学位論文要旨



No 118651
著者(漢字) 大森,拓磨
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,タクマ
標題(和) サフォーク・システムの「自生性」: アメリカ中央銀行制度の萌芽的な一形態
標題(洋)
報告番号 118651
報告番号 甲18651
学位授与日 2003.11.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第174号
研究科 経済学研究科
専攻 経済理論専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴田,徳太郎
 東京大学 教授 小幡,道昭
 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 教授 石見,徹
 東京大学 教授 伊藤,正直
内容要旨 要旨を表示する

南北戦争以前のアメリカ金融制度の展開が、いわゆるフリーバンキング理論をめぐる歴史的論拠の当否との関連で注目されている。当時、中央銀行がなく、各商業銀行によって通貨が濫発されるという混沌とした状況のもと、州や地域単位で、当事者達による通貨・信用管理が自発的に試みられていたからである。本論では、これらの試みのうち、ニューイングランドで自生したサフォーク・システムに注目する。

サフォーク・システムの「自生性」には、2つの分析的意義がある。

1つ目は、理論的な意義である。サフォーク・システムの「自生性」は、一見すると、「「自由放任」のもとで成功裡に展開された私的な決済システム」なのか、「通貨・信用秩序の不安定性に対処するために一商業銀行が中央銀行的な機能を担おうとした過程」なのか、評価が揺れる。それゆえ、いわゆるフリーバンキング理論の擁護・批判のどちらの立場にも有力な歴史的論拠として引き合いに出され、特異で曖昧な性格を帯びている。したがって、サフォーク・システムの「自生性」の内実を吟味することは、フリーバンキング理論をめぐる歴史的評価を左右する、重要な鍵となる。

2つ目は、歴史的な意義である。サフォーク・システムの「自生性」は、アメリカ中央銀行制度の組成に繋がる有力なモデルとなったのか否か、評価が分かれている。通説では、同時代のニューヨーク州自由銀行制度の展開がアメリカ中央銀行制度の源流として注目され、サフォーク・システムの存在意義は消極視されている。したがって、サフォーク・システムの「自生性」の内実を解明して、アメリカ中央銀行の成立前史におけるサフォーク・システムの歴史的な意義を探ることが、重要となる。

以上の問題意識を踏まえ、本論では、フリーバンキング批判の見地から、サフォーク・システムの「自生性」を、「通貨・信用秩序の不安定性に地域単位で対抗するために、一商業銀行が中央銀行的な機能を試行錯誤しつつ体得してゆく過程」として考える。この仮説を念頭に、サフォーク・システムの「自生性」をめぐるその実態を解明する。

第1章では、サフォーク・システムの起源を辿り、サフォーク・システムの「自生性」が生まれる土壌について、実態分析を行っている。

第1章では、サフォーク・システムの起源を辿り、サフォーク・システムの「自生性」が生まれる土壌について、実態分析を行っている。

18Cから19C初頭にかけて、ニューイングランドでは、アメリカの他の諸地域に先駆けて、早くも、通貨・信用秩序の不安定性への対抗を目的とした、当事者たる有力な諸商人や商業諸銀行による組織的な対応が、試行錯誤されつつ繰り返し試みられた。私的に兌換組織を張った通貨・信用秩序の管理が、地域単位で、各種公権力とも絡みつつ、当事者達の私的な経済的利害に基づいて自発的に行われる素地が、すでに存在したのである。

