学位論文要旨



No 118660
著者(漢字) 金野,美奈子
著者(英字)
著者(カナ) コンノ,ミナコ
標題(和) 事務職世界におけるジェンダーの形成 : その歴史的変遷の諸相
標題(洋)
報告番号 118660
報告番号 甲18660
学位授与日 2003.12.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第425号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 教授 上野,千鶴子
 東京大学 助教授 佐藤,健二
 東京大学 助教授 佐藤,俊樹
内容要旨 要旨を表示する

ジェンダーは現在,労働世界におけるひとつの基底的な構成原理として広く認識されている。そのような認識は,しばしば歴史にも投影されてきた。本稿は,労働世界におけるジェンダーの意味の変遷を歴史的に再構成することで,職場のジェンダーのこのような理解を相対化することを企図するものである。

このような試みの背景には,研究自らがジェンダーの視点の内側に入ることによって成り立ってきた従来の労働とジェンダー研究が一方で深刻な限界を伴うものであるという認識がある。現実の労働世界においてジェンダーが広く意味をもってきたことからみればそれ自体としてはひとつのステップとして不適切なものではない従来のアプローチも,それがそこに留まり続けるならば,ジェンダー・カテゴリーが労働の意味づけと組織化に力をもつ側面がより強調される一方,これらのカテゴリーが労働に関して意味するものの変化や,カテゴリーを用いることそれ自体の生成過程や不安定性といったダイナミズムが考慮の対象になりにくくなるという限界をもつ。

本稿は,このような従来の研究の乗り越えをはかる端緒として,事務職を事例に職場世界におけるジェンダーのあり方を歴史的に再構成し,その歴史性を明らかにする試みである。本稿では,ジェンダーを,世界をジェンダー・カテゴリーによって意味づけ理解する一次モデルととらえるアプローチによって,事務職世界におけるジェンダーの変遷を具体的,多角的な資料を用いて再構成し,その内的な論理を記述する。事務職を対象とするのは複数の理由によるが,最も重要なものとして,現代における職業内部での経験が,「男性」「女性」のカテゴリーによって明確に組織化されている典型的な職業のひとつと考えられる事務職が,ジェンダーの歴史性を明らかにするという課題にとって好個の事例であることがある。事務職世界において,「女性」はほぼ一定のサイクルで社会的な注目を集めてきた。世紀転換期に最初の注目が集まって以来,第一次大戦後の1920年代を中心とする戦間期,1940年代前半の戦時期,1960年代の高度成長期,1980年代後半からの好況期である。本稿は,これら「女性」への社会的な注目の集まりをもとに時代を区分し,それぞれの時代におけるジェンダーのあり方を辿る。

以上のようなアプローチから,事務職におけるジェンダーの歴史的な変遷は以下のように描かれる。事務職の黎明期である明治30年代に,近代の新中流思想としての良妻賢母思想の登場と事務職の社会内的な位置づけが,職場の「女性」の「問題」としての発見をもたらした。同時代の人々は,職場の女性たちを男性を脅かす大きな脅威であると表現した。男性・女性事務職に対する当時のまなざしを追うことで,この背景にあった女性への積極的な評価と事務職男性の多様性への認識が浮かび上がる。このことが,良妻賢母思想において交換不可能なものと位置づけられた「女性」「男性」のカテゴリーにおさまらない事務職女性という存在を,ラディカルな「予盾」であり「脅威」でもあると見た同時代のリアリティの背景にあったことを見る。

