学位論文要旨



No 118682
著者(漢字) 上田,善文
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,ヨシブミ
標題(和) 単一細胞内の脂質セカンドメッセンジャーを検出する蛍光可視化プローブ分子の開発
標題(洋) Fluorescent Indicators for Visualizing Lipid Second Messengers in Single Living Cells
報告番号 118682
報告番号 甲18682
学位授与日 2004.01.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4428号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 助教授 近藤,寛
 東京大学 助教授 田中,健太郎
内容要旨 要旨を表示する

ホスファチジルイノシトール-3,4,5-三リン酸(PIP3)やジアシルグリセロール(DAG)などの脂質セカンドメッセンジャーは,ホルモンや神経伝達物質などの細胞外刺激により産生され,細胞増殖,アポトーシスなどの細胞応答を制御することが知られている.しかしながら,これらの脂質セカンドメッセンジャーが,細胞のどの膜で,いつ,どのように産生されるのか明らかではない.そこで本研究では,脂質セカンドメッセンジャーの生きた細胞内での動態を明らかにすべく,PIP3及びDAGの蛍光可視化プローブ分子を開発し,新たなる知見を得ることを目的とする.

本研究で,検出対象となるPIP3は,ホスファチジルイノシトール二リン酸(PIP2)を基質としてホスファチジルイノシトール-3-キナーゼ(PI3K)により産生される.DAGは,フォスファチジン酸(PA)及びPIP2を基質としてそれぞれPAホスファターゼ(PAP)及びホスホリパーゼC(PLC)により産生される(図1).

蛍光プローブ分子の設計

蛍光プローブ分子を以下のように設計した(図2).蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)を原理として脂質メッセンジャーを定量的に検出するため,シアン色蛍光蛋白質(CFP),黄色蛍光蛋白質(YFP)をプローブ分子に導入する.脂質メッセンジャーを選択的に認識する部位として,脂質結合ドメイン(LBD, lipid binding domain)を導入する.このLBDとしてPIP3認識には,PHドメイン,DAGの認識にはC1Bドメインを用いる.CFP, LBD, YFP間を剛直な,αヘリックスで連結する.このヘリックスにGly-Gly を1箇所導入することによって,ここを起点にプローブ分子が回転できる.このように遺伝子工学的に開発したPIP3及びDAGの蛍光プローブ分子をそれぞれ,fllip, DAG-fllipと名付ける(fllip: a fluorescent indicator for lipid second messenger that can be tailor-made).また,膜局在シグナルを連結することで,興味のある膜に局在させ,その膜での脂質メッセンジャーの産生を測定できる.細胞膜(pm)及び細胞内膜(em; 小胞体膜及びゴルジ体膜)のPIP3及びDAG産生を測定するためのプローブ分子をそれぞれfllip-pm, fllip-em, 及びDAG-fllip-pm, DAG-fllip-emと名付けた.産生した脂質セカンドメッセンジャーがLBDに結合するとCFP, YFP間の距離及び相対的配向の変化によってFRETが増加,すなわちCFPとYFPの蛍光強度比が減少する.このFRET応答からPIP3及びDAGの動態分析を行う(図2).

PIP3を検出するための蛍光プローブ分子:fllip-pm及びfllip-emの細胞内局在及び応答の確認

fllip-pm及びfllip-emを遺伝子工学的手法により作製した.免疫染色法を用いて,両者が細胞膜及び細胞内膜(ゴルジ体膜,小胞体膜)に局在していることを確認した.次に,fllip-pm及びfllip-emがPIP3に応答するかを確認するために,マイクロインジェクション法によってPIP3を導入したところ,PIP3依存的に蛍光強度比(CFP/YFP)の減少が観察された.このことより,PIP3との結合の結果,プローブ分子内でFRETが増加することがわかった.また,fllip-pmとfllip-emの蛍光強度比の減少は同程度だった.

細胞膜のPIP3を検出するFllip-pm

次にfllip-pmが生理的刺激に応答するかを観察するために,血小板由来増殖因子受容体(platelet-derived growth factor receptor, PDGFR)を発現させたチャイニーズハムスター卵巣細胞(CHO-PDGFR)にfllip-pmを発現させた.ホルモンである血小板由来増殖因子(PDGF)でその細胞を刺激すると,細胞膜においてPIP3産生が観察された(図3b).また,PI3Kの阻害剤であるwortmanninを添加し,5分後にPDGF刺激を行ってもプローブ分子の応答は観察されなかった.これは,PDGF刺激によるPDGFRの自己リン酸化部位にPI3Kが結合し,それにより,活性化したPI3Kが細胞膜に産生した生理的濃度のPIP3をfllip-pmを用いて検出できることを示している.