第2章では、サフォーク・システムの生成過程を分析している。

上記の背景を踏まえ、1810年代末、ニューイングランドの商業中心地ボストンに、商業銀行のThe Suffolk Bankが登場し、サフォーク・システムが組成される。サフォーク・システムは、当初、減価しつつ市中に滞留する各種銀行券通貨について、割引購入して兌換を実現し私益を挙げるシステムとして、展開された。やがて、The Suffolk Bankを中心にボストン所在の諸銀行が協力するかたちで、ニューイングランド各地に所在する各発券銀行から現金準備を集め、市中に横行する減価銀行券を額面通りに集中兌換するシステムへと変質する。サフォーク・システムは、ニューイングランドの通貨・信用秩序を安定化させる、より社会性を帯びた管理システムへと、進展を遂げる。だが、背後では、ニューイングランド各地の一部の地方銀行との確執、ボストン所在の各商業銀行との協調破棄、合衆国銀行との拮抗した競争関係など、The Suffolk Bankとの「利害対立」が幾重にも内包された、極めて不安定なシステムであった。こうしたなか、サフォーク・システムの運営を通じて、The Suffolk Bankは、システムへの参加を承諾したニューイングランド各地に所在の発券諸銀行から、準備を集中させる。この準備集中を基盤に、The Suffolk Bankは、銀行間預金を集中させて、多数の他行口座を集中管理し、銀行間決済システムを集中させてゆく。また、額面通りの集中決済を円滑に遂行し続けることで、ニューイングランドで流通する銀行券通貨の減価防衛を阻む、「通貨の番人」としての役割を担い始める。The Suffolk Bankは、私的事業としてのサフォーク・システムの運営を介し、ニューイングランドの「銀行の銀行」として、中央銀行的な機能の一部を、地域単位で内生させ始めたのである。

第3章では、未曾有の世界恐慌、1837・39年の両恐慌の襲来に、サフォーク・システムがどこまで対処しえたのかを分析している。

1830年代、州主権を重視した連邦統治を推進する「ジャクソニアン・デモクラシー」の風潮のなか、ニューイングランド各地で、州法に基づく商業銀行の新設が激増する。同時に、各商業銀行による、準備高を大幅に超えた自行銀行券の濫発で、与信量が膨脹する。これに対し、The Suffolk Bankは、「道義的説得」や「「ペナルティ・レート」の賦課」を実践し、発券総額の社会的な抑制に努める。それと共に、未決済の各種銀行券の兌換を促した。The Suffolk Bankによる「道義的説得」や「「ペナルティ・レート」の賦課」、各種銀行券の兌換の促進は、マサチューセッツ州やメーン州の一部の地方銀行からの反発を生む。だが、アメリカ全土を揺るがした1837・39年恐慌の襲来にも、ニューイングランドだけは通貨・信用秩序の著しい動揺を免れる。それは、The Suffolk Bankによる、サフォーク・システムの運営を通じた、「支払・決済システムの継続」と「他行貸付の増大による流動性供給の安定化」とが、奏効したためである。恐慌が波及して正貨支払が全面停止されたときに、The Suffolk Bank は、ニューイングランドの「銀行の銀行」として、「最後の貸手」機能を自発的に実践したのである。The Suffolk Bank は、1830年代、「道義的説得」や「最後の貸手」機能を実践し、中央銀行的な機能をさらに育成させる。1837・39年の両恐慌からニューイングランドの通貨・信用秩序の動揺を防いだ実績を機に、1840年代、サフォーク・システムは、社会的な信認をいっそう高め、業務規模をさらに拡延させたのである。

第4章では、サフォーク・システムがなぜ崩壊したのか、分析が施される。

サフォーク・システムが崩壊した要因は、3点ある。第1点は、「利害対立」である。すなわち、サフォーク・システムを援用したThe Suffolk Bankの通貨・信用統制に対する、地方諸銀行からの反発である。この反発は、サフォーク・システムに対抗するためのシステム、BMRシステムの誕生に結実する。BMRシステムが軌道に乗ると共に、サフォーク・システムは姿を消す。そこで、地方諸銀行の反発からBMRシステムの生成・展開に至る過程、サフォーク・システムとBMRシステムとの競争過程が追究される。第2点は、「金融拠点としてのニューヨーク市の台頭」である。金融拠点がボストンからニューヨーク市に移ると共に、銀行間預金もまたニューヨーク市に所在の諸銀行へと移り、サフォーク・システムやBMRシステムの存在意義が希薄化する。第3点は、「南北戦争の勃発と州法銀行制度の終焉」である。南北戦争の勃発と共に、いわゆる北軍を金融面で支えるために、国法銀行制度の導入が図られ、州法銀行券の流通や州法銀行の展開が抑圧される。州法銀行制度を大前提に成立していたサフォーク・システムは、その大前提さえも失ったのである。

