学位論文要旨



No 118606
著者(漢字) 李,範煥
著者(英字)
著者(カナ) イ,ボンファン
標題(和) 機能性蛋白質膜の創製とその機能性評価に関する研究
標題(洋) Studies on fabrication of functional protein layers and investigation of their performance
報告番号 118606
報告番号 甲18606
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5625号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 講師 新海,政重
 大阪府立大学 教授 関,実
 理化学研究所 先任研究員 山形,豊
内容要旨 要旨を表示する

生体分子(酵素、抗体、受容体、DNA等々)を基板に固定する技術は様々な分野で用いられ、有用物質の分離、検出において幅広く応用されている。これらの応用分野の中で特に生体分子の特異的結合能力を活用したバイオセンサー、DNAチップ、プロテインチップの作製においてはそれぞれの生体分子(酵素、DNA、蛋白質)を活性を保持したまま基板に乗せ、固定化する必要がある。固定化の方法としては物理的吸着、共有結合が様々な運搬方法と組み合わされ、広く用いられている。本研究ではelectrospray deposition(ESD)と自己組織化膜(self-assembled monolayer (SAM))を用いて機能性蛋白質の膜を作製し、機能性を評価した。

生体分子、特に蛋白質の膜を作製するにあたって注意すべきことは如何に活性を維持できるかである。様々な蛋白質膜の作製方法が開発されているが、中でもESD法は均一な膜が作製できること、自由に形を決められることから注目を集めている。

ESD法では、キャピラリーの中の蛋白質溶液がキャピラリーと基板の間に発生した電圧の差により粒子化して下部の基板上に集積する。粒子化する際、その粒子の大きさが小さいので乾燥が速く蛋白質の失活を最小限に抑えることができる。またマスクを使い、蛋白質膜の形を自由に決められる利点がある。一方、作製された蛋白質膜を活性だけで評価しがちだが、ここではESD法で作製された膜中の蛋白質の構造変化をPHB法を用いて評価した。PHBとは低温で不均一に広がった吸収帯にレーザーを照射することにより、その波長の光を吸収する分子のみが光反応し、吸収スペクトルにホールが形成される現象である。このホールはtemperature cyclingによって変化するが、そのホールの深さ、幅の変化によって色素分子の周りの環境変化の情報がわかる。cytochrome cをフッ酸で処理して作られたporphyrin cytochrome cを ESDした後にglutaraldehydeで架橋し、透明性を確保するためglycerol溶液を膜の上に滴下して乾燥後ESDを再び行い、PHBに必要な膜厚が得られるまでこの操作を繰り返した。この蛋白質膜を20Kに冷却後、膜にレーザーをあててホールを形成した。その後、temperature cyclingを行いホール幅の広がり、深さの減少を測定した。まず、高分子のマトリックスと比べるとporphyrin cytchrome cの方が幅の広がりが抑えられ、深さもより高温まで維持できた。これは蛋白質のマトリックスの方がランダムコイルの高分子(Poly(propyl methacrylate) (PnPMA))より蜜に色素分子(proto-porphyrin X (PPIX))を包んでいることを反映した結果である。ESDで作製された蛋白質の膜は溶液の状態とほとんど同じ幅の広がりを見せたが、深さの方は約30%減少した。これは膜を作製する際のglutaraldehydeによる架橋で、蛋白質のマトリックス構造がの変化し、温度緩和を受け易くなったことが原因と考えられる。

最近、タンパク質の発現、相互作用、翻訳後修飾などの機能解析や、目的タンパク質の同定などを効率的に行うことを目的として開発が進んでいるプロテインチップ技術は、プロテオミックス、医薬品開発分野に欠かせない存在になってきた。プロテインチップ技術で最も重要な部分は、蛋白質を基板上にマルチで且つマイクロにアレイするところである。ESD法は他の方法に比べ、cross-contaminationなく均一なドットを同時に効率よく作製できることから非常に注目を浴びている。 本研究ではESD法を用いて免疫測定用抗体アレイを作製し、その特性について検討した。まず、abrasive jet手法を用いて石英マスクを作製した。このabrasive jet手法は微粒子を高圧に噴射することによって削る手法で、短時間で数十μm直径の穴を開けることができる。このマスクを使ってESDしたIgGのスポットとその表面を実体顕微鏡と原子間力顕微鏡で観察した。既存の方法に比べ表面が非常に均一であることが認められた。次にこのESD法で作製した抗体アレイの性能を評価するため、6種類の動物由来(mouse, human, bovine, chicken, rabbit, guinea pig)のIgGを検出する実験を行った。まずそれぞれに対する抗IgG抗体をESDした後にglutaraldehydeで固定してスキムミルクでブロッキングした。次にhorseradish peroxidase (HRP)で標識された各々のIgGを加えて免疫反応を行い、洗浄後ECL試薬のルミノール酸化反応により生じた発光を、感光フィルムで測定した。この結果によりESDで作製された抗体アレイでは非特異的結合及びcross-activityは生じないことが確認できた。