細胞内膜のPIP3を検出するFllip-em

次に,fllip-emを発現させたCHO-PDGFR細胞において,PDGF刺激を行うと,およそ2分後に急激なPIP3の産生が観測された(図3a, b).これにより,PDGFRの活性化に伴うPIP3産生は細胞膜のみならず,細胞内膜においても起きていることを初めて見い出した.また,細胞内膜でのPIP3産生は細胞膜でのPIP3産生に比べて2倍以上であることがわかった(図3b).さらに,細胞内膜でのPIP3産生量は,細胞膜でのPIP3生産量に比べて遅れることがわかった(図3b).このような細胞内膜でのPIP3はどのようなメカニズムによって誘起されているかを調べるために,エンドサイトーシスを阻害するDynK44A,及びプロテインホスファターゼ-1B(PTP1B)をそれぞれCHO-PDGF細胞に発現させた.PTP1Bは小胞体膜に局在しエンドサイトーシスによって細胞内膜に運ばれたPDGFRを不活性化する.2つの実験系において,PDGF刺激によるPIP3の産生は観察できなくなった.この結果より,細胞内膜においてPIP3は,PDGFRのエンドサイトーシスを介して,細胞内膜上でin situ産生されていることを初めて明らかにした.

結論

本研究では,生きた細胞内でのPIP3の動態を可視化できる蛍光プローブ分子を開発し,生細胞内において,PIP3が細胞膜だけでなく,細胞内膜でも産生していることを明らかにした.この細胞内膜でのPIP3産生はPDGFRのエンドサイト-シスを介して細胞内膜上でin situ産生されることを示した.

DAGを検出するための蛍光プローブ分子:DAG-fllip-pm及びDAG-fllip-emの応答の確認

PKC由来のC1BドメインはDAGと選択的に結合することが知られている.そこで,LBDとしてこのドメインを選択し,DAG-fllipを作製した.細胞膜及び細胞内膜への局在ドメインをDAG-fllipに取り付けることによって,DAG-fllip-pm及びDAG-fllip-emを作製した.次に,DAG-fllip-pmとDAG-fllip-emがDAGに応答するかを確認するために,膜透過性を有し,C1Bドメインと特異的に結合する物質,ホルボールエステルを用いて,DAG-fllip-pmとDAG-fllip-emを評価した.ホルボールエステルを添加したところ両者とも蛍光強度比が減少した.この結果は,両者がそれぞれ細胞膜,細胞内膜のDAGを可視化するプローブ分子として使えることを示している.

DAG-fllip-pmを用いた細胞膜でのDAG産生の検出

細胞膜で産生されるDAGを生細胞内で観察するため,Mardin-Darby canine kidney (MDCK)細胞にDAG-fllip-pmを発現させた.細胞外刺激の一つであるアデノシン5'-三リン酸(ATP)でMDCK細胞を刺激したところ,20秒以内に蛍光強度比が減少し,3分以内に回復した.また,この一過性の蛍光強度比変化は,PLCの特異的阻害剤であるU73122をATP刺激前に加えておくことで観察されなくなった.これらの結果は,生理的刺激によって起きた細胞膜におけるDAG産生をDAG-fllip-pmが検出できることを示しており,さらに,一過性のDAG産生が細胞膜で起きることを生細胞内で初めて示した.次に,DAGの分解酵素であるDAGキナーゼを阻害するR59949をATP刺激前に加えておくことで,ATP刺激による蛍光強度比の回復が観察されなくなった.この結果より,細胞膜で産生したDAGがDAGキナーゼによって分解されることを生細胞内で初めて示した.

次に,ATPなどの細胞外刺激を受けていない細胞において,DAGが細胞膜に存在しているかを調べた.PLC活性の阻害剤としてU73122,PAP活性の阻害剤としてpropanololを用いた.DAG-fllip-pmを発現させたMDCK細胞に,U73122及びpropanololをそれぞれ添加した.蛍光強度比に影響を与えないコントロールとしての緩衝溶液を加えた場合と同様に,両者によるそれぞれの蛍光強度比の変化は検出できなかった.これらの結果より,細胞外刺激を受けていない細胞において,DAGが細胞膜にほとんど存在していないことを示した.

