学位論文要旨



No 118611
著者(漢字) 瀧浦,晃基
著者(英字)
著者(カナ) タキウラ,コウキ
標題(和) 機械式人工心臓弁において生じるキャビテーション現象に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 118611
報告番号 甲18611
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5630号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 河内,啓二
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 助教授 鎮西,恒雄
 東京大学 講師 磯山,隆
内容要旨 要旨を表示する

大動脈弁閉鎖不全症に対し1952年にボール弁が使用されてから,人工心臓弁には50年以上にわたる研究開発の歴史がある.この歴史の中で,流体力学的性能,耐久性および生体適合性に関する改良が加えられてきた.特に機械式人工心臓弁(機械弁)については,pyrolytic carbon (PyC) 材の応用によってその耐久性と生体適合性が飛躍的に向上した.このような改良によって,現在臨床で使用されている人工心臓弁は10〜20年間安定して機能するが,一日約10万回の開閉を繰返し,10年以上もの長期間機能するという苛酷な使用環境の中で,特に人工心臓弁の長期的な性能を予測しそれを改善していくことは,人工心臓弁の信頼性および安全性向上のため,依然として重要な研究課題の一つである.

機械弁においても一般の流体機械と同様に,弁周辺の流れによって低圧部が生じると,キャビテーション(空洞現象)が発生する.キャビテーション気泡崩壊の際,局所的に著しい高圧・高温を生じ,機械弁構成部材の表面に壊食が起きる.実際に1990年頃から機械弁の加速試験や拍動型人工心臓への応用においてPyC製機械弁の破壊が報告され,また臨床においても患者から取り出した一部の機械弁において,完全と考えられていたPyC部材に損傷が発見されるようになった.このような損傷は,傷跡に観察される特徴からキャビテーションが原因とされ,機械弁の研究開発者の間で重要な問題として議論されている.機械弁の損傷は装着患者の死に直結する可能性があり,安全性の観点からFDA(米国食品医薬品局)やISO(国際標準化機構)などの世界的機関も問題とするようになった.しかしながら,広く認められた標準的なキャビテーションの評価観察方法はまだ確立されてはいない.

本研究では,まず機械弁に発生するキャビテーションについて,ストロボ写真や高速ビデオを用いて観測を行った.Bjork-Shiley 弁,Medtronic-Hall 弁,St. Jude Medical 弁およびEdwards-Duromedics 弁に対して,試験流体を純水とした実験系を用いて観測を行い,それぞれの機械弁で発生するキャビテーションについて気泡の発生や成長の詳細な観測を行った.このような反射光による観測手法を用いた場合,実験系が簡便になり,記録された気泡像が直感的で把握しやすいという利点がある.しかしながら気泡発生を画像処理などによって自動判別することは困難であり,キャビテーションの定量評価には不向きである.従って,このような反射光を利用した観測方法は,「気泡発生」を定性的に捕えるために非常に優れた方法であるといえる.また,キャビテーションによる障害の原因である「気泡崩壊」を捕えることは困難である.

本研究ではストロボ撮影を用いて「気泡発生」の定量評価を試みた.従来提案されてきた手法では,機械弁閉鎖からの経過時間に対する気泡発生分布が一様でないことについてほとんど配慮されていなかった.そのため気泡発生の有無について,正確な判断がなされていたとは考えられない.本研究で提案した手法はこの点にも配慮し,気泡発生の時間的な変化をも考慮した上で,キャビテーションの発生程度を示し得る指数を導入した.弁閉鎖の瞬間から一定の時間遅れを設けてストロボを点灯し血液流入側の機械弁画像を複数枚取得する.弁閉鎖からストロボ点灯までの時間遅れを変化させることで,気泡発生の経時的変化を捕えることができる.このようにして得られた画像における気泡の有無のみに着目してキャビテーション強度指数を定義した.この方法によると,装置が安価かつ簡便であり,多数の弁閉鎖事象を統計処理するため高い信頼性が期待できる.3種類の設計の異なる機械弁に適用し,キャビテーション強度指数が機械弁の設計や駆動条件(圧較差)を反映して変化することを確認した.得られた結果は,いずれも先行研究や機械弁使用の経験に矛盾しない結果であった.これにより,いままで困難であったキャビテーション発生の定量評価の可能性を示すことができた.

一方,キャビテーションによる弁部材や血球への障害は気泡発生時ではなく,気泡崩壊時に起きる.新しく設計される機械弁については,キャビテーションが起こらないように設計すれば危険性は少ない.しかし,現実にはキャビテーションを引き起こすことが判明している機械弁が確かに存在し,これまでに多くの患者に埋め込まれ,彼らの体内では毎日約10万回の開閉を繰返し続けている.このような機械弁について,その耐久性を評価し患者の安全を確保するためには,壊食を引き起こす直接の原因である「気泡崩壊」について解析する必要がある.この要求は機械弁で発生するキャビテーションに関する先行研究では指摘されていなかった点で,もちろん機械弁で生じる気泡崩壊について,その位置や時刻を観測可能な方法は,いままで提案されることがなかった.

そこで上記の気泡発生を観測評価する方法に加えて,キャビテーション気泡の崩壊時に発生する微弱発光(音響発光,sonoluminescence)を観測することにより,キャビテーションが引き起こす壊食を観測・評価する手法を提案した.超高感度CCDカメラおよび光電子増倍管を用いて微弱光を捕え,その発光位置および発光時刻を測定できる装置を開発した.Bjork-Shiley 弁を用いて詳細な解析を行い,機械弁において生じるキャビテーション気泡の崩壊について,その空間的および時間的解析に世界で初めて成功した.さらに,機械弁への圧負荷の増加とともに発光量も増加することを突き止め,機械弁の駆動条件を厳しくした場合,キャビテーションによって引き起こされる障害もより深刻化するという妥当な結果を得ている.また微弱光観測にフォトン・カウンティング手法を応用したことで,観測される光子数によってキャビテーション気泡の崩壊を容易に定量評価できるようになった.

