学位論文要旨



No 118652
著者(漢字) 椙山,泰生
著者(英字)
著者(カナ) スギヤマ,ヤスオ
標題(和) 国際製品開発の戦略経営
標題(洋)
報告番号 118652
報告番号 甲18652
学位授与日 2003.11.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第175号
研究科 経済学研究科
専攻 企業・市場専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
 東京大学 助教授 粕谷,誠
 東京大学 助教授 阿部,誠
内容要旨 要旨を表示する

海外で製品開発を実施する日本企業が増えており、製品開発などの企業のコアとなる活動でも,その配置される国を企業の戦略として選択することが珍しくはない時代になった。しかしながら,海外で製品開発を実施する理由やその帰結については,十分明らかになっているとはいえないように思われる。企業は何を基準に製品開発の場所を決めているのか。どこで、どのような問題を解決しているのだろうか。その問題解決プロセスの実態はどのようなものなのか。この研究はこれらの問いに答える試みである。主に1990年代の日本自動車産業における国際製品開発の事例分析を通じてグローバルに展開される製品開発の実態に迫り,製品開発の国際化の背景にある要因や,その発展の経路が明らかにされる。

R&Dや製品開発活動の国際化を理解する上では,従来の多国籍企業の理論には二つの問題がある。まず問題となるのが, 研究対象が投資形態の意思決定に偏重していることである。直接投資をいつどこにするべきか,および参入時の所有形態をどうするべきかという議論が中心であり,一旦直接投資がなされた場所での資源配置の変更や,その役割の変化についての研究は相対的に少ない。さらに,もっと本質的な問題としてあげられるのが,生産拠点を海外に構築する場合と比較して,製品開発という活動の特徴がもたらすいくつかの違いが理論にうまく反映されていないという点である。その問題は大別すると以下のように整理できる。(1)プロセスに投入される材料が,情報・知識といったある種の経験財であること,(2)製品開発能力の獲得が過去の開発経験をもとにした学習プロセスであること,(3)能力の獲得プロセスが環境との相互作用であること、の3つである。

第1章では、以上のような理由から、海外の知識を活用するためのメカニズムとして製品開発の国際化の問題を探求することが本論文の具体的な課題であること、およびこの課題を探求するため、事例にもとづいた理論生成が必要であることを指摘した。

第2章では,この問題意識に関係する既存研究を検討し、本稿の分析枠組みについて示した。そこでは、多国籍企業の理論と過去の国際R&Dの研究が検討され、その理論における資源の在処と価値の事前決定性に関する問題が明らかにされた。そして、製品開発における海外知識の探索プロセスや,その価値を企業が評価するプロセスを明らかにすることを事例研究の分析の焦点として設定すること,あわせて以下の3つの章で検討する事例として,日本の自動車産業における製品開発の国際化を選択した理由について述べた。

第3章では,まず,製品開発の国際化という現象について具体的な事例を元に整理することを目的とし,ダイナミックな戦略経営論による説明が成立することを示して,以下に続く章の導入として位置付けた。具体的には,新興国向けの製品開発に焦点を当て,グローバル標準化設計と現地適応設計の間の選択と,製品開発の配置を含む製品開発能力や現地環境の状況とが影響しあうという論理を,アジアカーの開発の事例を用いて説明した。この章では,現地の環境に適応する上での経路依存的な組織能力の重要性と,その過剰適応がもたらす環境変化に対する脆弱さが明らかにされた。製品設計における戦略や,そこでの組織ルーティンの受容のされ方,あるいは製品設計と組織ルーティンの相互作用などの枠組みが,開発チームの配置と影響しあう関係にあるというのが,この章の結論である。

第4章では,日本の自動車メーカーによる製品開発の国際化という現象について,開発チームの国際的配置の実態と影響要因との関係を明らかにし,影響メカニズムを具体的に説明した。その結果,現地の知識の活用と本国から移転された組織パターンの浸透とが補完関係にあること,補完的な結合を促進するための本国の能力を雛型とした新しい能力の構築がなされていること,海外に開発チームを配置する意図は潜在的な現地知識の具現化を狙った能力の構築にあることが示された。

