学位論文要旨



No 118675
著者(漢字) 松岡,幹夫
著者(英字)
著者(カナ) マツオカ,ミキオ
標題(和) 近代日蓮主義の社会思想的展開 : その批判的考察
標題(洋)
報告番号 118675
報告番号 甲18675
学位授与日 2004.01.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第455号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山脇,直司
 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 助教授 苅部,直
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、鎌倉仏教の祖師の一人・日蓮から影響を受けた近代の日蓮主義者たちが独創的な仏教的社会思想を展開したことを指して「近代日蓮主義の社会思想的展開」と称し、その様相を主として日本思想史研究の立場から考察するものである。従来、この分野における研究は日蓮系ナショナリズムに集中する嫌いがあり、近代の日蓮系社会思想を総合的に考察したものがまだみられない。また日蓮系社会思想に対する分析の視点が単眼的であったり、日蓮の国家観や政治的志向の多面性を考慮してこなかった、という問題もある。本論文ではこれらを踏まえ、まず日蓮の多面的な国家観や政治的志向を把握するようにし、しかる後に近代の日蓮主義者たちが日蓮の教義をいかなる時代的影響や思想傾向の下で受容し近代的社会思想として展開したのか、を各論的に検討した。すなわち序章では、宗教哲学・日本仏教史の立場から日蓮の多面的な国家観や政治的志向の全体像を鳥瞰し、それらの類型化を試みた。続いて第一章から第六章では、近代日本思想史研究の立場から代表的な日蓮主義者たちの社会思想形成史を明らかにした。そして終章において、序章で定立された日蓮の国家観や政治的志向に関する諸類型によって個々の日蓮主義者の社会思想を分類し、日蓮仏教の多面性が時代性や個人性の影響を受けつつ多様な社会思想として展開されていった様相を、ありのままに描き出すように努めてみた。

日蓮の民衆中心主義的な国家観は、天皇制イデオロギーに支配された近代日本では民主的国家観として明確に意義づけられることがなかった。けれども民衆を救国の主体者として擁立しようとする日蓮の〈民衆主体化〉の思想が、何らかの形で近代の日蓮主義者たちに影響を与えたとみることは可能である。また日蓮にみられた三種の国家観−−〈普遍的真理が支配する国家〉観、〈超越者が支配する国家〉観、〈超越的自己が支配する国家〉観−−が近代日本においていかに受容され展開されたのか、ということに関して、本論文ではナショナリズム、戦争論、共生主義という三つの視角から論じた。第一にナショナリズムの視角においては、日蓮主義者たちの中から田中智学と北一輝を選んで考察した。日蓮が有する三種の国家観は、智学や北の個人的な思想傾向−−国体信仰、尊王愛国の心情、霊感主義−−と、明治以降のナショナリズムの時代性とを通じて、本来の仏国土思想・仏教的コスモポリタニズム・自己即宇宙という立場を逸脱し、日本中心主義やウルトラ・ナショナリズムに結びついていったことが確認される。第二に戦争論の視角においては、とくに石原莞爾と妹尾義郎を取り上げた。石原と妹尾における日蓮主義の戦争論的展開は、いずれも後期日蓮の〈超越者が支配する国家〉観に基づいていたことが特徴的である。にもかかわらず、その傾向は、聖戦論(石原・太平洋戦争時の妹尾)・正戦論(日蓮主義者時代の妹尾)・反戦論(新興仏青期の妹尾)の三方向に分れた。その原因は、人道主義、マルクス主義、国体信仰といった彼らの個人的思想傾向に求められる。なお本論文では、田中智学、北一輝、牧口常三郎の戦争観に関しても折に触れて論じたが、結局のところ、日蓮の思想を本来的な形で展開した戦争論は近代日本ではみることができなかった。第三に共生主義の視角においては、宮沢賢治と牧口常三郎、妹尾義郎の三人の思想を考察の対象とした。近代日蓮主義の共生思想的な展開は、やはり個人的思惟傾向(賢治・妹尾)や日蓮の国家観に関する断片的理解(牧口)によって、その変質を免れなかったと言うべきである。