このキャビテーション気泡から生じる微弱発光は,気泡内におけるプラズマ発生と励起OHラジカルの生成によるものとされる.波長310nmにおける発光を観測することで,OHラジカルの生成量を定量評価することができる.本研究では,光学フィルターを用いることで波長310nm付近の発光量を測定し,OHラジカル生成量を簡易定量した.実験に用いたBjork-Shiley 弁から発生するOHラジカル量は,十分生体が処理できる微量なものであると見積もられたが,サイズの異なる弁や設計の異なる他の機械弁については,キャビテーションによって誘引される化学的影響を引き続き検討する必要があると考えられた.つまり本研究によって,機械弁に発生するキャビテーションがラジカル生成を介して,生体に化学的影響を与え得ることをも示すことができた.

このように微弱発光観測によって,機械弁に生じるキャビテーションがもたらす機械的影響および化学的影響を捕え,かつ,それらの影響を定量的に評価する手段を提供したことは,従来の研究には見られない本研究の独創的な成果といえよう.

本研究では,機械弁で生じるキャビテーション現象について,主に純水を用いた測定系を構築して実験的研究を行った.まずストロボ撮影や高速ビデオを用い,機械弁で発生するキャビテーション気泡の観測を行った.また,ストロボ画像に基づいた「気泡発生」の評価方法を開発した.次に,機械弁で生じるキャビテーション気泡の崩壊による微弱発光を捕えることに成功した.微弱発光の時間的かつ空間的観測から,気泡崩壊つまりキャビテーションによる壊食がいつどこで生じているかについて情報を得ることができた.これにより微弱発光観測に基づく「気泡崩壊」の評価観測方法を開発した.また,発光量の測定からOHラジカル生成量の定量評価も試みた.いままで機械弁で生じるキャビテーションが,機械弁部材や血球に対して機械的障害を引き起こすとされてきたが,それに加えてOHラジカルによって機械弁が生体に化学的影響(酸化負荷)を与え得ることも示した.

審査要旨 要旨を表示する

瀧浦晃基提出の論文は「機械式人工心臓弁において生じるキャビテーション現象に関する実験的研究」と題し,全5章から成っている.

本論文で取り扱っているキャビテーション現象は,機械式人工心臓弁(機械弁)においても発生し,キャビテーションによって生じた気泡が崩壊する際,弁部材や血球の破壊をもたらすとされ問題視されている.本論文の目的は,機械弁で発生するキャビテーション現象の詳細を捕え,キャビテーションの発生とその気泡崩壊がもたらす障害を観測評価する手法を開発することである.

第1章は「序論」であり,人工心臓弁やキャビテーションに関する一般論についてまとめ,本論文の背景と目的を述べている.

第2章「機械弁に生じるキャビテーションと気泡像の観察」では,ストロボ撮影や高速ビデオを用いて機械弁に発生するキャビテーション気泡を捕え,その特徴について報告している.4種類の異なる機械弁について詳細な観察を行い,反射光を用いる観測方法の問題点を明らかにしている.特に,反射光を用いた観測手段では,キャビテーションがもたらす障害の根本的な原因である気泡崩壊を捕えられないことを見出している.

第3章「ストロボ撮影によるキャビテーションの評価」では,前章で扱った反射光を用いる観測方法が持つ直感的で理解しやすいという利点を生かし,気泡の有無だけを判断することによって定量的に気泡発生を評価することのできるキャビテーション強度指数を導入している.設計の異なる3種類の機械弁について測定を行い,キャビテーション強度指数が機械弁の設計や駆動条件に依存して変化することを確認している.得られた結果は,これまでの臨床における経験や先行研究において確認されているキャビテーションの発生状況を良く反映している.これにより,いままで困難であったキャビテーション発生の定量的な評価の可能性を示している.

第4章「発光現象によるキャビテーション気泡崩壊の観測」では,音響発光を利用し,キャビテーション気泡の崩壊時に発生する微弱発光を観測することによって,キャビテーションによる壊食を観測・評価する手法を提案し,その詳細について述べている.超高感度CCDカメラおよび光電子増倍管を用いた観測系を開発し,機械弁で発生するキャビテーション気泡から発せられる微弱光を捕えることに成功している.開発した実験装置によって,Bjork-Shiley弁の周囲に生じるキャビテーション気泡の崩壊位置と崩壊時刻,つまりキャビテーションによる障害が発生する位置およびその時刻の詳細な解析を行っている.さらに,音響発光理論によると気泡内にOHラジカルが生成されていると考えられるため,機械弁に発生するキャビテーションがラジカル生成を介し,生体に化学的影響を与え得ることを指摘するに至っている.

第5章は「結論」であり,得られた成果を総括している.

以上要するに本研究は,機械弁において生じるキャビテーション現象について,まずストロボ撮影に基づく気泡発生の評価方法を開発し,さらに微弱光観測に基づいたキャビテーションによる障害の観測評価方法を開発したものである.微弱光観測の結果から,これまでキャビテーションは機械的障害を引き起こすとされてきたが,それに加えてOHラジカルによって機械弁が生体に化学的影響(酸化負荷)を与え得ることも示している.機械弁に生じるキャビテーションがもたらす機械的影響および化学的影響を捕え,かつ,これらの影響を定量的に評価する手段を提供したことは,機械弁の研究開発だけではなく,医用生体工学上貢献するところ大である.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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