学位論文要旨



No 118608
著者(漢字) 安田,聡子
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,サトコ
標題(和) 技術革新が海外生産移転に与えた影響 : 1990年代からの日系縫製企業による東アジア進出の研究
標題(洋)
報告番号 118608
報告番号 甲18608
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第5627号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馬場,靖憲
 東京大学 教授 後藤,晃
 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 教授 藤井,眞理子
 芝浦工業大学 教授 児玉,文雄
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、東アジアへ生産移転が進む要因について、縫製業を取り上げ分析したものである。

近年、東アジアでは、日系縫製企業による工場建設・操業・日本市場への持ち帰り輸出が盛んである。こうした日系企業の海外生産移転を促進するメカニズムに関しては、マクロ経済と開発政策という2つの側面から研究が行なわれている。

だが、生産移転とは技術の移転を伴う。よって、どのような技術が持ち込まれ、東アジアにどのような影響を及ぼしたため、生産移転が進んだ、あるいは遅れた、という技術を説明要因とする分析も必要である。そうであるにもかかわらず、こうした技術の側面に注目して、海外生産移転のメカニズムを分析する研究は非常に少ない。

本論文ではこうした技術の側面に焦点を当てる。東アジアへの生産移転を促進している巨大なメカニズムのなかで、技術的要因によって動かされている部分を抽出し、それを技術の論理を中心に据えた上で分析することを目的とする。

技術的要因を代表するものとして技術革新を取り上げ、次のような仮説を立てた:技術が進歩したことにより、技術移転が進んだ、あるいは場合によっては遅れた。

具体的には、生産技術である機械と、管理技術である人的資源管理を取り上げ、それぞれについて次の4点を調査・分析した:(1)1980年代から日本国内で起こった技術革新の詳しい内容(2)そうした技術革新を経ることにより、縫製作業という仕事の内容はどう変わったのか(3)仕事の内容が変わることにより、その担い手である作業者に求められる要件はどう変わったのか(4)技術革新を経て成立した生産の仕組みの中で、どのような要素が東アジアの工場を取り巻く環境に適合的だったのか、また、どのような要素は東アジアには不適合な性格を持っていたのか

本論文の具体的な内容は以下のとおりである:第1章は、上に述べたような本論文の目的、分析枠組み、分析範囲について記述している。

第2章は、1980年代後半〜今日までの日本の縫製業における環境変化を論述し、海外生産移転が進む背景を説明した。

第3章および第4章は、生産技術である縫製機器の革新と技術移転の関係について論考したものである。まず第3章では、縫製機器がME化という技術革新を経て、どのような機能を持つに至ったのか、それは、伝統的な縫製技能をどのように変えたのか、について分析した。続く第4章では、東アジアではME縫製機器がどのように利用されているのか、それは、東アジアの縫製工場にどのような便益をもたらしたのか、について分析した。

第5章および第6章では、人的資源管理における革新と技術移転について分析したものである。前の第3章および第4章で、伝統的な縫製技能がME縫製機器によって代替されたことを明らかにしたが、この第5章では、そうした熟練代替によって却って、多能工的スキルとそれを養成する人的資源管理が重要になったことを説明している。続く第6章では、多能工的スキル育成を志向する縫製企業と、単能工体制を志向する縫製企業の事例分析を行った。分析の結果、海外へ工場を建てる以前から、日本国内で、多能工的スキル育成のための人的資源管理手法を確立しておくことが、その後の海外生産においても有利に作用するということが判明した。

第7章では、これまでの分析結果に基づき、縫製企業がどこで生産すればよいのか、その生産地選択に対して、技術経営的視点からの示唆を提供しようと試みた。ここでは業界内で評判の高い5社を取り上げ、各工場が志向する市場、今日までに構築してきた生産設備、生産方式、技術、人的資源管理−これらを総称して生産基盤と呼ぶ−の特徴を分析した。その上で、そうした市場と生産基盤の特徴によって、適切な生産地も企業ごとに変わってくることを指摘した。この章での分析を基に、たとえ労働集約的な縫製企業であっても、最適な生産地は賃金コストだけで決まるわけではない、企業ごとに違う生産基盤の特徴もまた、縫製企業の適切な生産地選択に大きな影響を与えていると結論した。

第8章は結論である。本論文全体を通しての結論は次の3つである:(1)先進国による、先進国のための技術革新が、結果として東アジアへの技術移転をも促進している。(2)東アジアへ生産移転が進む要因は、賃金格差だけではない。賃金格差は必要条件として重要ではある。だが、先進国市場の高水準要求を満たすことが出来るという、十分条件も揃って初めて、生産移転が成功している。そして、先進国の高水準要求を満たすことが出来るのは、先進国で開発されたME縫製機器と人的資源管理手法を東アジアへも持ち込んだからである。したがって、賃金格差に加えて、ME縫製機器、高度な人的資源管理、この3つが揃うことにより、東アジアへの生産移転が進んでいるのである。(3)たとえ労働集約的な縫製業であっても、全ての企業が東アジアの生産に適しているわけではない。各企業が今日まで経験してきた技術革新と、構築してきた企業特殊的な生産基盤により、適切な生産地も違ってくる。

