学位論文要旨



No 118667
著者(漢字) 玄,大松
著者(英字)
著者(カナ) ヒョン,デソン
標題(和) 戦後韓日関係と領土問題 : 韓国における「独島問題」の言説とイメージ
標題(洋)
報告番号 118667
報告番号 甲18667
学位授与日 2004.01.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第175号
研究科 法学政治学研究科
専攻 政治専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 猪口,孝
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 藤原,帰一
 東京大学 助教授 木宮,正史
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、「領土意識」、「対日感情」というものが、そもそも社会的に「構築」されたものであると見る社会的構築主義(Social Constructivism)の認識論的立場から、「独島問題」を通じて韓国人の独島領土認識、日本イメージ、そして対日感情が形成される過程とその構造とを分析しようとするものである。

本稿の研究目的は、「独島問題」のレンズを通して戦後の日韓関係を考察し、従来の独島論のあり方に異議申し立てをすると同時に、一人歩きする独島論の様々な「神話」を実証的に分析し、韓国社会を呪縛する「過去の問題」、「感情の問題」を超克して、日韓関係を「合理的基盤」の上で、考え直そうとすることであった。それはすなわち、いわゆる「認識論的切断」を通じて、イデオロギー的障害物と手を切り、科学的概念を作ろうとすることである。

そのため本稿では、独島/竹島の領有権をめぐる諸言説がどのような空間で行われているのか、その空間で「語られているもの」、「語られていないもの」は如何なるものか、それが現在の韓国の若者たちの領土意識、対日感情、対日イメージに如何なる影響を及ぼすのかを明らかにしようとした。

言説分析の材料は、戦後の韓国と日本との「独島/竹島問題」研究と、新聞の「独島/竹島問題」記事であるが、比較分析の記述の視座は韓国新聞の方へ向いている。「独島問題」に関する言説分析(Discourse Analysis)は、韓国社会における「独島」という表現に、どのような記号が使われ、どのような意味が付与されているかなど「独島物語の文法」の形成を歴史的、社会的側面から探求することであり、それは、韓国社会の思想、文化、社会システムなど、韓国社会の在り方を問うものでもあるからである。

本稿では、まず独島/竹島領有権問題の起源と変容とを歴史的アプローチによって明らかにした。次いで、「独島問題」をめぐる「知」の創生と「言説」とがどのような空間で行われ、それは日韓のジャーナリズムによって社会にどのように伝えられるのかを、「独島論」生産の推移と新聞の内容分析によって明らかにした。そしてそのような言説は、韓国人の「独島認識」と「日本・日本人イメージ」の形成とにどのように影響するのかを、韓国の中・高・大学生の意識調査を通じて分析した。

本稿は序章と終章の他、三つの章で構成されている。

第1章では歴史的アプローチによって、「独島問題」の起源と変容とを「国際政治と国内政治の連動」の視点から分析した。そもそも日韓両国が領有権をめぐって対立することになったのは戦後の領土処理が曖昧になったためであり、その起源はサンフランシスコ講和条約と日韓基本条約とにある。従って第1章では、「独島問題」が、サンフランシスコ講和条約の原点であるアメリカの戦後処理政策の形成過程から東アジアの冷戦の構造変化につれどのような変容の途を辿ってきたか、領土問題を抱えていた日韓国交正常化交渉がどのように進められ、結局どのように処理されたか、また「独島問題」は国内政治過程にどのように絡んでいたのか、その実態を明らかにした。

韓国と日本との竹島をめぐる領有権紛争の萌芽は、早くも第二次世界大戦の終戦過程に見え始め、サンフランシスコ講和条約で発芽し、日韓基本条約で完全にその芽を出したのであるが、「講和問題」は戦後間もなく始まった「冷戦」の渦巻きに巻き込まれ、次第に「戦後処理」の性格を失っていった。冷戦の展開に伴い、アメリカの講和における政策は「峻厳な講和」から「寛大な講和」へ漸次的に変化し、これによって日本の領土規定もますます簡潔、かつ抽象的になった。この過程で竹島は韓国領になったり日本領になったり転々したあげく、最終的には講和条約の条項からその名前が消えてしまったのである。

サンフランシスコ講和条約で曖昧な形で処理されてしまった「独島問題」は、その後政治家たちの不用意なレトリック、日韓国交正常化交渉過程における交渉のカード、国内政治の有用な手段として使われながら、歪みつつ、解き難い問題として膠着してしまったことを明らかにした。

