学位論文要旨



No 118655
著者(漢字) 横田,勝一郎
著者(英字)
著者(カナ) ヨコタ,ショウイチロウ
標題(和) 月周回衛星搭載イオンエネルギー質量分析器の開発
標題(洋) Development of an ion energy mass spectrometer on board a lunar orbiter
報告番号 118655
報告番号 甲18655
学位授与日 2003.11.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4422号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 向井,利典
 東京大学 教授 杉浦,直治
 東京大学 助教授 岩上,直幹
 東京大学 教授 加藤,學
 立教大学 助教授 平原,聖文
内容要旨 要旨を表示する

月は固有磁場や十分な大気を持たず、地表面は太陽風に晒されていると考えられている。磁場、電子の観測は月周辺でも進んでいる一方で、イオンの観測が唯一抜けている現状であるが、月起源の電離大気が発生と同時に太陽風に捕らえられていくことが推定されている。極めて希薄なアルカリ大気からの光電離や、太陽風による月地表面からのスパッタリング(ここで放出されるイオンは月面組成を反映している)が、電離大気生成の機構として挙げられる。このような電離大気の生成、消失を捕らえることが、今回開発を行った月探査衛星搭載イオン分析器の主な観測目的である。

搭載予定のセレーネ衛星は2005年打ち上げ予定で、高度100kmで月の全球をカバーする軌道を持ち、月の化学組成、鉱物、地形、重力、地下構造等のマッピングを行う月探査衛星である。この衛星には、幾つもの光学観測機器が恒に月面を向くような3軸制御が行われる。そのため、イオン分析器は独力で全方位に対して視野を確保することが要求される。求められる性能として、太陽風から月起源イオンまでの、様々なフラックス強度に対して適切な感度を保持することが加えられる。更に、月起源のイオンは多種類が存在しうるので、高分解能の質量分析も必要となる。

このイオン分析器は、3次元エネルギー分析と質量分析を同時に行い、3次元速度分布関数の取得とイオン種の同定を目的とし、球殻電極による静電エネルギー分析と、TOF(飛行時間)質量分析を基本機構として採用している。上に挙げた分析器に求められる性能を達成するための、開発事項を以下に述べる。・3次元エネルギー分析部(1)視野角掃引電極による半球(2π)視野の獲得(2)感度制御電極による分析器感度の連続的な降下・質量分析部(3)LEF(線型電場)を用いて高い質量分解能を実現したTOF質量分析・検出部(4)位置信号・タイミング信号の同時検出 何れの開発項目も、これまでに例のない、若しくは世界でも数例しか成功していない、先進的なものである。これらを全て1台の分析器にコンパクトに収納し、月周囲の様々なイオン環境に対応した性能をバランス良く保持した分析器であるということを、今回の開発意義としてここに強調しておく。今回は月周辺の観測を目的としているが、将来の惑星探査衛星に対しても十二分に応用可能な搭載機器に成り得ると云える。

最上部に視野角(α:0→90deg)を選別する視野角掃引電極を配備している。その直下に、電位障壁で入射イオンの通過量を制限する、感度制御電極がある。

中央にエネルギー分析を行う球殻電極が配置され、ここまで通過してきた入射イオンは下半部の質量分析部へと送られる。質量分析部上部には、加速用の-15kVが印加されていて、入射イオンの薄膜カーボンの通過を補助する。質量分析部下部には、入射イオンを反射するための15kVが印加されている。その間には、LEFを作り出す電極・抵抗のセットがプリントされたセラミック筒がある。この小さな分析部の中に±15kVを印加することは非常に困難なことで、今回の開発の重点となった。絶縁コーティングなどで放電を防ぐことが出来ても、電極の僅かな傷や突起から電子が放出され、大きなノイズ源となってしまうので、分析器の細部に亘る構造、材料を厳選し、表面処理、コーティングを重ねることで解決した。

性能試験で得たイオン分析器の性能を用いて、月起源のイオンを数値計算で模擬した結果と併せ、将来の観測時に十分なカウント数と空間分解能が実現できることも確認した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は月周回探査機「セレーネ」に搭載されるイオンエネルギー・質量分析器の開発をまとめたものである。月は固有磁場や大気を持たないので、その表面は太陽風に晒されている。太陽風は月面に吸収され、反太陽側にはウェイクが形成されていると単純に考えられていたが、最近の月周回探査機の磁場と電子観測によって衝撃波の存在が観測され、局所的な月残留磁場によるミニ磁気圏の存在が示唆されている。一方、最近の地上観測から、ナトリウムを主成分とする希薄大気の存在が明らかになり、その成因のひとつに太陽風のスパッタリングによる月面からのガス放出が考えられている。その一部にはイオンが存在し、また、中性ガスの光電離によってもイオンが生成され、太陽風にピックアップされる。月周回探査機の軌道はイオン生成場所から離れているが、観測されたイオンのエネルギーと到来方向から粒子軌道をバックトレースすることによりその生成場所を探ることが可能である。これら月起源のイオンは表面の元素組成を反映しており、地上の実験室における2次イオン質量分析法 (Secondary Ion Mass Spectrometry : SIMS) と同様な情報を提供する。このように、月周辺におけるイオン観測は太陽風と月の相互作用や月面組成の研究において非常に重要な情報をもたらすと期待されるが、これまで皆無に等しい。

