Assay as a Biomonitoring Method for Urban Air Quality Assessment
報告番号 118580
報告番号 甲18580
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5599号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,和夫
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 尾張,真則
 東京大学 助教授 福士,謙介
 東京大学 講師 中島,典之
内容要旨 要旨を表示する

異なる都市大気質と環境に対する生物の総合的な反応を遺伝子損傷性という観点から評価するために、バイオモニタリング(生物学的環境評価)手法を適用した。生物指標として研究対象地域に土着の植物を選択し、観測地点より採取した指標植物の葉を「コメットアッセイ」と呼ばれる単一細胞ゲル電気泳動試験により遺伝子損傷性を評価した。既存の植物コメットアッセイ手法を、実用に適した簡単で効果的な分析手法となるように改良した。

個々の細胞核の損傷度は画像解析より泳動DNA比として表した。泳動DNA比は電気泳動後のコメット頭部と尾部の全面積に対するコメット尾部の面積の比として求めた。個々の試料に対して、DNA損傷度を「n個のコメット画像の起こりうる最大泳動DNA比(完全にDNAが損傷されたと仮定した場合の泳動DNA比)の総計に対するn個のコメット画像の泳動DNA比の総計の比」として定義し、DNA損傷度を対象グループ間で比較した。

植物に対する道路交通起因汚染物質の影響を評価するために、ディーゼルエンジン排ガスに対する直接曝露試験を実施した。まず、ポトスをディーゼルのライトバンの排気ガスに連続的に直接曝露する試験を、熱帯都市であるバンコクの夏季に実施した。ディーゼルエンジンの一般車を8時間アイドリング運転し、その排気管の近くにポトスが入った実験容器を設置、葉を2時間毎に採取した。曝露開始後2時間で、葉に小さな茶色の斑点が発生した。斑点の面積は曝露時間経過に伴って少しずつ増大した。さらに曝露の最終段階においては、枯れた葉が観察された。DNA損傷度は曝露時間に伴って増加し、その損傷度は一次の回帰式で表すことができた。以上のことから、道路交通に起因する汚染物質によって引き起こされたポトスの遺伝子損傷のコメットアッセイによる検出が可能であることが示された。

また、同様の試験を、曝露条件を変えて、東京において冬季に実施した。その結果、曝露条件や周囲の環境条件の違いにより、DNA損傷度に顕著な違いあることが確認された。特に、暗条件かつ低温度及び湿度の高い条件の場合、気孔を介するガス交換速度が低下するため、DNA損傷度は低下した。また、DNA損傷度が低い場合、高濃度排気ガスへの曝露時にDNAが損傷しても、曝露停止時に回復し、周期的曝露試験を1ヶ月に延長した場合でもDNA損傷度は低かった。

植物コメットアッセイを長時間曝露バイオモニタリングに適用した。試験は東京大学本郷キャンパスにおいて2002年4月より10月まで行った。試験の主な目的は、都市大気汚染と他の環境要因に対する長期間曝露よって誘引されるDNA損傷度の変化を観察することにある。道路沿いと道路より離れたところにある植物の反応のちがいを比較した。銀杏(Ginkgo biloba)、ポトス(Epipremnum aureum)、日日草(Vinca rosea)の3種類の植物を入手しやすさと特性により生物指標として選択した。指標植物2セットを本郷通り沿いと本郷キャンパス内の道路から離れた場所に設置し、葉の試料を定期的に分析した。その結果、道路沿いの試料では道路より離れた所での試料に比べて顕著に高いDNA損傷度が観察された。DNA損傷度は時間とともに増大し、その変化曲線は非線形回帰式により説明された。また、異なる植物種では異なるDNA損傷度増加パターンが観察された。これは、個別の種の再安定化レベル(Re-stabilized level)、反応因子(Response factor)、及び耐性(Tolerant ability)のちがいによるものと考えられる。

DNA損傷のうち、都市大気汚染に起因する部分の影響を抽出する指標として、道路沿いの試料のDNA損傷度を非道路沿いの試料のDNA損傷度で除した値、R/N比を導入した。R/N比は、大気汚染以外の環境要素により引き起こされるバックグラウンドの損傷に付加された、道路沿いの大気汚染による部分の影響を示すものと解釈される。