既存研究で暗黙のうちに前提とされていたのは,外的要因によって知識の粘着性の源泉が定まることを前提とし,組織はコストがかからない対象を選択してそれを変化させて適合させるという考え方であった。これに対し,ここで示されたのは主体性のあるダイナミズムの論理である。粘着的な知識を活用するためのルーティンを世界中に複製していくことで,それがルーティンの参加者や組織と関係のあるサプライヤーなどを巻き込むことに繋がり,結果として新しい知識の活用につながるのである。この論理に従って,日本の自動車メーカーは,一見環境とは不適合であっても現地で開発するという選択肢を取っていた。企業内部の能力を高めることで外部を変化させ,その変化が次の学習をドライブしていくという考え方がダイナミズムの論理で,そこには外部環境との相互作用を利用しようという視点がある。資源が「ある」のではなく,資源に「する」のである。

第5章では,第4章の結論を受けて,海外に組織ルーティンが移転していく過程を通時的に検討した。ホンダの北米拠点の発展経路を事例として配置戦略や役割の変化について議論した結果,以下のような結論をえた。まず第4章と同様に,海外への組織ルーティンの移転には探索的な側面があり,それが海外独自の優位性の構築にとって重要であったことが,研究拠点の通時的な発展経路からも確認された。その経路は,機能別の外部環境に適応する形で組織が形成され,一旦能力の分化が進んでから製品開発組織としての統合が進められた。この統合のプロセスでは,国際的な統合の経験によって機能部門間の統合能力が移転され,機能部門間の統合能力が移転されることで,国際的な統合の方法はより洗練された方向へと変化していた。

ここでも,現地に知識が「ある」のではなく,移転されたルーティンや知識と結びつくことで知識に「する」というプロセスが確認できた。これに加えて,このメカニズムを前提としたとき,能力構築の経路は不均衡,すなわち製品開発における国際的な統合能力と現地の知識の活用する能力との不均衡を解消するためのプロセスとしてとらえるという解釈が提示された。企業は粘着性の高い知識がそこに存在しているから海外に開発拠点を移動するというよりは,むしろ現地知識とその製品開発組織におけるルーティンとの結合の不均衡を解消すべくルーティンが移転・統合されたり,現地知識が掘り起こされたりといったプロセスが繰り返されていた。つまり現地の知識に対し,能力が過剰であったり過小であったりしたため,能力が足りない場合はルーティンが移転され,能力が過剰であった場合は現地知識が掘り起こされたのである。

なお,補章として,自動車にとって部品として位置付けられるカー・オーディオの事例を用いて配置の問題を製品アーキテクチャのモジュラー化の問題と関連させて論じる。製品開発によって産出される対象としての設計のシステム性をコントロールすることで,間接的に配置戦略への制約を減少させた例である。

第6章では、本論文の要約とインプリケーションが示されている。従来の多国籍企業理論や国際的な経営戦略の視点は,資源の価値の事前決定性を前提としているように思われる。このため、ともすれば,管理者の資源に対する目利きを強調するような,実践的なインプリケーションを引き出して,それを「合理的な」戦略論だとする考えが横行しがちである。これに対し,本論文の分析結果は,従来の多国籍企業理論が当てはまる範囲が限定されており,条件によっては異なったアプローチの理論が必要になることを示唆している。競争に貢献する資源の特定化が探索プロセスを通じてしか可能ではなく,また本国から移転されてきたルーティンと結びついて初めて資源に価値が生まれるのであれば,資源の選抜時点で価値に対する期待がすでに確定しているような前提に立った理論とは別の枠組みを構築する必要が出てくるだろう。これを,ここでは学習アプローチの多国籍企業理論と呼ぶことにしよう。この場合,Barney(1986, 1991)に代表されるRBVのようにレントを維持する論理はそれほど重要ではなく,レントを作り出すダイナミズムそのものを議論する必要がある。この多国籍企業理論の新しい方向性を開拓したことが、本論文の意義である。

