学位論文要旨



No 118622
著者(漢字) 朴,正敏
著者(英字)
著者(カナ) パク,チョンミン
標題(和) セイヨウミツバチ脳のキノコ体に選択的に発現する新規な転写因子Mblk-1の機能解析
標題(洋) Biochemical and functional analysis of Mblk-1, a novel transcription factor preferentially expressed in the mushroom body of the honeybee brain
報告番号 118622
報告番号 甲18622
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1049号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 助教授 西山,信好
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

ミツバチは最も高度な社会性を獲得した昆虫の1つで、雌の成虫が、女王蜂と働き蜂にカースト分化する。また、働き蜂は育児や採餌といった様々な作業の分担や、ダンス言語を用いた情報伝達など高度な個体間コミュニケーションを行う。こうした社会性行動を支えるために、ミツバチには感覚統合や記憶・学習、コミュニケーション能力などに働く高度な脳機構が備わっていると考えられるが、その分子的基盤は不明な点が多い。キノコ体は昆虫脳において、感覚統合や記憶・学習に重要な役割を担う領域であり,ミツバチでは他の昆虫に比べて、容積的にも構造的にも顕著に発達していることから、キノコ体で機能する分子はミツバチの行動に関わる有力な候補になると考えられる。

Mblk-1は、セイヨウミツバチ(Apis mellifera L.)のキノコ体の介在神経の1つである大型ケニヨン細胞に選択的に発現する遺伝子として、当研究室の竹内らにより同定された。Mblk-1は、RHF1, 2と名付けた二つのhelix-turn-helix DNA 結合モチーフ及び、グルタミンランを含むことから、転写因子として機能する可能性が考えられた。しかしながら,Mblk-1が実際にDNA結合活性や転写制御能を持つのか,また、どのような遺伝子の発現を制御するのかは不明であった。本研究では、これらの点を解決することにより、ミツバチの脳神経系におけるMblk-1の役割を解明することを目的にした。

Mblk-1の結合DNA配列の同定

先ずMblk-1の結合配列を同定する目的で、結合部位選択法により、ランダムオリゴヌクレオチドの中から全長のリコンビナントMblk-1に選択的に結合するものを選別した。得られたelementの配列を決定したところ、約43%がほぼ同一のパリンドロームを含む22bpの塩基配列(MBE; Mblk-1 Binding Element)を有しており、ゲルシフト法を用いた競合阻害実験により、Mblk-1がこのelementに特異的に結合することが明らかになった。さらに、2つのDNA 結合モチーフRHF1、2のどちらか一方を含む部分 Mblk-1を作成し同様の解析を行ったところ、いずれも単独でMBEと特異的に結合した。このことはRHF1と2が、DNA 結合ドメインであることを示している。

Mblk-1の転写活性

次にMblk-1がMBE依存に転写を制御する活性を有するかをレポーターアッセイにより検証した。Mblk-1発現コンストラクトを、MBE又は無関係の配列(UAS)を複数組み込んだルシフェラーゼレポーター遺伝子とともにショウジョウバエSL-2細胞に導入し、転写活性に与える影響を調べた。その結果、Mblk-1の導入により、MBE依存の転写活性は約6倍上昇した。さらに、Mblk-1の転写活性化能を担うドメインを同定するため、様々な部分Mblk-1発現コンストラクトを作製し、その転写活性化能を測定した。その結果、RHF2を欠失すると、転写活性化能が完全に失われた。以上の結果はMblk-1が塩基配列特異的転写促進因子であり、DNA 結合ドメインであるRHF2が転写活性に必須であることを示している。

