学位論文要旨



No 118617
著者(漢字) 李,得燦
著者(英字)
著者(カナ) リ,トクチャン
標題(和) 欠損変異プリオン蛋白を用いた正常型プリオン蛋白の抗アポトーシス機能に関する研究
標題(洋) The studies on the anti-apoptotic function of cellular prion protein using truncated prion protein
報告番号 118617
報告番号 甲18617
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2653号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 桑原,正貴
内容要旨 要旨を表示する

トにおけるCreutzfeldt−Jakob diseaseや、ヒツジにおけるscrapieおよびウシにおけるBovine spongiform encephalopathyのプリオン病は異常型プリオン蛋白が体内に侵入あるいは生じることによって、宿主が本来持っている正常型プリオン蛋白(PrPC)が異常型プリオン蛋白(PrPSc)へと変換し発症するというプリオン仮説が提唱されている。プリオン病に罹患した個体の脳組織では、多くの場合に神経細胞の空胞変性が見られることが報告されている。正常型プリオン蛋白遺伝子は哺乳類で高い相同性を持ち、様々な臓器で発現していることから、何らかの重要な役割を果たしていると考えられる。現在、正常型プリオン蛋白質の機能を研究するため、世界の数ヵ所でジーンターゲッティングによりプリオン遺伝子を欠損したマウス(Prnp0/0)が作製されている。これらPrnp0/0マウスはPrP遺伝子との相同性が25%であるdoppel遺伝子(Prnd)の発現レベルによってZN-1型とZN-2型で分かれる。ZN-1型とZN-2型により、欠損マウスの表現型が異なる。したがって、PrPCの機能について様々な議論が見られる。最近、プリオン蛋白が神経細胞株のアポトーシスを抑制することが明らかになった。ところが、Prndは正常型マウスの脳では発現レベルが低いが、ZN-2型Prnp0/0マウスでは発現レベルが高い。このPrnd遺伝子産物(Dpl)がZN-2型マウスの行動異常の原因と推論されている。そこで、ZN-2型Prnp0/0マウスから樹立したPrP-欠損神経細胞株(HpL3-4)におけるアポトーシス細胞死についてDpl蛋白の関与および、アポトーシス細胞死抑制における正常型プリオン蛋白の構造的な機能中心の特定を目的として以下の研究を行った。

第一章では、PrP-欠損神経細胞株におけるアポトーシス細胞死にDpl発現が関与するものであるかを検討した。Dplは行動異常をおこすZN-2型Prnp0/0マウスの脳においては過発現しているが、行動異常を示さないZN-1型Prnp0/0マウスにおいては発現されていないことが明らかになった。行動異常をおこすRIKN型Prnp0/0マウスのhippocampalから樹立したPrP-欠損神経細胞株(HpL3-4)におけるアポトーシス細胞死にDpl発現が関与するものであるかについて解析を試みた。マウスdoppel遺伝子全翻訳領域を含む発現ベクター(pMSCVpuro-Dpl-EGFP)を作製し、PrP-欠損神経細胞株にレトローウイルスベクターを用いて導入し、Dpl過発現細胞株(HpL3-4-Dpl)を作製した。HpL3-4とDpl過発現株HpL3-4-Dplを無血清培地下で培養した。光学顕微鏡下で観察したところ、培養後、24時間以内にHpL3-4とHpL3-4-Dplともに顕著な細胞の円形化が観察された。また、LDH assayによる細胞死を経時的に回収した細胞から観察したところ、24時間血清除去による細胞死がHpL3-4細胞株と比較して120%であった。さらに、無血清培地下でおこる細胞のアポトーシスを経時的に回収した細胞からDNA Ladderを観察したところHpL3-4-Dplの方が強く観察された。これらの結果からDplの過発現はPrP-欠損神経細胞株において無血清培地下でのアポトーシスによる細胞死を促進する可能性が示唆された。

