No | 118642 | |
著者(漢字) | 森下,雄一郎 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | モリシタ,ユウイチロウ | |
標題(和) | マイクロキャピラリーを通過する多価イオンへの電子移行に関する分光研究 | |
標題(洋) | Spectroscopic Study of Electron Transfer Processes in Transmission of Highly Charged Ions through Microcapillaries | |
報告番号 | 118642 | |
報告番号 | 甲18642 | |
学位授与日 | 2003.10.27 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4419号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 多価イオンはそのまわりに強い電場を形成しており、金属表面に近づくと短時間のうちに多数の電子を捕獲し中性化される。この際、電子捕獲はイオンの高リュードベリ状態から始まり、多数の電子が励起状態にあり、低い励起状態は空のままの原子(イオン)が表面上空で形成されると考えられている。このような通常には存在しない原子(イオン)は中空原子と呼ばれており、その性質、電子状態、形成位置などに関する研究が近年盛んに行われている。 多くの場合、中空原子は固体電子のフェルミ速度に比べ低速な多価イオンを平板状の表面に入射することで作られる。しかしこの手法では、入射イオンは表面上に誘起される自身の鏡像電荷により不可避的に表面方向に加速されるため、入射速度をいくら低速にしても、中空原子が表面上に存在できる時間は10-13-10-14秒程度とごく短時間に限られる。従って、それより遅い遷移は原理的に観測不可能であり、観測されるのはそれよりも速い遷移であり、主に固体に突入した後の中空原子の崩壊過程が研究されてきた(一部の例外を除く)。 我々は、マイクロキャピラリーと呼ばれる薄膜(〜1μm)で、細い貫通孔(〜100nm)を無数にもつフォイルを標的とした。この場合、貫通孔に平行に入射された多価イオンの一部は、出口付近で表面に接近し、表面との距離に応じた数の電子を捕獲し真空中に出射すると考えられる。すなわち、様々な形成段階にある中空原子が真空中に脱出しており、真空中で固有の寿命で脱励起することができる。今研究では、可視域での分光を行うことで、形成過程の初期段階を調べる事を自的とした(可視域の遷移レートは概ね109 sec-1であり、平板標的では観測できない)。 まず、スペクトルの大まかな特徴を知るために、様々な価数のArQin+イオン(6〓Qin〓10)を2.0keV/amuでマイクロキャピラリーに入射した(図1)。すべての入射イオンで入射電価に固有なラインが観測され、イオンのエネルギーレベルを水素様と仮定することで、遷移の始状態の主量子数(ni)がQin〓ni〓Qin+3に分布していることがわかった。またすべての入射価数でライン強度はni=Qinで最大で、ni=Qin+3に向かって強度は単調に小さくなっていた(強度はQinでスケールされている)。またある入射価数で測定された光は、それより高価数のスペクトルでも観測された。これはキャピラリー内で入射イオンが複数個の電子を捕獲し、高励起状態に1つ電子を残したまま、他の電子がカスケードしてコアの空孔を埋めていることを示している。 次にQin=7,8に対して、遷移の始状態の角運動量量子数(li)を決定するために高分解能の実験をした。Qin=8(2p6nl1i)スペクトルでは、コアはエネルギー的に安定な閉殻になっており、観測されたスペクトルは単純であり(図2A)、捕獲された電子の電場によるコアの分極を考慮した半経験的公式により、4〓li〓ni-1の状態からの遷移であることが分かった(6〓li〓ni-1からの遷移は分極率が小さいため1本のラインとして観測されている)。一方、Qin=7(3s1nl1i)スペクトル(図2B)はQin=8に比べ複雑な構造であり、分極公式では同定できなかった。これは、観測された遷移に関わる状態(3s1nl1i;n=7-10)のエネルギーが、3p5l1iのエネルギーとほぼ等しいことから生じる配置間相互作用のためで、3l3l'+3snl(n=4-11)+3pnl(n=4-6)+3dnl(n=4-5)の電子配置を考慮したMulti-configurational Hartree-Fock法により遷移エネルギーを計算した。計算波長と計測波長のずれは〜1%程度であるものの、1)各li遷移の相対的位置関係、2)l・s相互作用によるli遷移の分裂幅、3)Qin=6スペクトルとの比較、により合理的に遷移のliを5〓li〓ni-1と同定できた。 次に、同定された遷移の強度をレート方程式の解を使って解析することによりキャピラリーの出口での移行電子の(n,l)初期分布を求めた(図3)。分布の強度及びnに関する分布の幅δn〜2は2つの入射価数Qin=7,8でほぼ同じであるが、分布全体がnの大きな方向に約1シフトすることが初めて分かった。分布のnに関する平均値は〜8.5(Qin=7)、〜9.5(Qin=8)であり、それらはClassical Over Barrier (COB) modelの予言〓(W:仕事関数)と非常に良く一致した(図1で遷移の始状態をQinで分類するとライン強度の変化が各入射価数で同様になるのはこれが理由である)。また、(n,l)初期分布はイオンの速度を変えて測定されたデータからも見積もった。その結果は図3(A)と同様であり、速度依存性がないことが示された。これはイオン自身の鏡像電荷による電場(F=W2/8)によるStark効果で、表面上空に形成されるイオンの固有状態が異なるlの固有状態の重ねあわせになっているためであり、さらに電場の強さはn=Qin+1とn=Qin+2の固有状態をも混ぜるのに十分な事も分かった。 2.0keV/amuのArQin+(6〓Qin〓10)イオンを入射したときのスペクトル。すべての入射価数について、ni=Qinからの遷移がもっとも強度が強く、それより大きなniからの遷移強度は同じように弱くなっている。 (A)Qin=8のni=9からのスペクトル。遷移は殻分極法により同定した。(B)Qin=7のni=9からのスペクトル(中段)。MCHF法による計算結果(下段)とQin=6スペクトル(上段)を比較する事により合理的に同定できる。 (A) Qin=7 (B) Qin=8に対する移行電子の(ni,li)の初期分布。入射価数を7から8にすることで、分布の主量子数に関する平均値は8.5から9.5に変化する。 | |
