学位論文要旨



No 118649
著者(漢字) 横山,百合子
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,ユリコ
標題(和) 近代移行期の戸籍政策と都市社会
標題(洋)
報告番号 118649
報告番号 甲18649
学位授与日 2003.11.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第423号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 藤田,覚
 東京大学 助教授 鈴木,淳
 東京大学 助教授 吉澤,誠一郎
 東京大学 教授 伊藤,毅
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、多様な身分と職分の共在する都市江戸東京における戸籍政策の変化を追い、近世身分制の解体過程と戸籍政策の関係を明らかにすることを目的とする。

明治四年戸籍法は、資本主義発達の前提たる封建的束縛(身分制)を撤廃し、「四民同一」「臣民一般」の新理念によって社会を平準化するところに意義を求める学説が通説とされてきた。

そこでは、近代移行期の戸籍政策は「家」制度形成前史として注目され、分析にあたっては、身分制を解体する「四民同一」原則が、近代資本主義および「家」制度形成にいかに寄与したかという問題意識が貫ぬかれてきた。その視座は、“近代からみた戸籍制度研究”ともいえよう。本研究は、幕末期から明治初年の戸籍政策をそのような視座からのみ見るのではなく、移行期独自の構造をもつものとして分析し、戸籍政策の展開を追求することによって近世身分制解体過程を明らかにするものである。考察にあたっては、近代戸籍制度研究に学ぶだけでなく、近世身分制研究および都市史研究を研究史的前提とする。

総論にあたる第一部第一章では、「身分」と「職分」の語が対比的に用いられる事例を手がかりとして、一八世紀以降、独自の職分集団や個人が自らの生存の要求をみたすために「身分化」を図る事例を摘出した。そしてこのような「身分化」を求める幅広い社会的動向に対応して、支配の側も「身分」と「職分」の即自的な合致を原則とする近世身分制の原理から、両者を操作的、観念的に扱う方策に徐々に転換を遂げていることを明らかにした。このような動向は、近世身分制原理を堀り崩すものであったといえよう。また、このように「身分」と「職分」の分離を容認してゆくことが、明治初年の、職分や集団に直接依拠しない再編身分制につながってゆく。

以下の各章の分析の結果、第一に、天保一四年天保人別改令から明治四年戸籍法にいたるまでの戸籍政策の具体的な内容(法令の制定・施行の時期、法令の内容、法令の実施機関、施行結果など)を把握し、特に明治初年の戸籍分析において混乱している部分の事実確定を行った。

第二に、第三章、第四章、第五章では、政策が実施された結果、政策と実態が齟齬する状況を、住民構造と性差をふまえて明らかにし、それぞれの段階の戸籍政策が何をねらい、その結果がいかなるものであったかを、背景にある住民構造の特質、その当時の政治的、社会的状況を考察しつつ検討した。都市への流入民対策としての天保人別改令によって生み出された人別把握の虚構性は、明治二年三月、一一月の「現在人別調」と東京府戸籍編製法によって解消された。

また、戸籍法令および、人別帳・戸籍簿の詳細な比較検討を行い、幕末維新期の人別帳・戸籍簿には三つの類型があることを指摘し、それぞれ、根拠法令と作成年代をふまえて、天保人別帳、明治人別帳、身分別戸籍簿に類型化しその特色を明らかにした。

第三に、明治初年は、「華士卒籍」・「市籍」・「弾支配籍」等による近世身分制の再編統合が行われた時期であることを明らかにし、明治初年の身分制が、近世身分制と同一ではなく再編身分制というべきものであることを示した。また、その時期の戸籍政策(東京府戸籍編製法等)も、再編身分制に適合的な特徴をもつものであったことを確認した。

第四に、明治初年の町人地、武家地のそれぞれの実態をふまえて、明治四年戸籍法の意義について通説を検討し、戸籍法が、身分を越えた「四民同一」の戸籍行政と、身分集団に依拠した戸籍以外の行政の相補的な共在を意図した法であり、また多様な身分が集中する都市の戸籍行政を強く意識した法であることを明らかにした。その上で、戸籍法に基づく寄留人調査の失敗を契機として、近世身分制の最終的解に至る過程も考察した。