PrP遺伝子(Prnp)の16 kb下流にdoppel遺伝子(Prnd)が位置する。PrndのPrnp との相同性は25%である。また、Dplはほとんどの哺乳動物において見られる事から何らかの役割を果たしていると考えられるが、その機能については未だ不明である。そこで、第二章では、Dpl蛋白はPrPのN-末端側のoctarepeat region, stop transfer region(STE), tandom repeat部位が欠損されている構造を持っていることに着目し、アポトーシス細胞死抑制におけるDplの機能について検討した。マウスPrPのN-末端側のアミノ酸コドンAa 1−124(PrP(Aa 1-124))を含むDplのORFの発現ベクターを作製し、PrP-欠損細胞株に導入し、PrP(1-124)/Dpl fusion蛋白を安定発現させた細胞株を作製した。このPrP(1-124)/Dpl fusion蛋白発現細胞株はPrP遺伝子導入細胞株同様、無血清培地下で生存した。経時的に回収した細胞をDAPI染色やDNA断片化により解析したところ、この細胞株はアポトーシスによる細胞死が強く抑制されていることが観察された。 PrP-欠損細胞株における無血清培地下での細胞死抑制がPrP(1-124)/Dpl fusion蛋白に起因するものであるかをより詳細に検討するため、PrPのアミノ酸コドンAa 1-95(PrP(1-95))のさらに短い欠損部位を持っているPrP(1-95)/Dpl fusion蛋白発現細胞株を作製した。無血清培地下で培養し、経時的に回収した細胞をDAPI染色やDNA断片化検出により解析したところ、アポトーシスによる細胞死は抑制されなかった。このことから、PrP-欠損細胞株のアポトーシス細胞死抑制においてDplはN−末端側にoctarepeat region, stop transfer region, tandom repeat部位が欠損されている構造のPrPのような機能を持っていることが示唆された。

第三章では、アポトーシス細胞死抑制における正常型プリオン蛋白の構造的な機能中心の特定を検討した。正常型プリオン蛋白遺伝子のoctarepeat regionなどN−末端側の重要構造部位いくつかの領域を欠損させた欠損変異プリオン蛋白発現ベクターを作製した。構築したベクターをPrP-欠損神経細胞株に導入し、欠損変異プリオン蛋白発現神経細胞を作製した。作製した細胞株すべてについて無血清培地下で24時間培養後の細胞死についてDAPI染色や抽出DNA断片化を解析した。PrP-欠損神経細胞株にプリオン蛋白全域を発現させた神経細胞とtandom repeat部位以後(Aa 124-146)を欠損させた欠損変異プリオン蛋白を発現させた神経細胞は無血清培地下で生存した。しかし、octapeptide-repeat domain(Aa 53-94)やSTEとtandom repeat部位(Aa 95-132)を欠損させた欠損変異プリオン蛋白発現神経細胞は無血清培地下で細胞死が観察された。また、アポトーシス特異的な核の凝縮及びDNA断片化がDAPI染色やDNAラダー検出法で観察され、無血清培地下における細胞死はアポトーシスによることが認められた。さらに、アポトーシスによる細胞死率を調べたところ、発現ベクターのみ導入した細胞株と比較してoctapeptide-repeat domainやSTEとtandom repeat部位を欠損させた細胞株はそれぞれ160%、120%であった。以上の結果から、無血清培地下でのアポトーシス細胞死抑制における正常型プリオン蛋白の構造的な機能中心の領域が特定された。

本研究により、Dplの発現はPrP-欠損神経細胞株において無血清培地下でのアポトーシスによる細胞死促進作用があることをDpl遺伝子の導入細胞株を用いて明らかにした。また、Dpl遺伝子にPrPのN-末端側の遺伝子を組み込んだPrP/Dpl fusion蛋白遺伝子導入株によって、PrP-欠損細胞株のアポトーシス細胞死抑制においてのDplはPrPのN−末端側部位が組み込まれるとPrPのような機能を持っていることが示唆された。さらに、欠損変異プリオン蛋白発現神経細胞を用い無血清培地下でのアポトーシス細胞死抑制における正常型プリオン蛋白の構造的な機能中心の領域を特定することに成功した。本研究の知見は、正常型プリオン蛋白の機能を考える上で重要な発見であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

現在、正常型プリオン蛋白質の機能を研究するため、世界の数ヵ所でジーンターゲッティングによりプリオン遺伝子を欠損したマウス (Prnp0/0) が作製されている。これらPrnp0/0マウスはPrP遺伝子との相同性が25%である doppel 遺伝子 (Prnd) の発現レベルによって、発現していないZN-1型 (ZrchI、Edinburgh) と発現レベルが高いがZN-2型 (Ngsk, Rikn, RcmO, ZrchII) に分かれている。この Prnd 遺伝子産物 (Dpl) がZN-2型マウスの ataxia による行動異常の原因と推論されている。最近、ZN-2型 Prnp0/0 マウスの hippocampus から樹立したPrP-欠損神経細胞株 (HpL3-4) を用いてプリオン蛋白が神経細胞株のアポトーシスを抑制することが明らかになっている。そこで、HpL3-4におけるアポトーシス細胞死についてDpl蛋白の関与および、アポトーシス細胞死抑制における正常型プリオン蛋白の構造的な機能中心の特定を目的として以下の研究を行った。