次にESD法で作製した抗体アレイの検出感度を確認するため、抗mouse IgGをESDしてからブロッキング後、APで標識したmouse IgGと免疫反応させ、その後洗浄して蛍光沈殿物を発生させるAP基質であるELF97と反応させ、CCDカメラで蛍光強度を測定した結果、mouse IgG 1 ng/ml付近の濃度まで検出できた。しかし、この方法では膜厚が厚いため、ラマン散乱光によるバックグラウンドの上昇が見られた。したがって低い濃度を測定する必要がある場合には、膜厚を減らす必要がある。そこで、表面をCHO基で修飾したITOガラス基板を用いて抗体アレイを作製した。その結果、膜厚を単分子膜レベルまで減少させ、バックグラウンドを下げることができた。応用例として8種類のサイトカイン検出用抗体アレイを作製し、検出を試みた。サイトカインは分子量がおおむね1万から数万程度の蛋白質であり、細胞間の情報伝達を担い、細胞の増殖、分化、運動性、細胞死などを調整することで神経、内分泌系など生体機能の形成、維持に必須の蛋白質である。人体の8種類のサイトカイン(IL-2, 4, 5, 6, 10, 12, TNFα, IFNγ)に対する抗サイトカイン抗体アレイを作製してブロッキングした後、各々のサイトカインと免疫反応させ、洗浄後ビオチン標識した検出用抗体と反応させ、HRP標識あるいはAP標識したstreptavidinで発光および蛍光によるサイトカインの検出を行った。発光による検出の結果、IgGの場合と同じように、8種類のサイトカインに対して非特異的結合やcross-activityなく検出することができた。蛍光による検量では100 pg/ml付近まで検出することができた。これらの結果からESD法で作製した抗体アレイは抗原結合能を保持しており、様々な生体物質の検出への応用が期待できることが明らかとなった。

光合成はクリーンなエネルギー変換システムとして代表的なものである。最近光合成系の分子レベルでの構造と機能が解明され、その機能を模倣する人工光合成系の構築が試みられている。将来の応用を考慮するとできるだけ単純な系でこの機能を実現できたほうが都合がよい。そこで、本研究ではシンプルな蛋白質系人工光捕取アンテナシステムとして開発されたenhanced green fluorescence protein (EGFP)とcytochrome b562のキメラ蛋白質の自己組織化膜(SAM)を作製し、その光電変換性能を確認した。まずサイトミューテーション手法を用いてcytochrome b562の22番と82番のアミノ酸をそれぞれシステインに変異させEGFPとGly-Serリンカーでつないだ遺伝子を構築し、pET32プラスミドに組み込んで発現させ、キメラ蛋白質を精製した。この蛋白質溶液に雲母に蒸着した金基板を浸漬してキメラ蛋白質のSAMを作製した。洗浄後AFMで表面を観察した。またキメラ蛋白質のSAMの高さを測るためこの基板をAFMの探針で削り、その段差を測った結果、約2.5〜3.0 nmほどの高さが認められた。Cytochrome b562とEGFPそれぞれのX線解析データとこの結果とを比べてみるとキメラ蛋白質はSAM形成の際、斜めまたは水平に横たわっている形になっていると考えられる。次にキメラ蛋白質の光電気的性質を測定するためLI-STM実験とハイブリッドSNOM/STM実験を行った。まずGFPを励起するレーザー光(488 nm)による熱膨張を防ぐためチョッパーの周波数とレーザーのパワーをそれぞれ200 Hzと0.1 mWに設定し、キメラ蛋白質のSAMに対してレーザーのスウィッチング実験を行った。その結果、キメラ蛋白質は光のスウィッチングに連動して電流を発生させる、つまり、光電流を発生させることが認められた。GFPを励起できない別の波長のレーザー(532 nm)を使った同じトンネリング条件ではこの光電流は見られなかった。また、cytochrome b562とEGFPだけのSAMをもって同じように実験した際にも光電流は認められなかった。つまり光電流にはcytochrome b562とEGFP両方必要であることがわかった。光電流はその波長特性からでもわかるようにEGFPとcytochrome b562の間のなんらかの相互作用に発生の一因があると考えられる。キメラ蛋白質の蛍光寿命測定実験の結果から、その相互作用は励起したEGFPからcytochrome b562へのエネルギー移動であることがわかった。しかし、既往の研究からporphyrin、色素などは金によってquenchingされることがわかっており、エネルギー移動によって励起されたcytochrome b562は金によってquenchingされる可能性が高い。一方、既往の研究に励起したGFPは電子供与体になりやすく、光によって励起したviologenなどに電子が移動する例が報告されている。したがってキメラ蛋白質から発生する光電流は光によって励起したEGFPからcytochrome b562、つぎはcytochrome b562から金への電子移動のプロセスをたどると考えられる。これら実験結果から作製されたキメラタンパク質SAMは分子素子への応用が期待される。