戦間期の社会は,「職業婦人」の代表的存在として事務職の女性に大きな関心をよせた。女性労働全体から見れば,事務職はいまだそのごく一部を占めるにすぎなかったが,明治期には実質的にほぼ男性で占められていた職場も,昭和初年にはそこに働く人々のうち実際ほぼ10人に1人は女性となっていた。そこではたしかに,これまで指摘されてきたように,職場で女性であることのひとつの意味は,高等教育を受けた男性職員に比べて,またより少ない程度ではあったものの中等教育を受けた男性たちに比べて,賃金などの待遇の点でも職場のなかの階層的な位置という点でも,限られた一定の位置づけにおかれることだった。しかしながら,このような意味は一面に過ぎず,昭和初期の不況期には女性の職場進出による男性の立場の危機が言われるなど,職場でのジェンダーの意味は流動的なものであった。一方で職場の構成を見ると,明治期以来の学歴という差異化原理の高度な制度化が進行しており,また,職場における男性の位置づけも不安定であった。「女性」の意味はそれと相即的に相対的なものにとどまっていた。このような状況が,職場における「女性」の意味を曖昧なものにしており,そのことがこの時代のジェンダーの意味の流動性の背景に存在した。他方,これらを背景に,企業の雇用管理の上でも,職場のなかにより確定した「女性の場所」を探る動きも見られるようになる。職制上の位置づけや若年定年制などは,「女性」の意味の断片と関わりあいながら,それらを部分的にではあれ職場のあり方のなかから支える要素であった。

職場での女性比率が急激に高まった戦時期には,戦後の職場世界を準備することになるジェンダーの意味の大きな転換が起こった。戦時の社会的な背景のもとで「女性による男性の置き換え」という明治期以来潜在的に意識されてきた可能性が現実のものとして受け止められていく中で,「女性」にとっての仕事や職場の意味が,それ以前とは根本的に異なったものとして解釈されるに至る。この新しい解釈は,戦後の事務職における「定型業務」と「判断業務」という仕事区分観や,職場と家庭を結びつける見方の制度化を準備することになる。戦時においてもまた,女性がまさに中心的業務に進出しているという同時代の認識が,職場におけるジェンダーの意味そのものの転換をもたらす契機となっていた。このことは,戦時期の女性の経験のインパクトについての従来の見方には再考の必要性があること示唆する。

事務職世界におけるジェンダーの戦後の形成過程は,職場の中心的な従業員像への「家族」の接合によってその最も根本的な構成原理をジェンダーに置く職場構想が,高度成長期をかけて確立していく歴史的な過程として再構成することができる。戦後初期の構想に胚胎されていた,学歴・職種横断的な「男性」「女性」のカテゴリーは,戦後の出発点においては世帯主の年齢別家族生活保障賃金の理念によって,後には,仕事のジェンダーや労働者のジェンダーのより職場内的な構築を通して,また,女性事務職をめぐる経験の論理を通して,職場におけるリアリティを獲得していった。「男性」は,「判断事務」「長期勤続」「強いコミットメント」という意味づけが相互に支えあうカテゴリーとして,「女性」は,「作業事務」「短期勤続」「弱いコミットメント」という意味づけが支えるカテゴリーとして,職場内在的に構築されたのである。職場経験における差異は,これらのカテゴリーを用いて,「男性と女性との間の自然な差異」と理解されるようになる。

このような「男性」カテゴリーの職場世界内在的な出現は,今一度歴史を遡って職場の従業員像への家族の接合の過程を振り返ることによってよりよく位置づけることができる。従業員像と「家族」の接合の歴史的な過程を追うことによって,職場世界のジェンダー形成における戦後という時代の画期性が改めて確認されるとともに,従来暗黙のうちに前提にされてきた,家族の扶養者モデルに関するホワイトカラーからブルーカラーへの伝播モデルの見直しの必要性も示唆される。

戦後社会における家族をエージェントとする豊かな社会の構想は,高度成長期をへて基本的に達成された。しかし,1980年代後半における男女雇用機会均等法の制定と施行から1990年代初めにかけてのバブル経済期にいたる時期には,女性事務職,特に社会的な関心を集めた「女性総合職」をめぐって,職場の「男性社会性」が再構築されることになる。この時代の「女性総合職」への関心の背景には,高度成長期以来前提とされてきた職場の「男性」の意味の下で,男性の多様性が再び見出されていたことがある。ジェンダーがかつてもっていた,平等な豊かさへの志向という社会的な背景はこの時代にはかつてのような意味を失っていたが,高度成長期をかけてリアリティを獲得してきた職場社会という秩序を背景に,「男性」の意味が再び強調されることになる。このことが,「女性総合職」という視点にも一定の困難をもたらすことになった。