バイオモニタリングを2003年4月にタイの首都バンコクで実施した。調査エリアにおける入手の容易さから、ポトスを生物指標として選択した。バンコク中心部の6本の主要道路において道路の特性の違いに基づき、調査地点を選択した。試験プラントを道路沿い、屋内、屋外高所、および非道路沿いに、それぞれ7〜10日間設置した。曝露の前後に葉の試料を採取してそのDNA損傷度を比較した。その結果、曝露後のDNA損傷度の増加が観察され、道路沿い地点の試料がもっとも高い損傷度及び損傷度増加率を示したのに対し、非道路沿いと屋外高所では低レベルの損傷度及び損傷度増加率が観察された。

交通量、道路形状やスカイトレイン(高架鉄道)の有無等を説明変数とした重回帰分析を行い、DNA損傷度増加率に対する影響を定量化した。特に、道路を閉空間化するスカイトレインの有無については、もしスカイトレインが存在しなかった場合、現状のDNA損傷度増加率に比較して20%程度の損傷度増加率の低下が期待できることが示された。

イチョウを用いた道路環境のバイオモニタリングを東京大学キャンパス内と周辺沿道において、2003年7月に行った。沿道沿いのイチョウの葉のDNA損傷度は、キャンパス内のそれに比べて有意に高い値を示し、沿道環境の影響を確認した。交通量や道路からの距離等を説明因子とした重回帰モデルにより、それらの影響を定量化した。

結論として、異なった環境条件における都市大気汚染に対する植物への総合的な反応を遺伝子損傷性という観点から定性的かつ定量的に評価する方法として、コメットアッセイによるバイオモニタリング手法が適用可能であり、この手法が都市における予備的な大気性状評価法として適用可能であることが示された。生物への総合的な反応が、単純な実験手法により、短い曝露期間と低いコストで観察することができた。しかしながら、他の生物指標、道路特性、局所的大気環境、および他の環境要因による相乗作用或いは相殺作用についてのさらなる研究が望まれる。また、これらの要素間の関係を決定するために大気の同時オンサイトモニタリングも行う必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「Development of plant comet assay as a biomonitoring method for urban air quality assessment (植物を用いたコメットアッセイによる都市大気質評価のためのバイオモニタリング手法の開発)」と題し、都市大気質の生物学的環境評価(バイオモニタリング)手法として、植物の葉のコメットアッセイ(単一細胞ゲル電気泳動試験)を用いた評価手法を開発し、実際の都市大気環境評価を行うことにより、その適用可能性を示した研究である。

第1章は「緒論」である。研究の背景と目的を述べた後、本論文の構成を示している。

第2章は「既往の研究」である。都市大気質の特徴や大気汚染物質の植物への影響、生物指標としての植物の利用、既存のコメットアッセイ等についてまとめている。

第3章は「方法」で、まず既存のコメットアッセイを修正し、植物の葉を用いる場合の簡便な分析手順を示した。また、サンプル数やDNA損傷性を評価する統計的指標を提案した。さらに、実際の調査地域は東京とバンコクとし、その調査方法や受動的・能動的モニタリング手法に応じた土着の植物の候補としてイチョウ (Ginkgo biloba)、ポトス(Epipremnum aureum)、日日草(Vinca rosea)の3種類を選定し、それらの葉に対し採用した分析手順によりコメットアッセイが可能であることを示した。

第4章は「デイーゼル車排ガスの直接曝露試験」である。植物に対する道路交通起因汚染物質の影響を評価するために、ディーゼルエンジン排ガスに対する直接曝露試験をポトスを用いて実施した。まず、ポトスをディーゼルのライトバンの排気ガスに連続的に直接曝露する試験を、熱帯都市であるバンコクの夏季に実施した。ディーゼルエンジンの一般車を8時間アイドリング運転し、その排気管の近くにポトスが入った実験容器を設置、葉を2時間毎に採取した。DNA損傷度は曝露時間に伴って増加し、その損傷度増加速度は線形近似により一次の回帰式で表すことができた。以上のことから、道路交通に起因する汚染物質によって引き起こされたポトスの遺伝子損傷性のコメットアッセイによる検出が可能であることが示された。また、同様の試験を、曝露条件を変えて、東京において冬季に実施した。その結果、曝露条件や周囲の環境条件の違いにより、DNA損傷度に顕著な違いあることが確認された。特に、暗条件かつ低温度、高湿度の場合、DNA損傷度は低下したが、それは気孔を介するガス交換速度が低下するためと考察された。