第2章では、戦後日韓で行われている独島論の生産と、日韓ジャーナリズムの記事とを比較分析した。1990年から2001年までの12年間の韓国新聞9紙、日本新聞5紙の独島/竹島記事の内容分析を行い、特に、韓国における「独島問題」の言説が、韓国社会に「埋め込み」され、日常化する「社会化過程」を考察した。

メディアは、さまざまな神話やイデオロギーを再生産することにより、「社会的現実」を構成するが、本章では、韓国の知識人とマス・メディアとの「独島論」が、国民に伝わる過程を、独島論の生産量の推移と、新聞報道の内容分析を通じて考察した。

そして、次のことが明らかになった。日韓両国政府は、独島/竹島は「歴史的にも、国際法的にも我が国固有の領土である」と主張しているが、日韓両国の知的関心と資源はそれぞれの国のアキレス腱を補強するところに集中していた。戦後から現在まで、韓国では国際法的研究が主流を、日本では歴史的研究が主流をなしている。

そして、韓国で構築された「独島論の言説空間」は、領有権問題のグレー・ゾーンには触れない偏った言説空間であること、韓国のジャーナリズムが、独島の領有権主張に過去問題、歴史認識問題などを結びつけ、歴史の記憶を絶えず想起させていることをも明らかにした。

独島記事、言い換えれば「独島物語」は、一年中、新聞紙上に登場する、「日常的なもの」であること、物語の中心は、政府などの公式機関でなく、市民レベルの人物・団体であり、その性格はナショナリスティックであること、独島問題の記事に、過去問題を想起させる、帝国主義、過去史、歪曲、慰安婦、歴史認識、歴史教科書など、過去問題の単語群が多く登場し、いつの間にか領有権問題が、過去問題・歴史認識の問題にすり替えられていることをも言及頻度分析で明らかにした。

また、「独島」が「日本に対する韓国主権のシンボル」とし表象され、領有権主張が本来の領有権主張からかけ離れ、独り歩きすることによって、「語らないもの」、「語られない」ものが生じたこともあきらかにした。

第3章では、韓国の中・高・大学生、2,112人の意識調査を通じて、現在の韓国の若者が、いつ頃から「独島は韓国の領土である」と認識することになるのか、「独島問題」に関してどのくらいの知識を持っているのか、その知識の源泉はどこか、独島をどのくらい重要だと思うのか、「独島問題」に関してどのような意見を持っているのか、などの「韓国人の独島認識の形成過程と認識の構造」と「日本・日本人イメージの構造」を分析した。

その結果、次のようなことが明らかになった。

既存の研究においては「韓国人の領土認識、日本・日本人イメージは学校教育によって刷り込みされ、マス・メディアによって補強される」とされてきたが、本稿における分析の結果、韓国の学生たちは、マス・メディアの独島言説、日本言説などが作り出した「社会的現実」に強く影響され、幼児期に既に、「独島は韓国の領土である」と考え、否定的「日本・日本人イメージ」を抱くようになっており、教育の役割はすでに幼児期に形成された認識に太鼓判を捺すだけに過ぎないことが分かった。

また、独島に関する知識と独島領有権認識との間には強い関連性が見られ、中学生・高校生に顕著である、「韓国人である以上当然」などの問答無用の領土認識は、大学生になると「学校教育・教科書」などに裏打ちされた領土認識に強化されている。

そのような、確固たる独島領有権認識を持っている、韓国の学生たちに領有権主張をする「日本」はどのように映っているのかも分析した。

韓国学生たちの日本イメージは、「日本国家・日本社会・日本人」の三層構造であり、日本という国家のイメージは全体的に否定的であるが、日本社会と日本人とに関するイメージは称賛と蔑視のアンビバレンスであり、学歴が上がるにつれ、日本を見る目が客観的になることが分かった。

韓国の大学生たちは、韓国マス・メディアの報道が反日感情を煽っていることを十分認識していた。また、マス・メディアの独島問題関連報道が、若干過熱していて、韓国のマス・メディアは両側の意見を公平に取り扱っていないことも認識していた。しかし、マス・メディアが作り出す反日的「社会的現実」に包まれ、「独島問題」に対する疑問を持つまでは至っていないのも確認された。韓国における独島言説の偏りが、学生たちに認知的不協和を起こしているのである。