DAG-fllip-emを用いた細胞内膜でのDAG産生の検出

細胞外刺激によりDAGが細胞内膜において産生するかを観察するために,DAG-fllip-emをMDCK細胞に発現させた.ATP刺激後,3分後に蛍光強度比が減少し,その後プラトーに達した.この結果より,細胞膜のみならず,細胞内膜においてもDAGが産生されることを初めて見い出した.さらに,この細胞内膜でのDAG産生はPIP3と同様にDynK44Aを用いた実験を行うことによって,エンドサイト-シスを介して起きることを明らかにした.

また,細胞外刺激のない状態で,DAG-fllip-pm及びDAG-fllip-emのFRETを比較した.その結果,DAG-fllip-emのFRETはDAG-fllip-pmのそれに比べて大きかった.これより,細胞外刺激のない状態でも,DAGが細胞内膜で産生していることを生細胞内で初めて示した.そこで,この細胞内膜に存在しているDAGがどのような機構によって産生されているかを調べた.MDCK細胞にDAG-fllip-emを発現させ,propanololを添加すると,fllip-emの蛍光強度比の増加が観察され,U73122を添加した時には,蛍光強度比に影響を与えないコントロールとしての緩衝溶液を加えた場合と同様に,fllip-emの蛍光強度比に変化は見られなかった.これらの結果より,細胞外刺激を受けていない時でさえ,PAPによって,DAGが細胞内膜で常時,産生されていることを生細胞内で初めて示した.

結論 本研究で明らかにした細胞内のDAG濃度-時間プロファイルは図4のようになる.細胞膜では,細胞が細胞外ATP刺激を受けた時のみ,一過性のDAG産生が起きる.このDAG産生機構は,PLDによって産生され,DAGキナーゼによって分解されることがわかった.この一過性のDAG産生プロファイルからわかることは,細胞膜では,DAGの過剰な産生を妨げるDAG分解機構が備わっていると考えられる.一方,細胞内膜においては,近年,DAGによって活性化される蛋白質が細胞内膜で各々に特有な細胞応答を制御していることが知られている.しかし,これらの蛋白質が細胞膜から離れた細胞内膜で,どのように活性化されているかは不明であった.本研究で,細胞内膜において,ATP刺激存在下では,G蛋白質結合型受容体のエンドサイトーシスを介して,また,ATP非存在化ではPAPを介してDAGが産生していることを示した.これら2つの機構で細胞内膜に産生されるDAGの生理的意味は以下のように考えられる.細胞外ATP刺激を受けていない時に存在するDAGはプロテインキナーゼDなどの,膜輸送に関わる蛋白質を常に膜に呼び寄せておくことで,日常的におこなわれている膜輸送を制御していると考えられる.一方,ATP刺激によって産生されるDAGは,ラス蛋白質リン酸化酵素などの細胞質に存在する蛋白質を刺激依存的に細胞内膜に呼び寄せ,活性化し,細胞の分化などの細胞応答を制御すると考えられる.

まとめ 本研究で,脂質セカンドメッセンジャー,PIP3及びDAGの蛍光可視化プローブ分子を開発した.プローブ分子内の膜局在ドメインを選択することで,プローブ分子を細胞膜及び細胞内膜に局在させ,そこでのPIP3及びDAGの動態分析を行った.その結果,PIP3及びDAGが細胞膜のみならず,細胞内膜においても産生していることを明らかにした.細胞内膜でのこれらの産生は,細胞膜からのエンドサイトーシスを介して起きることがわかった.さらに,DAGでは,細胞外刺激のない状態においても,細胞内膜にDAGが存在していることを示した.近年,PIP3及びDAGによって,活性化される蛋白質が細胞内膜で各々に特有な細胞応答を制御することが知られている.しかし,これらの蛋白質がどのように活性化されるかは不明であった.今回の研究より,細胞内膜で産生したPIP3及びDAGがその場でこれらの蛋白質を制御していると考えられる.

脂質セカンドメッセンジャーの産生機構

Fllip, DAG-Fllip : 脂質セカンドメッセンジャーが産生すると,プローブの構造変化に伴うFRETの増加が起きる.

a. PDGF刺激によってPIP3が細胞内膜で産生される様子を疑似カラー表示した.b. PDGF刺激による細胞膜及び細胞内膜でのPIP3産生

細胞膜及び細胞内膜におけるDAG濃度の比較

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章より成る.第1章は序論であり,本研究の動機と目的が簡潔に述べられている.まず,ホスファチジルイノシトール-3,4,5-三リン酸(PIP3)やジアシルグリセロール(DAG)などの脂質セカンドメッセンジャーはホルモンや神経伝達物質などの細胞外刺激により産生され,細胞増殖やアポトーシスなどの細胞応答を制御していること,このシグナル伝達の生細胞内における非破壊可視化検出は,従来の大量の細胞を破壊し分離してから検出する方法では得ることのできない生細胞内での時間・空間的な情報を得ることを可能にすることを順序立てて述べている.本研究ではPIP3およびDAGに対する蛍光プローブを開発し,蛍光顕微鏡下の生きた単一細胞でこれらの情報伝達過程の可視化検出を目的とすることが述べられている.