さて次に、日蓮の政治的志向が近代日本でいかに解釈され展開されたのかをみてみると、まず初期日蓮の「立正安国論」にみられる〈国家とともに国家を超える態度〉を近代日本において実践した人物としては、田中智学や牧口常三郎の名を挙げることができる。けれども智学における国家超越は、彼の堅固な国体信仰によって日本や日本民族の宗教的聖性を高揚する方向へと流れ、ここに初期日蓮の政治的志向が日本中心主義的に変質したことを指摘し得る。他方、智学のごとき国体信仰を持たず、日蓮の説く仏法が国家超越的な宇宙の真理であるとともに自他共生の生活法則でもあると捉えた牧口の政治的志向は、まさに初期日蓮の〈国家とともに国家を超える態度〉に通じている。しかしながら牧口には、後期日蓮の政治的志向の継承がみられない。後期日蓮の政治的志向は〈超越的立場から国家に向かう態度〉と表現できるが、この日蓮の政治的志向に感化された日蓮主義者に北一輝、石原莞爾、妹尾義郎がいる。ただし北や石原の場合は尊王心、国体信仰、霊感主義などによって後期日蓮の超越的立場がファナティックな日本中心主義と結びつけられた。また妹尾の場合にはマルクス主義の革命思想やインターナショナリズムの影響が加わったために、時に天皇制否定を口にするなど、日蓮にはみられなかった体制否定の思想も現れている。さらにまた、後期日蓮における今一つの政治的志向−−〈国家を包み越える態度〉−−について言えば、この日蓮の政治的志向を継承した田中智学や北一輝が、救国の主体者たる責任感を発揚している。日蓮教学において凡夫本仏論に肯定的な立場をとる智学は自己即宇宙観に立ち、この超越的自己の信仰のうえから国家諌暁を唱えている。また北は「日蓮は日本国」との日蓮の確信に学び、「唯我一人能為救護の大責任感」のうえから日本の革命を志している。智学や北の政治的志向には、後期日蓮の〈国家を包み超える態度〉がたしかに脈打っていたと言える。しかし他面、彼らはここでも日蓮の政治的志向をナショナリズム的に変質している。すなわち智学の国体論的日蓮主義は、後期日蓮にみられる救国主体者としての絶対的責任感を日本による世界統一の願望と結びつけ、ウルトラ・ナショナリズムを生み出している。北の救国主体者意識も、中国大陸で「五・四運動」の排日の嵐に遭遇した際、ナショナリズム的義憤の念を抱いたことが発端となっている。それゆえ北は、後期日蓮の〈国家を包み越える態度〉を革命的情熱の起爆剤としながらも、「大日本帝国の世界的使命」を唱えるウルトラ・ナショナリズム的態度に終始した。〈国家を包み越える〉という後期日蓮の政治的志向は、近代日本においては否応なくナショナリズムの枠内に押し込まれた感がある。

以上の考察から、近代日蓮主義の社会思想的展開は、一つには国体信仰、尊王愛国心、真宗的精神性、霊感主義などの個人の思想傾向、二つには近代日本に広がったナショナリズム、帝国主義、マルクス主義などからの時代的影響、そして三つには日蓮の思想それ自体の多面性のゆえに、じつに多種多様に行われたことが理解される。したがって近代の様々な日蓮系社会思想の成立は、従来の見解のごとくその原因を時代性にのみ求めることはできないし、同様に、個人性や日蓮の思想性のいずれか一つに帰するわけにもいかない。各々の日蓮系社会思想は、あくまで時代性・個人性・日蓮の思想性という三つのファクターの相互作用を通じて形成されていったのである。また近代の日蓮系社会思想が多様に生起した要因としても、上述の三つのファクターをすべて挙げねばならない。ただし、個人の思想傾向や時代思潮の多様性は、ベースとしての日蓮思想が多面的であるからこそ多様性のまま日蓮系社会思想の中に反映されていったのであり、この点からは、日蓮思想の多面性こそが主要因として考慮されるべきであろう。また本論文での考察の結果、浮び上がった重要な見解が今一つある。それは、近代の日蓮主義者たちは、日蓮思想の社会思想的展開を本来的な形で行うことができなかった、ということである。本来的に、と言うのは、日蓮の多面的な国家観や政治的志向が最終的に到達した地平を見定め、しかもその最終的地平との思想的同質性を保ちながら、という意味である。いかなる思想を継承し発展させる場合にも、それが人間の歴史的営為であるかぎり、時代性や個人性の影響がそこに混入することは免れない。しかしながら、そうした影響が原思想の核心を的確に捉えたうえでそれを同質的に変化させようとするものならば、それは特定の時代性と個人性を生かした原思想の展開であると言い得るのではなかろうか。すなわち日蓮の国家観や政治的志向が最後に極まった段階−−〈超越的自己が支配する国家〉観と〈国家を包み越える態度〉−−を捉え、その思想核を損なわぬように社会思想的展開をはかることが本来的なあり方である、とも考えられるのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、明治から昭和にかけての近代日本における日蓮思想の受容とその社会思想史的展開の多様性を、批判的に考察した力作である。これまで、近代日本の社会思想に与えた日蓮の影響について数多くの指摘がなされ、その「歴史的事実」についての詳細な部分的研究も出始めているが(大谷栄一『近代日本の日蓮主義運動』など)、その「思想内容の体系的な考察」は、ほとんどなされてこなかった。明治以降、日蓮がなぜ様々な思想家に大きな影響を与えたのか。また、それらの影響の仕方は、日蓮自身の思想に照らした場合、どのような特徴を持っていたのか。この問いに十分応えるような本格的な論考は、今まで現れなかったと言ってよい。そうした研究の空白状況を埋めるべく、本論文は、日蓮自身の原典を参照しつつ、近代日本で日蓮思想がどのような偏差をもって受容されていったのかを、田中智学、北一輝、石原莞爾、妹尾義郎、牧口常三郎、宮沢賢治などに即して解明している。