最後に、「独島認識」と「日本・日本人イメージ」とは相互にどのような影響を及ぼすのか、それは日韓関係における態度にどのような影響を及ぼすのかについて、重回帰分析(multiple linear regression analysis)を行い、独島認識と日本イメージとが関連性が高く、かつ、独島認識と日本イメージとが日韓関係における態度に影響を及ぼすことをも確認した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「戦後の韓日関係と領土問題−韓国における『独島問題』の言説とイメージ−」は、独島問題が現代韓国社会において持つ意味を解明しようとする包括的分析の試みである。現在の日韓関係をめぐる難問のうちでも、独島/竹島をめぐる領土問題は、とりわけ解決の困難な問題である。両国政府の見解が全面的に対立しているのみならず、国民的な意識の面でも妥協の余地はほとんどないようにみえる。とりわけ韓国においては、日本との関係が悪化する時には、常にその悪い関係の象徴としてこの問題が語られてきた。単なる外交問題というに止まらない国民的問題としてこの問題が存在している。このように外交的にも難問であり、しかも日韓両国の人々の間の和解にとっても重要であるこの問題について、法的分析ないし歴史的分析に止まらない政治学的分析は意外なほど少ない。いかなる政治的認識が、この問題をめぐって存在しているかについての、学問的分析の試みはきわめて少なかったのである。本論文は、まさにそのような全面的・包括的な学問的分析を独島問題に加えようとしたものである。本論文が具体的に取り組んだ課題は、第1に、領土問題としての「独島問題」の起源と変容を歴史的アプローチによって明らかにすること、第2に、日韓両国の新聞にみられる言説を体系的に比較分析することによって韓国社会における独島問題の言説空間の特徴を明らかにすること、そして第3に、このような言説が韓国人の「独島認識」や「日本・日本人イメージ」にいかなる影響があるのかを韓国の中・高・大学生の意識調査を通じて分析することである。

本論文は、この三つの課題に対応した三つの章を中心に構成され、これに序章と終章が加わっている。以下に各章の要約を記す。

序章では、「独島問題」に関する先行研究が概観されたのち、この問題を「社会的構築主義」の認識論的立場から分析するという著者の意図が語られる。日韓両国における先行研究の網羅的な検討により、日韓両国民のこの問題に関する「認識」についての分析がきわめて少数で、しかもその分析に欠点が多いことが指摘される。このような先行研究の問題性を超えるために、著者が主張するのが「構築主義」的アプローチである。もちろん、これまでにも、韓国における領土認識については、国家の一方的な教育によって押しつけたものとか、マスコミのナショナリスティックな主張の「植え込み」によって出来上がったものという単純な図式が語られてきている。著者は、このような単純な図式を超えた理解を形作るためにも、より体系的な言説構造・認識構造の分析が必要であると説く。そのために打ち出した方法が、歴史分析、新聞などの内容分析、意識調査の三つを組み合わせる必要性なのであった。

第1章では、歴史的アプローチによって、「独島問題」の起源と変容が「国際政治と国内政治の連動」の視点から分析される。著者によれば、そもそも日韓両国が領有権をめぐって対立することになったのは戦後の領土処理が曖昧になったためであり、その起源こそサンフランシスコ講和条約と日韓基本条約にあるとされる。したがって、著者は、アメリカの戦後処理政策の形成過程から対日占領、さらに東アジアにおける冷戦の激化のなかで、独島/竹島に関するアメリカの方針が揺れ動く過程、これに対する日韓両国の働きかけの相互作用を綿密に分析する。「峻厳な講和」から「寛大な講和」へというアメリカの政策が変化する過程で、日本に関する領土規定がますます簡潔かつ抽象的になる過程が叙述され、それに伴い独島/竹島は、韓国領と見なされたり日本領と見なされたりしたあげく、最終的に講和条約の条項からその名前が消えてしまう過程が叙述される。さらに本章後半では、サンフランシスコ講和以後開始された日韓国交正常化交渉過程で領土問題がどのように扱われたかが分析される。これまでの国交正常化の分析がおおむね請求権問題に着目してきたのに対し、本章は、独島/竹島問題を全面に国交正常化交渉を捉え直したものといってもよい。著者によれば、領土問題は、政治家たちの不用意なレトリック、交渉カード、国内政治上の手段として使用され、結局、国交正常化の際に決着させられないまま、両国間の膠質的な問題として残されることになったのである。

第2章は、戦後日韓両国における独島/竹島論がどのように生産されてきたか、さらにそのような独島/竹島論が、日韓のジャーナリズムでどのように取り扱われてきたかの比較分析である。前者の分析、すなわち日韓両国における独島/竹島論の生産とその特徴は、事実上、序章に触れた先行研究をさらに徹底的に分析することにつながる。この分析をとおして、著者は、日韓両国の知的関心と資源はそれぞれの国のアキレス腱を補給するところに集中してきたと説く。韓国において独島に関する国際法的研究が多いのも、日本において竹島に関する歴史的研究が主流をなしているのも、それぞれが両国の主張のアキレス腱だからだというのである。