最後に今後の課題として,この研究で示したようなダイナミズムの論理を実証するよりシャープな方法の開発の必要性に言及した。本研究では理論構築が主たる目的となっていたため,概念の測定の仕方や変数間の関係の特定のしかたなどの実証方法に関して改善の余地があり,新しい方法の開発が課題である。また、理論的な課題としては,ダイナミズムを説明する論理のさらなる発展の必要性について言及した。本研究の組織ルーティンや知識の粘着性といった概念を用いた多国籍企業の理論の構築は,まだその端緒についたばかりであり,体系化するためには,理論的な洗練を必要としている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、多国籍企業による国際製品開発をテーマとして、企業の中核的活動の一つである製品開発拠点の立地がどのように選択されていくかを、日本の自動車企業を主なフィールドとして実証的・理論的に検討している。領域的には、国際経営論・戦略経営論・技術管理論にまたがる研究である。グローバル化の時代においては、どこででも事業活動ができる故に、かえって活動場所の地理的な選択が重要になる。ところが、従来の多国籍企業論も製品開発論も、この観点からの分析が不十分だったと論者は指摘する。このギャップを埋めるのがこの論文の目的だとしている。

本論文の内容を章ごとに簡単に要約するなら、以下の通りである。

第1章の「問題の所在と本研究の目的」では、「従来は本国で行なうのが当然とされてきた製品開発という企業のコア活動が、海外拠点でも行なわれるようになった要因は何か」という研究テーマを設定し、既存研究をサーベイし、論文の構成を提示している。

本論文は、製品開発を「ルーティン化された問題解決のプロセス」とみなすアプローチを採用する。その上で、問題解決にとって必要な知識が、複数の国に分散し偏在する傾向に着目する。すなわち、製品開発プロセスを、地理的に分散した知識を利用したルーティン的な問題解決プロセスとみなし、移転しにくい知識が複数国に分散していることが、その知識を利用する製品開発プロセスの国際化を規定すると考える。

次いで、このテーマに関する多国籍企業論(国際経営論)の文献サーベイを行い、従来の多国籍企業論と製品開発国際化の実態の間にギャップが存在すると主張する。すなわち、従来の多国籍企業論は、多国籍企業の存在そのものを経済学的に説明することに力点を置いてきたため、製品開発拠点の国際化という現象を上手く説明できていないとする。 第1に、既存の多国籍企業論は直接投資の意思決定に集中するあまり、投資後の経営資源の配置や役割の変更といった、製品開発の国際化にとって本質的な問題を軽視している。製品開発の海外拠点は販売や生産の後から出ることが多いので、こうした動態的な視点が重要になると指摘する。

第2に、製品開発の組織能力は、情報・知識といった事前に価値を予想しにくい経験財を、学習プロセス、とりわけ競争環境との相互作用を通じて事後的に構築するものであり、従来の多国籍企業論が想定していた投資の事前評価に基づく直接投資という静態的な枠組みとはなじまないと指摘する。

以上の踏まえて、本論文では、「主体性のあるダイナミズムの論理」、すなわち、海外に分散する知識を活用するためのルーティンを海外に移転する能力構築の活動それ自体が、現地の主体を巻き込むことを通じて、あらたな知識の創造をもたらす、という動態的な組織学習と能力構築を重視すると予告する。また、製品開発の国際的な能力構築は、「国際的な統合能力」と「現地知識を活用する能力」の不均衡を解消するプロセスである、との立場をとっている。

第2章の「既存研究の検討と分析の焦点」では、以上の見取り図を踏まえて、多国籍企業論、およびR&Dに関する国際経営論の文献をサーベイし、その意義と限界を明らかにした上で、本論文の分析の枠組を提示している。