終章では、サフォーク・システムの「自生性」の内実を総括したうえで、結論として、冒頭で掲げた2つの分析的意義に対する回答や再評価を明示している。

結局、サフォーク・システムの「自生性」とは、「通貨・信用秩序の不安定性に地域単位で対抗するために、一商業銀行が中央銀行的な機能を試行錯誤しつつ担おうとした過程」である。「「自由放任」のもとで成功裡に展開された私的な決済システム」ではない。したがって、理論的な見地から、サフォーク・システムの「自生性」は、いわゆるフリーバンキング理論を擁護する歴史的論拠とは成り得ない。この「自生性」は、中央銀行なき時代に、地域単位で、当事者たちの経済的な利害を軸に、一商業銀行が中央銀行的な役割を担い、一定期間ながら通貨・信用管理を成功させた、アメリカ中央銀行制度の萌芽的な一形態、と捉えられるべきである。結局、サフォーク・システムは、アメリカ全土を統轄する中央銀行制度にまではなり得なかったが、一商業銀行が中央銀行の性格をどこまで内生的に体得してゆきうるのかという点を如実に体現している特異な事例であることから、中央銀行の原理を考察するうえでの有力な一対象として、把持されうる、と考えられる。

また、アメリカ中央銀行制度の成立前史におけるサフォーク・システムの歴史的な意義は、以下にある。すなわち、中央銀行がなく、発券集中がもたらされていない状況下で、1つは、サフォーク・システムが、各商業銀行によって濫発される各種銀行券を額面通りに集中決済する機構を、成功裡に実現させた。それゆえ、サフォーク・システムの基本原則や経験が、のちの国法銀行制度の運営過程やその制度修正論議の過程において、国法銀行券を額面通りに集中決済する機構を整備するうえでの有力なモデルとして重視された。もう1つは、隔地間決済の基盤となる、地域外小切手の額面決済システムの有力なモデルとして参照された。この2点において、アメリカ中央銀行制度の成立過程におけるサフォーク・システムの意義はもっと積極視されてよいと考えるのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、19世紀前半におけるアメリカ・ニューイングランドで展開されたサフォーク・システムと呼ばれる金融システムの歴史的研究である。

構成は以下の通りである。

序章 なぜサフォーク・システムをとりあげるのか

第1章 サフォーク・システムの起源〜黎明期アメリカ・ニューイングランドにおける自発的な通貨・信用管理の生成〜

第2章 サフォーク・システムの生成〜一商業銀行における中央銀行的な機能の内生過程〜

第3章 1837・39年恐慌とサフォーク・システム〜一商業銀行による「最後の貸手機能」の展開〜

第4章 サフォーク・システムの終焉

終章 サフォーク・システムの意義

まず本論文の構成に従って内容の要旨を示しておこう。

近年、南北戦争以前のアメリカ金融制度の展開が、フリーバンキング理論をめぐる歴史的論拠の当否との関連で注目されている。当時、中央銀行がなく、各商業銀行によって通貨が濫発されるという混沌とした状況のもと、州や地域単位で、当事者達による通貨・信用管理が自発的に試みられていたからである。本論文では、これらの試みのうち、ニューイングランドで展開されたサフォーク・システムの「自生性」に関する理論的・歴史的な検討が行われている。

序章では、サフォーク・システムの「自生性」を検討する2つの意義が述べられる。第1に、理論的意義。サフォーク・システムの「自生性」は、一見すると、「自由放任のもとで成功裡に展開された私的な決済システム」なのか、「通貨・信用秩序の不安定性に対処するために一商業銀行が中央銀行的な機能を担おうとした過程」なのか、評価が分かれる。したがって、サフォーク・システムの「自生性」の内実を吟味することは、フリーバンキング理論をめぐる歴史的論拠を評価する、重要な鍵となる。第2に、歴史的意義。サフォーク・システムの「自生性」は、アメリカ中央銀行制度の成立に繋がる有力なモデルとなったのか否か、評価が分かれている。したがって、サフォーク・システムの「自生性」の内実を解明して、アメリカ中央銀行の成立前史におけるサフォーク・システムの歴史的な意義を探ることが、重要となる。

以上の問題意識を踏まえ、筆者は、フリーバンキング批判の見地から、サフォーク・システムの「自生性」を、「通貨・信用秩序の不安定性に地域単位で対抗するために、一商業銀行が中央銀行的な機能を試行錯誤しつつ体得してゆく過程」として捉える、という仮説を提示する。この仮説を念頭に置いて、サフォーク・システムの「自生性」を以下の4つの章で分析していく。

