学位論文要旨



No 118621
著者(漢字) 田,軍
著者(英字)
著者(カナ) デン,グン
標題(和) 新規触媒的不斉シアノ化反応 : (+)-Patulolide Cの合成と多段階促進型反応への応用
標題(洋) First Catalytic Asymmetric Cyanocarbonation of Aldehydes : Application to Synthesis of (+)-Patulolide C and Sequential Reaction
報告番号 118621
報告番号 甲18621
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1048号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 助教授 眞鍋,敬
 東京大学 助教授 金井,求
内容要旨 要旨を表示する

光学活性シアノヒドリンは汎用性の高いキラルビルディングブロックであり、α−ヒドロキシカルボン酸、β-ヒドロキシアミン、α-ヒドロキシアルデヒド、α-ヒドロキシケトン等に変換可能である。光学活性シアノヒドリンの最も効率の良い合成法は、カルボニル化合物へのシアン化物の触媒的不斉付加反応である。これまで20年間、カルボニル化合物の触媒的不斉シアノ化反応の研究が盛んに行われてきたが、すべてのシアノ化反応において、毒性が高く、揮発性が高いために危険なHCNやTMSCNがCN基の供給源としてよく用いられてきた。そのため、高い化学収率とエナンチオ選択性にも関わらず、シアノ化反応の応用がある程度制限されてしまっていた。そこで、HCNやTMSCNを用いず、より安全で操作が容易な試薬を用いてシアノ化反応を行う方法の開発を研究テーマとして設定した。エチルシアノホルメート(Mander's reagent)は空気中や少量の水存在下でも安定であり、理想的なシアノ化剤として利用できると考え検討を行った。

種々検討の結果、私は、柴崎研究室にて既に開発されていたヘテロバイメタリック錯体2がアルデヒドとエチルシアノホルメートの反応を触媒することを見い出した。ランタノイドとアルカリ金属との組み合わせに関してスクリーニングを行った結果、YLi3tris(binaphthoxide)3 (YLB)錯体が最も高い反応性とエナンチオ選択性を示すことがわかった。反応性と選択性の改善のために、種々の添加剤の検討を行った(Table 1)。H2O、ホスフィンオキシド、n-BuLiの添加が反応性と選択性の向上に大きく寄与していることが分かった。様々なルイス塩基を添加剤として検討した結果、triarylphosphine oxide、特に立体的にかさ高い [2,6-(CH3O)2C6H3]3P(O)の添加によりエナンチオ選択性の向上に成功した (Table 1, entry 8)。最適反応条件は10 mol % (S)-YLB 錯体、30 mol % H2O、 10 mol % n-BuLi 、10 mol % [2,6-(CH3O)2C6H3]3P(O)であった。Table 2に示すように本最適反応条件は芳香族アルデヒド (entries 1-2), α, β-不飽和アルデヒド (entries 3-4), 直鎖および分岐脂肪族アルデヒド(entries 5-10)のすべてにおいて良好な化学収率と不斉収率にて生成物を与えた。これは今まで報告されてきた反応系の中で、最も広い基質適用範囲をもつ触媒系の一つである。また、触媒量に関しても5 mol % (entry 7) および1 mol % (entry 8)に減じても高い立体選択性と反応性が維持された3。更に、本シアノ化反応のメカニズム解析のために、LiCNの代わりにKCNを用いて触媒的不斉シアノ反応も行った。