上記の科学目的の達成にはイオンの3次元エネルギー分析と質量分析を同時に行う必要があり、且つ、月起源の重イオン同定のために高い質量分解能が要求される。また、セレーネは3軸姿勢制御の探査機であり、3次元分布関数の計測のために磁気圏プラズマ観測で多用されている衛星スピンによる角度掃引ができないので、自らで角度掃引する機能を持つ必要がある。さらに、太陽風と希薄な月起源のイオンを同時に計測するために非常に広いダイナミックレンジも要求される。これら全ての機能を持つイオン観測装置は世界的にも初めてであり、しかも、探査機搭載という限られたリソースに適合させる必要がある。

全体は5章から構成されており、第1章では、月周辺のプラズマ環境を概観するとともに、過去の衛星搭載イオンエネルギー・質量分析器をレビューし、新規開発の必要性を述べている。

第2章では、開発に成功したイオンエネルギー・質量分析器の要求性能と全体構成、設計原理、実際に設計・製作された分析器の較正実験結果をまとめている。本観測装置のセンサーは、入射角掃引電極、感度制御電極、球形静電エネルギー分析器、飛行時間型速度分析器、検出器から構成されている。この複雑な構成のセンサーの設計では、テスト粒子シミュレーションを用いた手法により各要素の最適な電極形状が決定され、要求性能を十分に満足することが示されている。具体的には、2πステラジアンの立体角をカバーするとともに約5°×5°に分解可能であること、2桁にわたる感度制御が可能であること、等である。また、高い質量分解能を得るため、超薄膜カーボンと線形的に変化する電場構造 (Linear Electric Field : LEF) を用いた飛行時間計測法を採用している。その特徴は、反射型LEFにおけるイオン飛行時間が入射エネルギー・角度によらずイオンの質量/電荷量の比のみで決まることであり、通常のドリフト時間計測法に比べて格段に高い質量分解能を得ることができる。これらの性能は実際に製作されたセンサーにイオンビームを照射することにより実験的にも確認された。なお、飛行時間計測部に使用されている超薄膜カーボンは、イオン通過の際に放出される2次電子を飛行時間計測のスタート信号として得るために使用されている。超薄膜(約50Å)とはいえ、月起源の重イオンの透過度を高めるためには15keVまで加速する必要があり、反射電位と併せて±15kVという高圧が電極に引加される。そのため、放電や偽スタート信号の原因となる電子の電界放出の防止が必須であり、特別の対策が施された。

第3章は検出器の新規開発をまとめたものである。検出器はマイクロチャネルプレート(MCP)とアノードで構成されており、新規開発のポイントはアノードにある。本観測装置では、飛行時間計測部のスタート信号である電子の放出位置を入射角の情報としても使用しているので、位置検出とスタート信号検出の両面を成立させる必要がある。このような場合、従来はディスクリートアノードが使用されているが、アノード毎にプリアンプと信号処理回路が必要になる。一方、位置検出だけであれば、抵抗体アノードの使用により2つのプリアンプと信号処理回路で高い位置分解能が得られるが、時間計測の分解能仕様(lns)を満足させることができない。そこで、本検出器では、MCPと抵抗体アノードの間にスタート信号検出用のメッシュアノードを設けた。十分な強度のスタート信号の検出を可能とし、且つ、容量性結合の影響などによる位置検出誤差を低減するためのメッシュの位置や透過度、電位配分が問題であったが、実験的に最適の位置を求めて、所定の性能を持つアノードの開発に成功している。

第4章では、本論文で開発されたイオンエネルギー・質量分析器が遠隔S IMSとして月面の元素組成の研究にどの程度の貢献が可能かを評価している。冒頭にも述べたように、月起源のイオン観測の例は皆無に等しいので、太陽風のスパッタリングによる月岩石からの2次イオン放出率と希薄大気の光電離によるイオン生成率を推算し、生成されたイオンの太陽風中の磁場・電場における軌道運動を計算するテスト粒子シミュレーションによりピックアップイオンのフラックスを算定した。その結果、本観測装置は月面研究のために十分な空間分解能で月起源イオンの計測が可能であることが示されている。

第5章では、新規開発されたイオンエネルギー質量分析器の開発を総括し、月周辺のプラズマ環境および月面研究への貢献に対する将来展望を述べている。

以上、本論文は、きわめて新規性の高いイオンエネルギー質量分析器の開発をまとめたものであり、開発された観測措置は月周回探査機「セレーネ」に搭載される。本論文の成果は将来の月・惑星探査において大きな貢献が期待されるものであり、博士(理学)を与えるに十分な内容であると認められる。なお、本論文の内容は、斎藤義文氏、浅村和史氏、向井利典氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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