第1に、多国籍企業論における「配置の理論」を批判的に検討している。まず「立地特殊的優位」(現地拠点で獲得される競争優位)を求めて海外立地する企業が、海外での現地企業に対する不利を克服するために「企業特殊的優位」(本社の組織能力がもたらす競争優位)を活用する、という多国籍企業論の通説を紹介する。その上で、情報・技能.問題解決能力などに基づく企業特殊優位を本国から移転することは必ずしも容易ではないと指摘し、「情報粘着性」(情報の移転にかかるコスト)の概念を紹介する。また前述のように、知識のような無形の資源に基づく立地特殊優位の場合、現地資源の企業にとっての価値が事前には確定せず、むしろ企業特殊優位の移転という活動自体によって資源の価値が事後的に明らかになる、という動態的な枠組の可能性を示唆する。

第2に、R&Dに関する国際経営論の既存研究を批判的に検討している。まず、 R&D国際化の要因(例えば現地生産、現地市場適応など)、海外R&D拠点の役割(例えば現地への技術移転か現地R&D資源の獲得か)、 R&D国際化と多国籍企業組織、という3つのテーマに関する文献サーベイを行い、その限界を指摘している。すなわち、従来の議論は、多国籍企業論の通説の影響から、「企業特殊優位の移転のための国際R&D」か「立地特殊優位の獲得のための国際R&Dか」という静態的二分法をとっているが、国際R&D活動の実態においては、現地知識の獲得と本国知識の活用とは代替的ではなく、むしろ補完的で、かつダイナミックに共進化することが観察されると指摘する。そして、本論文の立場として、資源蓄積・能力構築というダイナミックなプロセスを強調する。また、従来の議論の多くは企業や研究所を分析単位とする大雑把なものだったのに対し、個々の製品開発プロセスを分析単位とする、より、ミクロレベルの分析の必要性を指摘してている。

以上を踏まえて、本論の分析の焦点が説明される。まず、分析の単位を開発のプロジェクトやタスクのといったミクロレベルに置く。次に、R&Dにおける「現地知識の活用」を「現地特殊的な製品設計の採用」の問題ととらえる視点を提起する。すなわち、現地市場向け製品に対して「グローバル共通設計」ではなく現地市場の条件に適応した特殊設計を採用することが、現地知識の活用に他ならない、とする。

さらに、国際R&Dにおける組織能力を、知識を探索・採用・統合し問題解決を行うための組織ルーティンの束ととらえ、国際R&Dにおける組織能力の構築とは、現地知識を活用するルーティン(=現地特殊的な製品設計のためのルーティン)が形成されている度合のこと、とりわけそれが現地拠点に形成されている度合のことである、と規定している。

さらに、事例研究の対象として選んだ自動車産業の製品開発、とくに日本の自動車企業の製品開発活動の国際化に関して、概要が説明されている。

第3章の「現地知識の活用と組織能力のダイナミクス」は、実証研究のいわば導入部分にあたる。藤本・椙山論文(2000)をベースに、グローバル製品開発における人工物設計、環境、組織能力、戦略の間の動態的・経路依存的な相互作用を分析し、それが開発チームの国際配置に与えた影響を分析している。具体的には、多国籍製造企業における製品設計の「グローバル標準化」と「現地適応化」のトレードオフという問題を取り上げ、東南アジア新興国における日本自動車企業の現地市場対応車開発を事例分析する。ここでも、従来の静態的なバランス分析に対して、動態的な視点を導入し、国際製品開発戦略・組織能力・環境が当初の計画を超えた創発的な発展や「過剰適応」を含めて、経路依存的に共進化する、という分析枠組を示す。つまり、環境と組織能力の認識を前提にした、ある戦略の選択が、逆に組織能力や環境のあらたな変化を促進する、という動態的な相互作用を考慮した分析枠組が提示される。

