学位論文要旨



No 118668
著者(漢字) 大橋,恭子
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,キョウコ
標題(和) 長期身体活動の解析法と精神疾患・心身症患者への適用
標題(洋) Analyses of long-term physical activity and the application for psychiatric and psychosomatic patients
報告番号 118668
報告番号 甲18668
学位授与日 2004.01.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第97号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,義春
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 講師 多賀,厳太郎
 東京大学 助教授 熊野,宏明
内容要旨 要旨を表示する

ある種の精神疾患患者では、身体活動の異常が見られることが知られている。また心身症患者でよくみられる「疲労」などといった愁訴は身体活動を変調させる要因となる可能性がある。米国精神医学会による「精神疾患の診断統計マニュアル(DSM-IV)」においても、実に約40種の精神疾患の診断基準に身体活動の異常に関する記述が含まれている。しかしながら実際の診断の際には、患者の主観的な報告や医師の観察に基づく定性的な判断を用いることが多い。

近年、それに対して小型の測定装置を用いて身体活動を時系列で測定・分析することにより精神疾患・心身症患者の身体活動の特徴を抽出し、治療や診断に役立てようとする研究がなされるようになってきた。その結果、うつ病や慢性疲労症候群患者(CFS)の身体活動量の異常、注意欠陥多動性障害(ADHD)の特徴的な活動分布やうつ病特有の睡眠-覚醒リズムの異常が浮かび上がってきた。しかしながら身体活動のパターンに関する分析を考えた場合、睡眠-覚醒リズムに関しては、既存の方法のみでは著しく睡眠-覚醒リズムが損なわれている患者に対しては有効でない、日中の活動-休息パターンに関しては研究がまだ数少なくシステマティックな解析方法が確立されていないなどの問題点が挙げられる。

そこで本研究では、睡眠-覚醒リズムおよび、日中の活動-休息パターンに関して精神疾患・心身症患者の身体活動パターンを評価する新たな解析法を提案し、その有効性について検討した。

睡眠-覚醒リズム

睡眠-覚醒リズムを評価する方法はいくつかあるが、そのほとんどのものがモデルを立てたり、定常性を仮定したりといった何らかの前提条件を必要としている。しかしながら特に睡眠-覚醒リズムが乱れた患者のデータを扱う場合、必ずしも種々の条件を満たさず、既存の解析法を適用するのが困難である場合が多い。そこで他の方法で前提となるような条件を必要としないACMDA法(3章)を考案した。ACMDA法では、連続して測定した数日間の身体活動データのうち1日分をテンプレートとして切り出し、残りのデータ上をスライドさせながら相関係数を計算していく。すべての日に同様な操作を行い、得られた相関係数の曲線から睡眠-覚醒リズム周期と周期の安定性、リズムの安定性を求めた。

分析したデータはCFS患者のものである。CFS患者は労作後症状が悪化し、そのピークは数日後に現れるといわれている。これを説明できる要因として概日リズムの変調が挙げられる。そこでCFS患者に最大努力の運動を行ってもらい、その前後6日間の睡眠-覚醒リズムを測定・解析した。上記ACMDA法を用いた結果、CFS患者では運動後に睡眠-覚醒リズムの延長がみられ(図1)、それは症状が最も悪化すると言われている運動後2・3日まで観察され、その後回復している様子がみられた。

日中の活動-休息パターン

日中の活動-休息パターンの研究は数少なく、筆者の知る限りほとんどが探索的・発見的な方法を用いている。これまでは量的な方法、例えば活動量・分布などにより身体活動の異常を指摘する研究が報告されてきた。しかしそれでは患者群を健常人のグループと区別することができない場合もある(5章、6章)。

身体活動時系列のスペクトル密度を見てみると、数分から数時間といったスケールでは、両対数軸上で直線関係が得られる。つまり日中では特徴的なスケールが見られず、特定の周波数におけるパワーにピークが存在しない。

時系列がこのようなスケール不変性を持つことから、拡張されたランダム・ウォークなどに代表されるフラクタル時系列の増分相関を詳しく調べていくことができる。例えば、ある時点でデータが増加していれば次のデータも増加する傾向が強い、あるいは逆に減少する傾向が強いなどといったことを統計的に推定することが可能である。

通常、増分相関を求める場合、データのゆらぎの大きさに注目し、その方向-増加しているか、減少しているか-に関しては考慮しない。しかし身体活動を考えた場合、時系列が変化する方向はそれぞれ“活動”、あるいは“休息”に関連することから、方向を考慮した方がより詳細な情報を抽出できる可能性がある。そこで本論文では、変化の方向を考慮に入れ、既存の解析方法を変更し、患者の身体活動データを解析してみた。

本論文ではデータの増分相関を定量化するためにハースト指数を推定する。他の生理データと同様に、身体活動データでは時々刻々とハースト指数が変化することが考えられる。このような時系列では、データ全体から代表値が一つ算出される大域的なハースト指数ではなく、局所的に取り得る様々なハースト指数を表現する分布、すなわち特異値スペクトルを用いることによって、より詳細に時系列に含まれる増分相関を記述することができる。近年特異値スペクトルを求める方法としてWTMM法がよく用いられている。

通常のWTMM法では、データのウェーブレット変換を行い、ウェーブレット係数の絶対値から正の極大値を拾う。これらの極大値から求めた分配関数(Zq)とスケール(a)が両対数軸上で直線関係をもつときZq〜at(q)および〓より、データの局所的ハースト指数hのスペクトルを求めることができる。