事務職におけるジェンダーは,人々が職場と社会をとりまく状況の中に想定した一定のあるべき秩序の観念と,実際の職場の状況との狭間で,その都度構想され,また形を変えて作り上げられてきた。これまで職場のジェンダーが「封建的な女性差別の名残」であるとしばしば誤解されてきたのは,歴史的に構築されてきたジェンダーの視点の内側からのみ,歴史が振り返られてきたためである。ジェンダーの視点からこの再構築過程を振り返ると,そこには一貫したジェンダーの秩序が保たれてきたかのように,あるいは,職場世界の歴史とはジェンダーの視点の一貫した確立過程であるかのように,見えるかもしれない。しかし,その時代,時代の人々にとってみれば,その過程は平板なものではなかった。本稿での素描からは,その都度再構築されたジェンダー・カテゴリーが秩序ある職場社会の感覚にとって持ってきた意味の大きさとともに,その脆弱さやアンビバレンスもまた浮かび上がる。このことは,職場世界におけるジェンダーの一定のあり方をしばしば前提にしがちであった従来の労働とジェンダー研究に対し,その前提を-ジェンダーを再び無視することなく-相対化する地平への手がかりを与え得るものである。

人々の多様なあり方から「男性」「女性」というカテゴリーのリアリティを編成するジェンダーの視点は,高度成長期という稀有な時代に一定の歴史的な確立をみることになるが,結果として実現した豊かな社会を背景に,職場社会はそれを担う人々の多様性をその後再び見出すことになった。この過程は,職場社会のリアリティそのものが変容する中で,現在ますます進行しているように見え,ジェンダーのあり方にも影響を与えつつある。事務職世界におけるジェンダーの意味は,このように歴史的に形成され,また変容してきた。今後それがどのような意味をもっていくかは,これまでもそうであったのと同様に,歴史に対して開かれている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は明治期から現代までの日本の事務職を事例として、職場の秩序編成におけるジェンダー・カテゴリーの意味の歴史的変遷を詳細に描き出すことを通じて、職場という社会的世界のジェンダーによる意味づけのしかたが不変なものではなくて歴史的に形成されたものであることを明らかにすることを目的としている。本論文は、序章と終章を含めて八つの章からなっており、ます、序章において、労働におけるジェンダー・カテゴリーが労働におけるジェンダーに関するこれまでの研究において、ジェンダー・カテゴリーが研究者の観点から通時代的に普遍的で同一の意味をもっていたと前提される傾向があったと指摘し、それに対して、人々自信の経験において捉えられたジェンダーの意味の変遷をたどるという本論文の課題の意義を論じている。第一章は明治期の産業化と女子教育の進展の中で、女性事務職が創出されて職場の中に位置づけられた際のジェンダー化様式が空間分離を特徴とするものであったことを明らかにし、つづいて第二章では、戦間期においてジェンダー・カテゴリーは学歴秩序の中に組み込まれる傾向があったこと、さらに第三章では、戦時期において女性事務職が拡大する中で、職場における女性性の意義が発見されたことを明らかにしている。第四章は、戦後の労働世界における平等主義のもとで、家族を養う稼ぎ手としての男性という扶養者モデルがジェンダー秩序を支配するようになったとし、第5章は、そうしたジェンダーの社会的意味と職場的意味の整合化が日本的経営および日本的能力主義と適合的であったと論じている。第六章は、1980年代後半以降、女性総合職の導入と男生を含む雇用形態の多様化の進展の中で、職場の階層的意味秩序において客観的な能力の観念がしばしば男性性と結びつく傾向があったと指摘する。終章では、歴史的変遷を振り返りつつ、職場の意味秩序そのものが多様化していき、男性モデルが揺らいでいるもとで、ジェンダー・カテゴリーの融解と引き続くジェンダー化との相克があるものの、ジェンダー化の様式を相対化する視点が拡大していくのではないかと展望している。

本論文は、一次資料を丹念に参照しながら、職場を生きる人々自身の意味世界におけるジェンダーの意味の歴史的変遷を、「ジェンダー化の様式」など独自の理論概念を駆使して分析しており、歴史的事例の説明にやや不十分な点も指摘されないわけではないが、労働とジェンダーの社会学の進展に大きく寄与する極めて独創性の高い論考あると評価される。

よって、本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに値するとの結論に達した。

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