第5章は「都市環境中の沿道及び非沿道における長期曝露試験」である。銀杏、ポトス、日日草の3種類の植物によるコメットアッセイを長時間曝露バイオモニタリングに適用した結果を示している。調査は東京大学本郷キャンパスにおいて、2002年4月より10月まで行った。指標植物2セットを本郷通り沿いと本郷キャンパス内の道路から離れた場所に設置し、葉の試料を定期的に分析した。その結果、道路沿いの試料では道路より離れた所での試料に比べて顕著に高いDNA損傷度が観察された。DNA損傷度は時間とともに増大し、その変化曲線は非線形回帰式により説明された。また、異なる植物種では異なるDNA損傷度増加パターンが観察された。さらに、DNA損傷のうち、都市大気汚染に起因する部分の影響を抽出する指標として、道路沿いの試料のDNA損傷度を非道路沿いの試料のDNA損傷度で除した値、R/N比を導入した。R/N比は、大気汚染以外の環境要素により引き起こされるバックグラウンド損傷に付加された、道路沿いの大気汚染による部分の影響を示すものと解釈される。これらの結果により、日日草は感受性が強すぎてモニタリングの適用範囲が限定される恐れがあること、逆にポトスは長期間曝露すると汚染環境に適応してしまうこと、従ってポトスは1か月以内の曝露試験が推奨されること、イチョウの場合は、葉の成長速度が大きい5月以前や、逆に落葉に近づく9月以降は避け、6月から8月にかけて成長した葉を用いて調査すべきであること等、実際のモニタリングに適用する際の条件を明らかにしている。

第6章「ポトスの葉のDNA損傷性を用いたバンコクにおける大気質の能動的バイオモニタリング調査」では、バイオモニタリングを2003年4月にタイの首都バンコクで実施した。バンコク中心部の6本の主要道路においてポトスを道路沿い、屋内、屋外高所、および非道路沿いに、それぞれ7〜10日間設置した。曝露の前後に葉の試料を採取してそのDNA損傷度を比較した結果、道路沿い地点の試料がもっとも高い損傷度増加速度を示したのに対し、非道路沿いと屋外高所では損傷度増加速度は低かった。交通量、道路形状やスカイトレイン(高架鉄道)の有無等を説明変数とした重回帰分析を行い、DNA損傷度増加速度に対する影響を定量化した。特に、道路を閉空間化するスカイトレインの有無については、もしスカイトレインが存在しなかった場合、現状のDNA損傷度増加速度と比較して損傷度増加速度が20%程度低下することが期待できることを示した。

第7章「イチョウの葉のDNA損傷性を用いた東京における大気質の受動的バイオモニタリング調査」では、イチョウを用いた道路環境のバイオモニタリングを東京大学キャンパス内と周辺沿道において2003年7月に行った結果、沿道のイチョウの葉のDNA損傷度は、キャンパス内のそれに比べて有意に高い値を示し、沿道環境の影響を明らかにしている。また、交通量や道路からの距離等を説明因子とした重回帰モデルにより、それらの影響を定量化することに成功している。

第8章「結論および今後の課題」である。

以上要するに、本論文は、異なった環境条件における都市大気汚染に対する植物の総合的な反応を遺伝子損傷性という観点から定性的かつ定量的に評価する方法として、指標植物の葉を用いたコメットアッセイによるバイオモニタリング手法を開発提案し、その手法が都市における大気汚染評価法として実際に適用可能であることを示した独創的研究であると高く評価できる。また本論文により得られた知見は、都市環境工学の学術の進展に大きく貢献するものである。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク