学位論文要旨



No 118686
著者(漢字) 佐藤,直人
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ナオト
標題(和) His-Aspリン酸基転移系の新規な制御機構の同定と解析
標題(洋) Identification of a novel regulatory mechanism of the His-Asp phosphorelay system
報告番号 118686
報告番号 甲18686
学位授与日 2004.02.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4429号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東江,昭夫
 東京大学 助教授 梅田,正明
 東京大学 助教授 菊池,淑子
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 助教授 川口,正代司
内容要旨 要旨を表示する

細胞は,外環境の変化に対して適切に応答し恒常性を維持するための機構を備えている。中でも浸透圧応答は,細菌から高等動植物まであらゆる細胞に普遍的に存在する機構である。浸透圧応答の研究は,古くから細菌を用いて行われてきたが,近年になって真核生物においても急速に発展してきた。これは,浸透圧ストレスを検知し細胞内に情報を伝達する機構に関与する蛋白質群が,遺伝学的解析の容易な酵母を用いて網羅的に同定されたことによるところが大きい。酵母の浸透圧応答に関与する情報伝達経路の概要を図1に示す。この経路の根幹を構成するのが,ストレス応答性MAPキナーゼカスケードであるHOG (High osmolarity glycerol response) 経路である。浸透圧応答経路はさらに,細胞膜で浸透圧の変化を検知してHOG経路を活性化するセンサー部と,HOG経路により活性制御を受け浸透圧応答に関与する標的蛋白質群を含む。本研究において解析の対象としたのは,浸透圧センサー部のうち,蛋白質間のリン酸基転移によりHOG経路の活性を制御する経路(図1左上)である。近年,植物のサイトカイニンとエチレンの情報伝達系においても,これと相同な経路が機能していることが示され,酵母の浸透圧応答経路が植物ホルモン情報伝達経路のモデル系としても捉え直されつつある。浸透圧ストレスが存在しない状態では,細胞膜上のヒスチジンキナーゼsln1pからホスホトランスミッターYpd1p, さらにレスポンスレギュレーターSsk1pへのリン酸基転移機構が機能している。リン酸化型Ssk1pは,HOG経路の構成因子であるSsk2/22p (MAPKKK) を活性化せず,浸透圧応答は起こらない。細胞が高浸透圧にさらされると,上記のリン酸基転移機構が不活性化され,非リン酸化型Ssk1pの量が増大する。非リン酸化型Ssk1pはSsk2/22pと結合して活性化し,これによりHOG経路が活性化されて浸透圧応答が起こる。このようにSsk1pの活性制御にはリン酸化の有無が重要である。一方,Ssk1pはユビキチン-プロテアソーム系により蛋白質分解を受けることによっても制御される。本研究においては,非リン酸化型Ssk1pがUbc7p (E2) 依存的な小胞体蛋白質分解 (ERAD) 経路により分解を受け,これによりHOG経路が負に制御されるという新規の制御機構が存在することを明らかにした。

Ssk1pはC末端領域に,Ypd1pからのリン酸基転移に必要なレシーバードメインと呼ばれる領域を有する。一方,我々はホモロジーサーチにより,Ssk1pのN末端領域にユビキチン様 (UBL) ドメインが存在することを見出した(図2)。Rad23p(DNA修復因子)のUBLドメインはプロテアソームとの結合に必要であるとの報告がある。このことから,Ssk1pがユビキチン-プロテアソーム系と相互作用することが示唆された。まず,Ssk1pがプロテアソームの活性により分解される可能性を検討した。19S プロテアソーム調節因子のサブユニットの変異株rpn9Δおよびrpn12-1において,ガラクトース誘導性プロモーターの下流でSsk1p(C末端にHAタグを付加した)を一過的に発現させた後,シクロヘキシミドを含むグルコース培地に移すことにより転写・翻訳を抑制して制限温度下で培養し,Ssk1pの安定性をウエスタンプロッティングにより評価した。その結果,rpn9Δおよびrpn12-1変異株においては,野生株の場合と比較してSsk1pの安定性が高まっており,Ssk1pがプロテアソームによる蛋白質分解を受けていることが示された(図3)。Ssk1pの活性はリン酸化,脱リン酸化により制御されているが,これらのリン酸化状態と蛋白質の安定性との関連を検討した。YPD1+株とypd1Δ株において上記と同様にSsk1pの安定性を検討したところ,ypd1Δ株においてはYPD1+株と比較してSsk1pの安定性が低く,さらにRPN9を欠損させることによりSsk1pの安定性が上昇した。このことから,非リン酸化型Ssk1pはリン酸化型Ssk1pよりも不安定であり,これはプロテアソーム依存的に分解されることによるものであると考えられる(図4-1)。なお,Ssk1pと結合できるがリン酸基転移はできないYpd1(H64Q)pを発現させてもSsk1pの安定性は上昇しないこと(図4-2)から,Ypd1p-Ssk1p相互作用の有無ではなく,Ssk1pのリン酸化状態自体が安定性の決定要因であることが示された。

Ypd1pはSsk1pだけでなく,レスポンスレギュレーターSkn7pをもリン酸化する。skn7Δ株においては,ypd1Δ株の場合のようなSsk1pの不安定化は観察されず,ypd1Δ株におけるSsk1pの不安定化はSkn7pのリン酸化の消失によるものではないことが確認された(図5)。最近の網羅的なプロテオーム解析 [Nature 415,180-183 (2002)] により,Ssk1pがSsk2p, Ubc7p, ユビキチンと複合体を形成することが示唆された。Ubc7pはERAD経路での蛋白質分解に関与する Ubiquitin-conjugating enzyme (E2) であり,標的蛋白質として一般的な変性蛋白質,コレステロール合成酵素Hmg2p,転写抑制因子Matα2p,Δ-9不飽和脂肪酸合成酵素Ole1pなどが知られている。我々は,Ssk1pがUbc7p依存的ERAD経路により分解される可能性を検討した。YPD1+株においては,UBC7の有無に関わらずSsk1pは比較的安定であったが,ypd1Δ株においては,UBC7を欠損させた場合にUBC7を保持する場合と比較してSsk1pの安定性が上昇していた(図6-1)。また,UBC7の過剰発現によりSsk1pの安定性は低下した(図6-2)。これらの結果は,非リン酸化型Ssk1pがUbc7pの機能により選択的にユビキチン化を受け,分解されることを示唆する。さらに,ERAD経路においてUbc7Pと協調して機能するHrd1p (Ubiquitin ligase, E3) を欠損した場合,Ssk1pの安定性が増大したことから,Hrd1pがSsk1pの分解におけるE3として機能することが示された。一方,同じくERAD経路において機能するE3であるDoa10pに関しては,欠損してもSsk1pの安定性に顕著な変化は観察されなかった(図7)。なお,SSK2および22を欠損しても非リン酸化型Ssk1pの安定性に顕著な変化は観察されず,Ssk2/22p自体はSsk1pの安定性の制御には関与しないことが示唆された(図8-1, 2)。Ssk1pと結合することにより活性化されるSsk2pについても,Ubc7p依存的な分解を受けるかどうか検討した。その結果,YPD1およびUBC7の欠損にかかわらず,Ssk2pの安定性に顕著な違いは観察されなかった。この結果より,Ssk2pの分解においてUbc7pは主要な役割を果たしていないことが示唆された(図9)。UBC7を欠損するとSsk1pの分解能力が低下し,HOG経路が過剰に活性化されると考えられた。実際にubc7Δ株においては,SSK1の過剰発現により細胞の生育が阻害された。さらに,ubc7Δptd2Δ株(Ptp2pはHog1pの不活性化に関与するホスファターゼ)においては,この阻害効果は増強されて細胞が致死となった(図10)。この致死性はHOG1を欠損させると抑圧されたことから,Ubc7pはホスファターゼと協調してHOG経路を負に制御することが示唆された(図11)。さらに,ubc7Δ株に浸透圧刺激を与えた後にHog1pのリン酸化状態をモニターしたところ,浸透圧応答終了後もリン酸化Hog1pの量が高く維持されていた(図12)。従って,Ubc7pは主に浸透圧応答終了後に非リン酸化型Ssk1pを分解することによりHOG経路を不活性化すると考えられる。