第1章では、サフォーク・システムの起源を辿り、サフォーク・システムの「自生性」が生まれる土壌について分析を行っている。18世紀から19世紀初頭にかけてニューイングランドでは、アメリカの他の諸地域に先駆けて、早くも、通貨・信用秩序の不安定性への対抗を目的とした組織的な対応が、有力な諸商人や商業諸銀行による繰り返し試みられていた。私的な兌換組織を含む通貨・信用管理の慣行が、地域単位で、各種公権力とも絡みつつ、当事者達の私的な経済的利害に基づいて自発的に生成されていたことが指摘される。

第2章では、サフォーク・システムの生成過程が分析されている。サフォーク・システムは、当初、減価しつつ市中に滞留する各種銀行券通貨について、割引購入して兌換を実現し私益を挙げるシステムとして展開された。だがやがて、The Suffolk Bankを中心にボストン所在の諸銀行が協力するかたちで、ニューイングランド各地に所在する各発券銀行から現金準備を集め、市中に横行する減価銀行券を額面通りに集中兌換するシステムへと変質する。サフォーク・システムは、ニューイングランドの通貨・信用秩序を安定化させる、より社会性を帯びた管理システムへと進展を遂げたのである。だが、背後には、ニューイングランド各地の一部の地方銀行との確執、ボストン所在の各商業銀行との協調破棄、合衆国銀行との拮抗した競争関係など、The Suffolk Bankとの「利害対立」が幾重にも存在していた。こうしたなか、サフォーク・システムの運営を通じて、The Suffolk Bankは、システムへの参加を承諾したニューイングランド各地に所在する発券諸銀行から準備を集中させる。この準備集中を基盤に、The Suffolk Bankは、銀行間預金を集中させて多数の他行口座を集中管理し、銀行間決済システムを集中させてゆく。また、額面通りの集中決済を円滑に遂行し続けることで、ニューイングランドで流通する銀行券通貨の減価防衛を阻む、「通貨の番人」としての役割を担い始める。The Suffolk Bankは、私的事業としてのサフォーク・システムの運営を介し、ニューイングランドの「銀行の銀行」として、中央銀行的な機能の一部を、地域単位で内生させ始めたのである。

第3章では、1837・39年の両恐慌の襲来にサフォーク・システムがどこまで対処しえたのかを分析している。1830年代、州主権を重視した連邦統治を推進する「ジャクソニアン・デモクラシー」の風潮のなか、ニューイングランド各地で州法に基づく商業銀行の新設が激増する。同時に、各商業銀行による準備高を大幅に超えた自行銀行券の濫発で与信量が膨脹する。これに対し、The Suffolk Bankは、「道義的説得」や「ペナルティ・レートの賦課」を実践し、発券総額の社会的な抑制に努める。それと共に、未決済の各種銀行券の兌換を促した。The Suffolk Bankによる「道義的説得」や「ペナルティ・レートの賦課」、各種銀行券の兌換の促進は、マサチューセッツ州やメーン州の一部の地方銀行からの反発を生む。だが、アメリカ全土を揺るがした1837・39年恐慌の襲来にも、ニューイングランドだけは通貨・信用秩序の著しい動揺を免れる。それは、The Suffolk Bankによる、サフォーク・システムの運営を通じた、「支払・決済システムの継続」と「他行貸付の増大による流動性供給の安定化」とが、奏効したためである。恐慌が波及して正貨支払が全面停止されたときに、The Suffolk Bank は、ニューイングランドの「銀行の銀行」として、「最後の貸手」機能を自発的に実践したのである。

第4章では、サフォーク・システムがなぜ崩壊したのか、が分析されている。サフォーク・システムが崩壊した要因は3つある。第1の要因は「利害対立」である。すなわち、サフォーク・システムを援用したThe Suffolk Bankの通貨・信用統制に対する、地方諸銀行からの反発である。この反発は、サフォーク・システムに対抗するためのシステム、BMRシステムの誕生に結実する。BMRシステムが軌道に乗ると共に、サフォーク・システムは姿を消す。第2の要因は「金融拠点としてのニューヨーク市の台頭」である。金融拠点がボストンからニューヨーク市に移ると共に、銀行間預金もまたニューヨーク市に所在の諸銀行へと移り、サフォーク・システムやBMRシステムの存在意義が希薄化する。第の要因点は「南北戦争の勃発と州法銀行制度の終焉」である。南北戦争の勃発と共に、いわゆる北軍を金融面で支えるために、国法銀行制度の導入が図られ、州法銀行券の流通や州法銀行の展開が抑圧される。州法銀行制度を大前提に成立していたサフォーク・システムは、その大前提さえも失ったのである。

