学位論文要旨



No 118683
著者(漢字) 伊藤,哲明
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,テツアキ
標題(和) DCNQI系有機導体におけるドーピングと加圧による電荷秩序の融解
標題(洋) Collapse of Charge Order in DCNQI Organic Conductors by Doping and Pressure
報告番号 118683
報告番号 甲18683
学位授与日 2004.02.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5643号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 助教授 田島,裕之
内容要旨 要旨を表示する

本研究の趣旨

乱れによるアンダーソン局在、電子相関による Mott 絶縁体化・電荷秩序化など、金属・絶縁体転移は固体物理の大きなトピックスである。特に電子相関による絶縁体の近傍にはエキゾチック超伝導など、興味深い様々な新規電子状態が多く現れることが知られている。

本研究は、電荷秩序絶縁体である (DI-DCNQI) 2Agを Cu ドーピングと加圧という2つの方法により金属化し、その途中で現れる電子状態を明らかにすることで、上記のトピックスの新しい知見を得ることを目標とする。

一般に有機導体においては、分子を構成している原子によって分子上に広がった分子軌道が作られ、その分子軌道の tight-binding 的な概念によりバンドが記述できる。従って、分子の複雑さは全く物理にあらわれず、シンプルなバンド構造が実現する。またこのとき、分子軌道間の重なりは比較的小さいため、相対的に電子相間が重要な役割を果たす強相関電子系が実現する。

従来、強相関電子系の研究は遷移金属酸化物を始めとした無機伝導体系で多く行われてきた。これらの系に対し有機伝導体は、格子が比較的柔らかいため、加圧により容易に広い範囲で軌道間の transfer integral を変化させることが出来るという特徴をもつ。このため、キャリアードープを得意とする酸化物等とは、異なる側面から低次元強相関系の物理にアプローチできる。さらには本研究で取り上げるDCNQI系有機導体においては、有機分子と無機金属原子を共存させ、両者の軌道を物性に寄与させることもできる。これは、有機-無機複合伝導体という従来に無いタイプのものである。このような独自の特長を持つDCNQI導体における金属-絶縁体転移の物理を明らかにすることで、本論文は強相関電子系の研究の一翼を担おうとするものである。

(DI-DCNQI) 2Ag系有機導体では、Agが1価の閉殻イオンとなっており、-1/2価となったDCNQI分子 (dicyanoquinonediimine) が伝導を担っている。DCNQIは1次元カラムを形成しており、この物質はDCNQI-LUMO(最低非占有分子軌道)の擬1次元1/4フィリングバンド電子系である。しかしながら、電気抵抗率の温度依存性は室温以下で絶縁体的である。また、磁化率は局在スピン的な振舞いを示す。過去の13C-NMR、X線散乱の実験などにより、これは長距離クーロン相互作用のためDCNQIカラム内で電荷が一つおきに局在している電荷秩序を形成しているためであるということが明らかとなっている。さらに1H-NMRによりこの局在電子によるスピン系は5.5K付近で反強磁性秩序を生じることが知られている。このような電化秩序絶縁体に対し、次に述べる2つの方法による金属化を試みた。

Cu ドーピング

+1価の閉殻イオンとして振る舞うAgと異なり、Cuの場合はDCNQI-LUMOと Cu の3dxy軌道とのエネルギー差が小さいため両者の間で混成が起きる。したがって、Cu ドーピングはDCNQIの擬1次元π電子系を3次元的に架橋するdオービタルの導入として働く。このdオービタルドーピングが進行していく過程で、電荷秩序による電子構造がどのように変化していくか、又、そこにどのような物理が現れているかを明らかにすることが目的である。

加圧

有機導体は先に述べたように格子が柔らかく、加圧により大きく transfer integral を増大させることができる。非常にシンプルな電荷秩序物質である (DI-DCNQI) 2Agを加圧し、電荷秩序がどのように変化していき、どのような金属状態が現れるかを明らかにすることで、近年大きな general interest をもたれているな電荷秩序近傍の電子状態の物理を明らかにすることが目的である。

(DI-DCNQI) 2Ag1-xCuxの電子状態

(DI-DCNQI) 2Ag並びに (DI-DCNQI) 2Ag1-xCuxの単結晶はいずれも電解法により作成した。得られた(DI-DCNQI) 2Ag1x-CuxについてはEPMAにより組成xの値を決定した。