まず序章で著者は、鎌倉時代に生きた日蓮(1222-82)の国家観と宗教哲学を、『立正安国論』(1260)執筆前後の「前期」、佐渡流刑(1272-74)前後からの「後期」、さらに身延山に隠棲した「晩期」の三期に分けて特徴づける。『立正安国論』は、国家の安定(国主法従)と仏法の確立(法主国従)のどちらを重んじるか解釈が分かれてきたが、著者は、日蓮が後者を重んじつつ前者をその中に包摂する立場を取ったとみなし、それを「国家と共に国家を超える態度」と呼ぶ。そして、日蓮の安国論が、決して民衆蔑視の国家主義ではなく、民衆の救済を祈願する安民(民衆中心主義)であったと強調する。著者によれば、後期の日蓮は、蒙古襲来(1274,1281)などに直面して、釈尊という「超越者が支配する国家」の実現を念じるようになったが、釈尊という超越者が一人一人に内在すると考えられる以上、それは前期の民衆中心主義を深化させた思想である。そして、釈尊以上に法華経を根源的とみなし、自らをも超越者とみなすようになった最晩年の日蓮には、自己の一部として国家を捉えつつ、民衆を救済しようとする思想が露わに見られ、それは「超越的自己が支配する国家」論と呼ばれ得る。

このように、日蓮の宗教思想と国家論の発展をまとめた上で、本論文は、それと比して、明治以降の日蓮主義がどのような特質を持っていたかを、批判的に考察していく。著者によれば、明治以降の日蓮主義は、欧米列強の帝国主義に直面して、国家存亡の危機をいかに乗り越えるかという「救国意識」を基に展開されたという点で、鎌倉時代に生きた日蓮の思想と似た時代背景を持っていた。しかしそのそれぞれが、多かれ少なかれ、日蓮にはない異質なエレメントを持っており、それらの多様なアスペクトを浮き彫りにすることが、本論文の大きなねらいである。

まず、第一章では、近代日本の日蓮主義の祖であり、その後の展開に大きな影響を与えた田中智学(1861-1939)が取り上げられ、彼の日蓮主義の超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)的特質が明らかにされる。日蓮が唱えた一念三千の法華経の真理を国体と同等視した智学は、仏法と国体の「無媒介的冥合論」者であった。だが彼の思想は、神仏一致思想における天照大神観と天皇観を、国体論的な日蓮主義の根本に据えたものである。すなわち、彼は近代天皇制を日蓮思想によって意味づけ、日本国体の仏教的意義を国民に啓蒙しようとしたにすぎない。著者はこの智学の特質を、幼少期の家庭環境で培われた急進的日蓮主義信仰と血縁意識を伴う尊王心とが、近代日本の国体神話と結びついて形成されたとみなす。それは、元来、天皇制とは関係ない日蓮仏教を、天皇制超国家主義と結びつける牽強付会な試みに他ならなかった。とはいえ、それはまた、日蓮における国家包含の救国ダイナミズムが、過激なナショナリズムを正当化する宗教的言説として利用されやすいことをも示している。