第一章では、PrP-欠損神経細胞株におけるアポトーシス細胞死にDpl発現が関与するものであるかを検討した。Ataxia による行動異常をおこす Rikn Prnp0/0 マウスの hippocampus から樹立したHpL3-4細胞株に Prnp/Prnd chimeric mRNAs が検出された。この細胞におけるアポトーシス細胞死にDpl発現が関与するか否かについて解析を試みた。HpL3-4とDpl過発現株HpL3-4-Dplを樹立して、無血清培地下で培養した。光学顕微鏡下で観察したところ、培養後、24時間以内にHpL3-4とHpL3-4-Dplともに顕著な細胞の円形化が観察された。また、LDH assay により、細胞死を観察したところ、24時間血清除去による細胞死は、HpL3-4細胞株と比較して120%に増加した。さらに、細胞死の強弱を、DNA Ladder により観察すると、HpL3-4-Dplにおいて、HpL3-4に比較してより強度のアポトーシスが観察された。したがって、PrP-欠損神経細胞株におけるDpLの過発現は、無血清培地下でのアポトーシスをさらに促進することが観察された。

Dplはほとんどの哺乳動物において見られる事から何らかの役割を果たしていると考えられる。しかしながら、その機能については未だ不明である。そこで、第二章では、Dpl蛋白はPrPのN-末端部位が欠損されている構造を持っていることに着目し、DplとPrPの構造の差によるアポトーシス細胞死抑制機能について検討した。マウスPrPのN-末端側のアミノ酸1から124番まで (PrP(1-124)) を含む PrP/Dpl fusion 蛋白、PrP (1-124) /Dpl fusion 蛋白を安定発現させた細胞株を作製した。この PrP (1-124) /Dpl fusion 蛋白発現細胞株はPrP遺伝子導入細胞株同様、無血清培地下で生存した。経時的に回収した細胞をDAPI染色やDNA断片化により解析したところ、この細胞株はアポトーシスによる細胞死が強く抑制されていた。PrP-欠損細胞株における無血清培地下での細胞死抑制がPrP(1-124)/DPl fusion 蛋白に起因するものであるかをさらに検討するため、PrPのアミノ酸1から95番までのさらに短い欠損部位 (PrP(1-95)) を発現するPrP(1-95) /Dpl fusion 蛋白発現細胞株を作製した。無血清培地下で培養し、経時的に回収した細胞をDAPI染色やDNA断片化検出により解析したところ、アポトーシスによる細胞死が観察されなかった。このことから、無血清培地下でのアポトーシス細胞死抑制の機能に対して、PrPのN-末端部位を発現させたDpl蛋白は、PrPのように無血清培地下でのアポトーシス細胞死抑制の機能を有することが示唆された。PrPのアミノ酸1から124番までのN-末端部位が存在することがアポトーシス細胞死抑制に重要と考えられる。

さらに第三章では、アポトーシス細胞死抑制における正常型プリオン蛋白のN-末端の機能中心を同定した。正常型プリオン蛋白遺伝子の上流において、octarepeat region など、いくつかの領域を欠損させた欠損変異プリオン蛋白を発現するベクターを作製した。構築したベクターをPrP-欠損神経細胞株に導入し、欠損変異プリオン蛋白を発現する神経細胞を作製した。作製した細胞株について無血清培地下で、DAPI染色や抽出DNA断片化解析を行なった。PrP-欠損神経細胞株にプリオン蛋白全域を発現させた神経細胞及び、hydrophobicregion 以後アミノ酸124から146番までを有する変異プリオン蛋白を発現させた神経細胞は、無血清培地下でアポトーシスが見られなかった。しかし、octapeptide-repeat domain や hydrophobic domain を欠損させた欠損変異プリオン蛋白発現神経細胞は、無血清培地下でアポトーシスが観察された。また、アポトーシス細胞では、核の凝縮及びDNA断片化が観察された。以上の結果から、アポトーシス細胞死抑制に関する正常型プリオン蛋白の構造的な機能中心の領域は、PrPのN-末端部位に存在する octapeptide-repeat domain と hydrophobic region であることが明らかにされた。

本研究により、Dplの発現はPrP-欠損神経細胞株において無血清培地下でのアポトーシスによる細胞死促進作用があることが明らかにされた。また、Dpl遺伝子にPrPのN-末端側の遺伝子を付加させた。このPrP/Dpl fusion 蛋白遺伝子導入株によって、PrPのような抗アポトーシス機能が観察された。さらに、欠損変異プリオン蛋白発現神経細胞を用いた研究により、正常型プリオン蛋白のアポトーシス抑制の機能中心、PrPのN-末端部位に存在する octapeptide-repeat domain と hydrophobicregion であることが明らかにされた。本研究の知見は、正常型プリオン蛋白の抗アポトーシス機能を考える上で重要な発見であると考えられる。

従って、審査員一同は、当論文内容が農学博士の資格を有するとの結論に達した。

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