学位論文要旨



No 118631
著者(漢字) 金丸,新
著者(英字)
著者(カナ) カナマル,アラタ
標題(和) 抗原感作動物における気道過敏性ならびに気道感覚神経の興奮特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 118631
報告番号 甲18631
学位授与日 2003.10.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2658号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 西村,亮平
 東京大学 助教授 大野,耕一
 東京大学 助教授 桑原,正貴
内容要旨 要旨を表示する

アレルギー性喘息は気道の炎症を背景とする病態であり、様々な刺激に対して気道過敏性を示し、可逆性の気流制限が認められる疾患である。近年、本疾患の患者数が増加しているにも関わらず、その病因が不明であることから、最も関心が持たれている呼吸器疾患である。喘息の基本病態としてアレルギー性炎症や神経原性炎症による気道炎症の存在することが明らかとなってから、アレルギー性炎症と気道過敏性の関係については多くの研究がなされてきた。しかしながら、気道の粘膜面において生じる神経原性炎症については、気道過敏性の成立にその関与が示されているものの、原因となる知覚神経、特に細い無髄のC線維(C-fiber)の病態生理学的役割についてはほとんど解明されていない。

そこで、本研究においては抗原感作動物を用いて、気道過敏性について検討するとともに気道知覚神経の興奮特性を調べることにより、喘息の病態機序に関してその一端を明らかにすることを目的とした。抗原感作動物としては、これまで広く用いられてきた卵白アルブミン(OVA)感作モルモットおよび最近作出されたスギ花粉感作犬を用いた。特にスギ花粉はスギ花粉症の抗原となるだけでなくスギ花粉喘息の原因ともなり得ることが知られている。獣医学領域ではスギ花粉抗原に対するイヌのアトピー性皮膚炎が報告されていることから、スギ花粉に対するアレルギー症状を示す動物としての有用性を検討する目的で、まず感作犬における気道アレルギーの病態に関しての評価を行い、次にその気道過敏性および気道知覚神経の興奮特性についても検討を加えた。

本論文は6章から構成され、第1章では序論としてアレルギー性喘息の疫学や喘息の病態生理について述べ、さらに喘息の背景となる気道炎症の中でも神経原性炎症について概説し、知覚神経の関与について説明した。また、スギ花粉と喘息の関係にも触れ、本研究の目的を鮮明にした。

第2章では、アレルギー性炎症後の気道過敏性を検討するために、実験的に作出したOVA感作モルモット(感作群)および無処置のモルモット(対照群)に対しメサコリン(MCh)およびHistamineの投与を行い、気道反応の指標として肺抵抗値(RL)を測定した。さらに、気道過敏性に対しての気道知覚神経の関与、特に神経原性炎症に関わるC-fiberの関与について検討するために、C-fiberを選択的に刺激する薬物であるCapsaicinの投与を行い、RLを測定した。その結果、感作群では対照群に比べMCh投与後のRLが高値を示した。Histamine投与後のRLには両群間で差は認められなかった。また、Capsaicin投与後のRLは感作群において対照群より有意に高い値を示した。

以上の結果から、アレルギー性炎症後にはムスカリン受容体の変化が生じ、迷走神経性の気道収縮や粘液分泌といった気道反応が誘発されやすい状態が形成されたことによりMChに対する気道過敏性を示すことが推察された。また、Capsaicinに対する気道反応の亢進は、自律神経機能の変化に加えC-fiberの知覚過敏状態の成立および軸索反射を介した神経原性炎症の増強を示唆している。

第3章では、感作群および対照群のモルモットを用いて下気道に存在する知覚神経の応答性を電気生理学的に記録した。特に、化学的刺激に応答性を示し軸索反射に関与するC-fiberおよび伸展刺激に応答性を示し呼吸調節に関与するslowly adapting stretch receptor(SAR)の2種類の受容器について検討を加えた。C-fiberにはCapsaicinを投与することにより、SARには肺表面に直接圧刺激を加えることにより、それぞれの受容器を刺激時の発火頻度を測定し、感作群と対照群で比較した。その結果、気道のC-fiberのCapsaicinに対する応答性は感作群で亢進しており、また、SARの圧刺激応答性も感作群で亢進していることが明らかとなった。