本論文の全体に共通するのは、海外生産移転以前、日本国内で起こった技術革新が、その後の海外生産移転にも影響を及ぼしているということである。つまり、海外生産移転のメカニズムに影響を及ぼしてきたのは、マクロ経済的要因、開発政策という、従来注目されてきた二つの要素だけではなかった。先進国内における技術革新という第三の要素も影響を及ぼしていたのである。このことは、技術変化を説明要因とする技術論的アプローチも、海外生産移転の研究においては有効である、という本論文の主張に一定の正当性を与えるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本企業の東アジアへの生産移転が進む要因について、縫製業を対象に技術論アプローチにより分析したものである。従来の研究が労働コスト等の経済要因や途上国の社会状況を説明変数として企業の東アジアへの生産移転を分析していたのに対して、本論文では企業が本国で推進した技術革新を契機とした一連の革新を説明変数としたところに、分析の新規性と調査・研究の学術的貢献がある。具体的には、高度化が進む縫製機器と、多能工化を促進する人的資源管理に分析の焦点を当て、(1)高度化を遂げる機器と人的資源管理は、企業の海外直接投資の開始以前に、日本国内で起こった労働コストの高騰と熟練確保の不安定という問題の対応策として出現した、(2)同時期の日本企業による自動機の高度化、多能工化の推進等に代表される一連の革新が、技術的・経営的に1990年代の日本企業の東アジアへの生産移転を可能にした、ということを、業界を代表する24社50余名に対する質問票を使った体系的聞きとり調査により明らかにし、多方面にわたるデータ分析により裏付け調査している。

次に、企業ごとの技術革新と人的資源管理のあり方が、どのように企業の生産地を決定しているのか、ケーススタディによる分析を行った。競争力があると評価されている有名縫製企業5社を抽出し、各社が供給している市場、設計図の作成方法、ラインの特徴、人的資源管理の手法、組織内外を流れる情報の性質等を調査し、その結果を新規性のあるフレームワークによって分析した。その結果は以下のとおりである:(1)スピードが競争力の源泉となる市場に製品を供給する企業では、情報のデジタル化が高度に進展していた。(2)デジタル化した企業は、顧客であるアパレル企業との距離的近接性、人的資源の賦存状態、といった立地制約が解消されていることから、自社の経営判断に基き自由に生産地を選択していた。(3)経営判断により生産地を決める場合、その選択に影響を及ぼすのは、主として人的資源管理のあり方であった。日本に特徴的な人材−豊富な中間管理者層や熟練技能を持つパート主婦−を活用する人的資源管理を採用する企業は、生産のグローバル化を採用せず、日本において機械化・自動化を推し進めながら高い業績を維持していた。対照的に、未熟練の人材に生産の仕組みを教育することを可能にする高度な人的資源管理手法を持つ企業は、東アジア諸国に工場を建設し、現地の安い労働コストを高い業績につなげることに成功していた。(4)人的資源管理手法と生産地が整合的でない事例、すなわち、高度な人的資源管理手法を持たず、日本に特徴的な人材を活用する人的資源管理手法を採用して東アジアに進出した企業の場合は、日本では高い競争力を保持しながらも東アジアの工場は短期間で撤退していた。原因は、現地労働力における多能工化が失敗したことによる、不良品の堆積、生産の遅れ、コストの上昇といったさまざまな生産上のトラブルにあった。

この分析より、たとえ典型的な労働集約産業である縫製業界であっても、労働コストが安い東アジアへ生産移転することが、企業の生き残りのための万能薬ではないことが明らかになった。なぜならば、競争力がある日本企業においては、労働コスト差という経済要因だけではなく、各社がこれまで形成してきた技術体系や経営行動という要素も考慮されており、生産地は企業ごとの歴史的な要因によって決定されていたからである。この事実は、縫製業のような典型的労働集約的産業においてもその生産地の決定にあたり、技術経営的考察が不可欠であることを示唆している。

本論文は、「企業の海外生産移転のメカニズムを分析するにあたっては、先進国において技術革新を契機として出現した一連の革新を説明変数とすることが、現象を一般的に理解する上で有効である」と主張しており、同論文の理論・実証分析は、この主張に十分な正当性を与えるに足りるものである。

以上により、本論文が博士論文としての水準を十分に満たすものであることを全審査員が認めた。

よって、本論文を博士(学術)の学位請求論文として合格と認める。

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