細胞の浸透圧応答が終了した時点では,非リン酸化型Ssk1pが通常の条件と比較して過剰に存在していると考えられる。このような非リン酸化型Ssk1pはSsk2/22pと結合し,浸透圧ストレスの非存在下でHOG経路を活性化する可能性がある。Ubc7pは非リン酸化型Ssk1pの分解を促進することにより,Ypd1pによるSsk1pの不活性化機構およびホスファターゼによるHog1pの不活性化機構と協調して,HOG経路を負に制御すると考えられる(図13)。先に述べたように,酵母のリン酸基転移機構は植物ホルモン情報伝達経路のモデル系である。レスポンスレギュレーターがリン酸化・脱リン酸化だけでなく蛋白質分解系によっても制御されるというメカニズムは,植物においても保存されている可能性がある。本研究により得られた知見を基に,植物ホルモン情報伝達経路の解析においても新たな局面が開かれることが期待される。

酵母の浸透圧情報伝達経路

Ssk1pはユビキチン様(UBL)ドメインを有する

Ssk1pはプロテアソーム変異体において安定である

非リン酸化型Ssk1pは不安定である

Ypd1p-Ssk1p相互作用はSsk1pの安定性に影響を与えない

Skn7p経路はSsk1pの安定性には影響を与えない

UBC (E2) の欠損によりSsk1pは安定化される

UBC7の過剰発現によりSsk1pは不安定になる

Hrd1p (E3) は非リン酸化型Ssk1pの分解に関与する

Ssk2p MAPKKKの有無はSsk1pの安定性に影響を与えない

Ssk22p MAPKKKの有無は非リン酸化型Ssk1pの安定性に影響を与えない

Ubc7pはSsk2pの分解には寄与しない

SSK1の過剰発現によりubc7Δ株の生育が阻害される

SSK1の過剰発現による致死性はhog1Δにより抑圧される

UBC7を欠損すると浸透圧応答終了後もHog1pのリン酸化状態が高く保たれる

Ubc7pによる非リン酸化型Ssk1pの分解がHOG経路を負に制御する機構(モデル)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、出芽酵母の浸透圧応答経路(Hog1 経路)の一つであるSln1経路が、その構成因子、Ssk1p、の蛋白質分解による制御を受けることを明らかにし、この蛋白質分解の生理的機能について述べている。

細胞は,外環境の変化に対して適切に応答し恒常性を維持するための機構を備えている。中でも浸透圧応答は,細菌から高等動植物まであらゆる細胞に普遍的に存在する機構である。酵母の浸透圧応答に関与する情報伝達経路の根幹を構成するのが,ストレス応答性MAPキナーゼカスケードのHog1 (High osmolarity glycerol response) 経路である。浸透圧応答経路はさらに,細胞膜で浸透圧の変化を検知してHog1経路を活性化するセンサー部と,Hog1経路により活性制御を受け浸透圧応答に関与する標的蛋白質群を含む。本研究において解析の対象としたのは,浸透圧センサー部のうち,蛋白質間のリン酸基転移によりHog1経路の活性を制御する経路である。浸透圧ストレスが存在しない状態では,細胞膜上のヒスチジンキナーゼSln1pからホスホトランスミッターYpd1p,さらにレスポンスレギュレーターSsk1pへのリン酸基転移機構が機能している。リン酸化型Ssk1pは,Hog1経路の構成因子であるSsk2/22p (MAPKKK) を活性化せず,浸透圧応答は起こらない。細胞が高浸透圧にさらされると,上記のリン酸基転移機構が不活性化され,非リン酸化型Ssk1pの量が増大する。非リン酸化型Ssk1pはSsk2/22pと結合して活性化し,これによりHog1経路が活性化されて浸透圧応答が起こる。このようにSsk1pの活性制御にはリン酸化の有無が重要である。一方,Ssk1pはユビキチン-プロテアソーム系により蛋白質分解を受けることによっても制御される。

