学位論文要旨



No 118661
著者(漢字) 呉,琦来
著者(英字)
著者(カナ) ゴ,キライ
標題(和) 中国の後期中等教育の拡大と経済発展パターン : 江蘇省と広東省の比較分析
標題(洋)
報告番号 118661
報告番号 甲18661
学位授与日 2003.12.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第96号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 矢野,真和
 東京大学 教授 小川,正人
 東京大学 助教授 鈴木,真理
 東京大学 客員教授 米村,明夫
内容要旨 要旨を表示する

目的、課題と仮説

本論文は、1980年代以降の中国における経済発展と後期中等教育の拡大との関係を対象とする。経済発展と教育発展との間の関係については、これまでさまざまな研究がなされてきたが、ハービンソン、マイヤーズらの先駆的研究をはじめとして、そのほとんどは国際比較によるマクロ的統計分析を主な分析手段としていた。その反面で経済発展と教育拡大の内的な相互関係については必ずしも充分な注意が向けられず、結果として両者の不整合についての分析に結びつかなかった。そうした観点から本論文では、経済発展のあり方を中国の経験に即して、より具体的に把握したうえで、そうした経済発展のあり方が教育に及ぼす影響をより具体的に理解することを目的とする。

中国の最近の経済発展は強力な輸出ドライブを基礎としているものの、在来の経済主体と外国資本のいずれをより重要な核とするかについて地域的な差異がある。それを理論化すれば、地域の経済主体である郷鎮企業セクターの発展に牽引された「内発的」経済発展パターンおよび外資と外資関連企業セクターの発展に牽引された「外発的」経済発展パターンの二つの経済発展パターンが抽出される。本論文は、上記の目的に沿って、そうした「内発的発展はその労働需要に基づいた後期中等教育発展を促す一方、外資セクターの発展を中心とする外発的発展は必ずしもそうした発展と直結しない」という仮説を、それらの発展パターンの典型である江蘇省と広東省において実証した。具体的には、それらにおいて、それぞれの後期中等教育の発展がどのようなものであったかを、教育発展を担う3主体である政府、企業、家族(生徒)の態度、行動に即して、比較的視点を持ちつつ、実証的に明らかにした。

論文の構成と各章の内容

本論文は、「序章」、本文の全2部7章および「結論」から研究結果を構成されている。

序章では、本研究の目的、課題、仮説および背景と枠組みについて記述した。

第I部は、中国全体を扱った第1章と第2章よりなり、本研究の中心である江蘇省と広東省の事例研究を中国全体の中に位置付ける意味を持つ。第1章では、1980年代以降の中国全体の後期中等教育の発展を概観すると同時に、中央政府がどのような後期中等教育政策を持ったのかを明らかにし、それが地方(省)の教育発展に対してどのような制約と可能性を与えたのかを示した。

第2章では、中央政府の政策のもとで、多様な発展を見せてきた各省の後期中等教育の発展への経済的要因の影響に関する統計的分析を行なった。経済発展のあり方を様々な経済指標(産業別生産力、所有セクター別生産力、等)を用いて表現することによって、経済発展水準ばかりでなく、経済発展のあり方が後期中等教育の発展に影響を及ぼすかどうかを、統計的手法によって探った。とくに、経済発展パターンを決定する際の中核をなす変数である「資本所有セクター別1人当たり総産値」が持つ教育発展への影響の重要性を明らかにしたことを通じて、本論文の経済パターンという視角からの分析の重要性、妥当性を確認した。また、分析の結果、集団セクターは1990年代の後半になって、国有セクターに並ぶ重要性をもつようになり、これに対し、外資セクターの成長は教育発展との関連を示さなかった。本研究の仮説を統計的な手法によりながらもまずは支持するものとなった。

第II部は、本論文の中心部分を構成しており、第3章から第7章よりなる江蘇省と広東省についての事例研究であった。序章で述べた分析枠組みに基づき、異なった経済発展パターンにおける教育発展を比較の視点から分析した。第3章では、両省の事例研究を進めるための準備として、両省における経済発展が、それぞれ内発的発展パターンと外発的発展パターンを典型的に示すものであることを確認した。また両省の教育発展の比較が可能、妥当であることを、両省の経済発展水準、人口規模、教育発展の初期条件の検討を通じて示した。

第4章では、両省における後期中等教育の発展が異なった様相を示すことを量的側面から分析した。1980年代に、江蘇省は広東省を凌駕し始め、1990年代にはその差は顕著なものとなったこと、1990年代に、両省とも職業関係学校の中心的な位置を専門学校が占めるようになったが、江蘇省では、そうした動向がよりダイナミックであったこと等を指摘した。

第5章では、企業活動がもたらす労働力需要、企業によるその調達方法についての分析を行った。江蘇省、広東省のいずれにおいても、経済発展は急速に技術労働者、管理者の需要を拡大し、その不足をもたらした。その需要量には大きな差はなかったが、企業レベルの調査結果より、それら労働力の調達方法に違いがあることが明らかになった。江蘇省では、短期的には、大企業の技術者や退職した技術者を招聘するなどしてその需要を満たしていたが、長期的な方針として、地元の政府と協力して後期中等教育を振興し、その卒業生を採用した後に、さらに教育機会、訓練機会を与えていた。これに対し、広東省では、高賃金を提供することによって高学歴労働者を省外から調達することが続いていた。