さらに、以上の枠組にしたがって、東南アジア、とりわけインドネシアでの日本企業の現地対応モデル開発の歴史的経緯を事例分析している。分断化した市場、現地産業保護的な政策、日本企業の高い製品開発能力などといった条件を前提に、「既存プラットフォームによる現地特殊モデル」が増えたこと、その戦略選択そのものが企業の組織能力構築や現地環境の変化をもたらしたこと、そして、90年代のアジア危機によって現地市場が急激に縮小し、結果的に、他市場に転用しにくい現地特殊設計モデルは「過剰適応」状態に陥ったことを示している。こうした分析を通じて、国際製品開発戦略、組織能力、環境が共進化する、という動態的な分析枠組の有効性が主張される。

第4章の「能力移転と現地知識獲得の補完性:1990年代日本自動車メーカーの事例」では、国際製品開発プロジェクトにおける開発チームの地理的配置の要因を実証的に分析している。具体的には、1990年代における日本の自動車企業(6社)の海外製品開発拠点(北米)の国際化に関する定量的な実証研究(アンケート調査)を通じて、産業や企業といった分析単位ではなく、企業の製品開発(8プロジェクト)を構成する個別部品(14ユニット)の開発活動がどのぐらい海外に配置されているかを被説明変数とし、それに影響を与えうる要因を回帰分析によって検討している。その結果、「現地適応設計」「部品企業の開発参加」「現地生産」「先行開発の不在」の4つが開発活動の現地化に対して正の優位な影響を与えていることを見い出している。これらの結果は、製品開発の国際化に関する既存研究の知見に照らしても、整合的と言える。

次に、インタビュー調査によって、諸変数間の影響のメカニズムを調べている。現地適応設計については、現地市場に関する立地特殊的な知識の獲得(現地生活者でもある現地設計者の活用)という既存研究の指摘する理由のみならず、実は、本国から移植された製品開発ルーティンと現地技術者の知識とが融合することによって、あらたに有用な知識が生み出される、という動態的メカニズムが強調される。つまり、単純に現地に「ある」知識の粘着性が設計の現地化を生むのではなく、本国の知識と現地の知識が融合して「生まれる」知識の粘着性が、製品開発の現地化をもたらすと主張する。「部品企業の開発参加」についても同様で、このルーティン自体が日本発で北米に移植されたものであり(しかもその移植は容易で無い)、「開発参加」ルーティンの移植そのものが、現地サプライヤーの知識獲得という行為を引き起こしているとみる。

要するに、論者のここでの主張は、製品開発の現地化は、単に現地の既存知識が粘着的だからではなく、移転された本国知識と現地知識の融合によって再ルーティン化された現地の新知識が粘着的だから起こる、ということである。現地資源(現地知識)の企業にとっての価値は事前決定的ではなく、まさに本国資源(本国知識)の移転という行為によって事後的に把握されるものだ、というロジックがその背後にある。その意味で、本国能力の移転と現地知識の獲得は、静態的・代替的ではなく、動態的・補完的である、と主張である。

さらに、組織ルーティンの活用(exploitation)と探索(exploration)という、ルーティンの変化に関するJ.マーチの二分法を手がかりに、この章の理論的な含意を考察している。論者の立場は、ルーティンの活用(海外拠点へルーティンの移植・複製)と新たなルーティンの探索は、既存研究が想定するように代替的ではなく、むしろ補完的だ、というものである。ルーティンの探索そのものがルーティン化する、あるいはルーティンの複製活動が探索と活用の両面を含む、といった近年の研究成果との関連において、「ルーティンの活用(現地への移転)というプロセス自体の中に探索による変化への契機が含まれている」、という本論の立場が示される。