後者の分析、すなわち日韓ジャーナリズムの独島/竹島に関する比較分析こそが、本章の大部分をしめる分析であるが、これは、1990年から2001年までの12年間の韓国の主要9新聞、日本の主要5新聞の独島/竹島記事すべてを材料とした体系的な内容分析である。著者は、膨大な数の記事について、体系的なカテゴリーの分析、いかなる頁(政治面か社会面かなど)に登場するか、いかなる時期に登場するかなどの分析に加えて、言及頻度分析を行なうことによって、この言説の特徴を捉えようとする。この分析の結果明らかになった主要な傾向は、第1に、韓国において、領有権問題にグレー・ゾーンがあるということに触れることがほとんどないということ、第2に、独島の領有権主張と日韓の過去の問題や歴史認識問題が絶えず結びつけられる傾向のあり、いつのまにか領有権問題が過去問題・歴史認識の問題となってしまうこと、第3に、独島に関連する「独島物語」が、一年中、新聞紙上に登場する「日常的なもの」であること、第4に、この物語に登場する役者が、政府などの公式機関ではなく、市民レベルの人物・団体であり、社会全体の中に「埋め込まれて」いること、そして第5に、総じて「独島」が「日本に対する韓国主権のシンボル」として表象されていること、などである。

第3章は、韓国の中・高・大学生2,112名に対しておこなった独島問題とこれに関連する対日意識に関して著者自らが行なった意識調査の分析である。本章においては、この意識調査を素材にして、人口属性、日本接触度、価値変数などの構造的要因が独島認識、日本イメージ、さらには日韓関係についての見方にどのような影響を与えているのかについて、徹底的な統計分析が行なわれる。その主要な結果は以下のとおりである。

第1に、既存の研究と通念にしばしばみられる「韓国人の領土認識、日本・日本人イメージは学校教育によって刷り込みされ、マス・メディアによって補強される」との見解に比して、本章の分析は、韓国の学生たちの「独島は韓国の領土である」とする認識や否定的な日本・日本人イメージは、幼児期にすでに形成されていることを示している。つまり、著者によれば、マス・メディアと教育の役割は逆であって、マス・メディアによって作り出された「社会的現実」こそが人々の認識を形成しており、教育は、このような幼児期に形成された認識を正当化し強化する役割をしているというのである。

第2に、独島知識と独島領有権認識の間には強い関連性がみられる。中学生や高校生には、独島についての領土認識は「韓国人である以上当然」だというような問答無用の認識が顕著であるが、これが、大学生になると学校教育や教科書などからの独島に関する知識に裏打ちされた領土認識に強化されている。

第3に、韓国学生たちの日本イメージは、「日本国家・日本社会・日本人」という三層構造をなしており、日本という国家には全体的に否定的であるが、日本社会と日本人については賞賛と蔑視のアンビバレンスをなしている。ただし、学歴が上がるにつれて、日本を見る目はより客観的になる。

第4に、韓国の大学生たちは、韓国マス・メディアの報道が反日感情を煽っていることを十分認識している。また、マス・メディアの独島問題関連報道が、若干過熱しており、日韓双方の見解を公平に扱っていないという認識ももっている。しかし、「独島問題」に対する疑問を持つまでには至っていない。マス・メディアの作り出す「社会的現実」は相当強固である一方、学生たちにある種の認知的不協和が生じている。

第5に、独島認識と日本・日本人イメージの間には、かなり強い連関があることが確認された。

終章では、以上の三つの章での分析結果と成果をまとめた上、方法論上の限界についても言及している。著者の思いは「いままで、数多くの独島論があったが、そのほとんどが領有権論であり、『独島問題』が日韓関係に及ぼす影響を学問的に究明しようとする試みはなかった。・・・そのような研究上の空白を埋めたことに意義があると思う」という部分に現れているとともに、「韓国人が当たり前と思っていることに疑問を投げかけたことにもある」という部分にも現れている。

