学位論文要旨



No 118635
著者(漢字) 清水,雅史
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,マサフミ
標題(和) 電子伝達性蛋白質の自己組織的集積化に関する研究
標題(洋)
報告番号 118635
報告番号 甲18635
学位授与日 2003.10.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5634号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 講師 新海,政重
 東京工科大学 教授 軽部,征夫
内容要旨 要旨を表示する

緒言

情報化社会の高度化に伴い、電子デバイスの高密度化が求められている。そこで、素子としての機能を持つ分子を作る分子素子の研究が進められている。分子素子としては、ダイオード、スイッチ、光電変換、メモリーなどの機能の実現が考えられるが、生体内に於いては電子伝達系、光合成反応中心、イオンポンプ、バクテリオロドプシンなどのタンパク質やタンパク質複合体において同様の機能が分子サイズの空間で実現されており、これらを利用した生体分子素子の研究が進められている。タンパク質を素子として利用するには、タンパク質を集積化して利用することが考えられるが、タンパク質分子を所望の位置に配向性を制御しつつ配置してタンパク質分子のパターンを形成することは、Langmuir-Blodgett法をはじめとした既存の分子集積化技術では難しい。そこで、任意の位置にタンパク質分子を配置するためには、構成分子に自己組織化能を付与することが有効であると考えられる。さらに、分子の自己組織化を利用することにより、分子の集積化を短時間で行うことができると考えられる。本研究では生体分子を用いて電子デバイスを作製することを目指して、チオール化合物の金表面に対する自己組織化を利用した方法とオリゴヌクレオチドのハイブリダイゼーションを利用した方法によってタンパク質分子を集積化することを試みた。機能性生体分子のモデル分子としては、大腸菌由来の電子伝達性タンパク質シトクロムb562(以下b562)を用いることにした。b562は置換可能なヘムを1つ保持しており、容易にアポ体(apo b562)を得ることができる。これまでに、中心金属の異なるポルフィリンとapo b562を再構成させることによって、酸化還元電位の異なる変異体が得られることが示されており、これらを酸化還元電位の順に沿って配列させることによってダイオード特性を得ることができるものと考えられる。本研究では、自己組織的にb562を集積化するために、ヘムやアポタンパク質部分を介してb562に自己組織化能を付与し、得られた分子を基板上に自己組織的に集積化する技術の開発を目的とした。

チオール導入ヘム誘導体による金表面に対する自己組織化

分子を金属表面に自己組織的に集積化するために頻繁に用いられる方法として、金属表面に対するチオール化合物やジスルフィド化合物の自己組織化を利用する方法が挙げられる。ここでは、プロピオン酸基を介してジスルフィド基を導入したヘム(SS=Heme)を合成し、これと再構成させたb562(R-b562)の金表面に対する自己組織化を試みた。金表面への非特異的吸着によるb562の変性を抑えるために、あらかじめ金表面をジチオ二酢酸(DTDAA)で修飾し(図1.a)、この表面に対するR-b562の集積化(図1.b)と基板上におけるタンパク質部分の脱離(図1.c)、再構成(図1.d)の様子を表面プラズモン共鳴現象(SPR)を用いて観察した。さらにこれらの蛋白質を集積化した状態でのCDスペクトルを測定し、蛋白質の二次構造解析を行った。

[実験方法および結果]

集積化過程における膜厚変化の測定結果を図2に示した。金表面をDTDAA修飾すると膜厚は1nmになった。この表面にR-b562溶液を接触させ、MilliQ水でリンスすると膜厚は4nmになり、native b562の場合に比べて膜厚が大きくなった。b562が保持しているヘムのプロピオン酸基はb562の長軸に対して55°傾いていることが知られており、この3nmの膜厚増加はヘムに導入したジスルフィド基を介してR-b562が金表面に結合している可能性を示唆している。一方、DTDAA修飾していない金表面をnative b562溶液やR-b562溶液と接触させた際には、膜厚はそれぞれ1.6nmと2.2nmになった。これらの値はともにb562の短軸方向の長さ(2.5nm)よりも小さく、タンパク質が変性して吸着しているものと考えられる。これらのことから、金表面をDTDAA修飾することにより、変性を抑えてR-b562を金表面に集積化することができたと言える。

