学位論文要旨



No 118674
著者(漢字) 趙,寛子
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,クアンジャ
標題(和) 「反」帝国主義の文化と歴史 : 戦間期の帝国日本と植民地朝鮮の言説空間
標題(洋)
報告番号 118674
報告番号 甲18674
学位授与日 2004.01.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第454号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 助教授 木宮,正史
 東京大学 助教授 松本,武祝
 京都大学 助教授 駒込,武
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、第一次世界大戦から第二次世界大戦にいたる期間に、帝国日本と植民地朝鮮の言説空間を横断する文化と歴史認識のありようを考察した。とりわけ民族運動・社会運動に携わっていた植民地知識人の歴史・文芸評論を中心に、同時代の植民地と帝国を交差/断絶する文化のありようを見出した。本稿は、第3部・第6章の体制で構成されたが、各章では、反帝国主義の思想、および帝国と植民地のナショナリズムが絡みあって連鎖する「思想」「知」の具体像を検討した。そのうえで、帝国主義とナショナリズムが敵対的に共存する現実、この近代の歴史的遺制を断ち切るための思想運動・歴史認識の不/可能性を再考してみた。

第一部では、1910−20年代の民族主義思想の代名詞でありながら、1930年代につながる「非妥協/妥協(協力)」の問題を象徴的に代表してきた申采浩と李光洙の思想と個人史を、「民族史」からずらして、暴力批判の観点から省みた。第1章では、第一次世界大戦以降の申采浩の暴力批判論を究明し、それが同時代の魯迅の思想、インド・アイランドの状況に見られる暴力批判の声と共鳴することを確認した。第2章では、李光洙が朝鮮民族の文明化・主体化を実践する過程として「親日ナショナリズム」を形成したことや、それが破綻するしかなかった植民地帝国の生活空間を明らかにした。第一部では、申采浩と李光洙の思想的差異に注目しながらも、暴力をたんに植民地民族を抑圧する他者の罪と見なさず、帝国主義時代における人々の生存の問題として取り上げた。

第二部では、1930年代の「朝鮮学」「古典復興」「世界文学」「国民文学」の諸論を中心に、植民地/帝国に連なる文化と歴史のありようを解明した。1920年代の文化運動では、民族的独立や文明化をめぐる啓蒙的・宣言的な言説が多かった。植民地の奴隷になった恥辱を吹き飛ばして文明の主体を追いかけるか、それとも、文明の実体である植民地支配の暴力に非妥協的に抗するか。民族的生をめぐって現実的に割り切れない方法的実践が議論されていた。その亀裂は1930年代にも持続されたが、植民地帝国の編成替えに伴い、植民地体制における朝鮮の政治的権利、経済的成長、文化的伝統、教育の向上をもとめて活動する人々が増えるなかで、世代的経験・思想的差異も複雑な様相を帯びるようになった。世界文化の多様な流れが翻訳される1930年代には、民族的生の活路に限定されずに、近代の世界文化/帝国の文化統合策に編入した歴史的現在を省察し、来るべき歴史・文化・社会のあり方を探る批判的方法論や多様な創作的な実践が行われた。そうした朝鮮の言説空間に現れた言葉は、植民地帝国日本の内部から同時代の世界の多様な言説を翻訳して思索する、複数の雑種(hybrid)的な朝鮮語である。本稿は、その文化のあり方を、歴史を方向づけていく複数の個別的な行為主体の思想=実践として捉えるとともに、それがもつ社会的力を総括した。

本稿では、植民地/帝国の差別的な歴史的空間で、思想的・制度的に緊密にせめぎあい交錯しあう文化を同時代の文化(contemporary culture)として捉えた。植民地/帝国の同時代性は、非同時的なものの同時代(contemporaneity of the non-simultaneous)を構成し、通約不可能なものの同時代(contemporaneity of the incommensurable)を意味する。この「非同時的な同時代性」の概念は、先進資本主義・帝国主義国家中心の単線的な歴史発展の叙述を批判して、前近代と近代の異なる時間性が共存する植民地的近代の状況を叙述したポストコロニアリズム/サバルタン研究の成果を受容している。1930年代から西洋帝国主義を駆逐すべき東洋の運命共同体として動員され、天皇制イデオロギーの政治・経済・文化的な統合政策を押し付けられた。朝鮮では、植民地と植民地本国の非同時的な差異とともに、植民地/帝国をつなげる同時代の絡み合いを問うことがより大事なポイントになってくる。したがって、本稿で「非同時的な同時代性」をいう際には、日本との断絶ばかりを捉えてきた民族主義的な文化史を反省し、帝国主義と反帝国主義の「知」が交錯/拮抗する植民地/帝国の時空間性を連鎖的に捉えた。