審査要旨 | 本論文は5章からなり,第1章は序であり,多価イオンについての解説と本研究の背景および動機について述べられている。第2章には実験の詳細について述べられている。第3章では可視光領域におけるスペクトルの同定と解釈が行われ,第4章では,その結果から,多価イオンの初期分布についての考察が述べられている。最後の第5章はまとめの章である。 多価イオンはそのまわりに強い電場を作るため,金属表面に近づくと電子を捕獲する。この際,電子は高い励起状態に捕獲され,低い励起状態は空のままの原子(イオン)が形成される。このような通常には存在しない原子(イオン)は中空原子と呼ばれている。 通常,中空原子は固体電子のフェルミ速度に比べ低速な多価イオンを平板状の表面にほぼ平行に入射することで作られる。しかしこの手法では,入射イオンは表面上に誘起される鏡像電荷により表面に向って加速されるため,中空原子は10-13-10-14秒程度のごく短時間に固体に突入する。従って,それより遅い遷移は原理的に観測不可能である。 論文申請者は,細い貫通孔(〜100nm)を無数にもつフォイル(〜1μm)を標的とすることにより,孤立した中空原子の遷移を可視光領域で観測するという新しい方法を開発した。貫通孔に平行に入射された多価イオンの一部は,出口付近で表面に接近し,表面との距離に応じた数の電子を捕獲し真空中に出射する。この過程によって様々な形成段階にある中空原子が真空中に脱出し,固有の寿命で脱励起する。これに対して可視域での分光測定を行うことで,初期段階の過程を調べる事ができる。(可視域の遷移レートは概ね109 sec-1であり,平板標的では観測できない)。 まず,価数(6〓Qin〓10)のArQin+イオンを2.0keV/amuでマイクロキャピラリーに入射したところ,すべての入射イオンで入射価数に固有な線スペクトルが観測された。これを,イオンのエネルギーレベルが水素様であると仮定して解析し,遷移の始状態の主量子数(ni)がQin〓ni〓Qin+3に分布しており,どの入射価数においても強度はni=Qinで最大で,ni=Qin+3に向かって単調に小さくなりQinでスケールされていることを明らかにした。 また,ひとつの入射価数で測定されたスペクトル線が,それより高価数のスペクトルでも観測されることを見いだし,これは,キャピラリー内で入射イオンが複数個の電子を捕獲し,高励起状態に1つ電子を残したまま,他の電子がカスケードしてコアの空孔を埋める過程があることを示していると解釈した。 次に,Qin=7,8の場合に対して,遷移の始状態の角運動量量子数(li)を高分解能の測定によって調べた。コアがエネルギー的に安定な閉殻になっているQin=8(2p6nl1i)のスペクトルでは,構造が単純であったが,これは,捕獲された電子の電場によるコアの分極を考慮した半経験的公式により,4〓li〓ni-1の状態からの遷移であることを明らかにした。一方,Qin=7(3s1nl1i)のスペクトルはQin=8に比べ複雑な構造であり,分極公式では同定できなかった。これに対して論文申請者は,観測された遷移に関わる状態(3s1nl1i;n=7-10)のエネルギーが,3p5l1iのエネルギーとほぼ等しいことから生じる配置間相互作用のためであると解釈した。そこで, 3l3l'+3snl(n=4-11)+3pnl(n=4-6)+3dnl(n=4-5)の電子配置を考慮したMulti-configurational Hartree-Fock法により遷移エネルギーを計算を行った。計算で得られた波長は計測された波長と〜1%程度のずれがあったが,1)各li遷移の相対的位置関係,2)l・s相互作用によるli遷移の分裂幅,3)Qin=6スペクトルとの比較,により,合理的に遷移のliを5〓li〓ni-1と同定できた。 さらに,キャピラリーの出口での移行電子の(n,l)の初期分布を求めるために,同定された遷移の強度をレート方程式を使って解析した。その結果,分布の強度及びnに関する分布の幅は2つの入射価数Qin=7,8でほぼ同じでδn〜2であるが,分布全体がnの大きな方向に約1シフトすることが分かった。分布のnに関する平均値は8.5(Qin=7),ないし9.5(Qin=8)であり,それらはClassical Over Barrier (COB) modelの予言〓(W:仕事関数)と非常に良く一致した。遷移の始状態をQinで分類するスペクトル線の強度の変化が各入射価数でスケールする事をこれから説明した。また,(n,l)の初期分布を,イオンの速度を変えて測定されたデータからも見積もり,速度依存性がないことを示した。これはイオン自身の鏡像電荷から生じる電場(F=W2/8)によるStark効果で,表面上空に形成されるイオンの固有状態が,異なるlの固有状態の重ねあわせになっているためであると考えられる。さらに電場の強さはn=Qin+1とn=Qin+2の固有状態をも混合させるのに十分である事も明らかにした。 このように,論文提出者はマイクロキャピラリーに入射した多価イオンを可視光領域で分光するという新しい方法を開発し,それを用いて得られたデータを合理的に解釈して,ミクロのレベルで生じている現象を明らかにした。 なお本論文第2-4章は小牧研一郎氏等との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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