第6章では、1980年代の経済改革、教育改革以来、後期中等教育発展において果たしてきた省、市、県、郷鎮の各政府の役割に焦点を当てた。江蘇省では、郷鎮企業誕生以来の郷鎮政府との密接な関係を基礎とした職業教育関係学校、普通高校の拡大が進められた。郷鎮政府は、地元の企業の財政的協力を得ながら、その労働需要、人材養成要求に積極的に対応し、それに沿った、学校、学校コース、専門設置、運営に努めてきた。また郷政府は企業の労働力訓練、人材養成において重要な役割を果たす成人教育センターの創設にイニシアチブをとったが、その後、財政、運営面ともに企業が主役となっていた。他方、広東省では、経済発展のあった地域でも、江蘇省のような企業と政府間の密接な協力関係は形成されなかった。しかし1990年代後半に入って、政府によって後期中等教育拡大策が改めて強力な形で推進されており、それはようやく成果を収めつつある。

第7章では、生徒や家族の教育意識や家計行動を、アンケート調査や家庭訪問調査の結果に基づいて分析した。内発的経済発展パターンを示す江蘇省の非都市地域では、外発的発展パターンの広東省の非都市地域に比して、低い収入水準でありながら、高い教育アスピレーションを持っていた。そしてそうした差異は、親の教育アスピレーションや生徒本人の学歴の効用についての認識に影響を受けており、さらにこれらの要因は、経済発展パターンに対応する若年層に開かれた地域の労働(収入)機会の差異によって影響を受けていると考えられた。

結論では、以上の実証結果を概括し、序章で提出した仮説の可否について論じ、今後の研究課題を展望した。

今後の課題

本研究では、教育発展に関わる3主体という角度から、2つの経済発展パターンが異なった後期中等教育の発展をもたらすことを明らかにした。経済発展パターンの差異は、企業の労働力調達、労働力育成の方法の差異をもたらし、地域の労働市場や収入機会のあり方の差異をもたらし、地方政府による教育施策、学校・学科設置やその運営の差異をもたらし、家族による教育選択、教育意識の差異をもたらした。このような二つの省における異なった各主体の行動、意識の相互作用の結果として、二つの省における学校種類別の発展の差異や全体としての後期中等教育における量的発展の差異がもたらされた。しかし、個々の行動主体の教育機会の選択のロジックを追うこと、あるいはそれらをとりまく歴史的条件の検討にまで立ち入ることができなかった。本研究をそうした方向に深めていくことは、ただ研究を精緻化するだけでなく、企業行動の経済的合理制と住民の福祉、政府の役割といったより政策的な論点に関わる考察を助けるものとなり、本研究の持つ政策的インプリケーションを、より実証的基礎を持つ、より現実的なものとすることにつながるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

進学率についての国際比較分析は一般に、経済発展水準との相関がもっとも高いのが中等教育の進学率であることを示してきた。それは一方で、中等教育が工業化の一つのキーとなるという主張につながるとともに、他方でドア(R.P.Dore)などのいう学歴インフレの現象が中等教育に象徴的にあらわれる、という解釈にもつながる。こうした意味で、経済発展の過程において、具体的にどのような要因が、どのようなプロセスを経て中等教育拡大につながるのかは、政策的にもきわめて重要な意味をもっている。本論文は中等教育拡大が経済発展のパターンと密接な関係をもつことを、中国の二つの地域における後期中等教育の拡大構造を体系的に比較分析することによって解明したものである。

序章においては、中国の地域的な経済発展のパターンについて「内発的発展」と「外発的発展」の二つの類型を識別するとともに、中等教育の発展を規定するものとして、家計、企業、政府の三つのアクターからなる分析枠組みを設定している。

第I部では中国の中等教育制度・政策の経緯と量的拡大の過程を概観し(第1章)、さらに省別のマクロデータにもとづいて、後期中等教育進学率と経済指標との統計的な関係を分析している(第2章)。この分析の結果、経済的な要因を統制してもなお進学率の高い江蘇省と、逆の広東省、という二つの事例を見出し、その経済発展パターン(前者の内発的発展、後者の外発的発展)との内的構造の分析を続く第II部の分析課題としている。

その問題設定を受けてまず第3章では江蘇、広東の両省における経済発展パターンの相違を、経済指標などを通じて対照し、第4章では、両省における後期中等教育進学率の拡大をまず省全体について比較し、さらに省内のいくつかの地域について詳細に比較した。

第5章では、発展パターンと中等教育拡大を結ぶ一つの環として労働需要のあり方に着目し、内発的発展地域(江蘇省)における郷鎮企業の役割が後期中等教育修了者への労働需要を生み出したのに対し、外発的発展地域(広東省)では、外資系企業の労働需要が省外からの低学歴労働力の流入に流れ、省内の後期中等教育修了者への需要に結びつかなかったことを論証している。第6章では地方政府の政策に着目し、内発的発展地域においては政府や企業が後期中等教育機関の発展に積極的な施策を示したのに対して、外発的発展地域ではそうしたメカニズムが機能しなかったことを示した。また第7章では、二つの地域における進学アスピレーションの相違をアンケート、聞き取り調査などによって分析し、家計の進学志向が労働需要、地方政府の施策と対応していることを示している。

以上のように本論文は、経済発展と中等教育拡大との関係を、中国の二つの地域を体系的に比較することによって、実証的に解明した点に意義がある。それは現代中国の社会経済と教育との関係についての理解だけでなく、一般的な経済発展と教育との関連をめぐる研究の蓄積に、重要な寄与をなすものと考えられる。このような観点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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