終章では、冒頭で掲げた2つの分析的意義に対する回答と再評価が示されている。第1に、理論的意義について。サフォーク・システムの「自生性」はフリーバンキング理論を擁護する歴史的論拠とは成り得ない。この「自生性」は、中央銀行なき時代に、地域単位で、当事者たちの経済的な利害を軸に、一商業銀行が中央銀行的な役割を担い、一定期間ながら通貨・信用管理を成功させたアメリカ中央銀行制度の萌芽的な一形態、と捉えられるべきである。第2に、歴史的意義について。(1)中央銀行がなく発券集中がもたらされていない状況下で、サフォーク・システムが各商業銀行によって濫発される各種銀行券を額面通りに集中決済する機構を成功裡に実現させた。このサフォーク・システムの基本原則や経験が、のちの国法銀行制度の運営過程やその制度修正論議の過程において、国法銀行券を額面通りに集中決済する機構を整備するうえで有力なモデルとなった。(2)隔地間決済の基盤となる、地域外小切手の額面決済システムの有力なモデルとして参照された。この2点において、アメリカ中央銀行制度の成立過程におけるサフォーク・システムの意義はもっと積極視されてよい。

本論文の貢献は以下の点にある。

第1に、サフォーク・システムの生成・発展・終焉の全過程を、当時の資料・文献、最新の資料・文献を可能な限り渉猟して解析し、歴史的に詳細に分析している点が高く評価できる。この研究対象について日本語で書かれた研究論文としては、パイオニア・ワークとして位置づけることができる。今後、サフォーク・システムについて言及する際には先ず第一に参照される論文となるであろう。アメリカで行われてきた先行研究に対しても、その総合性と包括性に於いて独自性を有している。

第2に、中央銀行機能の一部が民間の中から「自生的」に生成するという観点が、歴史分析の中でうまく生かされている点が評価できる。この観点は、ハイエクの「自生的秩序」に通じるところがあり、この点では一見フリーバンキング論を支持する観点にも見えるが、他方で、不安定な金融システムが中央銀行機能を必要とするという観点を含んでいるため、フリーバンキング論批判の見方となる。一方で、サフォーク・システムの自生的な生成と公権力による追認が説かれるが、他方で、「利害対立」ゆえにこのシステムが不安定化し崩壊する側面も指摘されている。国家による制度形成という観点とも異なり、ハイエク的な「自生的秩序」論とも異なる観点から行われた制度生成・展開・終焉の歴史分析は説得的である。

第3に、「国法銀行券の中央兌換システム」と「地域外小切手の額面決済システム」の歴史的源流がサフォーク・システムにあることを示した点も本論文の貢献である。

このような成果の反面、本論文には問題点が存在することも指摘しておかなければならない。

第1に、著者自身も認めているように、「アメリカ中央銀行制度の源流」という位置づけは、サフォーク・システムの過大評価である。連邦準備制度設立の契機となった「季節的な流動性不足」や「最後の貸し手の欠如」という問題に対する対処の源流を、サフォーク・システムに求めることは困難だからである。

第2に、サフォーク・システムの背後にある、商業機構や産業構造の分析が不十分である。経済構造の変化や景気循環との関係がもっと掘り下げられていれば、このシステムを終焉に導いた背景がより説得的に解明できたのではないか。

第3に、著者は終章の結論部分で理論的意義を整理する際に、サフォーク・システムの「自生性」を強調しているが、他方で、このシステムが「内部対立」ゆえに不安定性を抱えており、その結果、終焉に至ったことの理論的意義は充分に評価されてはいない。このシステムの持つ限界が明確に把握されていれば、フリーバンキング論批判の説得性はより高まったと考えられる。

しかし、このような問題点があるとはいえ、本論文に示された先行研究に対する批判的な検討と、実証的な研究の優れた成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を持っていることを明らかにしている。したがって、審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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