Ras/MAPK経路によるMblk-1転写活性化能の制御

神経可塑性や記憶・学習には、PKA, CaMK, MAPKといったセカンドメッセンジャー依存性キナーゼが重要な役割を果たすこと、またミツバチにおいては、PKA, CaMKIIがキノコ体選択的に発現することから、私はMblk-1がこれらのキナーゼによってリン酸化され、転写活性が制御される可能性を考えた。この点を検証する目的で、リコンビナント部分 Mblk-1タンパク質を用いてPKA, CaMKII, MAPKによるin vitroリン酸化アッセイを行った。その結果、Mblk-1(384-808)がMAPKによりリン酸化されることが分かった。次に、MAPKによるリン酸化のコンセンサス配列に含まれるSer444をAlaに置換した変異体Mblk-1 (384-808)S444Aを作成し、同様のリン酸化アッセイを行ったところ、リン酸化のシグナルが消失したことから、MAPKによるリン酸化部位はSer444であることが分かった。次に、MAPKによるリン酸化がMblk-1の転写活性化能に及ぼす影響を調べる目的で、Mblk-1-S444Aを用いてレポーターアッセイを行ったところ、転写活性化能は野生型Mblk-1の約65%に低下した。一方、ショウジョウバエの活性化型MAPK又はRasを共発現すると、Mblk-1による転写活性化は2〜3倍に増強された。このことは、Mblk-1の転写活性化能がRas/MAPK経路によって調節されうることを示している。

Mblk-1の標的遺伝子の同定

次にMblk-1の標的遺伝子の候補を同定する目的で、ミツバチの脳でMblk-1を強制発現させた際に発現誘導される遺伝子をcDNAマイクロアレイ法を用いて検索した。電気穿孔法によりMblk-1又は空の発現ベクターを働き蜂の脳に導入し、一日飼育した後の生存個体の視葉から全RNAを抽出し、プローブを作製した。当研究室で作製した、ミツバチ脳由来のcDNA 3072個をスポットしたDNAチップを用いて解析を行った結果、Mblk-1発現依存に4倍以上強いシグナルを与えるクローンが9個見つかり、データベース検索の結果、最も発現量の増加率が高かった3つのクローンは、各々ショウジョウバエのRabGAP1, 14-3-3 epsilon、inositol polyphosphate 4-phosphataseと高い相同性を示した。

まとめと考察

本研究において私は、Mblk-1が塩基配列特異的な転写因子であり、Ras/MAPK 経路により、その転写活性が調節されることを示した。さらに、ミツバチ脳におけるMblk-1の標的遺伝子の候補を同定した。これは、昆虫のキノコ体選択的に発現する転写因子の機能を明らかにした世界初の例である。Mblk-1は、ミツバチのキノコ体の大型ケニヨン細胞でRas/MAPK経路によって活性化され、下流遺伝子の発現を亢進することで、RabGAP1を介した神経伝達物質の細胞内輸送、inositol polyphosphate 4-phosphataseを介したカルシウムの遊離と神経細胞の生存の維持、14-3-3 epsilonによるRas-mediated signalingなどの調節をもたらすと考えられる。Mblk-1がRas/MAPK経路で制御されうることは、Mblk-1が神経可塑性に関わる新規な転写因子であることを示唆するとともに、ミツバチ脳ではキノコ体の神経可塑性が選択的に亢進している可能性を示唆しており、動物の脳機能の進化を考える上で興味深い。

Park J.-M. , Kunieda T. , Kubo T. The activity of Mblk-1, a mushroom body-selective transcription factor from the honeybee, is modulated by the ras/MAPK pathway. J. Biol. Chem. 278, 18689-18694, 2003.Kunieda T. , Park J.-M. , Takeuchi H. , Kubo T. Identification and characterization of Mlr1,2: two mouse homologues of Mblk-1, a transcription factor from the honeybee brain. FEBS Lett. 535, 61-65, 2003.Park J.-M. , Kunieda T. , Takeuchi H. , Kubo T. DNA-binding properties of Mblk-1, a putative transcription factor from the honeybee. Biochem. Biophys. Res. Commun. 291, 23-28, 2002.
審査要旨 要旨を表示する