以上の成績から、アレルギー性炎症は気道のC-fiberおよびSARに分類される知覚神経の応答性に変化を及ぼすことが明らかとなった。C-fiberの応答性の亢進は、通常なら反応しない強さの刺激に対しても興奮が誘発される知覚過敏状態にあることを示している。このような受容器の興奮性の変化に伴い、迷走神経反射性の気道反応が生じやすい気道過敏状態が成立するのみならず、軸索反射を介した神経原性炎症も惹起されやすい状態となり、わずかな刺激に対しても容易に気道の狭窄が誘発される病態が形成されると考えられる。また、C-fiberの応答性の変化は、アレルギー性炎症の際に認められる好酸球の気道上皮傷害作用により、神経終末が刺激を受けやすい状態が形成されたために生じたと推察される。一方、SARの応答性の変化は喘息の病態における呼吸様式の変化や喘息発作時における呼吸困難感をもたらしている可能性を示唆している。

第4章では、抗原投与により作出されたスギ花粉感作犬において抗原エーロゾール吸入時の呼吸反応を測定した。その結果、6例中5例で抗原特異的な呼吸反応(呼吸数増加、肺抵抗増大、動肺コンプライアンス低下)を示すことが明らかとなり、下気道においてI型アレルギー反応が生じることが確認された。

次に、日本スギ花粉感作犬における気道過敏性について検討するために、気道における抗原感作の成立した日本スギ花粉感作犬(感作群)および無処置のイヌ(対照群)を用いてMChおよびHistamineエーロゾール吸入を行い、薬剤吸入後のRLを測定した。さらに、気道のC-fiberの関与についても検討を加えるためにCapsaicinエーロゾール吸入後のRLを測定した。その結果、第2章で確認されたモルモットと同様に、対照群に比べ感作群においてMCh吸入後のRLは高値を示したものの、Histamine吸入後のRLには両群で差が認められなかった。また、Capsaicin吸入後のRLもモルモットと同様に感作群で高値を示した。

日本スギ花粉感作犬において気道においてもI型アレルギー反応が認められ、またMChに対する気道過敏性の亢進が認められたことは喘息病態のモデル動物としての有効性を示唆する結果であった。また、Capsaicinに対する反応性の増大は、OVA感作モルモットと同様に気道における知覚過敏状態および軸索反射を介した神経原性炎症が誘発されやすい状態が形成されていることを示唆している。

第5章では、第4章に用いたイヌと同様の方法で作出され、気道においても抗原感作の成立した日本スギ花粉感作犬を用いて、気道知覚神経、中でも気管支C-fiberの活動を電気生理学的に記録し、発火頻度よりCapsaicinに対する応答性を測定した。その結果、感作犬において気管支C-fiberのCapsaicinに対する応答性が亢進していることが明らかとなった。また、抗原吸入後の感作犬の肺組織においては、マスト細胞は認められたものの細胞傷害性をもつ好酸球等の炎症細胞は認められなかった。

以上の結果から、本研究に用いた日本スギ花粉感作犬においては従来の「気道上皮傷害に伴い神経終末が刺激を受けやすい状態になるために知覚神経の応答性が亢進する」という考えでは説明ができないことが示され、知覚神経の性質が生理的に変化することでも応答性の亢進がもたらされることが推察された。また、過去の報告を加味して考慮すると神経栄養因子が知覚神経の性質の変化に重要な役割を果たしていることが推察された。

第6章では各章で得られた結果を総括し、総合考察を行った。特にモルモットおよびイヌの両動物の比較により、アレルギー反応後の肺組織に好酸球が認められたか否かに関わらずその知覚神経(C-fiber)の応答性が亢進していたことは、これまで考えられていた気道の上皮傷害により神経原性炎症が誘発される、という考え方に再考を促すものであり、神経線維の興奮性が変化したことにより神経原性炎症が誘発されやすい状態が成立していることを示すものである。

以上のようにアレルギー性喘息の病態に免疫系のみならず神経系が関与していることが示唆された。今回用いた実験動物では気道過敏性や知覚神経の興奮性に対するI型アレルギー反応の影響を検討したが、こうした短期間の感作により誘発される気道状態とヒトの喘息患者の気道状態とは大きく異なるものと考えられる。しかし、より少ない抗原曝露によっても気道過敏性や知覚神経の応答性亢進が認められたことは喘息の病態形成過程における神経系の関与という新たな側面を提示したものといえる。また、I型アレルギー反応の影響により気道反応の亢進や知覚過敏状態の成立といった気道過敏性が誘発されたことは、I型アレルギー反応を主徴とするスギ花粉症や鼻アレルギーにも共通した病態発現機構が考えられ、そのような疾患に対する今後の予防や治療法の開発に有用であると考えられる。