次に新規に開発したシアノ化反応の応用研究に着手した。α,β-不飽和アルデヒドの触媒的不斉シアノカーボネート化反応と続く[3,3]シグマトロピー転位反応による不斉転写は、天然物や薬物を合成するための有効なキラル合成素子γ-オキシ-α,β-不飽和ニトリルを与える。まずルイス酸による[3,3]シグマトロピー転位反応による不斉転写に関して検討を行った。5 mol % PdCl2(PhCN)2により反応は円滑に進行し、不斉収率がある程度減少したものの、trans/cis=>49/1という高い選択性にて生成物が得られた。トルエン中にて量論量のTMSOTfを使用することで、反応性は低い(48 h, 82% yield)が不斉収率を維持したまま、trans/cis = 89/11にて転位体が得られた。一方、加熱条件下での[3,3]シグマトロピー転位反応も円滑に進行し、trans/cis混合物として定量的に熱力学的に有利なα,β-不飽和ニトリルを与えた。ただし、Trans/cis比は反応温度と溶媒極性により変化した。1,2,4-trichlorobenzeneを溶媒とした場合に反応性、収率、およびtrans/cis 比という点で最も良い結果が得られた。本条件を適用することでTable 3に示すように、2段階の原子効率の高いγ-オキシ-α,β-不飽和ニトリルの合成法が確立できた4。

本変換反応の有効性を示すために、(+)-patulolide Cの触媒的不斉全合成を行った。(+)-patulolide CはPenicillium urticae mutant S11R59の培地から単離され、抗菌性と抗細菌性を示す。いくつかの不斉合成例が報告されているが、それらはすべて光学活性γ-ヒドロキシ-α,β-不飽和エステルユニットの合成において多段階を要しており、効率性に問題を残していた。

(+)-patulolide Cの全合成は化合物5を出発物質として行った。化合物5 に対し、(R)-YLB 錯体を用いて触媒的不斉シアノ化を行い、続く [3,3]シグマトロピー転位によって、収率92%、不斉収率87%で中間体7に導くことができた。保護基の変換によって、鍵中間体8を二段階で収率92%にて得た。Coreyらの (S)-CBS触媒(30 mol %)と2 当量のcatecholboraneを用いた触媒的不斉還元反応により9をジアステレオマーの混合物として得た。官能基変換の後、化合物10のマクロラクトン化は縮合剤12によって効率良く進行し、収率85%、ジアステレオマー比81/19にて11が得られた。望みの立体を有する化合物11はこの段階で、シリカゲルクロマトグラフィーにより容易に単離することができた。キラルHPLC分析によって、11の不斉収率は98% eeと決定された。二つの触媒的不斉反応を用いて、統計上の不斉増幅が実現されたと考えられる。TBS基を除去することで、9段階、総収率33%で (+)-patulolide Cが得られた(Scheme 1) 4。スペクトルデータは天然物とよい一致を示した。

一般に不斉触媒は特定の一つの反応のみを効率よく促進するために設計、最適化されている。そのため複雑な構造を有する光学活性化合物の合成には多段階にわたる合成が必要不可欠であり、各ステップにおける後処理、精製等に膨大な時間とエネルギーが必要となる。真に効率的な合成法の開発を考えた時、単一の不斉触媒により全くメカニズムの異なる複数の反応を促進する、“多段階促進型不斉触媒系”は有用性の高い合成戦略となる可能性を秘めている(Scheme 2)。私はキラル触媒をアキラル添加剤により触媒チューニングすることにより各反応における最適な不斉環境の構築を行うことで “多段階促進型不斉触媒系”の構築を目指すこととした。モデル基質として反応性の異なる2つのアルデヒドを有する基質を設定し、先に述べた触媒的不斉シアノ化反応と既に柴崎研究室にて開発されていたニトロアルドール反応をYLB錯体を用いて連続的に行うことを計画した。反応の順番としてはまず、反応性の高い脂肪族アルデヒドへのシアノ化反応を行い、つぎに芳香族アルデヒドへのニトロアルドール反応を行った。