第5章の「海外製品開発拠点の形成ーホンダの北米開発拠点の事例分析」では、前章での発見を踏まえて、国際製品開発の能力構築の全体像をダイナミックにとらえるために、一企業の詳細な事例分析が試みられる。すなわち、本田技研における北米R&D拠点の事例研究を通じて、海外製品開発拠点の形成プロセスを分析する。既存研究は海外拠点の役割変化(現地市場適応拠点からグローバル市場対応拠点へ)という視点からのものだが、本研究は、本国発の組織能力と現地特殊的な資源を融合させる能力構築プロセスそのものを扱っている点に独自性があると主張する。

具体的には、まず、ローレンス=ローシュの古典的な「組織の分化と統合」という枠組を国際的な事例に応用する。すなわち、(i) まず社内の機能別の部門が、それぞれが直面する環境に適応する形で部門ごとに「分化」しつつ米国で現地化し、(ii) 次に、個々バラバラに進出した現地の開発ユニットが、本国の部門間統合能力によって現地で「統合化」され、(iii) 最後に部門間統合能力そのものが北米に移転される、という道を辿った、とぶ分析する。その過程で、部門間統合と国際統合との間の相互作用が生じたのである。

また、本田の海外開発拠点は、一面では、本田の国内での成功体験に基づく本国ルーティンの海外移転であったが、同時に、その移転プロセスそのものが「現地での新ルーティンの探索」という側面も伴っていた。つまり、単純な「移転か現地適応か」という二分法では説明できないダイナミックな相互作用であった、という本論文全体を通じての結論が、ここでも主張される。こうした、能力移転と現地知識獲得の補完性を通じて、「統合的な製品開発能力」が段階的に現地に蓄積されていったのである。

第6章「結論と今後の課題」、論文全体を簡単に要約し、インプリケーションと今後の課題を示している。製品開発の国際化というテーマに関しては、単純な海外知識の活用という静態的な枠組ではなく、「海外知識獲得という組織ルーチンの海外移転そのものが新しい知識を生み出す」という動態的・主体的な側面を強調すべきだと論じる。

さらに、本論文の結論を踏まえた多国籍企業論に対するインプリケーションとして、「学習アプローチの多国籍企業論」を主張している。第1に、従来の多国籍企業論が、企業が資源の価値を事前に知ることができるいう暗黙の前提をおいているのに対して、「学習アプローチ」は、資源の価値は探索活動によってのみ特定されることを強調する。第2に、従来の多国籍企業論が、本国から移転される組織能力と現地の知識・資源を相互に独立的なものと想定するのに対して、「学習アプローチ」は、本国から移転されるルーティンと現地の知識が結合してはじめて、資源の価値が事後的に特定される、という補完的な側面を強調する。そして、R&Dや製品開発の国際化といったテーマに関しては、既存研究の多くが仮定する事前合理性を前提にした静態的モデルは不適切であり、「学習アプローチの多国籍企業論」がより有効である。と論者は主張する。

また、実務家へのインプリケーションとしては、従来の枠組に沿った意思決定をした場合、資源の特定可能性の高い国(はじめから事情がよく分かっている国)への海外展開にバイアスがかかってしまう恐れがあるとし、その面でも「学習アプローチの多国籍企業論」の有用性が主張される。

今後の課題としては、ダイナミズムの論理を実証するための、より厳密な方法論、および、より一般的な理論構築が必要だと述べている。

なお、補章の「製品アーキテクチャーと資源配置」では、人工物設計の基本思想であるアーキテクチャの変化、とりわけモジュール化が、製品開発組織の国際配置に与える影響を論じている。まず、既存文献を検討した結果、以下の2つの予想を得る。第一に、モジュール化(構成部品の機能完結化・インターフェース標準化)により、モジュール設計部門間の相互調整負荷、つまり情報処理負荷が軽減され、当該モジュールの設計開発部門を本国から切り離して現地化することがより容易になると予想される。第二に、モジュール化は「学習の焦点化」が可能となり、全体システムや隣接モジュールに関する学習という負荷から解放された現地モジュール設計部門は、現地市場や現地サプライヤーに関する学習に焦点を絞り、立地特殊的な能力・知識を深める。