以上が本論文の要約である。以下に評価を述べる。

本論文の長所の第1は、独島/竹島問題という極めて政治的に敏感な問題に対して、初めて包括的で体系的な分析を加えたことである。一人の研究者にして、独島/竹島問題の歴史的起源を外交文書などを利用して分析するのみならず、12年間におよぶ日韓両国の主要新聞すべての関連記事を収集し、その内容分析を行い、さらに韓国人中・高・大学生約2,000人について意識調査を実行し、統計分析を行なうという作業は、驚嘆すべき学問的営為というべきである。歴史・言説・意識構造というこの三つの側面から、社会的に構築された領土問題に迫るという方法も、独島/竹島問題についてこれまで試みられたことがないばかりでなく、たとえば北方領土問題などのように語り尽くされた感のある問題についても、行なわれたことのない重要なアプローチである。この論文の出現によって、初めて、韓国における独島問題の特性が、明白な形で記述されることになった。その過程で、韓国における独島問題の「日常性」や社会への「埋め込み」など、日本にいては気づくことのできない側面が明らかになるとともに、韓国社会においては、これまで「語られることのなかった」自明の前提の問題性が明らかにされることになった。

本論文の第2の長所は、三つの課題のそれぞれの学問的水準の高さである。第1章の歴史分析におけるサンフランシスコ講和に至る過程で日韓両国政府とアメリカがどのような交渉をしたのかの分析は、外交史の研究としても重要な貢献であるし、日韓国交正常化交渉において独島/竹島問題がどのように扱われてきたのかの分析もこれまでの研究の欠点を補う部分があるといえよう。また、第2章において、日韓両国の主要紙すべてを材料として行なった内容分析も、内容分析の研究としても、これだけ網羅的包括的なものは少なく、それだけで主要な研究業績である。さらに、第3章の意識調査も、著者自らが設定した興味ぶかい質問表に基づく調査であって、韓国人の対日意識についてのこれまでの世論調査などと比較して実質的に出色の研究となっている。

本論文の第3の長所は、これだけ包括的な分析をさまざまな手法を用いて行なっているにもかかわらず、論述はきわめて一貫し、わかりやすく、しかも誠実な文章でつづられていることである。政治的に敏感で感情の横溢する議論への「異議申し立て」は、それ自身が、往々にして感情の発露となってしまう場合がある。本論文の姿勢は、あくまでも実証をベースに、すべての論議にできるだけ公平に耳を傾けるというものであり、好感がもてる。

いうまでもなく、本論文にもいくつかの短所がみられることは指摘せざるをえない。第1に、本論文のアプローチの根幹をなすとされる「社会的構築主義」についての理論的検討が十分進んでいないと見られるところである。歴史と言説と意識を結合させるという著者の構想は、独島問題というこの具体的事例においては、相当程度成功裏に達成されており、説得的であると思われるが、より一般的に、この枠組みがいかなる理論的根拠に基づくのかは明白でない。これまでの「言説分析」とどのように関連するのか。また、著者が本論文で行なった内容分析や統計分析という方法と、これまでの「言説分析」との関連はどうなるのか。これらについて、序章での論述は十分とはいえないし、論文本体でも、再検討されているわけでもない。

第2の短所は、論文本体の三つの章それぞれの分析において、著者の多大の努力にもかかわらず、依然として不完全な部分が残されているということである。第1章の歴史分析においては、1965年の国交正常化以後の叙述が、いかにも駆け足になっている。史料的制約はあるにしても、第2章、第3章が現代の言説と意識を扱っているのであるから、第1章の歴史についても現代まで詳細な分析が説き及ぶ必要があったと思われる。第2章の言説分析においては、著者自身「終章」で限界として指摘しているように、分析ソフトウェアの限界から、複数概念間の同時出現頻度分析を体系的に行ない得ていない。これによって、より厚みのある分析が不十分になったと思われる。第3章の意識調査の分析においては、調査結果の包括的分析に意を注いだためであろうが、論述において、主要論点を明示する部分を際立たせることが難しくなった。

第3の短所としては、韓国における政治社会全体のなかで独島論がどのように位置づけられるのかという点についての明示的な論考が不足していることがあげられる。韓国人である著者にとっては恐らく自明に属する部分なのかもしれないが、より一般的な韓国の政治社会論との関連が、本論文においては明示的に議論されていない。終章などにおいて、伝統的政治文化などとの関連や民主化や市民社会の動向などの影響について、考察を行なうことができていれば、より包括的な韓国政治論ともなったであろう。

しかしながら、以上の短所は本論文の価値を大きく損なうものではない。日韓関係の最も困難で、しかも韓国国内で政治的に最も敏感な問題について、包括的・体系的で冷静・誠実な学問的分析を加えたこと、また、そのような分析が可能であることを証明したことの意義は極めて大きい。学界に対する貴重な貢献であるいわざるをえない。したがって本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと評価できる。

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