得られた結晶に対して4端子法による伝導軸方向の電気抵抗測定を行った。電気抵抗率はxの増加に伴い連続的に変化していき、x<0.61では低温で絶縁化し、x>0.61では1.8Kまで金属的な振舞いをすることが明らかとなった。ここで金属-絶縁体の境界は最小金属伝導度程度の値である。絶縁体相の電気抵抗率温度依存性はx=0-0.32の領域においてはギャップ型であった。ただし、このギャップの大きさはドーピング量の増加に伴い急速に減少していくことが確認された。さらにドープしたx=0.40-0.52では電気抵抗率はギャップ型よりも弱い温度依存性をしている。詳しく解析を行うと、x=0.40,0.48は variable range hopping 型であり、x=0.48はさらに弱い温度依存性をしている事がわかった。以上のことより、中間濃度域 (x=0.40-0.52) のものはむしろ Anderson 局在的なものであり、x=0.40,0.48は強局在的で、x=0.52はより弱い局在領域であると考えられる。図1にこれらの結果のまとめを載せる。

この結果の物理的機構は次のように考えられる。

まずxを0から増加させていったときのギャップ型絶縁体から、乱れによるギャップレス絶縁体相への変化であるが、前者と後者では、フェルミエネルギーにおける状態密度の有無という点で、本来異なった絶縁体相であるはずである。しかしながら、抵抗率の変化は連続的であり、変化はクロスオーバー的である。このことは次のように考えられる。

DCNQI-LUMOと混成している導入されたd軌道が、ギャップ中に局在した mid-gap state を形成する。ドープ量が少ないときは、この状態密度は小さく、伝導機構はギャップを超える活性機構に支配されるが、ドープ量が増えると mid-gap state が大きく成長してきて、低温ではギャップを超える活性機構よりも、局在 mid-gap state 間の variable range hopping が伝導を支配するようになる。

またこのd軌道の導入に伴う mid-gap state の成長と同時に、電子相間により生じていたチャージギャップが減少している。電子相間と乱れの競合は長年にわたり研究されてきているトピックスだが、近年、電子相関により生じていたギャップは乱れの量に比例して閉じていき、同時にギャップ内に局在準位が成長することが理論的に示唆されてきている。今回の結果は、これらの理論を実験サイドから検証した初めての例とみなせるであろう。

一方、逆にπ-d混成金属状態から、乱れによるギャップレス絶縁体への変化は、通常のアンダーソン転移として理解されるであろう。π-d混成金属に対しランダムなd軌道の抜き取りが乱れとして働き、残留抵抗が最小金属伝導度の逆数程度まで増えてくると、アンダーソン局在的な性質が見えてくるわけである。

(DI-DCNQI) 2Agの圧力下電子状態

クランプ式ピストンシリンダーで (DI-DCNQI) 2Agを加圧し、伝導軸方向の電気抵抗率を測定した。その結果は次のとおりである。圧力を加えていくと電気抵抗率の絶対値は減少し、室温付近では温度依存性は金属的になっていく。19.2kbarまでの圧力では低温で絶縁体化するが、圧力の増加に伴い転移温度は急速に減少し、転移は鋭く顕著になっていくことが明らかとなった。又、21.3kbar以上では1.8Kまで金属的な振る舞いが保たれた。低温までDCNQI-π電子系が、金属的に保たれたのは、今回の結果がはじめてである。

さて、(DI-DCNQI) 2Agの圧力下の絶縁相が常圧のものと比較してどのように変化しているか、また現れてきた金属相の性質がどのようなものか、を明らかにするために13C-NMR測定を10kbar, 15kbar下で行った。さらに比較のため、以前の報告よりも詳細な常圧の測定も行った。まず常圧については、以前の報告にあった通り、220K付近からスペクトルが2本に分裂し始めることが確認された。低温ではナイトシフトの重心比は0.75 : 0.25程度になり、これが電荷の濃度比に対応していると考えられる。それよりも高温ではスペクトルは一本であるが、線幅は圧力下の金属状態のものに比べ広く、強い電荷秩序の揺らぎがあると考えられる。

圧力をかけていくと、室温付近の金属相側のスペクトルは一本の鋭いピークになり、電荷秩序の揺らぎが常圧に比べ抑制されていることがわかる。低温絶縁体相においては、スペクトルの分裂は明確ではなくなるが、緩和過程の詳しい解析を行うと、10kbarで約80Kから、15kbarで約40Kからスペクトルのコンポーネントの分裂が現れ始めることがわかる。これらスペクトルの分裂は常圧のものと定性的に同じものであると結論できるが、ナイトシフトの重心比は常圧に比べてかなり小さくなっている。(10kbarで0.6 : 0.4)したがって、圧力下の低温絶縁体相は、常圧と定性的には同じ電荷秩序相であるが、その電荷の濃度不均一比は常圧に比べて小さくなっていることが明らかとなった。又、10kbar,15kbarにおける高温金属相においてのナイトシフト、(T1T)-1/K2をみてみると、ナイトシフトは低圧 (10kbar) のほうが大きくなることが見出された。このことは加圧により金属相状態密度が減少していることを示している。又、シフトは低温に向かっても増大するが、(T1T)-1/K2は温度によらない一定値を取り、その値は自由電子の約4倍となっている。このことは、この金属相において反強磁性的な揺らぎがあることを示唆している。