次いで、M社オーディオ部品を事例として取り上げる。90年代におけるM社製品開発の国際化(80年代の海外生産拡大呼応)と、80年代後半から始まるカー・オーディオ製品、とりわけコア部品であるチューナーのモジュール化(製品数増加による開発負荷増大への対応)が時期的に重なり、世界共通のチューナーパックが開発されたことが、組織のモジュール化をもたらした経緯を記述・分析する。製品のモジュール化により、開発組織も要素部品グループ(コア部品の開発)と商品化設計グループ(コア部品の寄せ集めによる現地対応商品の開発)に分割され、後者の現地化が可能になった、と結論付ける。

まず、本論文を高く評価できる点を指摘しておく。第1に、本論文は、既存研究に対する位置付けが明確であり、その点での学界への貢献がどのあたりにあるかを理解しやすい。これは、既存研究の読み込みが広範かつ周到であり、それに対する自らの論文の相対的な位置関係を常に意識しつつ議論を展開する、論者の手堅い研究姿勢を反映している。

第2に、製品開発活動の国際化という、きわめて今日的なテーマに関して、詳細なケース研究と統計分析を通じた実証分析を行う一方で、それを通じた発見事実を、多国籍企業論や国際R&D論の、かなり抽象度の高い議論にまで結び付け、その理論的インプリケーションを明らかにすることに、ある程度成功している。つまり、実証分析と理論検討の間の整合性がとれており、両者のバランスが良い。あくまで企業経営の実態に立脚しながらも、一方では理論との関連を常に考える、論者の粘り強い思考力は高く評価される。

以上の結果、その結果、「学習アプローチの多国籍企業論」という、かなり基本概念レベルに近いところで論者の主張を明確化することに、ある程度成功している。「ルーティンの海外移転そのものが現地知識の創造を促進する」という動態的な知見は、今後の研究の展開可能性という点からみても、なかなか魅力的である。

他方、本論文にも改善を望まれる点や問題点もある。細かな論点を別にすれば、第1に、理論的考察の表現が難解であり、いわば「腑に落ちる」形での、分かりやすい結論になっていない。これは、既存研究に対するポジショニングにとりわけ注意を払う筆者の研究姿勢が、やや過剰な形であらわれた結果とも考えられる。現実観察と既存の理論概念を用いた抽象的な解釈の間をつなぐ、自らの言葉による「中間理論」的な命題への展開が乏しいことがその一因であろう。このため、一部の専門家以外の読者にとっては、本論文の結論は、なかなか鮮やかな像を結ばないと思われる。

それと関連して、第2に、実務家に対するインプリケーションが抽象的であり、分かりにくい。実際に、海外へのルーティン移転と海外資源の獲得の好循環がみられるホンダのようなケースと、そうした好循環の見られない企業の違いは、どこにあるのだろうか。前者は、組織構造、組織プロセス、組織風土、戦略形成、あるいは日々の業務活動の中で、どのような工夫をしているのだろうか。後者は、どこに問題があるのだろうか。組織能力の問題を論ずる以上、こうした企業間の差を論じることによってはじめて、実践的なマネジメントにたいするインプリケーションが明瞭になるわけである。その点、実証分析の展開が不十分と言わざるを得ない。

要するに、既存研究に対する位置取りを周到に行うという、本論文の長所が、表現の窮屈さ、あるいは実践的理論としての躍動感の不足、といった短所の原因にもなっているのである。実証と理論のバランスを重視する論者の研究スタンスから考えても、「分かりやすい説明」が今後の課題である。

本論文は以上のような課題を残している。しかしながら、それらはいずれも今後の研鑽によって改善されるであろうし、本論文の貢献、評価を覆すようなものではない。これらを総合的に評価した結果、審査委員は全員一致して本論文を博士(経済学)の学位を授与するにふさわしい業績と認定し、ここに審査報告を提出する次第である。

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