以上の実験結果からESDまたはSAMをもちいて様々な活性を持つ(光活性、免疫活性、光電気的活性)蛋白質の膜を作製し、その活性を評価した。これらの蛋白質膜は将来高密度メモリ、ハイスループット免疫測定システム、また光分子素子などへの応用が期待され、これからナノテクノロジーなどとの融合によってますますその重要性が増えていくと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

生体高分子(酵素、抗体、受容体、DNA等々)を基板に固定化する技術は様々な分野で用いられ、有用物質の分離や生産、生体分子の検出などにおいて幅広く応用されている。これらの応用分野の中で、特に生体高分子の特異的分子認識能を活用したバイオセンサー、DNAチップ、プロテインチップなどの作製においては、それぞれの生体高分子の活性や構造をできるだけ保持したまま固定化あるいは製膜化する必要がある。

本研究では、electrospray deposition(ESD)法と金-チオール相互作用を利用した自己組織化法を用いて機能性蛋白質の膜を作製し、その構造や機能性を評価するするとともに、機能性蛋白質膜のバイオチップやバイオ分子素子などへの応用の可能性を検討している。

第1章では研究の背景、研究目的について述べている。

第2章ではESD法とglutaraldehyde蒸気処理による乾式蛋白質架橋法を用いて不溶性の蛋白質膜を作製し、photochemical hole burning (PHB)法によって測定した温度緩和パラメーターに基づいて、蛋白質中の光異性化発色団周辺のマトリックス構造の安定性を評価した結果について述べている。ESD法はキャピラリー中の蛋白質溶液をキャピラリーと基板の間に印可した電圧により微粒子化し、電気力線に沿って飛行させて基板上に集積化する方法であり、粒子の大きさが数μmと極めて小さいため乾燥が早く、均一な蛋白質膜形成が可能である。ここでは、ESD法とglutaraldehydeガス処理による乾式蛋白質架橋法で作製した膜中の蛋白質分子の、製膜操作に伴うマトリックス構造の変化やその安定性を評価することを目的として、鉄を除去したC型ヘムを有するcytochrome c膜をESD法で作製し、蛋白質分子中のporphyrin周辺の蛋白質マトリックスの温度緩和に伴う構造変化とその安定性をPHB法によって評価している。すなわち、cytochrome cに共有結合しているC型ヘムから鉄原子をフッ酸処理により除去して得られるporphyrin cytochrome cを、 ESDした後にglutaraldehyde蒸気で架橋し、透明性を確保するためglycerol溶液を膜の上に滴下して乾燥させることにより、PHB測定に利用可能な蛋白質膜を作製している。この蛋白質膜を20Kに冷却後、レーザーを照射によりporphyrinの光異性化を誘起し、吸収スペクトル上に624nm付近のホール形成をさせた後、temperature cyclingに伴うホール幅の広がり、深さの減少を測定することでporphyrin周辺の蛋白質マトリックス構造の温度緩和を観測している。また、この測定結果をporphyrin cytochrome cを glycerol溶液中に溶解して20Kに冷却した試料、ならびにproto-porphyrin IXをPoly(propyl) methacrylateなどの高分子膜中に分散して20Kに冷却した試料の測定結果と比較している。