以上の結果を図2にまとめる。

(DI-DCNQI) 2Ag1-xCuxの電子状態相図

(DI-DCNQI) 2Agの圧力下電子状態相図

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、電荷秩序を形成する擬1次元有機導体 (DI-DCNQI)2Ag (DI-DCNQI は分子2,5-diiodo-N,N'-dicyanoquinonediimine の略称) に着目し、まずその電荷秩序形成の詳細を明らかにし、しかる後に2つの異なる方法「加圧」と「Cu ドーピング」でこの電荷秩序を融解させ、そこに現れる電子状態とその融解の機構を電気抵抗測定とNMR実験により明らかにしたものである。

第1章では、まず有機伝導体の特徴並びにDCNQI系導体の基本物性がまとめられ、最後に本論文の目的が述べられている。電子が互いに強く相互作用する強相関電子系の電子状態は、物性物理における最重要課題の一つであるが、有機伝導体がこの強相関電子系の舞台となっていること、また他の無機化合物と比較してどのような特徴があるのかが解説されている。これを踏まえて、DCNQI系導体の基本物性が述べられ、その中で (DI-DCNQI)2Agが電荷秩序を形成すること、しかしながら電荷秩序形成より高温側で非金属的に振る舞うなどの未解決問題があることが述べられている。最後にこの電荷秩序に対して「加圧」と「Cu ドーピング」に期待される効果が議論され、本研究のねらいが表明されている。

第2章では、単結晶試料の育成法および組成の同定結果が述べられている。

第3章では、常圧下における (DI-DCNQI)2Agの詳細な物性測定結果が報告されている。電気抵抗の振る舞いから、電荷秩序形成は2次転移であり、その転移温度は210Kであると結論付けられている。NMR測定から、この温度より低温で電荷の不均一比が成長し100K以下で0.75 : 0.25程度に飽和することが示され、NMRスペクトルと磁化率の測定により、50K以下で反強磁性的な揺らぎが成長し6K近辺において反強磁性の長距離秩序が起こることも確認された。一方、電荷秩序転移温度より高温側でも、NMR線幅の観測から、電荷秩序の揺らぎが大きく成長していることを指摘し、これが電気抵抗の非金属的振る舞いの起源であると議論している。

第4章では、(DI-DCNQI)2Agの圧力下における実験結果が示され、その電子状態について議論がなされている。まず、電気抵抗測定により、電荷秩序転移温度が加圧に伴い減少していくことが明らかにされている。低圧側では、転移温度より高温でも強い電荷秩序の揺らぎ領域が存在するが、加圧とともに狭まり、ついにはP-T相図上で(19 ± 1 kbar, 21.5 ± 1.0 K)を三重臨界点として、電気抵抗にヒステリシスを伴う1次転移へと移行することが明らかにされた。さらに、21.6kbar以上では絶縁体化は完全に抑制され低温まで安定な金属状態が実現することも示され、そこでは、電子相間が強く期待されるにもかかわらず、低温で電気抵抗が温度の3乗に従う特異な温度変化が見出された。この現象には特殊な電子-電子散乱機構が働いていると考えられ、その機構について1つの提案がなされている。また、加圧下でのNMR測定により、低温の絶縁体相が電荷秩序相であることと、加圧に伴い電荷の不均一化が弱まることが明らかとなった。高温の金属相においては、ナイト・シフト及び(T1T)-1は低温に向かって増大するものの、(T1T)-1/K2は一定値をとり、通常のフェルミ流体として理解できることが述べられている。金属相がFermi流体的であることから、電荷秩序が加圧により抑制される機構は、従来の擬1次元有機導体(TMTTF/TMTSF)2Xで議論されている “次元クロスオーバー”よりはむしろ “バンド幅増大” であると結論づけられている。

第5章は、Cu ドーピングの結果とその考察に充てられている。Cu ドーピングはDCNQIのπ軌道を3次元的に架橋するd軌道の導入の役割を果たし、このドーピング手法が通常のキャリアーやスピンの導入とは異なる新しいものであることが説明されている。このドーピングにより電荷秩序状態からπ-d混成金属状態へ移行する過程が電気抵抗測定により詳細に調べられた結果、電荷ギャップの急激な減少からアンダーソン局在状態を経て、最終的にπ-d混成フェルミ流体となることが明らかにされた。この振る舞いは電子相間と乱れとの競合によるものであり、特に電荷ギャップの急激な減少は、近年発展が著しい理論研究の予言に一致するものである。

第6章は本論文のまとめである。

以上を要すると、本研究は電荷秩序物質(DI-DCNQI)2Agの詳細を明らかにし、さらにその電荷秩序が融解する過程の物理を明らかにしたものである。これは強相関電子物性に対して無機化合物などでは踏み込めない新しい方向からの理解をもたらし、物性物理学および物理工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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