ニトロアルドール反応のモデル実験の結果をTable 4に示す。YLB錯体によりベンズアルデヒドのニトロアルドール反応は62% eeにて生成物を与えた(entry 1)。しかしながら、entry 2に示すようにホスフィンオキシド存在下ではニトロアルドール反応の選択性が大きく低下してしまい、生成物はわずか11% eeの選択性で得られた。アキラル添加剤を加えることで錯体構造の最適化が可能であるとの仮説に基づき種々検討を重ねた結果、entries 3-5に示すようにLi塩の添加が有効であり特にLiBF4がもっともよい結果を与えた。同様の傾向は他の基質でも観測された(entry 6 vs entry 7)。現在のところLiカチオンとホスフィンオキシドの強い相互作用により、LiBF4 存在下ではホスフィンオキシドがYLB錯体から解離することで最適な不斉空間が得られたと想定している。以上の予備実験をもとに連続的触媒的不斉シアノ化-ニトロアルドール反応を行った結果をScheme 3に示す。試薬の当量を調整することでシアノ化反応は芳香族アルデヒドに対して選択的に進行し、中間体14を与えた(80% ee, 88% ee)。さらに、LiBF4を添加後にニトロアルドール反応を行うことで、望みの生成物15を93% ee (パラ体)、 98% ee(メタ体)にて得ることに成功した。LiBF4を添加せずにニトロアルドール反応を行った場合には生成物は収率46%、不斉収率88% ee、ジアステレオマー比1.5/1でしか得られなかった。生成物の不斉収率とジアステレオマー比をもとにニトロアルドール反応の選択性について計算すると、それぞれ55% ee (13a with LiBF4), 68% ee (13b with LiBF4) 、25% ee (13a without LiBF4), となる。この結果はアキラル添加剤による触媒チューニングという戦略の有用性を示している3。

(S)-YLi3tris(binaphthoxide)[(S)-YLB(4)]

Catalyst tuning with additives (H_2O, Ar_3P(O) and η-BuLi)

Catalytic asymmetric cyanocarbonation of aldehydes

Atome-economical synthesis of γ-oxy-α. β-unsaturated nitriles

Catalytic asymmetric total synthesis of(+)-patulolide C

Chiral catalyst tuning strategy with achiral additiver(s) for sequential asymmetric catalysis

Catalytic tuning for second asymmetric nitroaldol reaction

Sequential catalytic asymmetric cyanocarbonation-nitroaldol reaction with or without adequate catalyst tuning

1)Review: North, M. Tetrahedron: Asymmetry 2003, 14, 147.2)Shibasaki, M.; Sasai, H.; Arai, T. Angew. Chem. Int. Ed. 1997, 36, 1236.3)Tian, J.; Yamagiwa, N.; Matsunaga, S.; Shibasaki, M. Angew. Chem. Int. Ed. 2002, 41, 3636.4)Tian, J.; Yamagiwa, N.; Matsunaga, S.; Shibasaki, M. Org. Lett. 2003,5,3021
審査要旨 要旨を表示する

光学活性シアノヒドリンは汎用性の高いキラルビルディングブロックである。これまでにカルボニル化合物の触媒的不斉シアノ化反応の研究が盛んに行われてきたが、すべてのシアノ化反応において、毒性が高く、揮発性が高いために危険なHCNやTMSCNがCN基の供給源としてよく用いられてきた。田軍はより安全で操作が容易な試薬を用いてシアノ化反応を行う方法の開発を研究テーマとした研究を行った。

種々検討の結果、田軍は、柴崎研究室にて既に開発されていたヘテロバイメタリック錯体がアルデヒドとエチルシアノホルメートの反応を触媒することを見い出した。ランタノイドとアルカリ金属との組み合わせに関してスクリーニングを行った結果、YLi3tris(binaphthoxide)3 (YLB)錯体が最も高い反応性とエナンチオ選択性を示すことがわかった。反応性と選択性の改善のために、種々の添加剤の検討を行った結果、H2O、ホスフィンオキシド、n-BuLiの添加が反応性と選択性の向上に大きく寄与していることが分かった。様々なルイス塩基を添加剤として検討した結果、triarylphosphine oxide、特に立体的にかさ高い [2,6-(CH3O)2C6H3]3P(O)の添加によりエナンチオ選択性の向上に成功した。最適反応条件は10 mol % (S)-YLB 錯体、30 mol % H2O、 10 mol % n-BuLi 、10 mol % [2,6-(CH3O)2C6H3]3P(O)であった。Tableに示すように本最適反応条件は芳香族アルデヒド (entry 1-2), α, β-不飽和アルデヒド (entry 3-4), 直鎖および分岐脂肪族アルデヒド(entry 5-10)のすべてにおいて良好な化学収率と不斉収率にて生成物を与えた。これは今まで報告されてきた反応系の中で、最も広い基質適用範囲をもつ触媒系の一つである。