さらにCDスペクトルを測定し、集積化状態における蛋白質の二次構造解析を行った。R-b562のα-ヘリックス含量は溶液中においては93%であったが、R-b562を未修飾基板上に集積化した際には35%にまで低下していたのに対し、表面をDTDAA修飾した基板上では55%であった。この結果は上述したSPR測定による膜厚変化から得られた結果を強く支持している。

次に、このようにR-b562を集積化した金基板から、アポタンパク質部分だけを除去することを試みた(図3)。pH8に調整した4Mや6Mの塩酸グアニジン溶液(Gdn・HCl)と接触させた際には膜厚の低下は見られなかったが、pHを5に調整した8MのGdn・HCl溶液との接触によって膜厚が約0.5nmにまで低下した。DTDAA修飾しただけの金基板やSS=Hemeを自己組織的に集積化した金基板をGdn・HCl溶液処理しても膜厚の低下が見られなかったことから、この膜厚減少はDTDAAの脱離によるものではなく、金基板に結合したR-b562からアポタンパク質部分だけが取り除かれていることを示している。これは、b562におけるヘムの軸配位子がHisとMetであり、pH5においてはHisがプロトン化されて軸配位子とヘムとの相互作用が弱まることにより、アポタンパク質部分とヘムの解離が起こりやすくなるためであると考えられる。さらにこの基板をapo b562溶液と接触させると、膜厚がGdn・HCl処理する前の値に戻った。これは、基板に取り残されたSS=Hemeがapo b562と接触した際に基板上において再構成が起こっていることを示している。また、先のGdn・HClによるアポタンパク質部分の除去によって基板に取り残されたヘムは溶媒に露出した状態を保っていることを示唆している。

以上、ジスルフィド基をb562のヘムに導入することにより、金表面にb562を自己組織的に集積化することができ、また、集積化した表面において可逆的にアポタンパク質部分の脱着を行うことができた。

オリゴヌクレオチドのハイブリダイゼーションの利用

Langmuir-Blodgett法や上記に掲げたチオール化合物の自己組織化を利用した方法では、タンパク質の膜を作製することはできても、タンパク質分子を所望の位置に配置してパターンを形成することは難しい。一方、オリゴヌクレオチドのパターンを形成する方法は、DNAチップ作製の手段として、フォトリソグラフィーなどの方法が確立されている。そこでオリゴヌクレオチドのハイブリダイゼーションを利用してタンパク質分子を集積化することを考えた。元来Cysを1つも含まないb562に遺伝子工学的に1つだけCysを導入し、b562-SHを作製した。さらにそのCysを介して二価性試薬を用いて24merのリンカーオリゴヌクレオチド(以下LO)を付加してb562-LOを作製した。また、LOと相補的な配列をもつオリゴヌクレオチド(以下cLO)を付加したヘム(以下heme-cLO)を合成した。これらの分子の自己組織的な集積化の様子をSPRによって観察した。

[実験方法および結果]

図4に、heme-cLOの再構成とb562-LOのハイブリダイゼーションを利用したb562の2段目までの集積化のスキームを示した。まず、カルボキシメチルデキストラン層で覆われているセンサーチップ表面にチオールを提示し、そこにapo b562-SS-Pyを流して(図4.a)apo b562 を固定化した。そこにheme-cLOを流し(図4.b)、さらにb562-LOを流して(図4.c)b562分子をさらに2段目まで集積化した。

apo b562 を固定化してから後のSPRシグナルの変化の様子を図5に示した。apo 562を固定化したセンサーチップ上にheme-cLOを集積化した(図5の1の領域)。その後にb562-LOを5分間流すとシグナルがさらに大きく上昇した(図5の2の領域)。オリグヌクレオチドの部分が相補的でない場合にはシグナルはほとんど上昇しなかったことから、このシグナル上昇はオリゴヌクレオチド部分のハイブリダイゼーションによってb562-LOが集積化されていることを示している。以上、ヘムとアポタンパク質の相互作用とオリゴヌクレオチドのハイブリダイゼーションを利用することにより、2段目までb562分子を自己組織的に集積化することができた。