第三部では、日中戦争期の「東亜協同体」論を中心に植民地/帝国の自己防衛の思想連鎖を検討し、同時期に〈世界史〉の不/可能性を問う徐寅植の歴史哲学を考察した。第5章では、日本と朝鮮の転向左派を中心に展開された「東亜協同体」論が、個人的信念や自民族に対する屈折/背反の問題ではなく、日本・朝鮮・中国の間で他者の歴史に向けられた思想的連鎖/共犯的暴力の問題であることを問いつめた。第6章では、徐寅植の歴史・文化評論を中心に、帝国主義・民族主義・ファシズムの権力運動に包摂されない「世界性の世界」に対する問いが、個別主体の歴史認識=行為のなかでどのように追求されたかを追いかけてみた。徐寅植のいう「可能的必然」「当為と可能の一致としての私の運命」を中心に、他者とともに認識すべき歴史の可能性を省みた。

資本主義の不均等な発展と帝国主義の競争的な膨脹欲は、世界の人々を巻き込んで全体戦争・総力戦(Total War)を繰り返していたが、植民地帝国日本で行われた暴力批判の言説は、いかに現れていただろうか。脱植民地・脱帝国主義の意志が、帝国主義の支配力に同化されずに進むべき道はいかに開かれるだろうか。本稿では、近・現代の世界に根強く刻まれた、強者の進歩論理を払拭し、国境をこえて弱者と共生するための歴史づくりは、民族史・国民史に代わるべき歴史認識の大事な課題であると信じている。だからこそ本稿は、植民地/帝国の同時代の歴史と文化を省み、民族・国家の内/外/間で、民主的・共生的な関係に開かれる<世界史>の不/可能性を再考した。両大世界戦争の間、植民地/帝国の言説空間で表れた知と暴力の問題を直視し、<世界史>の不/可能性の問題を追いつめてみた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文(「反」帝国主義の文化と歴史──戦間期の帝国日本と植民地朝鮮の言説空間)は、第一次・第二次世界大戦間に、帝国日本と植民地朝鮮との狭間で活動した朝鮮知識人が複雑な政治的力学のもとで見出した言説の性質を、当時の思想家・社会活動家たちとその作品を素材に、多角的に分析したものである。

第一部、第1章では申采浩の暴力批判論、第2章では親日派となった李光洙を論じる。両者について、従来の研究は多くの場合、親日を批判し反日を評価する位置づけを前提としていたが、これに対して、趙氏は、この視点が韓・日両ナショナリズムをめぐる鏡像的な裏返しの関係になっていることを指摘、これを脱却する地平を探求している。申采浩について、その暴力批判が一種終末論的な様相をも帯びた「滅罪的な暴力」論であることを指摘し、また李光洙については、それが「親日ナショナリズム」というべき微妙で両義的な努力であったことを見事に描いている。

第二部、第3章・朝鮮学と古典復興の章では学術界、第4章・国民文学と世界文学では文学界を論じる。ここでは、朝鮮文化を掘り起こし学術を確立しようとする志向がしかも帝国の路線と絡み合っていること、歴史や民俗をめぐるロマン主義が日本のそれと共鳴する面があったことを述べる。また同時に、日本語の世界もまた、自己植民地化していたこと、これらに働く暴力を批判的な視線で見逃さなかった論者もあったことを指摘、複眼的で奥行きのある射程が示されている。

第三部、第5章は、東亜協同体論が、朝鮮・中国で映った像やその全体としての働きを分析し、日本の中国満州への侵略に相応じながら植民地・朝鮮の生活世界やその欲望が拡大するが、それをじつは「力の政治」が覆っていたことを指摘する。第6章では、以上を見据えた思想家として徐寅植を論ずる。西田哲学琉の多中心の思想が、救済史的なビジョンのうちで日本中心化し暴力や戦争を容認するものになるのに対して、徐は、他者を前提にして個性的な「私の運命」とその不在を語ることで、かえって暴力に寄り添ってしまう欲望への回収を拒否し、根源的な生の共同性への責任を明らかにしている、とする。本章の議論は、平明でなく、叙述に不十分さが見られるが、委員の間に共鳴を呼び起こすところが多かった。

以上のような議論を通じて、趙氏は、力の政治における「対抗的共犯関係」を越えるものとして、人種・民族・国家に固着することなくその境界を生きる「生活者」の視点を提起し、そこから暴力に回収されることなく世界的な交流と共存が開かれる道を構想する。このライトモチーフも、魅力的なものとして評価された。

他方、議論の流れが時として修辞に流れ晦渋となったり、問題意識が前面に出すぎて論証に飛躍があるなどの問題点が指摘された。また、暴力批判の問題意識は、理解できるものの、やはり批判にとどまっており、暴力を制御する歴史的・社会的次元に踏み込んでいない点にも問題がある。ただし、この点は、扱った時期と知識人のおかれた状況とも関連しており、またそれが翻って現代に示唆を与える点もある。

以上のように、本論文は、戦間期の朝鮮・日本という特定の地域文化の狭間に踏み込んだ思想史研究であると共に、そこから平和構築に結び付く普遍的な思想を発見しようとした営みでもあり、その鋭敏な研究は高く評価できる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認める。

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