スギ花粉感作犬については、抗原特異的な呼吸反応および気道過敏性を示したものの、喘息の病態の特徴である好酸球の浸潤が認められなかったことから、今回の結果からはスギ花粉喘息のモデルであるとはいえないが、感作方法等を改善すればスギ花粉喘息のモデルともなり得るであろう。また、今回用いた感作犬は下気道粘膜面での感作が成立していたことから、ヒトのスギ花粉症の特徴である鼻粘膜や眼粘膜における感作を成立させることが可能であると想定され、未だ適切なモデル動物の存在しないスギ花粉症のモデルとなり得る可能性を持つと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

近年、喘息の病態発現において、抗原抗体反応による免疫系細胞のサイトカインによる気管支平滑筋等への作用のみならず、気道粘膜表面の感覚神経の働きが重要であるとの概念が広まってきている。とくに感覚神経のうち、C線維はそれ自身の軸索反射機構を介して気管支平滑筋の収縮増強や粘液分泌細胞への刺激をもたらすことが知られている。このことから、実際の喘息の発症時にこれらの気道感覚受容器の興奮性が病態発現にどのように関わっていることを明らかにすることは意義深いものと思われる。

本研究は抗原感作動物を用いて、気道の過敏性を明らかにした上で、気道感覚神経の興奮特性を電気生理学的手法によって調べることにより、喘息の病態発現における神経性機序の役割を解明することを目的として行われている。

第1章においては、序論としてアレルギー性喘息の疫学や喘息の病態生理について述べるとともに、喘息の背景要因として近年注目されている神経原性炎症について概説し、その中で気道感覚神経の関与について説明している。また、スギ花粉と喘息との関係について述べ、本研究の目的を明確にしている。

第2章においては、まずアレルギー性炎症によって気道の過敏性が亢進するかどうかを検討した。卵白アルブミン感作モルモット(感作群)および非感作モルモット(非感作群)に対して、メサコリンおよびヒスタミンの投与を行い、肺抵抗値を測定することによって気道過敏性の変化を観察した。また、C線維を選択的に刺激することで知られているカプサイシン(低濃度)を投与して、同様に肺抵抗値の変化を観察した。その結果、感作群は非感作群に比べてメサコリンの投与およびカプサイシンの投与により有意に高い肺抵抗値が示されている。このことから、感作動物においては気道におけるムスカリン受容体ならびにC線維を介する反応系が亢進していることを明らかにした。

第3章においては、感作群および非感作群のモルモットを用いて下部気道における感覚神経(単一神経活動)の応答性を電気生理学的に調べている。その結果、C線維のカプサイシンに対する応答性が感作群で亢進していること、また気道の伸展刺激によって刺激を受ける機械受容器の一種であるSARの圧刺激応答性が感作群で亢進していることが示された。このことから、抗原感作動物では、気道に対する軽微な化学的、機械的刺激によっても気道の過剰な反応が神経原性にもたらされ、そのことが喘息病態の一因となりうることを実証している。

第4章では、抗原投与により作出された日本スギ花粉感作犬を用いて、抗原エーロゾルの吸入時の呼吸反応を測定した。その結果、6例中5例で抗原特異的な呼吸反応(呼吸数増加、肺抵抗上昇、動肺コンプライアンスの低下)を示し、これらの動物では下部気道においてI型アレルギー反応が生じることが示唆された。次いで、スギ花粉感作犬(感作群)および非感作犬(非感作群)に対してムスカリン、ヒスタミンおよびカプサイシンのエーロゾル吸入を行い、肺抵抗値の変化を観察した。その結果、第2章のモルモットの成績と同様に、ヒスタミン吸入による変化は認められないものの、ムスカリンおよびカプサイシンでは感作群で有意な肺抵抗の上昇が観察されている。

第5章では、第4章で作出されたものと同様の感作犬を用いて、気道感覚受容器の興奮性の変化を電気生理学的に調べた。その結果、感作犬では気管支C線維のカプサイシンに対する応答性が亢進していることが明らかになった。

第6章では、上記の結果をふまえて総合考察を行っている。その結果、モルモットおよび犬のいずれにおいても抗原感作動物では、気道の過敏性が高まっていること、その要因として気道の感覚受容器、とくにC線維の感受性亢進が重要であることが実証された。さらに、花粉抗原によっても犬においては明瞭な気管支喘息様病態が発現することが明らかにされ、その症状発現において気道の感覚受容器を介する神経反射が重要な役割を担っていることを明らかにした。

以上を要するに、本論文は人や動物において、近年もっとも重要視される呼吸器疾患の一つである喘息の病態発現機構を気道感覚神経の感受性変化という観点から見直し、その役割の重要性を実証したものであり、その成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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