また、維新期の東京における士族層の実態は不明な点が多く、士族に対する戸籍政策の実態もほとんど明らかにされていない。第五章では、朝臣化幕臣の史料を用いて、触頭制と呼ばれる士族統治の実態をできるだけ明らかにし、戸籍法の検討素材とした。

以上のような戸籍政策の変化と近世身分制の解体過程をふまえて追う第一部に対して、第二部は、近代移行期の町人社会の実態を明らかにすることで第一部の分析を補強する位置づけをあたえられる。第八章「江戸町人地社会の構造と床商人地代上納運動」は、明治二〜三年の戸籍政策を念頭におきながら、店店地という旧公儀地における民衆世界の構造をできるだけ具体的に探るものである。戸籍政策も利用しながら、借地権の獲得を目指す神田柳原床店地の床商人の運動が、同地域の構造に規定される要素を持っていること、および、床商人集団による独自の運動が展開される過程を明らかにした。

また、「近世後期における町人の家とジェンダー」は、戸籍編成の途次で問題化する女性の土地所持の実態を明らかにし、近世後期の家持町人の「家」内部におけるジェンダーを都市社会構造に位置づけて解明するものである。分析の結果、近世後期の江戸では、場所柄を問わず、一定の女性土地所持が展開していたことが明らかになった。これは、町人の家内部で了解されているものであったが、維新後新たな戸籍政策が導入されると、女性の土地所持は否定されていく方向が打ち出される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、幕末維新期における江戸・東京を素材とし、近世身分制度の解体過程を、社会レベルにおける多様な身分と職分の検討を軸に、戸籍政策の面から解明しようとするものである。

序論で研究史の検討をふまえた課題が提示され、本論は8章を2部に構成している。

第1部は本論文の主題に相当する部分で、6つの章から構成される。1章では、身分と職分を論点に、近世身分制の解体を戸籍法の制定過程の検証から包括的に論ずるもので、全体の総論的な位置にある。

続く2〜6章では、近世後期から明治初年における人別・戸籍政策が多面的に検討される。2章では、天保改革期の人別改令の施行過程を分析し、こうして作成された人別帳(天保人別帳)の虚構性が明らかにされる。3章は、東京府戸籍編製法と戸籍書法の制定・施行をめぐる通説を批判し、これが明治2年8月以降のものであることを確定する。

4章では、東京府戸籍編製法における記載に注目し、これと幕末期の人別帳などと対比させて、従来の店(家守を軸とした町内の店集団を基礎とした全住民把握・秩序化へという動向として整理する。5章では、明治初年に新たに設定された士族触頭制の実態を解明し、それが宛行という身分特権の保持をめぐる旧幕臣の身分集団の存在を前提とした秩序システムという点に特質を有することを解明する。また6章では、明治初年の身分制を、族籍=身分と職業=職分が未分離である近世の身分把握とは異なり、族籍を軸とする「再編身分制」であると規定する。そしてこうした観点から、明治4年戸籍法の持つ意味を再検討する。

2部の2つの章は、戸籍政策論から離れて、幕末維新期の江戸・東京における町人身分や社会構造の実態分析を試みるものである。7章では、明治初年の柳原土手通りの床店地の構造分析を、周辺の町人地社会との関係で検討し、床商人らの地代上納運動の歴史的性格を明らかにする。また、8章では、近世後期江戸町人地における女性の土地所持の実態を分析し、商家の養子相続制との関連、大店における「奥」の機能などから、町人身分の性格をジェンダーの観点から考察する。

本論文は、新たな史料の博捜に基づく綿密な分析を基礎として、刺激的で大胆な仮説や論理を提示するなど、非常に高いレベルの研究業績である。1980年代以降の近世身分制や近世都市社会史における研究成果を充分汲み取り、これまで不毛であった近世・近代移行期における都市史について、多くの新たな知見をもたらした。こうして本論文は、当該分野の歴史研究に確固とした土台を構築した画期的な仕事と評価できる。なかでも戸籍政策という視点から、都市社会における身分と職分の有り様を多面的に検討し、近代への移行期における社会構造の変容と権力の社会掌握の動向と矛盾を明らかにして見せた点は特筆される。

本論文は、1部が主題に適合した内容で、2部は補論的な位置づけにあるという構成上の難点を持つが、本審査委員会は、上記のような顕著な成果に鑑みて、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論を得た。

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