上記のように通常はウェーブレット係数の絶対値を用いるが、この過程でもとの時系列の変動の方向に関する情報が失われてしまうため、ここでは絶対値を取らないウェーブレット係数から正の極大値(maxima)と負の極小値(minima)を拾い、それぞれに関して分配関数を計算する。

図2aは身体活動データの積分値にガウシアン3階微分のウェーブレットを用いた例である。これは身体活動データの生時系列に2階微分のガウシアンを用いた場合と同等である。Maximaとminimaはそれぞれ活動のバーストと活動の中断に対応していることが確認できる。

以上の方法を用いてCFS患者のデータを分析した。一つ目の分析では活動レベルが著しく減少している患者と比較的活動的な患者および一般の健康な被験者を比較した。また次の分析では双方が同等の活動レベルを持つような、活動的な患者と活動レベルが低い健康な被験者を比較した。

活動レベルにかかわらず、どのグループでもCFS患者はmaximaとminimaでhの値がほぼ同じとなり(図2b)、健康な被験者では両者に乖離がみられた(図2c)。健康なヒトの身体活動は、活動のバーストが急峻で、それと比較して活動の中断はゆっくりとしている。一方、CFS患者は活動のバーストがゆっくりとしている、活動の中断が早い、あるいは両方の要因によって両者が同等のhを持つことが分かった。

次に季節性気分障害(SAD)患者の治療前と治療中のデータを分析した。患者を光治療有効群と無効群に分け、治療前と治療中のhを両群で比較した(図3)。治療有効群のminimaでは治療後のhが小さくなった。つまり活動の中断が治療前に比べ、早くなっている様子が見られた。

CFS患者とSAD患者の結果は、一見矛盾しているように見えるが、これは両者の測定の違いにも起因すると考えられる。SAD患者のデータは手首の活動頻度を測定したもので、データの落ち込みに全身的な不活動が反映され、一方、CFS患者では体幹の積分加速度を測定しており、バーストに全身的な活動が反映されると考えられる。SAD患者において治療変化が見られた活動の中断は、全身の不活動に対応するものと考えられる。SAD患者は“他人に分かるほど体動が遅い”といった精神運動制止という症状を示すことがある。SAD患者の活動の中断が緩慢であることは精神運動制止と関連がある可能性があり、これが急峻になるということは、このようなうつ病の一症状が軽減されたことを示す結果かもしれない。

以上のことから身体活動を詳細に分析していくことにより、精神疾患や心身症患者の特徴的な活動パターンを抽出し、それを診断や治療に役立たせることができる可能性があることが示唆された。

CFS患者の睡眠-覚醒リズム周期

a; maxima(左)とminima(右)の検出。b, c; CFS患者と健康な被検者のh〓Δr(q)(2つめの分析の結果)

SAD患者と健康な被検者の治療によるh〓Δr(q)/Δqの変化(黒丸:光治療有効群、白三角:無効群)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、身体活動量の長期時系列を用いてヒトの身体活動パターンを評価する新たな手法を考案、それ用いて精神疾患・心身症患者の身体活動を調べたものである。論文は、睡眠-覚醒リズム、日中の身体活動パターンの評価手法の開発、それらを用いた精神疾患・心身症患者の身体活動時系列の評価を主たる内容とする全7章から構成されている。

第1章では、精神疾患・心身症の患者の身体活動にみられる特徴について、まず診断基準をもとに解説し、その後患者の身体活動を調べた先行研究を概観した。

第2章では、睡眠-覚醒リズムの評価に関する従来法について検討し、これらがリズム生成モデルに依存するとの問題点を指摘している。第3章では、この問題点を解決すべく新たに開発した局所自己相関法を用い、慢性疲労症候群(CFS)患者の睡眠-覚醒リズムを評価した。CFS患者は労作後症状が悪化し、その愁訴のピークが数日後に現れるとの特徴をもつが、実際に患者の睡眠-覚醒リズムは労作後に変調し、その約3日後まで継続することが明らかになった。

第4章では、日中の活動-休息パターンの評価手法に関して解説し、これまでに系統だった解析が行われてこなかったことを指摘、統計物理学の分野で用いられてきた特異性抽出法を改良することにより、活動パターンの特徴点を抽出しその時間的特性を評価する手法を提案した。第5章では、提案手法を用いCFS患者および健常者の身体活動時系列を分析した。その結果、健常者では時系列の極大点で強い負の相関、極小点では弱い負の相関を持つことが明らかになった。つまり活動のピークが急峻に現れ、休息パターンはそれと比較して緩慢であることが示された。一方、CFS患者ではこのような急峻な活動のピークが観察されなかったことから、活動・休息時における時間相関の差が患者の疲労症状と関連すると考察している。第6章では、同様な手法で季節性気分障害患者の治療による変化を調べた。その結果、治療後にうつ度の改善が見られた患者群では極小点での相関に変化が見られ、治療前には緩慢であった活動の中断が治療中には急峻になっている様子が観察された。これらの患者では身体活動の遅滞を特徴とする「精神運動制止」症状が認められるが、治療前の緩慢な活動停止はこの症状と関連している可能性があり、治療による変化はこのようなうつ病の一症状の軽減を示唆するものであると推測している。

第7章では、本論文でなされた研究の結果をまとめた上で、本研究で考案した分析方法が患者の身体活動パターンを抽出するのに適していた理由について検討を加えている。

以上本論文は、精神疾患・心身症患者の身体活動時系列を詳細に分析することによりその特徴を定量的に評価し、診断・治療及び病勢の把握に役立てる可能性を示唆し、ヒトの身体活動パターン及びその分析方法に関して新しい知見をもたらしたといえる。よって、本論文は博士(教育学)の学位論文として優れたものであると判断された。

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