しかし、b562-LOを流している間にSPRシグナルはプラトーになることなくオーバーシュートし(図5の2の領域)、さらにバッファに切り替わると次第にSPRシグナルは減少している(図5の3の領域)。このシグナルの減少から解離速度定数を求めると7.9×10 -4 s-1 であり、heme-cLOにおける値(6.4×10 -4s-1)に近いことから、この解離はハイブリダイゼーションの部分の解離ではなく、主に基板に固定化されているapo b562とb562-LO/heme-cLO複合体のヘム部分の解離によるものと考えられる。

結言

水溶性の電子伝達性タンパク質シトクロムb562に自己組織化能を付与するために、ヘムを介してジスルフィド基を導入し、R-b562を調製した。R-b562がDTDAAで修飾した金表面に集積化されることを膜厚変化、CDスペクトルによる二次構造解析の両面から確認した。さらに、基板上におけるアポタンパク質部分の可逆的な脱着を行うことができた。

オリゴヌクレオチドを付加したb562-LOとheme-cLOを調製した。これらの分子がヘムとアポタンパク質の相互作用とハイブリダイゼーションによって2段目まで自己組織化する事を確認した。

観察した一連の集積化過程

集積化過程的観察

アポタンパク質部分の脱離過程

ハイブリダイゼーションを利用した集積化のスキーム

heme-cLOとb562-LOの集積化

審査要旨 要旨を表示する

情報化社会の高度化に伴い,電子デバイスの高密度化が求められ,機能性分子を集積化した分子素子の研究が進められている。分子素子としては,ダイオード,スイッチ,光電変換,メモリーなどの機能の実現が求められる。生体内においては電子伝達系,光合成反応中心,イオンポンプ,バクテリオロドプシンなどの蛋白質や蛋白質複合体において,同様の機能が分子スケールの空間で実現されており,これらを利用した分子素子,すなわち生体分子素子開発への期待は高い。蛋白質を素子として利用するには,蛋白質の集積化が必要となるが,Langmuir-Blodgett法をはじめとした既存の分子集積化技術では,蛋白質分子を3次元空間の所定の位置に配向性を制御しつつ集積化することは難しい。そこで,任意の位置に蛋白質分子を配置するためには,構成分子に自己組織化能を付与する必要があると考えられる。このような自己組織化能を利用することにより,蛋白質分子の集積化を1ステップで,かつ短時間に行うことができる生体分子素子生産プロセスの構築が可能になると期待される。

本研究では機能性蛋白質分子として大腸菌由来の水溶性蛋白質シトクロムb562を用いている。シトクロムb562は可逆的に脱着可能なヘムを1つ保持している電子伝達性蛋白質であり,このヘムを他の金属ポルフィリンと置換することによって様々な酸化還元電位や光応答性を有する変異体を調製することが可能である。本論文では,このシトクロムb562をアポ蛋白質ー金属ポルフィリン間のアフィニティや,シトクロムb562に部位特異的に化学修飾したオリゴヌクレオチドとその相補鎖とのハイブリダイゼーション,チオール基の金表面への化学吸着などの相互作用を利用して,自己組織的に集積化する方法を開発している。さらに,ここで開発した集積化方法を利用して実際に金電極上に亜鉛ポルフィリン置換シトクロムb562をDNA鎖を介して集積化し,光電変換素子への応用の可能性を検討している。