Ssk1pはC末端領域に,Ypd1pからのリン酸基転移に必要なレシーバードメインと呼ばれる領域を有する。一方,ホモロジーサーチにより,Ssk1pのN末端領域にユビキチン様 (UBL) ドメインが存在することを見出した。このことから,Ssk1pがユビキチン-プロテアソーム系と相互作用することが示唆された。まず,Ssk1pがプロテアソームの活性により分解される可能性を検討した。19Sプロテアソーム調節因子のサブユニットの変異株rpn9Δおよびrpn12-1において,ガラクトース誘導性プロモーターの下流でSsk1p(C末端にHAタグを付加した)を一過的に発現させた後,シクロヘキシミドを含むグルコース培地に移すことにより転写・翻訳を抑制して制限温度下で培養し,Ssk1pの安定性をウエスタンブロッティングにより評価した。その結果,rpn9Δおよびrpn12-1変異株においては,野生株の場合と比較してSsk1pの安定性が高まっており,Ssk1pがプロテアソームによる蛋白質分解を受けていることが示された。Ssk1pの活性はリン酸化,脱リン酸化により制御されているが,これらのリン酸化状態と蛋白質の安定性との関連を検討した。YPD1+株とypd1Δ株において上記と同様にSsk1pの安定性を検討したところ,ypd1Δ株においてはYPD1+株と比較してSsk1pの安定性が低く,さらにRPN9を欠損させることによりSsk1pの安定性が上昇した。このことから,非リン酸化型Ssk1pはリン酸化型Ssk1pよりも不安定であり,これはプロテアソーム依存的に分解されることによるものであると考えられる。なお,Ssk1pと結合できるがリン酸基転移はできないYpd1(H64Q)pを発現させてもSsk1pの安定性は上昇しないことから,Ypd1p-Ssk1p相互作用の有無ではなく,Ssk1pのリン酸化状態自体が安定性の決定要因であることが示された。

最近の網羅的なプロテオーム解析[Nature 415, 180-183 (2002)]により,Ssk1pがSsk2p,Ubc7p,ユビキチンと複合体を形成することが示唆された。そこで、Ssk1pがUbc7p依存的ERAD経路により分解される可能性を検討した。YPD1+株においては,UBC7の有無に関わらずSsk1pは比較的安定であったが,ypd1Δ株においては,UBC7を欠損させた場合にUBC7を保持する場合と比較してSsk1pの安定性が上昇していた。また,UBC7の過剰発現によりSsk1pの安定性は低下した。これらの結果は,非リン酸化型Ssk1pがUbc7pの機能により選択的にユビキチン化を受け,分解されることを示唆する。さらに,ERAD経路においてUbc7pと協調して機能するHrd1p(Ubiquitin ligase, E3)を欠損した場合,Ssk1pの安定性が増大したことから,Hrd1pがSsk1pの分解におけるE3として機能することが示された。なお,SSK2および22を欠損しても非リン酸化型Ssk1pの安定性に顕著な変化は観察されず,Ssk2/22p自体はSsk1pの安定性の制御には関与しないことが示唆された。UBC7を欠損するとSsk1pの分解能力が低下し,Hog1経路が過剰に活性化されると考えられた。実際に ubc7Δ株においては,SSK1の過剰発現により細胞の生育が阻害された。さらに,ubc7Δptp2Δ株(Ptp2pはHog1pの不活性化に関与するホスファターゼ)においては,この阻害効果は増強されて細胞が致死となった。この致死性はHOG1を欠損させると抑圧されたことから,Ubc7pはホスファターゼと協調してHog1経路を負に制御することが示唆された。さらに,ubc7Δ株に浸透圧刺激を与えた後にHog1pのリン酸化状態をモニターしたところ,浸透圧応答終了後もリン酸化Hog1pの量が高く維持されていた。従って,Ubc7pは主に浸透圧応答終了後に非リン酸化型Ssk1pを分解することによりHog1経路を不活性化すると考えられる。

細胞の浸透圧応答が終了した時点では,非リン酸化型Ssk1pが通常の条件と比較して過剰に存在していると考えられる。このような非リン酸化型Ssk1pはSsk2/22pと結合し,浸透圧ストレスの非存在下でHog1経路を活性化する可能性がある。Ubc7pは非リン酸化型Ssk1pの分解を促進することにより,Ypd1pによるSsk1pの不活性化機構およびホスファターゼによるHog1pの不活性化機構と協調して,Hog1経路を負に制御すると考えられる。

Ssk1pの分解経路は新奇のHog1制御に係わるという発見は論文として公表された。論文は共著であるが、本研究の立案、実行は申請者によるもので、他の共著者は指導教官と実験材料の提供者である。申請者が博士(理学)の学位を受けるのに十分な専門知識および研究能力を有することが審査員全員によって認められた。

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