その結果、proto-porphyrin IX高分子膜と比較してglycerol溶液中のporphyrin cytchrome cやporphyrin cytchrome c膜の方が、温度緩和に伴うホール幅の広がり、ホール深さの減少が大幅に抑えられたことから、porphyrin周りの蛋白質マトリックスの構造はランダムコイル状の高分子マトリックスと比較して極めて安定な構造を維持していると述べている。また、porphyrin cytchrome c膜はglycerol溶液中のporphyrin cytchrome cと比較して、温度緩和に伴うホール深さの減少にはわずかな差が見られるものの、ホール幅の広がりには差が見られないため、ESD操作やglutaraldehydeガス処理による乾式蛋白質架橋操作などの製膜操作が蛋白質構造やその安定性に及ぼす影響は少ないと結論づけている。

第3章ではESD法と乾式蛋白質架橋法によりITOガラス基板上に直径150_m程度のスポットの抗体膜のアレイを作製し、抗体膜の抗原認識特異性や抗原結合活性の評価を行っている。すなわち、6種類の動物由来(mouse, human, bovine, chicken, rabbit, guinea pig)のIgG対する抗IgG抗体膜アレイを用いたenzyme linked immunosorbent assay (ELISA)を行い、非特異的結合及びcross-activityは生じないことを確認している。また、この抗体膜アレイを用いたELISA法による抗原濃度の検出感度は、物理的吸着法によって抗IgG抗体を固相上に固定化した従来のELISA法による抗原濃度の検出感度とほぼ同じ1ng/mlであった。これらの結果より、ESD法と乾式蛋白質架橋法によって基板上に作製した不溶性の抗体膜は、抗原に対する認識特異性や結合活性を従来の物理的吸着法で基板上に固定化された抗体と同程度に維持しており、実用化に耐える十分な性能を有していると結論づけている。また、このような抗体膜アレイを用いて、ヒトの8種類のサイトカイン(IL-2, 4, 5, 6, 10, 12, TNFα, IFNγ)の検出を試み、非特異的結合やcross-activity無く、それぞれ100pg/ml程度の抗原濃度の検出に成功している。以上の結果に基づいて、抗体膜アレイを用いた様々な生体物質の同時多項目検出が可能であると結論づけている。

第4章ではenhanced green fluorescence protein (EGFP)とcytochrome b562のキメラ蛋白質の自己組織化膜 (self-assembled monolayer (SAM))を作製し、その光電変換能について評価している。22番と82番のアミノ酸をそれぞれシステインに置換したcytochrome b562とEGFPのキメラ蛋白質の溶液にAu(111)基板を浸漬し、金基板上でのキメラ蛋白質のSAM形成をAFMおよび表面プラズモン共鳴法を用いた膜厚測定によって評価し、キメラ蛋白質の立体構造と予想される配向性から推算される膜厚とほぼ同程度であることを示している。また、キメラ蛋白質SAMの金基板上でのEGFP部位の蛍光機能、cytochrome b562部位の電子伝達機能を評価するために、EGFPの励起波長帯で光照射STM測定とハイブリッドSNOM/STM測定を行い、キメラ蛋白質の分子レベルでの整流特性を有する光電流の検出に成功している。また、cytochrome b562あるいはEGFP単独のSAMでは光電流が観測されないことから、cytochrome b562とEGFP両方のユニットが光電流発生に必要であることを明らかにしている。この結果は、金-チオール相互作用を利用した自己組織化法を用いて金基板上に作製されたキメラ蛋白質のそれぞれのユニットが、蛍光機能、電子伝達能を保持していることを示していると同時に、光増感剤としての蛍光蛋白質、電子供与体あるいは電子受容体としての電子伝達蛋白質の配向性や立体的相互配置を制御できるキメラ蛋白質の分子素子への応用の可能性を示唆するものであり、自己組織的蛋白質分子素子創製技術開発の端緒となる成果であると述べている。

第5章では本論文の総括と展望を述べている。

以上、本論文はESD法と金-チオール相互作用を利用した自己組織化法を用いて基板上に機能性蛋白質の膜を作製し、その構造や機能性を評価するとともに、機能性蛋白質膜の抗体チップや蛋白質分子素子などへの応用の可能性を検討したものである。これらの成果は今後の化学生命工学、特に生体分子工学の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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