ミツバチは最も高度な社会性を獲得した昆虫の一つで、女王蜂と働き蜂、雄蜂からなるコロニーを形成して生活する。コロニーの内部では、多彩な個体間コミュニケーションがなされており、特に、花の蜜を集めて帰巣した働き蜂は、ダンス言語を利用して花の位置を仲間に教えると言った高次行動を示す。しなしながら、こうしたミツバチの高次行動を支える脳の分子的な基盤については不明な点が多い。

ミツバチの脳では、記憶、学習、感覚統合に重要と考えられているキノコ体が他の昆虫に比べて顕著に発達しており、これまでに、ミツバチの高次行動に関わる遺伝子の候補として、キノコ体選択的に発現する遺伝子Mblk-1(Mushroom body / large type Kenyon cell-preferential gene-1)が同定されている。Mblk-1は2つの推定上のDNA結合モチーフを含む新規なタンパク質をコードしているが、その機能は明らかではない。本研究で朴は、Mblk-1の転写因子としての生化学的な機能解析を行っている。

最初に、リコンビナントMblk-1を利用した結合部位選択法により、Mblk-1が選択的に結合するDNA配列を検索し、22bpのDNA配列(MBE; Mblk-1 Binding Element)が同定された。またゲルシフトアッセイにより、Mblk-1の2つのDNA結合モチーフの両方が、同じMBE配列に結合することが示された。

次いで、ショウジョウバエの培養細胞(SL2)を用いたレポーターアッセイにより、Mblk-1が実際にMBE依存の転写促進活性をもつか検証した。その結果、Mblk-1の発現により、MBE依存の転写活性は約6倍増強した。また、様々な部分を欠失した変異体Mblk-1を発現させ、Mblk-1のどの部位が重要か調べたところ、2番目のDNA結合ドメインが、転写活性化に必須であることが判明した。

神経可塑性や記憶、学習においては、PKA、CaMK、MAPKといったセカンドメッセンジャー依存性キナーゼが重要な役割を果たす。またミツバチでは、CaMKIIとPKAがキノコ体選択的に発現する。そこで、Mblk-1がこれらのキナーゼによってリン酸化され、転写活性が制御される可能性を検討した。まず、リコンビナント部分Mblk-1を用いたin vitro リン酸化アッセイを行ったところ、Mblk-1はいずれのキナーゼによってもリン酸化されたが、MAPKによっては、Mblk-1(384-808)が選択的にリン酸化されることが判明した。また、そのリン酸化部位はSer444であることが分かった。

次いで、MAPKによるリン酸化がMblk-1の転写活性に与える影響を調べる目的で、Mblk-1S444Aを用いてレポーターアッセイを行ったところ、転写活性は野生型の65%に低下していた。一方、活性化型ショウジョウバエMAPKまたは、Rasを共発現すると、転写活性化は2?3倍増強された。このことは、Mblk-1の転写活性化能が、Ras/MAPK経路によって調節されうることを示している。

最後にMblk-1の標的遺伝子の候補を同定する目的で、電気穿孔法により働き蜂脳にMblk-1遺伝子を導入、発現させた後、RNAを回収し、ミツバチの脳由来のcDNA 3072個をスポットしてあるcDNA microarrayを用いて発現誘導される遺伝子を検索した。その結果、最も強く発現誘導された3つのクローンは各々、ショウジョウバエのRabGAP1、14-3-3 epsilon、inositol polyphosphate 4-phosphataseと高い相同性を示すタンパク質をコードしていた。

以上、本研究では、Mblk-1が塩基配列特異的転写因子であり、その活性がRas/MAPK経路で制御されうることを示した。これは、昆虫のキノコ体に選択的に発現する転写因子の初めての例であり、Mblk-1は神経可塑性に関わる新規な転写因子の候補と考えられる。またミツバチの脳では、キノコ体の神経可塑性が亢進している可能性を示唆する点で、動物の脳機能の進化を考える上でも興味深い。本研究は神経生化学、分子生物学の分野へ貢献するものであり、博士(薬学)の学位に相応しいと判断した。

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