第1章では研究の背景,既往の研究及び研究の目的について述べている。

第2章では金表面におけるシトクロムb562の単分子膜の形成とその再構成過程を表面プラズモン共鳴法を用いて観察した結果について述べている。ここではシトクロムb562の単分子膜を形成するためにジスルフィド基を導入したヘムを合成し,アポシトクロムb562と再構成させることによってシトクロムb562にジスルフィド基を導入している。こうして導入したジスルフィド基の金表面に対する化学吸着によってシトクロムb562が金基板上に自己組織的に集積化する様子を表面プラズモン共鳴法を用いてリアルタイムで観察している。また,このようにしてシトクロムb562を集積化した基板表面の様子を原子間力顕微鏡を用いて液中において観察している。これらの測定結果から,未修飾の金基板を用いた場合には蛋白質が金基板上に非特異的に吸着して変性するが,金表面をあらかじめメルカプト酢酸で修飾しておくと蛋白質の金基板への吸着が抑制され,導入したジスルフィド基を介して金基板表面に未変性状態でシトクロムb562を集積化できることを明らかにしている。また,このようにシトクロムb562を集積化した基板表面において,アポ蛋白質部分を可逆的に脱離,再構成させ,その様子を表面プラズモン共鳴法を用いて観察している。また,金電極上に集積化されたシトクロムb562のサイクリックボルタングラムを測定し,シトクロムb562と金電極との間の電子移動過程が可逆的であることを示している。

第3章では金表面におけるシトクロムb562単分子膜の2次構造の解析結果について述べている。すなわち,第2章と同様に、未修飾金基板およびメルカプト酢酸修飾金基板上に野生型シトクロムb562,ジスルフィド基導入ヘムを再構成したシトクロムb562( RC-シトクロムb562)をそれぞれ自己組織的集積化し,その単分子膜の水中,空気中での2次構造をCDスペクトルによって評価している。その結果,未修飾金基板上で作製した2種のシトクロムb562の単分子膜にはいずれも明瞭な2次構造が観察されなかったため,金基板上で変性しているものと結論付けている。一方,メルカプト酢酸修飾金基板上に自己組織的に集積化したRC-シトクロムb562の単分子膜については,水中のみならず空気中でもαヘリックスに富むシトクロムb562の2次構造に特有のCDスペクトルを示し,そのαヘリックス含量は水中で55%,空気中で42%であった。これに対して,修飾金基板上に静電的相互作用によって集積化された野生型シトクロムb562の場合には,そのαヘリックス含量は水中で51%,空気中で33%であった。以上の結果に基づき,メルカプト酢酸修飾金基板上にジスルフィド基の金表面に対する化学吸着によって自己組織的に蛋白質を集積化する方法は,機能性蛋白質をその高次構造を維持したまま固定化する手法として優れていると結論付けている。

第4章では,カルボキシルメチルデキストランのマトリクス中において,オリゴヌクレオチドとその相補鎖とのハイブリダイゼーションを利用した,シトクロムb562の自己組織的集積化について述べている。まず,システイン残基を1つも含まないシトクロムb562に遺伝子工学的に1つだけシステイン残基を導入し,さらに二価性試薬を用いてそのシステイン残基に部位特異的にオリゴヌクレオチドを付加したシトクロムb562を作製している。このオリゴヌクレオチドを付加したアポシトクロムb562が,マトリクス中に予め固定化した相補鎖に対してハイブリダイゼーションによって集積化される様子を表面プラズモン共鳴法により観察している。次に,相補鎖を付加したヘムをヘム-アポ蛋白質相互作用によってこの集積化されたアポシトクロムb562に再構成している。さらに、このヘムに付加した相補鎖とオリゴヌクレオチド修飾シトクロムb562のハイブリダイゼーションによって,マトリクス中においてシトクロムb562を2層目まで自己組織的に集積化することに成功している。

第5章では本論文の総括と展望を述べている。

以上,本論文は電子伝達性蛋白質を自己組織的に集積化する技術の開発を行い,この技術を用いて基板上に集積化した亜鉛ポルフィリン置換シトクロムb562の単分子膜が光電変換素子機能を有することを示したものである。これらの成果は化学生命工学,特に生体分子素子の開発に寄与するところが大きい。

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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