学位論文要旨



No 118604
著者(漢字) 田中,健一郎
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ケンイチロウ
標題(和) 無機・有機低次元ペロブスカイト型結晶の電子状態と励起子
標題(洋)
報告番号 118604
報告番号 甲18604
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5623号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 近藤,高志
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 鳥海,明
 東京大学 助教授 渡邉,聡
 東京大学 教授 五神,真
内容要旨 要旨を表示する

結晶成長技術や微細加工技術の成熟に伴い、半導体を用いた量子井戸、量子細線、量子ドットなどのさまざまな低次元構造を作製できるようになった。このような低次元構造中に励起子を閉じ込めると、励起子の束縛エネルギーや振動子強度が著しく増大し(量子閉じ込め効果)、顕著な非線形光学応答を示すことが近年、明らかになりつつある。

本研究で対象とするハロゲン化鉛系低次元ペロブスカイト型結晶は、無機の[PbI6] 8面体を基本構成要素としてそれらが3, 2, 1, 0次元的なネットワークを組み、その周りをバンドギャップの大きな有機物が取り囲んだ構造をもつ結晶群である。有機物からなるバリア領域のバンドギャップエネルギーは無機の[PbI6] 8面体からなる井戸領域のそれに比べ十分大きい(少なくとも3 eV)ため、励起子やキャリアは井戸領域に強く閉じ込められ、次元性を反映した顕著な励起子物性や電子物性を示す。この結晶群は人工低次元構造と対照的に、(1)比較的簡便な化学的プロセスにより作製できる、(2)界面のサイズ揺らぎが本質的に存在しない、という特徴をもつため、低次元構造中の励起子およびキャリア物性について系統的に調べるのに適している。また、この結晶群は、バリア領域の誘電率が井戸領域の誘電率の1/3程度ときわめて小さいという、人工の低次元構造では実現が極めて困難な特徴をもつ。このような場合、電子・正孔間の電気力線が誘電率の小さなバリア領域を貫くことにより励起子の束縛エネルギーが増大する効果(鏡像電荷効果)が観測される可能性がある。この効果は花村らにより理論的に示されていたが、通常の人工低次元構造では井戸領域とバリア領域の誘電率の違いをこれほど大きくすることができないため、多くの場合、マイナーな効果にすぎない。そのため、この効果を実験により明確に示した報告例はない。したがって、この低次元ペロブスカイト型結晶は鏡像電荷効果を実験的に実証する可能性をもつきわめてまれな系といえる。

以上をふまえ、本研究では、(1)一連の低次元ペロブスカイト型結晶の励起子および電子状態について、基礎光学分光、電場変調吸収分光、2光子吸収分光、磁気光吸収分光などの各種分光法を用いて系統的に調べること、(2)鏡像電荷効果の励起子物性への寄与について明らかにすることを主たる目的として研究を進めた。

3次元結晶の電子状態と励起子

3次元結晶(CH3NH3)PbBr3の吸収スペクトルを測定し、得られた吸収スペクトルについて、群論に基づいた解析を行い、電子状態についてあきらかにした。また、共蒸着法により3次元結晶の多結晶薄膜を作製し、得られた多結晶薄膜について磁気光吸収分光を行った。その結果、3次元結晶中の最低励起子のボーア半径、束縛エネルギー、換算質量を決定し、3次元結晶中の励起子がワニア励起子であることをあきらかにした。

2次元結晶の電子状態と励起子

2次元結晶(C6H13NH3)2PbI4について、反射スペクトル、電場変調吸収スペクトル、2光子吸収スペクトルの測定を行った。その結果、この結晶における励起子がワニア励起子であることを明らかにし、1s, 2s, 3s, 4s, 2p, 3p各励起子の共鳴エネルギーを決定した。主量子数の大きなns (n≧2)励起子は理想的な2次元ワニア励起子モデルにより再現できることがわかった。これより、この結晶のバンドギャップエネルギーを2.700 eVと決定し、各励起子の束縛エネルギーを決定した。主量子数の大きな励起子が理想的な2次元ワニア励起子モデルで再現できるのは、面内のボーア半径が井戸幅に対して十分大きいために、これらの励起子に対して2次元的な量子閉じ込め効果と鏡像電荷効果が有効に効いているためと考えられる。一方、1s励起子の束縛エネルギー (361 meV) はこのモデルから予想される束縛エネルギーよりも小さいことがわかった。これは、1s励起子の面内のボーア半径が井戸幅に対して十分大きくないために、量子閉じ込め効果と鏡像電荷効果がともに不十分にしか効かないためであることを、鏡像電荷効果を考慮した理論計算と実験結果との比較により定量的に示した。