次に新規に開発したシアノ化反応の応用研究に着手した。α,β-不飽和アルデヒドの触媒的不斉シアノカーボネート化反応と続く[3,3]シグマトロピー転位反応による不斉転写により、天然物や薬物を合成するための有効なキラル合成素子γ-オキシ-a,b-不飽和ニトリルを効率よく得る合成法が確立された。本変換反応の有効性を示すために、(+)-patulolide Cの触媒的不斉全合成の検討もなされた。(+)-patulolide Cはすでにいくつかの不斉合成例が報告されているが、それらはすべて光学活性γ-ヒドロキシ-α,β-不飽和エステルユニットの合成において多段階を要しており、効率性に問題を残していた。田軍は新規に開発したα,β-不飽和アルデヒドの触媒的不斉シアノカーボネート化反応と、続く[3,3]シグマトロピー転位反応による不斉転写を鍵工程として(+)-patulolide Cの全合成を達成した。本全合成において、触媒的不斉シアノカーボネート化反応とCoreyの開発した不斉還元反応を合成ルートに組み入れることで、統計上の不斉増幅が実現され、高い光学純度にて9段階、総収率33%にて (+)-patulolide Cを得ている。

一般に不斉触媒は特定の一つの反応のみを効率よく促進するために設計、最適化されている。そのため複雑な構造を有する光学活性化合物の合成には多段階にわたる合成が必要不可欠であり、各ステップにおける後処理、精製等に膨大な時間とエネルギーが必要となる。真に効率的な合成法の開発を考えた時、単一の不斉触媒により全くメカニズムの異なる複数の反応を促進する、“多段階促進型不斉触媒系”は有用性の高い合成戦略となる可能性を秘めている(右Scheme)。田軍はキラル触媒をアキラル添加剤により触媒チューニングすることにより各反応における最適な不斉環境の構築を行うことで “多段階促進型不斉触媒系”の構築を目指した。モデル基質として反応性の異なる2つのアルデヒドを有する基質を設定し、先に述べた触媒的不斉シアノ化反応と既に柴崎研究室にて開発されていたニトロアルドール反応をYLB錯体を用いて連続的に行うことを計画した。アキラル添加剤を加えることで錯体構造の最適化が可能であるとの仮説に基づき種々検討を重ねた結果、Li塩の添加が有効であり特にLiBF4がもっともよい結果を与えた。連続的触媒的不斉シアノ化-ニトロアルドール反応を行った結果を下記Schemeに示す。試薬の当量を調整することでシアノ化反応は芳香族アルデヒドに対して選択的に進行し、中間体としてモノシアノ化体を与えた(80% ee, 88% ee)。さらに、LiBF4を添加後にニトロアルドール反応を行うことで、望みの生成物を93% ee (パラ体)、 98% ee(メタ体)にて得ることに成功した。LiBF4を添加せずにニトロアルドール反応を行った場合には生成物は収率46%、不斉収率88% ee、ジアステレオマー比1.5/1でしか得られなかった。生成物の不斉収率とジアステレオマー比をもとにニトロアルドール反応の選択性について計算すると、それぞれ55% ee (パラ体with LiBF4), 68% ee (メタ体with LiBF4) 、25% ee (パラ体without LiBF4), となる。この結果はアキラル添加剤による触媒チューニングという戦略の有用性を示している。

以上のように本研究成果は薬学領域の研究に十分に貢献しており、薬学博士の学位にふさわしいものと考える。

(S)-YLi3tris(binaphthoxide)[(S)-YLB(4)]

Concept of chiral catalyst tuning strategy by achiral additives to achieve tandem asymmetric catalysis with single catalyst component

Sequential catalytic asymmetric cyanation-nitroaldol reaction with and without adequate catalyst tuning

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