この智学と共に、近代の日蓮系ナショナリストの中で、ひときわ異彩を放つのが、北一輝(1883-1937)である。第二章では、北の思想発展が詳述されながら、北の日蓮系法華経信仰の特異性と日蓮からの逸脱が強調される。著者によれば、一見して「自己即国家」を確信する救国主体主義者という点で、北は日蓮に似ているようでありながら、実質的には、日蓮が示した使徒的態度や「自己即国家」の確信とは、似て非なるものであった。それは、北の法華経信仰が日蓮系霊媒師の導きで始まったこと、生来シャーマニスティックな彼個人の思想的フィルターを通していること、近代の仏教界にみられた武断主義的な大乗観や聖化された天皇像に影響によって歪められていることからも明らかである。そうした特異性の結果として、北は、初期の社会進化論者から、一見して日蓮にも似た「自己即国家」を半ば妄想的に確信するに至ったのである。

在野にあって、2.26事件のいわばスケープゴートとして処刑された北と異なり、日本陸軍の中枢で活躍した石原莞爾(1889-1949)もまた、日蓮から影響を受けた超国家主義者であった。第三章では、この石原の宗教観と世界最終戦争観にスポットがあてられる。智学の影響を受け、「賢王となって愚王を誡責せよ」という日蓮の遺文を世界最終戦争のメッセージと解釈した石原は、日本の軍事行動を日蓮の思想によって正当化しようとして挫折した。著者によれば、日蓮の遺文は言論を通して法論による正邪の決着をめざす態度を意味しており、その点を石原は完全に誤解したのである。総じて、石原の日蓮理解は、体系的教義の裏づけを欠いた状況適合主義的なものにすぎなかった。戦後の石原が、自らが世界最終戦の予言を撤回して非武装平和主義へ転向したことに、何らの慙愧の念を抱かなかったことは、そのことの端的な現れと言える。

以上の三人が、近代日本の天皇制国家を正当化するため日蓮思想を牽強付会的に援用したのに対し、妹尾善郎(1890-1961)は、日蓮の影響の下、仏教社会主義を掲げて反戦・反ファシズム運動を展開した点で、明確に異なる日蓮受容を示している。この妹尾を論じた第四章では、一高時代に新渡戸稲造らの影響を受けた妹尾の人道主義的信念が、日蓮の一念三千の世界観と結びついたこと、しかし、妹尾はその後マルクス主義の影響も受けるようになり、彼の反戦思想は、「仏教的マルクス主義」と呼ばれうるものであったことが指摘される。その上で、第二次大戦中の妹尾の反戦論から聖戦論への驚くべき転向は、彼の思想の危うさを示すものであり、戦後の仏教社会主義運動へのコミットは、当時のマルクス主義者の反帝テーゼに寄りかかる形でなされたという点で、多分に状況的適合主義的なものであり、日蓮思想との関連性は乏しいと批判される。

このように妹尾が反戦と聖戦の間を揺れ動いたとすれば、牧口常三郎(1871-1944)と宮沢賢治(1896-1933)の二人は、日蓮から「共生思想」を引き継いだという点で、ナショナリスティックな日蓮受容とは大きな対照を成すものであった。第五章と第六章では、この二人の宗教的社会思想の特質が考察されていく。

著者によれば、牧口の思考様式の原型は万物肯定的な縁起論的思考であり、それは日本の土着的思想や牧口自身の「恩」の心情から複合的に形成された。そこから牧口は、個人と社会、各集団間、各個人間にわたる多面的な共生社会の理想を唱えたが、有機体的国家論には満足せず、価値を生み出す個人の創造的主体性の論理も追求した。その際に彼が出会ったのが、日蓮の信仰であり、彼は日蓮の説く仏法を、創造的主体者たる人間の生活力を増大させ、「真・善・利」の価値創造を偏頗なく行なわしめ、その生活を自他共存の「大善」へと方向づけると解釈したのである。著者は、こうした牧口の日蓮受容を高く評価しつつも、それが後期日蓮の超越思想を十分に引き継いでいなかった点を批判する。すなわち、牧口の信仰のあり方はいわば法則信仰であり、そこには人格的超越者の観念が欠如していた。それはある面で、初期日蓮の『立正安国論』に近いとはいえ、釈尊という人格的超越者への信仰を通じて民衆の絶対的尊厳観にまで到達した後期日蓮の思想までには至らず、その結果、彼は人道的反戦思想を展開することができなかったのである。