第2章はPIP3の蛍光可視化プローブの開発と利用について論じている.PIP3を定量的に検出するために,シアン色蛍光蛋白質(CFP),黄色蛍光蛋白質(YFP)をプローブに導入し,PIP3を選択的に認識する部位,脂質結合ドメイン(LBD)としてPHドメインを用い,CFP, LBD, YFP間を剛直なαヘリックスで連結している.このヘリックスにGly-Glyを一箇所導入することによって,ここを起点にプローブ分子が回転できる.また膜局在シグナルを連絡することで細胞膜や細胞内膜にプローブを局在させ,それぞれの膜でPIP3産生を測定できるようにしてある.このように遺伝子工学的に開発したPIP3蛍光プローブは,産生したPIP3がLBDに結合するとプローブの構造が大きく変化するため,CFP, YFP間の蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)が変化し,PIP3の濃度が蛍光強度比変化として検出されることを示している.作製した細胞膜用および細胞内膜(ゴルジ体膜,小胞体膜)用の2つのプローブが,細胞膜およびPIP3の産生量をそれぞれ区別して定量できることをPIP3のマイクロインジェクション法等を用いて検証している.次に細胞膜用プローブが生理的刺激に応答するか観察するため,血小板由来増殖因子受容体(PDGFR)を発現させたCHO細胞にプローブを発現させ,増殖因子(PDGF)でその細胞を刺激してPIP3産生を実際に検出している.また細胞内膜用プローブおよびPDGFRを発現させたCHO-PDGFR細胞においてPDGF刺激を行い,約2分後に急激なPIP3の産生を検出している.またその量は,細胞膜におけるそれの2倍以上であることを示し,これによりPDGFRの活性化に伴うPIP3産生は細胞膜のみならず細胞内膜においても起きていることをはじめて見出している.またこのような細胞内膜でのPIP3は,PDGFRのエンドサイトーシスを介して細胞内膜でin situ産生されていることをはじめて明らかにした.

第3章はDAGの蛍光可視化プローブの開発と利用に関することが述べられている.PKC由来のC1BドメインをDAGのプローブのためのLBDとして用いているほかは,基本的にPIP3の蛍光可視化プローブと同様に設計して,DAG蛍光可視化プローブを開発している.PIP3と同様に細胞膜用,細胞内膜用との2種類のDAGプローブを作製し,これらを用い,細胞膜および細胞内膜でのDAG産生の動態分析を行っている.Mardin-Darby canine kidney(MDCK)細胞に細胞膜用プローブを発現させ,細胞外刺激の一つであるATPでMDCK細胞を刺激したところ,20秒以内に蛍光強度比が減少し,3分以内に回復することを見出している.この一過性のDAG産生を詳しく実験し,その機構を明らかにしている.更に細胞内膜用プローブを用いて,細胞外刺激によりDAGが細胞内膜において産生することを見出している.すなわちMDCK細胞に内膜用DAGプローブを発現させ,それがATP刺激により約3分後に蛍光強度比が減少し,その後プラートに達することを見出し,このことより,DAGの細胞内膜での産生がPIP3と同様にエンドサイトーシスを介して起きることをはじめて明らかにしている.更に細胞外刺激のない状態についても,細胞内膜でエンドサイトーシスとは異なる機構でDAGが恒常的に産生していることもはじめて見出している.またそれらの生理的意味についても推察している.第4章では総合的結論が述べられている.

以上のように,本研究はPIP3およびDAGの生細胞内の蛍光可視化プローブの開発を行い,それらを用いてPIP3およびDAG産生についての細胞膜および細胞内膜における時空間検出をはじめて行った.PIP3, DAGは細胞膜のみならずエンドサイトーシスを介して細胞内膜でも産生していることをはじめて明らかにした.これらは理学の発展に大きく寄与する成果であり,博士(理学)取得を目的とする研究として充分であると審査員全員が認めた.なお,本論文は各章の研究が複数の研究者との共同研究であるが,論文提出者の寄与は十分であると判断する.

従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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