井戸層に平行な方向に電場を印加した電場変調吸収スペクトルでは、1s励起子のシュタルクシフトと2s励起子のイオン化によるブロードニングを表す信号が得られた。一方、井戸層厚方向に電場を印加した電場変調吸収スペクトルでは、井戸層に平行に電場を印加したときの30倍もの電場を印加したにもかかわらず、2s励起子のブロードニングを表す信号が抑制され、かわって1s励起子のブルーシフトと2s励起子のレッドシフトを示す信号が観測された。2s励起子のブロードニングの抑制は、バンドギャップの大きなバリア層が励起子のイオン化を妨げているためであり、妥当な結果である。しかし、GaAs/AlGaAsなどの一般的な半導体量子井戸構造においては、層厚方向に電場を印加すると励起子吸収ピークはレッドシフトすることが知られており(量子閉じ込めシュタルク効果)、今回観測された1s励起子のブルーシフトは通常の振る舞いではない。これは、以下に示す理由から生じた結果であることを、鏡像電荷効果を含めたモデル計算により示した。

層厚方向に電場を印加するとバンドギャップがレッドシフトする。

層厚方向への電場の印加により電子と正孔が互いに井戸の反対側へとおしつけられ、励起子のボーア半径が広がり、励起子の束縛エネルギーが減少する。

(C6H13NH3)2PbI4では、電場の印加により生じる1s励起子の束縛エネルギーの減少量がバンドギャップのレッドシフト量よりも大きいために、1s励起子はブルーシフトする。一方、2s励起子の束縛エネルギーの減少量はバンドギャップのレッドシフト量よりも小さいために2s励起子はレッドシフトする。電場印加に伴う1s励起子の束縛エネルギーの減少量が大きく、2s励起子の減少量が小さいのは、1s励起子のボーア半径が小さく、2s励起子は大きいために、電場印加に伴う電子・正孔間の相対距離の変化による影響を1s励起子は受けやすく、2s励起子は受けにくいためである。また、1s励起子のブルーシフトは鏡像電荷効果を考慮しなければまったく再現できないことを示し、これよりこの結晶中の励起子物性に鏡像電荷効果が主要な役割を担っていることを示した。

また、この結晶の基礎光学スペクトルを測定し、得られたスペクトルについて群論に基づく詳細な解析を行い、この結晶の電子構造の全容をほぼ解明した。巨大振動子を有する励起子の低エネルギー側に偏光選択則の異なる励起子と光学遷移禁制な3重項励起子が存在することを示した。また、励起子を構成する電子・正孔間の交換相互作用エネルギーをおよそ12 meVと見積もった。これは一般的な半導体中の励起子における交換相互作用エネルギーと比べかなり大きく、励起子が量子閉じ込め効果と鏡像電荷効果をうけて空間的にきわめて狭い領域に閉じ込められていることを示している。

1次元結晶の電子状態と励起子

歪なし結晶[NH2C(I)NH2]3PbI5および歪みあり結晶[NH2SC(=NH2)NH2]3PbI5の基礎光学スペクトルを測定し、いずれの結晶においてもきわめて1次元性の強い励起子が存在することを示すとともに、群論を用いた考察によって偏光選択則を含め、ほぼすべての準位の帰属を明らかにした。また、励起子が自己束縛し、1 eVにもおよぶストークスシフトの大きな発光が観測されることを示した。さらに、励起子共鳴エネルギーが励起子間の長距離型交換相互作用により増減していることを示し、このことから1次元結晶中の励起子がフレンケル励起子であることを示した。励起子間の長距離交換相互作用を考慮して求めた電子・正孔間の交換積分の大きさは70 meVであり、2次元結晶中の励起子よりさらに大きいことから、励起子が空間的にきわめて強い閉じ込めを受けていることを示した。

2〜3次元結晶の電子状態と励起子

2〜3次元結晶(井戸幅の異なる量子井戸結晶群)について、吸収スペクトルおよび電場変調吸収スペクトルを測定し、バンドギャップエネルギーと励起子の束縛エネルギーを決定した。井戸幅が広くなるに従い、励起子の束縛エネルギーと振動子強度が著しく減少することを明らかにした。井戸層が2層以上の量子井戸結晶については、有効質量近似がよいモデルとなるが、井戸層が1層の結晶では有効質量近似が破綻することを示した。

ハロゲン種置換効果

3次元結晶と2次元結晶について、ハロゲン種の置換による励起子物性および電子物性の変化について調べた。

3次元結晶でも2次元結晶でも、電子状態や励起子状態の基本的な特徴に違いはないが、臭素系の結晶のエネルギー準位構造はヨウ素系結晶のそれよりも全体に0.6 eVほど高エネルギーシフトしている。このため、臭素系結晶の方がヨウ素系結晶よりもバンドギャップエネルギーが大きく、これに対応して臭素系結晶の誘電率の方が小さくなる。その結果、臭素系物質の方が励起子のボーア半径が小さく、束縛エネルギーと振動子強度が大きくなることを示した。

まとめ

以上のように、低次元ペロブスカイト型結晶群の電子状態および励起子について種々の分光法を用いて調べ、その結果について定量的な議論を行った。この結晶群の基本的な励起子状態、電子状態について、群論を用いた解析によりあきらかにした。また、鏡像電荷効果が励起子物性にきわめて有効に作用していることをはじめて示した。以上の知見は、今後この結晶群の励起子物性に関する研究の基礎を築くものであると考える。