他方、著者によれば、宮沢賢治の共生思想は、『法華経』の大乗的成仏観、賢治自身の共感的資質、「一切有情=自己の父母兄弟」という真宗の輪廻転生観、という三つの要因から成立した。賢治の童話は、自己犠牲による万物の共生実現を説くものであったが、彼の説く自己犠牲の倫理意識は、彼が幼少時に影響を受けた真宗信仰と日蓮系法華経信仰の融合であったと言える。法華経信仰と真宗信仰の双方の倫理的エッセンスを賢治自身の共感的性格を通して融和させ、そこに幅広い近代的素養を反映させながら、賢治ならでは、の独創的な共生倫理観が生まれたのである。こう定式化しながら、著者は、賢治における国家に対する批判的な社会思想の欠如も指摘し、その要因を、彼が師と仰いだ智学の尊王思想の影響や彼の夢想的な理想主義、晩年になって顕著に見られる他力信仰などに求めている。

このように、六人の日蓮主義的思想を考察しながら、終章で著者は、彼らに共通の問題点として、「状況肯定主義」を挙げる。日蓮の生涯においては、法華経至上主義の立場から国家権力を見下ろしつつ殉難迫害の一生を送ったことから理解されるように、状況肯定的思考以上に、「状況否定的な思考」が強かった。然るに、近代日本の日蓮主義者は、その多様性にもかかわらず、状況肯定的思考に流されてしまった。この教訓を踏まえつつ、日蓮の社会思想を現代に活かすべきこと、それが詳細な個別研究の後に著者が辿り着いた総括である。

以上のような内容から成る本論文は、まず何よりも、近代日本での日蓮主義者の多様な特質を体系的に力強く描き出したという点で、高い評価に値しよう。冒頭でも述べたように、この分野の体系的研究は、その必要性があったにもかかわらず、従来ほとんどなされてこなかった。本論文は、鎌倉時代に記された日蓮の原典にまで遡り、その思想的核心を的確におさえた上で、智学、北、石原、妹尾、牧口、宮沢らにみられる日蓮主義的思想を、それぞれの一次文献(原典)に即して解き明かし、近代日本の社会思想史研究の空白を埋めることに成功した。今後、近代の日蓮主義を語る上で、本論文は欠かすことのできない必読の書となるであろう。また、各章ごとの豊富な注が示すように、先行研究(二次文献)を十分に踏まえて行なわれたそれぞれの思想家論にも、独創的な洞察が散見され、その点での功績も評価に値する。特に、田中智学が与えた影響の大きさが結果的に近代日本の日蓮受容に大きな偏りを与えた点を、実証的・体系的に解明したことは、本論文の大きな功績の一つと言えよう。

とはいえ、力業によってなされた本論文に、弱点がないわけではない。たとえば、各思想の特質を論じる際、各思想家が育った家庭環境にその要因を求めすぎるきらいがあることや、各思想家を批判する際にいわば尺度とされる日蓮自身の思想や法華経に対する批判的な言及が乏しいことなどは、この論文の弱点であろう。著者は、本論文の末尾で、日蓮の包括的な宗教思想が、現代において、他宗教の誤りを正す祈伏主義に陥らずに、他宗教との対話可能性に開かれたものであると指摘しているが、この点の展開はまだ不十分であり、今後の著者の課題となろう。そして望むらくは、戦争、ナショナリズム、共生といった観点を踏まえつつ、さらに一歩進んで、各思想家の日蓮主義の諸特徴を明晰に表すような図表が記されていれば、本論文の独創性がより鮮明になったことであろう。

しかし、以上のような弱点は、博士論文としての価値を減じるものではない。数多くの文献の手堅い読解に裏づけられつつ、近代日蓮主義の社会思想的特質を様々な局面で明らかにし、今後さらに論じられるべき多くの論点を浮き彫りにした本論文は、学術博士の学位を授与するに十分ふさわしいと、審査委員全員が判断する次第である。

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