審査要旨 要旨を表示する

半導体低次元構造中に閉じ込められたキャリアや励起子は、次元性を反映した顕著な電子物性や励起子物性を示す。そのため、物性研究の対象としてのみならず、デバイス応用への見地からも近年研究がさかんに進められている。

無機・有機低次元ペロブスカイト型結晶群は、無機の[PbX6] 8面体(X = I, Br)を基本構成要素とし、それらが3, 2, 1, 0次元的なネットワークを組み、その周りをバンドギャップの大きな有機物が取り囲んだ構造を有する結晶群である。有機物のバンドギャップエネルギーは無機物のそれよりも十分大きいため、キャリアや励起子は無機の[PbX6]からなる領域に強く閉じ込められる。そのため、この結晶群は低次元構造中の励起子の研究を系統的に行うのに理想的な系の一つである。また、この結晶群では有機物の誘電率が無機物の誘電率の1/3程度と、きわめて小さいという特徴を有することから、励起子を構成する電子・正孔間の電気力線が誘電率の小さな有機物の領域を貫くことで励起子の束縛エネルギーが増大する効果、いわゆる鏡像電荷効果が観測される可能性がある。通常、誘電率が大きく違う物質を組み合わせて人工的に低次元構造を作製するのは困難であるため、鏡像電荷効果の存在を実験的に示した報告例はない。

以上の背景をふまえ、本論文は一連の低次元ペロブスカイト型結晶の励起子および電子状態について統一的に議論すること、および、鏡像電荷効果が励起子物性にどのような影響を及ぼしているかを明確にすることを主たる目的としている。

本論文は6章からなる。

第1章は序論で、低次元構造中の励起子や鏡像電荷効果の一般論、無機・有機ペロブスカイト型低次元結晶に関する既往の研究の概要と本研究の意義が述べられている。

第2章は試料の作製方法、吸収、反射、発光、電場変調吸収分光、2光子吸収分光、および磁気光吸収分光法の実験手法について述べられている。

第3章では、実験結果が結晶ごとにまとめられている。

まず、ヨウ素系と臭素系の3次元結晶中の励起子の束縛エネルギー、ボーア半径などのパラメータを、磁気光吸収分光の結果をもとに決定している。

2次元結晶についてはもっとも詳細に研究を行っており、吸収スペクトル、電場変調吸収スペクトル、2光子吸収スペクトルの結果から、この結晶中の励起子がワニア型の励起子であること、主量子数の大きなns (n〓2)励起子は鏡像電荷効果と量子閉じ込め効果がともに有効に効いた理想的な2次元ワニア励起子であることを明らかにしている。このような理想的な2次元ワニア励起子が実験的に見出されたのははじめてである。また、層厚方向に電場を印加した電場変調吸収スペクトルでは、1s励起子の高エネルギー側へのシフト(ブルーシフト)という通常の半導体量子井戸では観測されない、興味深い現象を見出している。同様の実験結果を臭素系2次元結晶についても観測している。

1次元結晶については、吸収スペクトルの強い異方性と、大きなストークスシフトを伴うガウス型のブロードな発光が観測され、このことから1次元結晶の電子状態、励起子が強い1次元性を有していることが示されている。

また、これらの実験結果を比較することにより3, 2, 1, 0次元と系の次元が下がるに従い、励起子の振動子強度や束縛エネルギーが著しく増大すること、バンドギャップが大きくなること、さらに、臭化物系結晶の方がヨウ化物系結晶に比べ背景物質の誘電率が小さいために励起子の束縛エネルギーが大きくなることを系統的に示している。

第4章では、孤立した[PbI6] 8面体の電子状態にスピン軌道相互作用と結晶場を導入したモデルに基づき、この結晶群の電子状態と励起子状態について群論を用いて解析し、第3章で得られた各結晶の吸収スペクトルに現れる構造の帰属を行っている。また、励起子を構成する電子・正孔間の交換相互作用により、励起子準位が偏光選択則の異なる複数の準位に分裂することを示し、実験結果との比較から、この交換相互作用エネルギーは次元の低い結晶において大きくなることを見出している。このことは、励起子のボーア半径が空間的閉じ込めと鏡像電荷効果により小さくなっていることと符合している。以上のことから、この結晶群の電子状態や励起子状態が、ほぼ完全に統一的に理解できることを明らかとした。

第5章では、2次元結晶中の励起子の束縛エネルギーの顕著な増大が鏡像電荷効果によるものであることを定量的に示している。また、層厚方向に電場を印加したときに現れた1s励起子のブルーシフトが、鏡像電荷効果を考慮しなければ説明できないことを示し、このことから鏡像電荷効果が2次元結晶中の励起子物性に主要な役割を果たしていることをはじめて明らかにしている。

第6章は本論文の結論が述べられている。

以上の成果は、低次元構造中の励起子物性に関する重要な知見を提示した点で重要である。特に鏡像電荷効果の存在をはじめて実証した点は高く評価できる。また、本論文で明らかにされた詳細な知見は今後の励起子デバイス開発の重要な基礎データとなると考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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